2025/07/09

室町史の新論点

 【書 名】室町史の新論点 混沌の時代を読みとく研究最前線
 【著 者】渡邊大門
 【発行所】星海社新書
 【発行日】2025/06/16
 【ISBN 】978-4-06-539972-9
 【価 格】1,550円

■日明貿易

明使をどこに宿泊させるかが問題でした。義満は洛外にある北山殿で応接し仁和寺に宿泊させました。明使は洛中に入らずに帰国します。義教の時は洛中の六条法華堂(本圀寺)に宿泊することになり明使節団500人が入洛しました。

永享4年(1455)には5船が派遣されます。公方船、相国寺船、山名船、十三家船(赤松、細川など寄り合い)、三十三間堂船で十三家船に乗船した西忍は船賃として300貫(3000万円)を支払いました。改修費が300貫、乗務員の人件費が400貫、雑費が500貫でした。

■応仁・文明の乱
文正2年(1467年)の御霊合戦で畠山政長が上御霊神社に陣取って畠山義就と対峙した時に、足利義政はいずれへ合力も禁じましたが山名宗全が守らずに畠山義就に加勢してしまったことから、泥沼の戦いとなります。

■荘園
土地の寄進をうけた公家や自社は年貢徴収権を獲得して在地領主を荘官(現地管理者)に組織しました。これを立荘といいます。荘園では公家、荘官など複数の領主が「職(しき)」という共同での支配を行います。これを職の体系といいます。

■弘文荘
古書で有名な反町茂雄の屋号が弘文荘ですが兵庫県たつの市にあった荘園の名前が弘文(ひろやま)荘でした。

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2025/06/18

東大の良問10に学ぶ日本史の思考法

 【書 名】東大の良問10に学ぶ日本史の思考法
 【著 者】清野孝弥
 【発行所】星海社新書
 【発行日】2025/05/19
 【ISBN 】978-4-06-539675-9
 【価 格】1400円

■知識か理由か
1.平安時代に藤原家は「どのようにして」権力を握ったのか、その方法について記述せよ
2.平安時代に藤原家は「なぜ」権力を握ったのか、その理由について記述せよ

1は知識を問う問題、2はなぜという理由(Why)を説明する思考が必要になる

■行政区
国・郡・里を定めましたが、目に見えるものではないので、まずは国司というリーダーを任命・派遣していきます。地元の有力者を郡司に任命し、最初は郡司に頼っていましたが、やがて国司が力をもつようになります。

■徳政令に分一銭
100万円の謝金を国に帳消してもらいますが1/10である10万円を幕府に払う必要がありました。10万円を払うことができない場合は貸し手が幕府に10万円を払うと100万円の借金がそのまま維持できました。

■地頭
徴税権をもつ武士。地頭職-地頭のための土地で給与代わりで違法な税金の取り立ての必要がなくなります。

■明治の立憲政治導入
ドイツが性急な立憲政治導入を危惧したのはアジアで初めてトルコがミドハト憲法を制定しましたが、有効に機能せず、憲法停止の状況に追い込まれてしまいました。

→ 東大の良問10に学ぶ日本史の思考法

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2025/06/13

足跡に残された日本史の真相

 【書 名】足跡に残された日本史の真相
 【著 者】歴史の謎研究会
 【発行所】青春文庫
 【発行日】2025/05/20
 【ISBN 】978-4-413-29875-9
 【価 格】980円

■参勤交代
本来は参覲交代で参勤には勤めを果たす意味がありますが、参覲は目上の人にまみえることを意味しています。将軍に挨拶して徳川幕府に服属することを目的でした。

薩摩藩などが海路を使わなかった理由
・悪天候にみまわれて江戸に着くのが遅れては一大事
・海路は早く着くが船の調達や乗組員の確保など出費が大きかった
・江戸湾への船の乗り入れが禁止されていました

■奥の細道
同行した曽良が随行日記を書きましたが発見されたのは昭和10年代です。

■室町幕府
天正15(1587)年10月、足利義昭は鞆の浦から京都に戻ります。鞆の浦は足利尊氏が光厳上皇から新田義貞討伐の院宣を受けた地です。翌年1月に足利義昭は秀吉とともに参内し将軍職を朝廷に返上しました。

→ 足跡に残された日本史の真相

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2025/05/30

影の日本史にせまる

 【書 名】影の日本史にせまる
 【著 者】磯田道史、嵐山光三郎
 【発行所】平凡社新書
 【発行日】2025/05/15
 【ISBN 】978-4-582-86082-5
 【価 格】1,000円

■曳馬
伊那から来て静岡の浜の津に出ていくから浜馬津が「はままつ(浜松)」に変化したと言われています。浜松はスズキ自動車が来る前から乗り物の町でした。榛名山の噴火で亡くなった古墳時代の王族は伊那谷出身だったようで馬を生産するために移ってきたようです。

■西行
もともと北面の武士であり清盛とは知り合いで高野山に課せられた税金の免除を清盛に頼んでいます。
「願はくは花の下にて春死なん そのきさらぎの望月の頃」で予告通りに亡くなりましたが、毒薬でコントロールしながら自死したのではとも言われています。

