2021/10/25

マンガでわかる考古遺跡ワーク・マニュアル

 【書 名】マンガでわかる考古遺跡ワーク・マニュアル
 【著 者】今井しょうこ
 【発行所】創元社
 【発行日】2021/09/20
 【ISBN 】978-4-422-20166-5
 【価 格】1,400円


遺跡発掘をしているところをたまに見るのですが、どんな人たちが関わっていて何をやっているかについてマンガで解説しています。作業に入る時は製造業と同じように「今日もご安全に」と声を掛け合っています。


■考古学の元祖は水戸光圀
元禄5年(1992年)に栃木県の侍塚を発掘し、記録、復元、保存まで行っています。本格的調査は大森貝塚を発見したモースからになります。


■レジメルト
形が変わっても元の特徴が受け継がれていること。土をいれる箕は、もともと竹やワラで編まれていましたがプラスチックになっても自然素材でできていた頃の模様がついています。

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2021/10/09

教科書に載せたい日本史、載らない日本史

 【書 名】教科書に載せたい日本史、載らない日本史
 【著 者】河合敦
 【発行所】扶桑社新書
 【発行日】2021/09/01
 【ISBN 】978-4-594-08931-3
 【価 格】880円


■遣唐使の答礼使
遣唐使は中国に対する朝貢外交でしたが国内向けには対等外交ということにしていました。ですので唐から使節を派遣したいという話は必死で断っていました。つまりダブルスタンダード外交を展開していました。


■お歯黒
平安末期は朝廷で使われ平氏もお歯黒をしていたため源氏との戦いで目印に使われていました。鎌倉時代になると下級武士にまで広がり、北条泰時が武士のお歯黒を禁じたりしています。江戸時代になるとなぜか既婚の女性だけになっていきます。


■鍋島直正
江戸時代の感染症といえば天然痘。佐賀藩藩主で牛痘苗を手に入れ、領民の乳児に接種を行います。領民が忌避しないよう藩主の息子にも率先して接種することで藩に広まりました。


■江戸の無血開城
幕末、西郷隆盛と勝海舟の会談が有名ですが、勝海舟はアーネストサトウを通じてイギリスのパークスと接触していました。江戸が攻撃されると最大の貿易国であるイギリスにとっては横浜の損害が無視できません。そこで討幕派を支援していたパークスは江戸総攻撃反対の援護射撃を行います。


■日露戦争
ロシアとの講和仲介をしてくれたのがアメリカのルーズベルト大統領でした。戦後、ロシアが南満州の利権を日本に譲った場合、日本はアメリカと共同で満州の鉄道を経営する協定(桂・ハリマン協定)を結んでいました。ところが日本は土壇場で約束を反故にして単独経営にしてしまいます。アメリカで排日運動が起きるきっかけになります。


■越後高田藩 榊原政令
莫大な借財がある藩の藩主となり、まずお国入りで江戸から高田まで300キロを草履で歩きとおします。また内職の奨励や殖産興業政策を行います。その一環が赤倉温泉の開発。泉源から7キロ離れたところに500本の大竹を組み合わせて温泉をひきます。泉源は山伏の修道場所でしたが藩主が掛け合い迷惑料を払うことで無事に温泉を確保。やがて温泉宿も整備され藩が運営する温泉となります。やがて民間の温泉組合へと引き継がれます。

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2021/09/18

日本史の論点

 【書 名】日本史の論点
 【著 者】本郷和人
 【発行所】扶桑社新書
 【発行日】2021/09/01
 【ISBN 】978-4-594-08870-5
 【価 格】935円


■Bank「銀行」
渋沢栄一が関西圏の商売が銀本位制で勢いがあったため「銀行」と訳しました。


■徳政令
御家人が土地を御家人以外に譲り渡した時に返してもらえます。御家人同士の場合は20年を超えていなければ返してもらえます。この20年という権利の期間は今もいきていて、土地を不法占拠され20年が経過すると権利を主張しても取りもどすことができない居住権になります。


