2022/09/05

歴史学者という病

 【書 名】歴史学者という病
 【著 者】本郷和人
 【発行所】講談社現代新書
 【発行日】2022/8/20
 【ISBN 】978-4-06-526097-5
 【価 格】900円


「私の履歴書」のような一冊です。


■東大史料編纂所
塙保己一の和学講談所からスタートし、最大のミッションは大日本史料の編纂事業で著者の職場。ちなみに編纂所のトップが奥さんの小泉恵子。


■紀伊国・名手荘
在地領主ー長男
高野山ー次男
実家の武力を背景に高野山は戦国大名にようになっていきます。


横のつながり(仏の前で平等)VS 主人と家来の上下関係による縦社会


■博士号
課程博士ー課程を修了した段階で取得できる
論文博士ー博論の執筆


ヨーロッパー年季と経験を積んだ学者が博士論文を書いて博士号をえる
アメリカ-一定の単位を取得して博士号をえる


文系はヨーロッパ型だったが文部科学省が博士課程があるなら博士を出せと、出せないなら予算削減と言い出したためにアメリカ型に


■陣の義 陣の定
鎌倉時代の貴族の会議 冒頭で条事定という紙が配られ国を治める方策が細かく書かれており全員が閲覧してから会議に入る
実は形骸化しており、毎回同じ内容で単なる形式

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2022/07/15

お金で読む日本史

 【書 名】お金で読む日本史
 【著 者】本郷和人 監修
 【発行所】祥伝社新書
 【発行日】2022/7/10
 【ISBN 】978-4-396-11658-3
 【価 格】900円


BSフジ「この歴史、おいくら?」という番組でよみとくお金の話をまとめた一冊です。


■鎌倉
頼朝が鎌倉入りした時に北から入るには亀ケ谷坂切通ししかありませんでした。武具をつけていると二人並ぶのがやっとという道幅。5万で入った記録がありますが人との間を1mとすると全長25kmとなりました。


馬の値段ー熊谷直実が手に入れた権太栗毛は上品絹200疋で約4000万円。武蔵国の上馬の相場は200万円ほどでした。


■武田信玄
山本勘助
築城術にたけた勘助の噂を聞いた武田信玄は知行100貫目で雇おうとします。対面すると外見がひどいのに、名がしられるとはよほどの人物と200貫目で雇います。1貫目を10万円とすると年俸2000万円になります。


碁石金
戦の褒美として渡しましたが身分の高い家臣には刀や家紋入りの着物を褒美として渡しました。もらうと戦で着飾ったり自慢するので見たものは羨ましく活躍します。お金をもらった方は隠しますので効果がありません。


甲州金
日本で最初の金貨で金4匁を1両、1/4を1分、1分の1/4を1朱、1朱の1/4を1糸目とし江戸時代に引き継がれました。「金に糸目をつけない」はここから生まれました。一分金の刻印が和太鼓に似ていたことから「太鼓判を押す」もここからです。


銃の価格
第二次川中島の戦いで300挺の鉄砲を用意しました。約3億円になります。


西上作戦
信玄は本気だったようで未亡人や妻帯した僧侶にまで課税をし7000両(10億5千万)を集めていました。信長攻めに本気だったようです。


■忠臣蔵
浅野内匠頭は一関藩の田村建顕の屋敷に預けられますが切腹の沙汰が届き、屋敷内に切腹場所をもうけたところ大目付の庄田安利に庭先にしろと言われ庭先でせっぷくさせましたが親戚から縁を切るとか場内でも散々に言われたそうです。


ちくま味噌
討ち入りに成功した赤穂浪士が一服したお店で永代橋のたもとにあります。初代の竹口作兵衛松方が大高源吾の俳諧仲間でした。記録では甘酒をふるまったとありますが実際は酒だったようで幕府に聞こえるとまずいので甘酒と伝えたようです。