■流通を重視した平氏
音戸の瀬戸-厳島の横の島の岬を切り開く
敦賀から琵琶湖まで運河を通そうと計画
貨幣経済となり1650年頃、江戸幕府ができてから50年ほど清盛が輸入した宋銭が使われていました

■連歌
全国の情報が連歌師によって運ばれ戦のときには軍使にもなりました

■芭蕉
「世にふるは苦しきものを槙の屋に 易くも過ぐる初時雨かな」二条院讃岐
          ↓
「世にふるもさらに時雨の宿りかな」宗祇
          ↓
「古池や蛙飛び込む水の音」芭蕉

「ふる」には時間がたつことが隠れています


芭蕉の父親は柘植の出身で福地家一族です。信長の伊賀攻めで道案内したため、いずらくなり福地家は改姓して松尾となり静岡県下河原へ転居します。芭蕉は上野の赤坂で生まれ藤堂家も伊賀上野のよそ者だったので奉公することになります。

「閑さや岩にしみ入蝉の声」は亡き蝉吟への追悼句になっています。

■竹千代(家康)
父の松平広忠 「神々のながきうき世を守るかな めぐりは広き園の千代竹」 
神々は長く続くこの心配な世の中を守ってくれるんだなあ、周囲が広いお庭の永久に青々と茂っている竹垣を」
ここから竹千代と名付けられます

徳阿弥が連歌でうまく取り仕切り松平家の婿となり松平家にも酒井家にも子をつくり松平郷から三河国へと拡がっていきました
菩提寺には将軍の寺を意味する大樹寺と名付けます

■版権
版木は摩耗するので売ってしまいます。「貝おほひ」の板木も六刷ぐらいで版木ごと売られました。

■蓑虫庵
枕草子に「ちちよ」と鳴く蓑虫の話が出てきます。ここから英一蝶が「蓑虫の音を聞きにこよ草の庵」とよみ、芭蕉が土芳が伊賀に開いた庵にこの画賛を贈りました。ここから「蓑虫庵」と名付けられます。

→ 影の日本史にせまる

 

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2025/05/28

生きざまの日本史

 【書 名】生きざまの日本史
 【著 者】本郷和人
 【発行所】毎日文庫
 【発行日】2025/05/10
 【ISBN 】978-4-620-21082-7
 【価 格】900円

■武田信玄
伊勢から操船ができる武士団を雇って水軍にしました。臨時雇いではなく甲斐・信濃に土地を与えます。西洋の傭兵にようなことをしていた武将でした。

■宣教師
危険な日本にまで来る理由は殉教ができるから。殉教になるにはいろいろな条件をクリアする必要があり、当時、世界中で日本ぐらいしか該当しませんでした。

■直江兼続
詩文集「文撰」を京都の要法寺に依頼して慶長12(1607)年に活字で出しました。活字本を出したのは家康と兼続しかいません。

→ 生きざまの日本史

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2025/05/02

令和に生かす日本史

 【書 名】令和に生かす日本史
 【著 者】呉座勇一
 【発行所】扶桑社新書
 【発行日】2025/05/01
 【ISBN 】978-4-594-09970-1
 【価 格】1,100円

■楽市楽座
楽市も楽座もそれぞれ行われていましたが信長は組み合わせて「楽市楽座」というキャッチフレーズを出したところに独創性がありました。ただし加納市場や安土など商工業者の誘致をはかった市場だけでした。地域の旧勢力を敵にまわさないよう大山崎の油座などには手をつけていません。
関所も廃止しましたが京都の出入り口である七口までは廃止できませんでした。廃止したのが秀吉です。

■軍事国家
663年の白村江の戦いで負け律令国家建設に乗り出しましたが極端な軍事国家になりました。人口400万人で兵士が約20万人で現在の陸上自衛隊約15万人と比べても高い割合でした。維持は難しく唐との外交関係が安定したことから戦力の縮小がはかられました。

■武士
上層農民から武士になった事例はなく、一般武士でも源平藤橘につながる貴族を出自にしています。

■勝海舟
貧しかった勝海舟を助けたのが北海道の商人・渋田利右エ門で本代などいろいろと支援してくれました。

→ 令和に生かす日本史

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2025/02/28

東大生に教える日本史

 【書 名】東大生に教える日本史
 【著 者】本郷和人
 【発行所】文春新書
 【発行日】2025/02/20
 【ISBN 】978-4-16-661483-7
 【価 格】900円

■荘園
現地で土地を開発管理しているのは在地領主ですが、土地の権利は一元化されておらず複雑に多層化しています。
公領 朝廷-国司-目代-在庁官人
荘園 本家-領家-預所-下司

