2023/09/03

まるわかり日本史

 【書 名】まるわかり日本史
 【著 者】相澤理
 【発行所】文春新書
 【発行日】2023/08/20
 【ISBN 】978-4-16-661420-2
 【価 格】900円


■遣隋使
600年に第一回を送るが隋書にはあって日本書紀に記載がない
607年に小野妹子が「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す」という書を煬帝に渡します。隋が高句麗と交戦中というタイミングでした。翌608年には裴世清を答礼使として送ってきます。


■桓武天皇
国司の交替時に解由状(引渡状)を検査する勘解由使をおき、国司の不正に対処
格式ー格が律令を補正・改正した法令、式が律令の施行細則


■土地政策
三世一身の法、墾田永年私財法は土地の私有化ではなく班田制の不備を補い、墾田の掌握を可能という評価に変わっています。墾田永年私財法は政府の掌握する田地を墾田にまで拡大することで土地支配の強化をはかる積極的な政策であった。


国司ー制度改革でノルマ制になりノルマを達成すれば私腹をこやしてもよいになってしまいます。


■武士の登用
上皇は先例にとらわれないため武士を登用し上皇と結びついたのが桓武平氏です。


■末期養子の禁
家康~家光 改易が105で46が継嗣がないことによる御家断絶 由井正雪の乱が発生し方針転換をしていきます


■南鐐二朱銀
田沼意次が作った金貨は壱両と刻まれた日本初の計数貨幣でした。それまでは1枚づつ数えるしかありません。
銀遣いの大坂、金遣いの江戸で二分されており田沼意次は基軸貨幣を作ることになります。南鐐二朱銀で朱という金貨の単位が与えられた計数貨幣として発行。

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2023/07/26

考古学者が発掘調査をしていたら怖い目にあった話

 【書 名】考古学者が発掘調査をしていたら怖い目にあった話
 【著 者】大城道則、角道亮介、芝田浩一郎
 【発行所】ポプラ社
 【発行日】2023/07/06
 【ISBN 】978-4-591-17203-2
 【価 格】1600円


エジプト、中国、ペルーで発掘調査する考古学者が遭遇した体験をまとめた一冊。


■ローカルフーズ
作業員や博物館職員のお宅へ招待されて歓待される時がありますが、エジプトでもリビアでも「日本人は私たちと一緒に食事をしてくれる」という言葉。欧米人は悪意はないが、そんなことはしないそうで、現地作業員と別のスペースで食事をするなどの行動をするそうである。


■ペルー
ペルーで発掘しようと思えば文化省に申請が必要でオンラインは不可。現地に渡航して申請するか現地の考古学者に委任するしかありません。次に発掘計画書が必要で、これが少なくても数十ページ必要で、大概は再提出を何度も繰り返さないといけないそうです。ペルーの考古学者は学術発掘して論文を書いて大学教員などを目指すことになりますがポストは少なく日本と同様に非常勤講師で成り立っているのが実態。もう一つは開発などの緊急発掘調査で調査発行書を書く仕事で、これで論文を書く学者も多いそうです。外国人の場合はペルーに敬意を払って仕事をする必要がありますが、英語で押し通すような発掘をすると失望されます。自分を日本人の代表と考えて行動しないと、後に続く考古学者に迷惑をかけてしまいます。

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2023/07/22

恋愛の日本史

 【書 名】恋愛の日本史
 【著 者】本郷和人
 【発行所】宝島社新書
 【発行日】2023/07/24
 【ISBN 】978-4-299-04297-2
 【価 格】900円


■紫式部
父親である藤原為時の官職が式部、源氏物語の紫の上の紫を付け足したもので本当の名前は分かっていません。和泉式部も同様で夫が赴任したのが和泉でした。


■源氏物語
光源氏ー政所(上流貴族が自分の財産を維持する機関)を持っていて財産がありました。関係をもった女性をちゃんと手当しています。


■宮中の役職
長官、次官、判官、主典ー4つのランクに分けられた四等官制 どんな役職でもNo1~No4までが存在しています。


■藤原道真は糖尿病
「この世をばわが世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば」の頃は目が見えなくなっていたようです。