■徳川
吉宗-武士の給与である米相場の維持に苦労しました。死後、米相場の動向をびっしり記した用紙が見つかったそうです。


ペリー艦隊の接待 アメリカ人300人、日本人200人の料理を請け負ったのが日本橋の百川で一人あたりの予算は30万円でした


■河井継之助
兵制改革ー藩士の禄高の平準化 20石→50石 2000石→500石にしましたが高録の藩士にとっては軍役が大幅に削除されるため実収入にそれほど差は出ませんでした
ガトリング砲ー日本の3挺しかないうちの2挺を購入
戦争の機運で暴落していた江戸で米を買い占め、長岡へ戻る途中で函館で売ります。江戸と長岡で銭の相場が違っていたので差額を使って軍資金を1万両(10億円)ほど増やします。
外山寅太ー長岡から逃走する河井継之助に従っていた青年で、これからは商人になれと言われて福沢諭吉への推薦状をもらいます。アサヒビール、阪神電車の設立にかかわります


■勝海舟
軍艦奉行として大坂にいた勝海舟をたずねてきたのが西郷隆盛です。お互いに知っていたんですね。江戸の無血開城前に勝海舟は町火消しの新門辰五郎と子分300人を使って江戸焦土作戦も計画していました。ブラフだったようですがイギリス公使パークスが勝海舟との会談日に西郷隆盛に教順した徳川家を滅ぼすのは国際法上認められないと書簡を送っています。

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日本史の有名人たち、その後どうなった

 【書 名】日本史の有名人たち、その後どうなった
 【著 者】山本博文 監修
 【発行所】知的生きかた文庫
 【発行日】2022/7/5
 【ISBN 】978-4-8379-8782-6
 【価 格】720円


■後北条家
秀吉の小田原攻めで滅んだ後北条家ですが、北条氏規(北条氏政の弟)に1万石が与えられ大阪の狭山で復活します。仲介したのは家康のようで氏規とは今川時代に人質仲間でした。外様大名には容赦なかった徳川家でしたが後北条家には存続が危ぶまれても存続を認めています。後北条の旧臣が徳川家に出仕していたことも大きかったようです。


■淡海三船
漢風諡号をつけたことで有名ですが葛野王(大友皇子の第一皇子)の孫で臣籍降下して751年に淡海真人姓となりました。


■鴻池
山中鹿之助の子供である新六幸元は山中家の本家である黒田城の養子に入っていたが、黒田城が秀吉に堕とされると大叔父の山中信直を頼って伊丹近くの鴻池村へ。武士をやめて商人となり芳醇な清酒を作ることに成功して江戸へ出したところ大ヒット。製造を七男にまかせて自身は大坂へ出て九条島に物流拠点を作り海運業に乗り出します。金融業などに多角化していきます。


■きょうの料理
琉球国の尚泰王が東京へ移り、廃藩置県によって琉球国がなくなります。尚泰王の6男尚光と結婚したのが3代琉球王である尚真王の後裔で生まれた道子が料理研究家となり「きょうの料理」の講師を務め、タコウインナーを考案します。

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2022/07/02

面白すぎる日本史の授業

 【書 名】面白すぎる日本史の授業
 【著 者】河合敦、房野史典
 【発行所】あさ出版
 【発行日】2022/2/26
 【ISBN 】978-4-86667-366-0
 【価 格】1500円


庭訓往来のように往来物形式でできています。


■関ケ原の合戦
よくわかっていませんが、小早川秀秋は開戦と同時に裏切っているのは確かなようです。裏切った小早川に対抗するために大垣城にいた石田三成、宇喜多秀家、小西行長、島津義弘が山中に移動したようです。