中央の有力者に寄進しても、必ずしも土地を安堵してくれないため自力救済するしかなく武士の誕生になります。

■貨幣経済
1226-1250年頃に貨幣経済が浸透
土地を売る時の証文を見ると米での売り買いから銭に変わっています

■義満
検非違使庁(京都の行政、治安、司法を担当)を幕府の侍所へ移したが京都における課税権を手にします。酒屋や土倉に対する徴税権も幕府に移ります。

■秀吉の人事評価
デスクワークの評価が高く、兵站の強さが秀吉軍の強さでした。

■家康の東北開発
陸奥 167万石→300万石 出羽 32万石→150万石
貨幣経済がいき届いていなかったので貫高制から石高制に変更しました

■家の重視
江戸時代に先を見通せる世の中になると家を重視し直系家族の概念が拡がります。それまで別々の姓を名乗り、夫の墓の横に妻の墓を作る夫婦墓が中心だったのが元禄期以降から家族墓になっています。
600年頃(聖徳太子の頃)600万人が1600年頃に倍の1200万人、1700年で2500万人になります。

→ 東大生に教える日本史

 

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2025/01/25

日本史 敗者の条件

 【書 名】日本史 敗者の条件
 【著 者】呉座勇一
 【発行所】PHP新書
 【発行日】2025/01/29
 【ISBN 】978-4-569-85845-6
 【価 格】1000円

■源義経
頼朝は平氏の補給路を断って持久戦で降伏させ、三種の神器と安徳天皇を京都に帰還させるように義経に依頼していましたが義経は短期決戦で滅ぼしてしまいました。これは平氏を憎悪していた後白河法皇に沿った行動です。また東国武士は源範頼軍に従っており義経と西国武士が戦功を独り占めしたことから東国武士の不満がうずまいていました。頼朝は処分に迷っていましたが源行家討伐の協力を断ったことから決裂することになります。

■関ケ原の戦い
尾張に進軍するのに石田三成は伊勢口、美濃口、北国口の3方面に分け、主力を東海道がある伊勢口に向ける予定でした。ところが美濃口が戦場になっています。毛利輝元が大坂城を動かなっかのは増田長盛ら奉行集と主導権争いがあったのと自軍の兵力を温存し三成と家康とをぶつけて漁夫の利を狙う思惑もあったのでしょう。結果論として大垣城を出なければ大津城を落とした立花軍とで家康を東西から挟撃できました。

→ 日本史 敗者の条件

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2024/10/29

日本史不適切にもほどがある話

 【書 名】日本史不適切にもほどがある話
 【著 者】堀江宏樹
 【発行所】王様文庫
 【発行日】2024/10/20
 【ISBN 】978-4-8379-3098-3
 【価 格】810円

■万葉集は男同士の恋歌
大友家持が先輩役人・大伴池主に送った歌などが残っていますが、「わが背」という言葉が男性同士で使われていました。

■清和源氏
坂上田村麻呂の娘の春子は桓武天皇の妃となり葛井親王を生みます。親王の孫と清和天皇との間に生まれた貞純親王の子孫が清和源氏になります。

■帰蝶
山科言継「言継卿記」に信長と喧嘩しているようなエピソードが出てきますが、それ以外の記録が残っていません。本能寺の変から30年たった亡くなった女性が信長公御台と書かれている記録があり帰蝶ではないかという説があります。

■家光
お江が家光の誕生日を秘匿していたようで誕生日がばれると秀忠とお江の子供ではないことが分かるためという説があります。こうなると弟の忠長を寵愛した理由もよく分かります。

■太宰治
武蔵野税務署から所得金額と所得税額通知が届きます。太宰は飲み代などで浪費しており所得税などは払えません。税務職員が訪れてしばらくしてから入水自殺します。

→ 日本史不適切にもほどがある話

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2024/10/15

空白の日本史

 【書 名】空白の日本史
 【著 者】本郷和人
 【発行所】扶桑社文庫
 【発行日】2020/10/10
 【ISBN 】978-4-594-09885-8
 【価 格】900円

新書に加筆して文庫化したものです。

■毛越寺
隣国である毛の国(上野、下野)や越の国(越前、越中、越後)にもこんな立派な寺はない、このあたりの地域で一番の寺という意味で名づけられたのではという説があります。

■神道よりも仏教
天皇家の姫君が斎王になることはありますが新王から神主になる人物はいませんでした。明治になってから神様の子孫である天皇にするために明治天皇による伊勢神宮参拝などが行われます。

■エマニュエル・トッドの研究
単婚小家族 → 直系家族 → 大家族
古い国を中核とし周辺国へ押し出されていく
中国 単婚小家族から直系家族に移行する時に朝鮮、日本、ベトナムなどの周辺国が単婚小家族になります。中国か直系家族から大家族へ移行すると周辺国は直系家族になっていきます。単婚小家族はさらに周辺の東南アジアの島々へひろがっていきます。柳田國男の蝸牛考がよく似ていて近畿がカタツムリをデデムシり呼ぶのが一番新しく中部・中国ではマイマイ、関東と四国はカタツムリ、東北や九州ではツブリ、東北北部や九州西部ではナメクジです。一番古いのがナメクジになります。

日本では天地・天武天皇あたりから直系家族になっていきます。

→ 空白の日本史

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