黒田官兵衛は梅毒ではなかったかという説があり、頭巾をかぶったのは梅毒の腫物を隠すためだったようです。治療のために水銀を使っていたようです。梅毒は戦国時代に外国から日本に入ってきました。

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日本史の旅人

 【書 名】日本史の旅人
 【著 者】野呂邦暢
 【発行所】中公文庫
 【発行日】2023/06/25
 【ISBN 】978-4-12-207381-4
 【価 格】1100円


■直木孝次郎
継体hは越前から畿内に入り、大和の勢力を打倒して王となります。従来の大和政権がもっていた全国に及ぼしている力が崩れ、九州では磐井の反乱が起きます。継体が磐井氏と吉備氏を倒して基礎を固めます。


■伊佐早氏
1470年頃に西郷氏に滅ぼされます。西郷氏は菊池氏から分かれた一族のようです。1587年に西郷氏は龍造寺氏に討たれて平戸島に逃げています。


■三国志
紹興本三国志は日本に存在せず、倭人伝はここに記載されています。今、残っている最古の本は南宋の紹興年間(1131~1162)年の紹興本三国志です。


■呼邑国
諫早という説があり、末盧国から平戸の瀬戸を通って大村湾に入り、諫早の地峡部を曳舟で越して有明海に渡ったようです。地峡部には舩越という名前が残っています。

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2023/07/15

天皇家の謎

 【書 名】天皇家の謎
 【著 者】不二龍彦、山下晋司
 【発行所】宝島SUGOI文庫
 【発行日】2023/05/23
 【ISBN 】978-4-299-04295-8
 【価 格】700円


■天逆鉾
坂本龍馬が引き抜いた天逆鉾はレプリカで、もともとのものは火山の噴火で折れてためで柄の部分はまだ埋まっています。レプリカといっても数百年前まであり、オリジナルの刃は島津家に献上されたが行方不明になっています。


■武内宿禰
蘇我氏、葛城氏、巨勢氏、平群氏などが祖としている。伝承の一つに因幡国で沓だけ残して行方不明になったと言われます。


■改元
最短-暦仁(りゃくにん) 鎌倉時代 2ケ月半
最長-昭和 64年


■後光明天皇
朝廷で火葬にすることになったが奥八兵衛という魚屋が異論を唱える。御所に鮮魚を届けており後光明天皇が儒学を重んじていて火葬を嫌っていたことを知っていたためで朝廷はこれを認めて土葬にします。


■鵜飼
明治になって各地で鵜飼が消えていくことに危機感を覚えた宮内省では長良川の鵜匠に宮内省職員の身分にしました。現在も宮内省式部職鵜匠という身分で奈良時代と同じになっています。

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2023/07/03

本当は近くにある大正時代

 【書 名】本当は近くにある大正時代
 【著 者】河合敦
 【発行所】光文社知恵の森文庫
 【発行日】2023/04/20
 【ISBN 】978-4-334-78809-4
 【価 格】800円


■応援演説
はじめたのは大隈重信で演説の天才だったことから閣僚を引き連れて各地の応援者を応援しにいきました。行けないところは演説を吹き込んだレコードを蓄音機でかけます。


■日露戦争
日本はアメリカ国民に戦時公債を買ってもらっていたが戦後、ロシアから獲得する満州の利権について日本側がアメリカに共同統治をもちかけていたことが大きかった。鉄道ハリマンは桂首相と南満州鉄道の共同管理を行う覚書もかわしています。ところが小村寿太郎が猛反対、軍も支持したことから白紙撤回。日本人移民排斥運動がアメリカで起きていましたが、さらに対日感情を悪化させます。


■フェークニュース
大正時代の報道はフェークニュースも多く、米騒動では事実ではないことも掲載。過激な記事を載せれば部数が増え、また寺内内閣を倒すことも狙っていました。


■左側通行
明治33年に警視庁は交通法規「道路取扱規則」を決め、車(馬車や牛車)は車馬道(自動車道)の左側を走れと定めます。同じ年に日本最初の交通事故が発生します。