勝利した家康は恩賞を与えますが、これが口約束だけ。豊臣秀頼が主君でしたので書類を出したくても出せなかったのが本質のようです。


■銀の道
清は銀銭と銅銭を使い、主要通貨は銅銭でしたが原料の6~8割が日本からの輸入でした。代わりに生糸を輸入していました。対馬の宗氏が釜山に倭館という貿易センターを作り対馬藩の役人が500人ほど常駐して朝鮮から生糸を輸入していました。日本の銀は朝鮮から清が買っており絹と銀の道が京都ー釜山ー漢城ー北京を通っていました。
元禄以降、金銀の産出量が減ってきたため田沼意次は俵物(干した海産物)や銅を輸出して金銀を輸入するようにしました。また貨幣制度の一本化も考えていました。東日本は計数貨幣(両、分、朱)でしたが西日本では秤量貨幣(銀を秤ではかる)でした。そこで南鐐二朱銀を流通させ金を中心とする貨幣経済への一本化をはかります。


■生類憐みの令
実際に処罰されたのは69件で、うち死刑は13件。蚊をつぶしただけで島流しになったなどは後世のフェークニュースでした。


■坂本龍馬
慶応2年(1866)薩摩藩の五代才助、長州藩の広沢兵助と一緒に馬関に合弁会社を作り関門海峡を通る船から通行税をとろうとしますが運送会社からの反対と龍馬が海援隊などで忙しくなって会社は立ち消えます。

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2022/06/05

日本史を疑え

 【書 名】日本史を疑え
 【著 者】本郷和人
 【発行所】文春新書
 【発行日】2022/05/20
 【ISBN 】978-4-16-661360-1
 【価 格】840円


■ヤマト フランチャイズ
大和政権の冊封体制に組み込まれると技術指導を受けて前方後円墳を造ります。そして支配下の人々や周囲の豪族に見せることでブランドになります。フランチャイズのような仕組みでした。


■大宝
最初の元号は「大化」と言われていますが、途中で使われなくなり今に続く元号の始まりは文武天皇時代の「大宝」になります。


■壬申の乱
大海人皇子の所領が美濃にあり、多品治(おおのほんじ)に命じて不破で東山道を封鎖させます。多品治の子供が太安万侶という説があります。大友軍は西国で軍勢を集めざるをえませんが白村江の戦いのダメージを受けていることもあり兵力集めに苦労します。


■班田収授法
6歳になると良民に田を与えましたが、当時の戸籍をみると女性だらけの集落があり、戸籍を偽っていたようです。班田収授法の実態は取れるところから税をとる感じです。。


■後三条天皇の荘園整理令
藤原摂関家に荘園が集まっていましたが大打撃を与えたのが荘園整理令。記録所を設置して対象を摂関家や大寺社にまで広げ、正しくないと判定した荘園を没収します。荘園を運営する在地領主にとっては摂関家や大寺社も頼りにならないことになり上皇に寄進することになります。白河上皇は自分が建てた寺の寺領として寄進を受け莫大な富になりました。いわばトンネル会社です。これが院政を支えることになります。


■承久の乱
朝廷の権威がおちたために改革を実施します。おれが徳政で九条道家が行ったのが「雑訴の興行」、一般の土地トラブルの解決です。法の知識や文書処理能力といったソフトパワーを使い、中級の貴族でできるやつを登用しました。


承久の乱の後、西国に領地をもらった御家人は貨幣経済に巻き込まれてしまいます。陶器や茶道具などを買うにはお金がいるため土地を担保に金を借ります。これが徳政令につながりますが、ますます御家人を苦しめることになります。


■人口
600年ー飛鳥時代 600万人
1600年-1200万人
幕末-3000万人 江戸時代の生活は格段によくなったようです。

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2022/06/04

日本史サイエンス弐

 【書 名】日本史サイエンス弐
 【著 者】播田安弘
 【発行所】講談社ブルーバックス
 【発行日】2022/05/20
 【ISBN 】978-4-06-528082-9
 【価 格】1000円