■殉教
宣教師たちは過酷な運命が待つかもしれない日本に布教に来ましたが、当時、きちんとした文明がありキリスト教に反対している国は日本しかなく、日本で布教して殺されると殉教として認められる側面がありました。未開の地で殺されても殉教になりません。


■ペリー
アメリカでは蒸気船の父という位置づけで、有名なのが兄のオリバー・ハザード・ペリーで海軍の英雄として知られています。ペリーの髪の毛はカツラで、日本人に若々しく見せるためにいろいろと気をつかっていました。

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2021/09/10

新説戦乱の日本史

 【書 名】新説戦乱の日本史
 【著 者】倉本一宏、亀田俊和、川戸貴史、千田嘉博、長南政義、手嶋泰伸
 【発行所】SB新書
 【発行日】2021/08/15
 【ISBN 】978-4-8156-1181-1
 【価 格】990円


■百済の大井
皇極元年(642)に百済、高句麗、新羅の使者が倭を訪れます。蘇我蝦夷は百済の義慈王に追放された王族などを百済の大井の家に移住させます。この場所は倭の百済大井宮か河内国錦部郡百済郷(河内長野大井)、太子町大井のどれがの可能性が高そうです。


■百済復興
百済の鬼室福信から援軍要請がきて余豊璋を帰国させますが、過去にも百済からの援軍要請があり東城王を帰国させて百済を復興できた成功体験がありました。結局は白村江の戦で大敗することになります。


■壬申の乱
大友王子は母親が伊賀の地方豪族のため王位継承権がなく天智天皇が考えていたのは大海人皇子に中継ぎを頼み葛野王、大津王、草壁王という自分の血をうけた後継者へのバトンタッチです。ただ草壁王でないと困るのは「うののさらら(持統天皇)」で、壬申の乱の黒幕だったようです。


■御座所
兵庫城には本丸の入口が2つあり、1つは貴人用。信長の御座所として秀吉が整備していました。船上城、姫路城も同様に整備したでしょう。信長自身の出陣に際しては各方面軍の武将は御座所を作る必要がありました。兵粮や陣小屋、連絡網の整備ができており、これが中国大返しにつながります。


■関ケ原の合戦
玉城-豊臣秀頼を迎えるための御座所として整備されていました。プレハブのように組み立てるノウハウがあり大坂の陣での家康本陣も中井正清などの大工たちが短期間に作り上げました。大谷吉継は玉城(山中台陣)に陣をかまえていましたが小早川秀秋が松尾山城を守る城ではなく関ケ原の攻め込むための陣地構築し裏切ることが判明したため玉城から延びる尾根の先端に移動して簡易的な陣を作り小早川秀秋に備えました。これが墓所のあるあたりになります。

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2021/08/19

日本史の法則

 【書 名】日本史の法則
 【著 者】本郷和人
 【発行所】河出新書
 【発行日】2021/07/20
 【ISBN 】978-4-309-63137-0
 【価 格】850円


■上原敦広
諏訪地方の御家人で上原城があり、後に信玄が拠点にします。この上原敦広が信瑞という僧侶と問答します。「我々武士は、在地領主として民から収奪し、まさにその血税でお寺をつくり、仏を供養するが、それで仏は喜んでくれるか」という問いに信瑞は「喜ばない」と答え、「仏は常に民が幸せであることを願っている。民を愛し、民にいい暮らしをさせる。それが仏がいちばん喜ぶことだ」と諭します。


この信瑞ですが法然の孫弟子で北条時頼にも会って教えを伝えています。この北条時頼を支えていたのが北条重時で大叔父にあたります。六波羅探題を切り盛りしていましたが時頼が新たな執権になる時に帰ってきて支えます。この重時が浄土宗の教えに影響をうけ、鎌倉幕府に撫民という政策が拡がっていきます。


■摂関政治
娘を天皇に嫁がせて義父となり母方の祖父であれば関白となり、父方の祖父であれば院生になります。


■本田忠勝
武士にとって大事なことは敵の大将の首を取ることや特別な手柄をたてることではない。主人が失敗して討死をとげる時に何も言わずに笑って一緒に死んでやることだ」と家来に語っています。