■大阪の路面電車
終夜運転をしており東京でも実施しようという話が出ています。

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2023/06/04

線の思考

 【書 名】線の思考
 【著 者】原武史
 【発行所】新潮文庫
 【発行日】2023/05/01
 【ISBN 】978-4-10-134582-6
 【価 格】670円


小説新潮に連載されたものをまとめた一冊。


■赤羽ー大宮(東北本線)
東京から京都まで鉄道をひくときに、まず候補になったのが中山道。浦和も大宮も中山道の宿場町だったので1883(明治16)年に上野ー熊谷間が開通した時は中山道鉄道の一環でした。ところが東海道沿いに変更となったため東北本線になります。


■天王寺駅
阪和線ホームは頭端式になっていますが、もともとは阪和電気鉄道(天王寺ー和歌山)という私鉄を引き継いだためで、その面影が残っています。


和泉府中-泉井上神社は湧き出る泉の上に建てた神社で和泉の由来になっています。また境内には和泉国総社があります。


熊取-中家住宅 後白河法皇が熊野行幸のおりに行宮にした家で現在は江戸時代初めの家


■息長氏
米原市に息長という名前が残っていて山津照神社があり、ここの墳墓が継体天皇に娘をおくった息長真手王の墓ではないかという説があります。

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2023/05/29

日本史の裏側

 【書 名】日本史の裏側
 【著 者】河合敦
 【発行所】扶桑社新書
 【発行日】2023/05/01
 【ISBN 】978-4-594-09455-3
 【価 格】950円


■徳川家康の遺訓
人の一生は重荷を背負いて遠き道を行くがごとし。...徳川光圀の言葉を参考に幕臣が創作したもので、明治になってから旧幕臣の高橋泥舟が一般にひろめました。


■榊原康政
伊勢国の守護である仁木氏の流れをくみ、清長の時代に三河国額田郡に住します。もともとは一志郡榊原から移ったという説があります。


三成側が伏見にいる家康を襲う噂が流れた時、江戸にいた榊原康政は東海道を下り,勢多へきたときに家康の無事を確認。勢多に関所を急遽、作って3日間、旅客や荷物をとめました。そこへ遅れていた徳川軍が江戸から届いたところで関所を開放。とめられていた旅客が京都に入り、何万もの徳川軍がきたと吹聴しました。さらに十万の徳川軍が到着したので食料がたりないと京都で買い集めさせます。三成側への情報戦略でした。


■清
日本独自の暦を作ろうとした背景に漢民族の明が滅んで満州族の清が平定したため知識人は華夷変態(中華が蕃夷に変わってしまった)と呼び、日本こそが中華だという自国中心主義が広まることになります。


■田中芳男
器用だったので幕府の開成所物産方に勤務。昆虫の標本も見様見真似で作り、パリ万博に出展することに。本人も行かされることになり同じ船には柳橋の芸者3人もいて、日本パビリオンの茶店で茶をもてなし大評判になります。現地で博物館の重要性を認識し、東京国立博物館設立などにかかわり、伊勢神宮の農業館を設立します。


■古鉄回収(江戸)
「とっけえべえ」と連呼しながら町中を巡回。作った飴と古鉄を「とりかえよう」と連呼したのが始まりと言われています。


■市木正和(薩摩)
斉彬の密命で琉球王国へ。軍艦の購入、水軍教師の雇い入れ、銃器の購入、薩摩の若者を琉球人として留学させるで、ある程度、進んでいましたが斉彬の急死で頓挫してしまいます。


■廃仏毀釈
寺の跡地を学校に転用することがあり、開智小学校も全久院を廃したあとでした。

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2023/04/21

鎌倉幕府の真実

 【書 名】鎌倉幕府の真実
 【著 者】本郷和人
 【発行所】産経新聞出版
 【発行日】2023/03/25
 【ISBN 】978-4-8191-1422-6
 【価 格】900円


