熊野古道と八咫烏の殺人
【書 名】熊野古道と八咫烏の殺人
【著 者】鯨統一郎
【発行所】創元推理文庫
【発行日】2024/08/30
【ISBN 】978-4-488-42231-8
【価 格】720円
帯に「邪馬台国はどこですか?」の続編のような記載があったのですが、別につながりは何もありませんでした。量子力学とミステリーを絡めた一冊ですが、個人的には新宮の尾崎酒造など、いろいろな地元紹介が楽しめました。
【書 名】熊野古道と八咫烏の殺人
【著 者】鯨統一郎
【発行所】創元推理文庫
【発行日】2024/08/30
【ISBN 】978-4-488-42231-8
【価 格】720円
帯に「邪馬台国はどこですか?」の続編のような記載があったのですが、別につながりは何もありませんでした。量子力学とミステリーを絡めた一冊ですが、個人的には新宮の尾崎酒造など、いろいろな地元紹介が楽しめました。
【書 名】三重の街道をゆく
【著 者】千枝大志
【発行所】風媒社
【発行日】2023/08/10
【ISBN 】978-4-8331-4312-7
【価 格】1800円
三重県内のいろいろな街道を解説しています。
■伊勢街道
日永の追分 鳥居が建てられたのが安永3年(1774)6月で目的は東海道を往来する人々が伊勢神宮を遥拝するためです。
関の追分 東の追分で伊勢別街道に分かれますが元禄5年(1692)の地図には鳥居が描かれておらず、それ以降の100年間に建てられたようです。
■ヲハライ丁
宇治橋を渡った神苑と呼ばれ何もない地域にかっては神主、御師などの屋敷が立ち並んでいました。ここが江戸期にヲハライ丁と呼ばれた地域になります。
■山田羽書(地域通貨)
桑名、四日市など街道筋でも使えましたが宮川より東では伊勢神宮の直轄地(神領)でしか使えなませんでした。購入者は不用品購入に走る浪費効果があり経済効果が高くありました。
■私幣禁断
天皇以外のものが幣帛を捧げて祈願することを禁じていました。天皇の権威が衰えた室町時代に足利義満が伊勢神宮n祈願。これが契機となり武士などが参宮をはじめ拡がっていきます。神宮では祈祷できないので御師の館で神楽が催されます。
■若戎酒造
俵屋儀左衛門は宿舎でしたが嘉永6(1853)年に酒造に転業。もともとは重藤酒造という名前で若戎酒造に社名変更し、儀左衛門という酒銘で販売。
【書 名】三重のトリセツ
【著 者】昭文社編集部
【発行所】昭文社
【発行日】2022/01/01
【ISBN 】978-4-398-14844-5
【価 格】1800円
各都道府県シリーズが出ています。
■琵琶湖
大山田湖→阿山湖→甲賀湖→蒲生湖→堅田湖→琵琶湖
100万年前に鈴鹿山脈がおおきく隆起したため滋賀県側に大きく移動します
■鳥羽水族館
4代続く鮮魚問屋でミキモト真珠島へ行く観光客が生け簀の魚の姿に喜んでいるのを見て水族館を作る
■赤須賀船
桑名城の近くで明治時代になって七里の渡しの利用者が減ったので商船(買舞)の運行を始めます。赤須賀船で津、南伊勢、尾鷲、紀北町へ定期的に船を運行していました。
■近鉄デルタ線
伊勢中川駅手前の短絡線で伊勢湾台風で狭軌を広軌に変えた時の2年後の1961年に設置。中川駅のスイッチバックを使わずに大阪と名古屋が結び付きました。
■松阪ー熊野線
三重交通の松阪ー熊野線 約139kmで本州で2番目に長い路線。もっとも長いのは八木―新宮線 167km
■伊勢平氏
平維衡が伊勢守に任じられ孫の正衡(まさひら)は伊賀北部、季衡(すえひら)は北勢で勢力を伸ばし、貞衡は安濃津三郎と名乗って津、桑名、白子の港を支配します。伊賀を中心とした正衡の孫が忠盛で清盛に続き伊勢平氏となります。
【書 名】斎宮
【著 者】榎村 寛之
【発行所】中公新書
【発行日】2017/09/25
【ISBN 】978-4-12-102452-7
【価 格】920円
天皇の代替わりごとに占いで選ばれ派遣されるのが斎王で、住まいとしたところが斎宮です。飛鳥時代から鎌倉時代まで660年わたって続きました。
■斎宮
斎宮は方格地割になっていて一区画が120メートル四方で東西に七つ、南北に四つありました。区画の間の道路幅は15メートルで古代伊勢道の官道が9メートルでしたので、それよりも広い道路でした。平安時代には斎宮北路、斎宮南路があり南路は江戸時代の伊勢街道と重なっており、北路は発掘調査でわかり一部が再現されています。
■斎宮は斎藤さんの故郷