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2021/08/14

歴史のミカタ

 【書 名】歴史のミカタ
 【著 者】井上章一、磯田道史
 【発行所】祥伝社新書
 【発行日】2021/07/10
 【ISBN 】978-4-396-11630-9
 【価 格】940円


■カイロス(ギリシャ神話の”機会の神”)
頭髪は前髪だけで後頭部は禿げています。通り過ぎたら後ろ髪はつかめない、つまりチャンスはつかめないこといなります。


■譲位
生麦事件などイスラム国以上にやばい国が日本で欧米では怖れられていましたが、好奇心旺盛なところもあり、フランスの海軍士官エドゥアルド・スエンソンが神奈川宿の茶屋に入り、隣部屋の日本人が興味津々の様子が記録されています。スエンソンは日本最初の海底ケーブルを施設した大北電信会社社長です。


■エイバラハム・リンカーン
「それはできる、それをやる、と決断せよ。それからその方法を見つけるのだ」という言葉を残しています。


■秀吉の魁
秀吉が亡くなる前に新八幡という神号を朝廷に奏請しましたが認められませんでした。朝鮮半島に進出した応神天皇に比していたようです。秀吉の死後、後陽成天皇が認めたのが「豊国大明神」でした。


■徳川慶喜の失敗
大坂城から京都に単身で新政府の御所へ向かう予定でしたが、インフルエンザにかかってしまい主戦論を出張する配下たちに「いかようにも勝手せよ」と告げたことから鳥羽伏見の戦いになってしまいました。また幕府軍が破れた後、大坂城で戦う選択肢がありましたがイギリスが「局外対立を保たないかもしれない」と幕府を脅します。イギリス海軍が大坂城を開城封鎖したら詰みになるため慶喜は江戸に戻りました。鳥羽伏見の戦いの裏にはイギリスの影がありました。


■古墳時代・注記
長岡にある宇津久志1号墳で出土した重曹ガラス玉を分析したところローマ帝国内で製造されたガラス製品と同成分でした。


■蓬莱幻想
中国の「魏略」に倭人が周王朝の太王の長子・太伯の子孫を名乗ったことが記されています。古代日本は周王朝の長男の子孫が易姓革命もなく伝統を受け継いだ国という意識があり、聖徳太子が「日、出ずるところの天子」という文章につながった可能性があります。江戸期になっても林家で皇室は呉の太伯の子孫と言っていて、これに怒った徳川光圀が大日本史の編纂をしたと、まことしやかに言われています。


■別嬪を集める
701年の大宝律令で郡司以上の姉妹あるいは娘を13歳~30歳で容姿を厳選して送れと記載しています。法律で美人を集めろと書いたのは世界でもないのではないか、もっともとんでもない娘を送られてきた朝廷が、勘弁してくれと言い出したかもしれません。


■京都の坊主
祇園で黒い袈裟を着た坊主がミニスカート姿のキャバ嬢を抱きしめてみてもOK。ところが銀座のナイトクラブに袈裟姿で入ると場が凍り付きます。京都ならではです。拝観料で潤っている寺を「肉山」。豊かでない寺を「骨山」といい、豊かでない寺がやっかみで非難することを骨肉の争いと言います。


■祇園祭
北の海から牛頭天王が京都へ婚活の途中に立ち寄ります。この時、疫病の神々も連れて入ってくるので京都人は御旅所の所で粟飯の接待を行い、鴨川の流れで大阪の今宮に行ってもらいます。つまり祇園祭は鴨川を経由して京都から大阪へ疫病を通過させるためのお祭りです。

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2021/07/31

勘違いだらけの日本文化史

 【書 名】勘違いだらけの日本文化史
 【著 者】八條忠基
 【発行所】淡交社
 【発行日】2021/06/10
 【ISBN 】978-4-473-04472-3
 【価 格】1600円


■十二単
蚕品種「小石丸」の絹糸の太さは35デニールほど、一般的な絹糸の太さは84デニールで江戸時代以前の十二単は現在の1/3ほどの5kgでした。また十二単は女房装束でいわゆるOL服。偉い人の前に出るために衣装で偉いお姫様はラフな袴姿で御付の女房が十二単でした。