■大江広元
波多野義通ー源義朝が関東に下向した時にもてなした人物、義朝は妹との間に朝長(頼朝の兄)が生まれる
大友経家-義通の弟で本貫が足柄上郡大友郷。娘の婿が下級官人の中原親能で頼朝が呼び寄せて鎌倉幕府の文官に任官。弟(義弟?)を推薦しますが、この人物が大江広元。


■伊賀氏
北条義時の後妻が伊賀の局。義時が義父の朝光を伊賀の国司に推薦したため伊賀と呼ばれるようになったもの
頼朝は伊賀に大内惟義(平賀朝雅の兄 信濃源氏)を送り込み平賀の名跡は朝雅につがせ、大内荘を獲得して大内と名乗るのようになる。平賀朝雅は伊賀の知行国主になります。


国司は4人いて守(かみ)、介(すけ)、じょう、目(さかん)の順になる。


■男衾三郎絵詞
ワルのモデルは畠山重忠で梶原景時がよく描かれています。義経記ですっかり悪者になっている梶原景時ですが実態は文武両道の武人で、梶原景時が討たれた時に城氏が幕府打倒の兵をあげて鎮圧されています。城氏は木曽義仲と戦って敗北し落魄していたところを景時のとりなしで御家人に列してもらえました。城氏の妹の板額御前が女武者として奮戦しています。奥州藤原氏の生き残り藤原高衡を景時が庇護していましたなど、なかなかの人物でした。

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2023/04/01

司馬さんを語る

 【書 名】司馬さんを語る
 【著 者】司馬遼太郎記念財団
 【発行所】文春文庫
 【発行日】2023/02/10
 【ISBN 】978-4-16-792003-6
 【価 格】820円


■オーストラリアの大学
教授が退官になると助教授が昇格せず、新聞を通じての公募になる。選考の過程が公開されていて最終選考で2人残り、甲乙つけがたい時、1人が女性なら、そちらを採用するシステムになっています。


■憲法
コンスティチューション(英語)ー物事の本質、構造などの普通名詞で日本人が受け取るイメージと異なっており、憲法という言葉ではなく「この国のかたち」にしてみては


■人体
1年の間に95%の成分が入れ替わっている。物でできているように見えて物そのものではない。


■十津川街道
護良親王が逃げ、義経が逃げた道でもあります。秀吉の甥だった豊臣秀保が不審死した不思議な場所です。


■スティーブン・トロク
「竜馬がゆく」のモデル。ハンガリー出身の京都大学・大学院生。ハンガリーを亡命したトロクに、土佐藩を脱藩した坂本龍馬を重ね合わせて作品を作りました。「街道をゆく」でハンガリーには訪れてみたかったそうです。


■武士道
日露戦争でロシア海軍のマカロフ提督が戦艦の爆沈とともに亡くなった時、日比谷で白提灯の追悼式が行われました。日露戦争の死者が佐渡島などに流れ着いた時、祠を作って法要しています。ロシア大使が赴任すると隠岐島や佐渡島に挨拶に行きます。太平洋戦争でもルーズベルト大統領が亡くなった時に鈴木貫太郎首相は追悼の電文を送っています。アメリカに亡命していたトーマス・マンは「敵国に対して弔意をはらう日本に比べ、わがドイツのヒトラーはそんな気はないだろう」と称賛しました。


■震災対策
避難所から仮設住宅へ移る時に、くじ引きして行いました。地域のコミュニティ毎に移さなかったため、コミュニティが解体されてしまいました。くじ引きが平等でよいというのは責任をとらないための言い訳でした。


■情報
中曽根首相時代、マルコス政権が倒れた時、拓殖大学の先生が英字新聞の切り抜きを送ってくれたのが第一報。原因の一つが戦後、「私」のための学問しかしてこなかったこと、国家統治をどうしたらよいか、国民をどう救ったらよいかという学問はなく、新聞記者になるための新聞学科や医者になるための医学部しかない。


■淀君
何度も仕事が落ち、家族がバラバラになる経験ばかり、最後ばかりは秀頼を出陣させず息子と一緒に死ぬことを選択したと考えると分かりやすい。

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