芥川龍之介の小説に「芋粥」があり、主人公は摂政・藤原基経の役所に勤務する40歳過ぎの小役人。腹いっぱい芋粥を食べたいという希望を言っていたところ、藤原利仁が領地の敦賀で食べさせてやると連れていってもらいましたが、大騒ぎの宴会のなかでの食事となり食欲が失せてしまい、芋粥が食べたいなと思っていた昔を懐かしむ小説です。
芋粥を食べさせてやるといった藤原利仁は武人で”りじん将軍”と呼ばれていました。この人の息子の一人が藤原叙用で、斎宮頭に任命されます。平将門の乱などの後で治安の問題から武人が任命されたようです。この藤原叙用が斎宮頭の藤原氏ということで斎藤氏を名乗ることになります。
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【書 名】知られざる郷土史 津とその周辺
【著 者】浅生悦生
【発行所】光印刷出版株式会社
【発行日】2017/06/19
【価 格】2,000円
ISBNがないので本屋では流通していないようです。別所書店津駅店で販売していました。裏には津市文化振興基金助成事業とあります。古代から明治期までの津の歴史がまとまった一冊で、なかなか知られていない話が多いです。
■明治38年10月13日 東郷平八郎連合艦隊
ポーツマス条約締結後、津沖に連合艦隊が停泊し、東郷平八郎が伊勢神宮への戦勝参拝が行われました。明治25年頃にも東郷平八郎連合艦隊の演習が伊勢湾で行われていました。
■中世の津の城
霧山城、長野城、雲林院城、波瀬城、宮山城、城山城、稲垣城、上ノ村城、長谷砦、太田城、家所城、上野城、安濃城、小造城、安濃津要害が紹介されています。また発掘された城として城坂城、今徳城、野呂館、川北城、三行城、上野遺跡、垂水城、上津部田城、峯治城、渋見城も紹介されています。
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【書 名】宮川流域の遺跡を歩く
【著 者】田村陽一
【発行所】風媒社
【発行日】2017/07/15
【ISBN 】978-4-8331-0173-8
【価 格】1,500円
大台山地から伊勢神宮のお膝元まで流れるのが清流・宮川。縄文時代からの遺跡が多く、また北畠家の支配地であったため中世の城郭跡も点在しています。宮川流域の遺跡を豊富な写真で紹介しています。
城郭としては岩出城、田丸城、立岡城、三瀬館、三瀬砦、栗谷殿切城、赤坂城、一之瀬城、野後城などが紹介されています。
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【書 名】ふるさとの歴史 津とその周辺
【著 者】三重郷土会
【発行所】三重県良書出版会
【発行日】1989/8/20
【価 格】1,900円
下鴨神社の納涼古本市で掘り出してきました。昭和59年発行で平成元年に改訂増補されています。発売元が別所書店になっているので津あたりで出回った本です。巻末を見ると「三重の中世城郭」という本も出しているようです。
■集落跡
阿漕駅の西方丘陵にセントヨゼフ学園がありますが、建設時に発見されたのが高松遺跡。伊勢湾が見下ろせる丘陵上で弥生時代の32棟もの住居跡や墳墓が発見されました。セントヨゼフができてからも奥の方に住居跡などがありましたが、こちらも団地の造成で破壊されてしまいました。
■安濃
「万葉集」 草陰の安努(あぬ)な行かむと墾りし道 阿努(あぬ)は行かずて荒草立ちぬ(読み人知らず)
安努、阿努が安濃のことで枕詞が「草陰で」草深い所だったようです。意味は草深い安濃まで通じさせようと道路を開削したけれど、安濃まで通じないで、とうとう雑草が生い茂ってしまった。のようです。
「和名抄」
(安濃郡)建部郷、村主郷、内田郷、英太郷、跡部郷、長屋郷、岩田郷、馬屋郷、片片郷
(奄芸郡 あんげ)田井郷、服部郷、黒田郷、窪田郷
(一志郡)島抜郷
安濃郡は伊勢神宮の神田があり、総戸数は389戸と「神宮雑例集」に記録されています。神宮への年貢納入所もあり、こえが津市納所町の地名の由来と言われています。
■大市神社
帰化氏族大市氏の氏神。式内社として登場するが安濃町妙法寺と津市岩田の2ケ所の説がある。
■分部氏
1220年(承久2年)の記録に安西郡の検注使として和気部景康の名前が出てきます。これが分部氏のようで神宮領だった垂水納所を和気部駿河丹生王永運が押領しているという記録があります。
■塩浜