■紙屋川(天神川)
平安時代に紙屋院があり紙漉きをしていたことに由来します。使用した紙は100%リサイクルされ、漉き直したものを「紙屋紙」と呼びました。だんだんとグレーになったものを薄墨紙と呼んでいました。


■忠臣蔵
綱吉の母である桂昌院は身分が低かったのですが吉良上野介が従一位を任官されるように朝廷へ働きかけをしている所に起きたのが松の廊下事件。綱吉は激怒し、翌年無事に従一位が任官されます。また近衛基熙と吉良上野介が対立していました。近衛基熙の娘婿の徳川家宣を綱吉の跡目に考えていましたが、吉良上野介が反対していました。近衛基熙の家臣の親戚に赤穂藩士がいたこともあり近衛家の領地である山科に大石内蔵助は隠棲できました。摂家の領地ですので幕府も入れません。


■色の表現
あか(明るい)、くろ(暗い)、しろ(明瞭)しかなく、それ以外は全て「あお(曖昧)」でした。この4色と黄色、茶色だけが末尾に「い」がつけらえます。また色名を重ねた副詞は「黒々」、「赤々」、「青々」、「白々しい」のつしかありません。


■日本酒の政宗
灘の酒造りで「薪水」と銘柄をつけていましたがダメで隠元和尚が自らの宗派名を「臨済政宗」と呼んでいたことから「政宗」が「せいしゅ」につながると銘柄にします。こうして櫻政宗、菊正宗という名前がついていきます。


■おいしい
女房言葉で「いし」とは美味のこと、さらに丁寧にした言葉が「おいしい」です。


■波銭
物価があがったため寛永通宝4枚で通じる4文銭(波銭)が作られます。これで団子が4個1串になっていきます。また、そば十六文など波銭で払いやすいように4の倍数の値段になります。そして登場するのが四文屋(しもんや)で串おでん、するめなどを醤油で煮しめて売っていました。波銭ワンコインえ買える屋台です。


■羽栗翼
日本後紀に登場する名前で羽栗吉麻呂の息子。吉麻呂は阿倍仲麻呂の従者として唐に渡り現地で唐の女性と結婚。生まれたのが翼と翔(かける)。羽栗翼は16歳の時に父親とともに帰国。桓武天皇の侍医にまで出世します。


 

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2021/07/13

変わる日本史の通説と教科書

 【書 名】変わる日本史の通説と教科書
 【著 者】本郷和人
 【発行所】宝島社新書
 【発行日】2021/06/24
 【ISBN 】978-4-299-01694-2
 【価 格】990円


■仁徳天皇陵
世界最大の面積といわれていますがイギリスの新石器時代の墳墓の中には長さ500mを超える土手状のものがあるそうです。近年の研究では上石津ミサンザイ古墳、仁徳天皇陵、田出井山古墳の順に造られ日本書紀では仁徳天皇陵、反正天皇陵、履中天皇陵の順に造ったとあり、それでいけば反正天皇陵の確率が高くなります。


■皇紀
60年が基本となり21回暦が回ってきた時の辛酉の年は大革命が起きるとという説があり、これで起源前660年に神武天皇が即位したことになります。太平洋戦争直前の1941年が皇紀2600年となり、ドイツの作曲家リヒャルト・シュトラウスに管弦楽曲の作曲依頼をしました。

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2021/06/20

能から紐解く日本史

 【書 名】能から紐解く日本史
 【著 者】大倉源次郎
 【発行所】扶桑社
 【発行日】2021/03/31
 【ISBN 】978-4-594-08417-2
 【価 格】1800円


■能の音楽
雛祭りの五人囃子と同じで右側から地謡、笛、小鼓、大皮、大鼓と並び、音源が口から遠くなる順になっています。


■能のスポンサー
妙楽寺(談山神社)と興福寺(法相宗)で平安遷都前に、清水寺が興福寺の出先機関として造られ北法相宗本山になっています。


■暦の数え方
春秋暦という春から秋まで1年、秋から冬までを1年とした暦が古代から飛鳥時代まで使われていたのではという説があります。神武天皇など100歳以上の天皇が古代に多いのですが半分にすると神武天皇は68歳となり長命ですが、ありえない歳ではなくなります。