■翡翠
フォッサマグナの西側の北端にある糸魚川ではフォッサマグナによる圧縮と日本海の海水による冷却で翡翠が生まれました。この翡翠が朝鮮半島の鉄と交換するための交易品となります。日本海側ルートを通じて半島に運ばれました。ところが弥生時代中期の5~6世紀になると中国でガラスビーズが登場し翡翠は使われなくなっていきます。1938年に糸魚川で翡翠が見つかるまで忘れられた存在になりました。


■半島との航路
釜山から対馬の韓崎に到達し、そのまま南へ向かうと対馬海流にのって山陰の益田や浜田にすすみます。三瓶山や大山が目印になりました。九州から出発する場合は唐津や平戸から出て壱岐に到達し、対馬経由で半島にわたります。


瀬戸内海は静かな海というイメージですが、そんなことはなく平清盛が瀬戸の開削と神戸港の整備をしてから一般的に使われるようになります。ただ弥生時代に水先案内した島が発見されていて、瀬戸内コースも一部では使われていたようです。日本海ルートが中心と考えると円山川をさかのぼって豊岡から上陸して姫路を目指すコースが有望です。アメノヒボコ伝説もあります。


■247年3月24日
卑弥呼が没した年に皆既日食が起きましたが、日中に起きた可能性が高いのが九州。大和は日没後だったようです。魏志倭人伝に邪馬台国は7万余戸と記載されています。1戸に4人住んでいると約28万人になります。弥生時代の日本の人口は約59万人ですので半数が邪馬台国に集中していたようです。


■鉄甲船
信長の鉄甲船が有名ですが高木文書(美濃在住の豪族)に船を鉄板で囲んで防御力をあげた船の絵が見つかり、どうも実在していたようです。大坂冬の陣で九鬼守隆が大坂城へ鉄砲を撃ちかけるのに使ったという記録もあります。


■小西行長の行軍
文禄の役で小西行長が釜山から漢城府まで19日で到達し1日あたり24km移動した記録がありますが、中国大返しなみのスピードを異国で実現したことになります。一番隊は1万8800人で一人あたり1日20個のおにぎりがエネルギーで必要です。約20日分で800万個のおにぎりが必要ですが、どうやって調達したのでしょうか。秀吉の朝鮮出兵ですがスペインが植民地化を考えていたため、対抗できる力があることを示したという理由が近年、注目を集めています。


■日本海海戦
バルチック艦隊を運用するには石炭が必要ですが問題は補給です。日英同盟を結んでいたので英国がおさえていた港は使えませんでした。また長い航海でフジツボなどがつき速度低下になります。途中の港にドッグに入ることも英国の影響でできずハンディーをかかえて日本海に向かうことになります。

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2022/04/29

世界を震撼させた日本人

 【書 名】世界を震撼させた日本人
 【著 者】門田隆将、高山正之
 【発行所】SB新書
 【発行日】2022/03/12
 【ISBN 】978-4-8156-1334-1
 【価 格】950円


■ポインセチア
1822年、アメリカ政府はジョエル・ロバーツ・ポインセットをメキシコ公使として送り出し、隣国メキシコ政府の安定をひっくり返そうとしますが、工作活動がばれます。ポインセットが逃げる時に1本の花を引き抜いて、もとはスペイン語で「イブの花」という名前でしたが、自分の名前をつけてしまいます。


■柴五郎
義和団の乱が起きた時に日本などの8ケ国が北京に入り、2ケ月ほどで鎮圧されますが、その間は駐在していた各国公使館は自前の軍隊で守るしかありませんでした。重要拠点であるイギリス公使館を守るために奮戦したのが柴五郎中佐を中心とした日本軍です。鎮圧後、助かったのは勇敢な日本人のおかげだと挨拶したのがクロード・マクドナルド・イギリス大使。そのあと、駐日大使となりますが日英同盟につながっていきます。


■エドモント
JRのホテル名ですがもともとは明治時代のお雇い外国人であるイギリス人、エドモント・モレル。日本は枕木の輸入を考えていましたが国産で十分と助言するなど鉄道の技術一転をはかります。汽笛一声を聞けずに日本で客死します。