中世、伊勢国は若狭、瀬戸内海と並ぶ塩の生産地でした。鎌倉時代末期に富樫氏(のちに加賀国守護)が伊勢国十五所塩浜の地頭に任ぜられた記録が残っています。十五所というのは雲出にある地名です。織田信包が津城主になった時、藤方、上野、小森、雲出、矢野の塩浜に年貢を課した史料があります。織田信包は入城とともに柳山あたりの人を城下へ移転させ、これが津興(つおき)という津の町の興ったところと名付けられます。
■伊勢新聞
三重で最初に発行されたのが三重新聞(明治5年)で翌年に度会新聞が発行されます。伊勢新聞が発行されたのが明治11年で、創刊から今まで名前が変わっていない唯一の新聞になっています。
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【書 名】古地図で楽しむ三重
【著 者】目崎 茂和
【発行所】風媒社
【発行日】2016/02/25
【ISBN 】978-4-8331-0167-7
【価 格】1600円
三重県の歴史を古地図で学ぶことができます。
■松阪
松阪駅を降りて商店街を松坂城の方向へ向かうと第三銀行を過ぎたところにある信号が食違いになっています。ここが松阪城総構の入口になっていたんですね。
■志摩国府
志摩市阿児町に国府という地名が残っていますが、ここに志摩国府がありました。国府神社があり、このあたりに国府があったようですが砂州の上にできた町でした。神社の北には国分寺があります。
■忍者
伊賀には忍町があった。江戸時代、忍者を選りすぐって、まとめて城下に住まわせたようでどの屋敷に誰が住んだかも書かれています。
■安濃津
明応地震の津波で安濃津は壊滅してしまいましたが、当時、藤潟など大きく海が入り組んでいた津の中心部も岩田近くが海外線でした。崖の上に垂水城や池ノ谷砦が建つ感じでした。
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【書 名】行商列車
【著 者】山本 志及
【発行所】創元社
【発行日】2015/12/10
【ISBN 】978-4-422-23036-8
【価 格】1800円
今や近鉄だけになった行商列車「鮮魚列車」。カンカン部隊と呼ばれた行商人のレポートです。昔は日本全国にありましたが、京成電鉄を走っていた野菜列車もなくなり、このままでは鮮魚列車もなくなってしまうのでタイムリーな本になっています。
鮮魚列車だけでなく朝一番に松阪駅を出る列車にも行商人が乗っており、5:22発の名張行き普通で名張へ出て、急行に乗り換えます。慣行として一番最後列車に乗って大阪へ向かいます。これが「一番組」。
鮮魚列車は貸切で鳥羽から上本町まで運行しています。借主は伊勢志摩魚行商組合連合会。もともとは一般乗客がクレームが出るため、行商人を分けるために昭和38年から始められました。定期代などを含め1ケ月の経費は3万3千円ほどかかります。平成になった頃の会員数は300人ほどいましたが平成21年で115人に減少。猟師町(猟師漁港)の会員が多く松阪駅から乗り込む行商人が多いようです。
多くの行商人は大阪の商店街に自分の店を持っており、店で近所の人に売ります。市場を通さないので鮮度がよく、おいしいので固定客がついています。猟師町の会員の店の名前は全て「伊勢屋」になっています。
他にも鳥取の行商人のレポートもあり、すごい民俗誌になっています。
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【書 名】伊勢神宮とは何か
【著 者】植島 啓司
【発行所】集英社新書ヴィジュアル版
【発行日】2015/08/17
【ISBN 】978-4-08-720796-5
【価 格】1400円
伊勢周辺をフィールドワークで歩き、伊勢神宮とはどういう存在なのか紐といた本。本のところどころに挿入されている写真がとてもいい本です。
伊勢神宮は内宮、外宮だけでなく125社から構成されていますが、伊雑宮(いざわのみや)と滝原宮(たきはらのみや)は別宮ながら、かなり離れた地にあります。伊勢神宮は倭姫命が御杖代となって各地をまわり、今の伊勢に落ち着くことでできましたが、もともと地元の神様がいました。そういった神様も取り込んで伊勢神宮125社になっています。
■度会氏
外宮の禰宜ですが宇治土公氏とともに磯部氏と言われていました。度会のワタは朝鮮語のpata(海)からきており、お互いに海を船で渡り合うことからワタライとなったとも言われています。五十鈴川は以前は現在と違う流れでしたが、昔の河口にあったのが江神社で、やはり海が関係しています。
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