■比叡山
「白髭」では延暦寺を建てる時に地元でひと悶着があったこと、「大江山」では最澄という偽物が我々を追い出したという話になっていて比叡山の先住民が丹波に逃れたのに、また討伐された歴史のようです。


■継体天皇
最先端の水田耕作を持ち込んだようで宮の名前が磐余玉穂宮になっています。陸稲栽培と違って連作障害が起きませんから確かめながら大和入りしたので時間がかかったのではないかという説です。また「花筐(はながたみ)」では継体天皇にお供してきた照日前が出てきて天照を匂わしています。何らかの宗教戦争みたいなのがあり、最終的に継体天皇が天照大神を祀り、伊勢神宮を建てたのではともいわれています。


■在原
阿保親王が薬子の変で失脚します。息子が在原業平となります。阿保親王の墓は芦屋市にあり、所領で開墾したことで功績をあげ在原という名前を得たのでは推察しています。春の田植えや秋の収穫で舞われる「翁」には「ありはらや。なぞの。翁ども」という言葉が出てきます。


■狂言・謡曲の言葉
遠国の大大名同士が集まっても言葉が通じませんでした。そこで狂言などで使われる「にてそうろう」「ござる」「かしこまり申した」などが使われ、これが武家言葉となっています。全国隅々まで能は伝わっていましたので、これが共通語になっていきます。


■秦河勝
広隆寺の別名は太秦寺で長安にあった大秦寺(景教)の影響を受けたようです。「翁」には白いお爺さん、黒いお爺さん、若い男の3人が登場しキリスト生誕の三賢者のようです。大倉源次郎の氏名は大倉源次郎秦宗治で大和四座は秦氏の子孫となります。世阿弥の風姿花伝には猿楽の開祖が秦河勝と書かれています。

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2021/05/29

最新の日本史

 【書 名】最新の日本史
 【著 者】河合敦
 【発行所】青春新書
 【発行日】2021/05/15
 【ISBN 】978-4-413-04618-3
 【価 格】980円


■う野讚良(うののさらら)野望説
天智天皇から大海人皇子への皇位継承は群臣も支持していており、大海人皇子が天皇になった後の後継者が葛野王、大津皇子。草壁王子、う野讚良で天智天皇と大海人皇子にとっても悪い選択肢ではなかったようです。なぜ壬申の乱が起きたのか、自分の子供である草壁王子を確実に即位させるために大海人皇子をけしかけたのではという説があります。


ところが草壁王子が若く亡くなってしまい、文武天皇へ皇位を継ぐために中継ぎとして持統天皇が誕生します。アマテラスを守護神と考えていたようで、歴代の大王が代替わりすると宮を移しましたが、藤原京からはなくなります。その代わりに伊勢神宮の遷宮が行われるようになったという説があります。持統天皇は斎王制度をやめて自らが伊勢神宮へ行幸しますが、これは自らがアマテラスとして振舞うことを報告し許しをもらうためだったようです。


■大津浜事件
文政7年(1824)、大津浜(北茨城市)にイギリスの捕鯨船がやってきます。水戸藩で対応にあたったのが金沢正志斎はフェートン号事件を念頭にイギリスは侵略を考えているのではと考えます。そこで書き上げたのが「新論」で。これが尊王攘夷論の根幹となっていきます。


■日露戦争
国家予算の5年分の戦費がかかり強制的に住民が国債を買わされ破産する住民が出ます。またマスコミが戦勝の誇大ニュースを載せると新聞がよく売れるため毎回、ロシア軍に勝っていると書きたてました。国民も報道を信じていました。これが日比谷焼き打ちち事件へとなっていきます。講和を支持したのが徳富蘇峰の国民新聞だけで、群衆に襲撃されることになります。日露戦争前から反戦的だった万朝報は急激に部数を減らしたため主戦論に途中で切替ます。

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