■西郷隆盛のえらい人
桐野(中村半次郎)が私学校の講義後に西郷隆盛に「えらい人とはどんな人でしょう」と質問します。答えたのは「あとから拝まれる人、すなわち死後に慕われる人である」と答えています。

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2022/02/26

鎌倉殿と13人の合議制

 【書 名】鎌倉殿と13人の合議制
 【著 者】本郷和人
 【発行所】河出新書
 【発行日】2022/01/20
 【ISBN 】978-4-309-63141-7
 【価 格】810円

備後守の官職をもらうと息子は備後太郎、備後次郎、備後三郎となります。備後三郎に子供ができると備後守の官職を買えないので三郎太郎、三郎次郎になります。

■宇都宮
日光山には天台宗の寺院が置かれていて、その神域の日光山の麓にあったのが「現(うつつ)の宮」で、これが宇都宮の語源になります。宮の宰者が宇都宮市になります。

■八幡太郎義家
奥州藤原氏を滅ぼした時に源義家の伝説が残る厨川も関東の武士を勢ぞろいさせ源頼朝は源氏の成功を追体験させました。義家は関東における源氏の基盤作りに貢献しましたが続いた息子などがぼんくらでした。源義朝が自分に従う武士を生き連れて対抗勢力と対峙したために関東に勢力圏を回復することができました。

■武士とは
国司が4年の任期の間に大狩りという巻狩りを行いました。ここに正式に招待されて出席するのが武士だったようです。お上に認められて武士になりました。

■小早川
頼朝を石橋山の戦い時代からずっと支えたのが土肥実平。ところが北条時政にそそのかされて曾我兄弟の仇討の裏側にあったクーデターに加担したようです。土肥の子孫は早川荘の早川を名乗るようになり、やがて安芸に移って、小早川となります。

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平安京の下級官人

 【書 名】平安京の下級官人
 【著 者】倉本一宏
 【発行所】講談社現代新書
 【発行日】2022/01/20
 【ISBN 】978-4-06-527031-8
 【価 格】940円


■焼尾荒鎮(しょうびこうちん)
唐や宋で進士に及第した時に開く酒宴のことで日本でも平安時代に任官試験に合格すると行われていた。禁令も出されたが形を変えて現在まで続いている。


■小野道風
三蹟の一人と名高い小野道風ですが、四位に叙されてから長年、任官されていないという文章を出しています。効果はありませんでしたが、明文として本朝文粋に採用されました。


■番長
右近番長-番長というのは官人としては最下級の地位で兵衛や近衛などの舎人をまとめて率いる役で、これが不良集団の長を番長と称する語源となります。


■とりばみ
宴会の料理の残りを庭に投げて下司や下人に拾わせて食べさせる風習で、施餓鬼に近い功徳のようなものでしたが、これが闖入をまねくことになります。


■疫病対策
平安人も科学的で蜜を避ける、移動を避ける、異国人との接触を避けるという基本的なことを行っていました。


■牛車
穢れを避けなければなりませんが路上に死体が放置される状況を避けるために貴族が牛車に乗っていたという説もあります。

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2022/01/02

征夷大将軍になり損ねた男たち

 【書 名】征夷大将軍になり損ねた男たち
 【著 者】二木謙一
 【発行所】ウエッジ
 【発行日】2019/12/20
 【ISBN 】978-4-86310-222-4
 【価 格】1300円


■武田信義
甲斐源氏の棟梁で木曽義仲、源頼朝と並び立つ存在で実力もありましたが、頼朝に従うことを決めて生き残り武田家へとつながっていきます。


■承久の乱
後鳥羽上皇が城南寺(鳥羽)で流鏑馬を行うという名目で武士を集めると1700ほどが集まり、これが乱の下地になりました。


■榎本武揚
父が榎本武規は伊能忠敬の弟子で鍋と釜があれば食うには困らないと長男に鍋太郎、武陽には釜次郎という名前をつけました。

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