2017/09/28

宮川流域の遺跡を歩く

 【書 名】宮川流域の遺跡を歩く
 【著 者】田村陽一
 【発行所】風媒社
 【発行日】2017/07/15
 【ISBN 】978-4-8331-0173-8
 【価 格】1,500円

大台山地から伊勢神宮のお膝元まで流れるのが清流・宮川。縄文時代からの遺跡が多く、また北畠家の支配地であったため中世の城郭跡も点在しています。宮川流域の遺跡を豊富な写真で紹介しています。

城郭としては岩出城、田丸城、立岡城、三瀬館、三瀬砦、栗谷殿切城、赤坂城、一之瀬城、野後城などが紹介されています。

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2017/09/16

ふるさとの歴史 津とその周辺

 【書 名】ふるさとの歴史 津とその周辺
 【著 者】三重郷土会
 【発行所】三重県良書出版会
 【発行日】1989/8/20
 【価 格】1,900円

下鴨神社の納涼古本市で掘り出してきました。昭和59年発行で平成元年に改訂増補されています。発売元が別所書店になっているので津あたりで出回った本です。巻末を見ると「三重の中世城郭」という本も出しているようです。

■集落跡
阿漕駅の西方丘陵にセントヨゼフ学園がありますが、建設時に発見されたのが高松遺跡。伊勢湾が見下ろせる丘陵上で弥生時代の32棟もの住居跡や墳墓が発見されました。セントヨゼフができてからも奥の方に住居跡などがありましたが、こちらも団地の造成で破壊されてしまいました。

■安濃
「万葉集」 草陰の安努(あぬ)な行かむと墾りし道 阿努(あぬ)は行かずて荒草立ちぬ(読み人知らず)
安努、阿努が安濃のことで枕詞が「草陰で」草深い所だったようです。意味は草深い安濃まで通じさせようと道路を開削したけれど、安濃まで通じないで、とうとう雑草が生い茂ってしまった。のようです。

「和名抄」
(安濃郡)建部郷、村主郷、内田郷、英太郷、跡部郷、長屋郷、岩田郷、馬屋郷、片片郷
(奄芸郡 あんげ)田井郷、服部郷、黒田郷、窪田郷
(一志郡)島抜郷

安濃郡は伊勢神宮の神田があり、総戸数は389戸と「神宮雑例集」に記録されています。神宮への年貢納入所もあり、こえが津市納所町の地名の由来と言われています。

■大市神社
帰化氏族大市氏の氏神。式内社として登場するが安濃町妙法寺と津市岩田の2ケ所の説がある。

■分部氏
1220年(承久2年)の記録に安西郡の検注使として和気部景康の名前が出てきます。これが分部氏のようで神宮領だった垂水納所を和気部駿河丹生王永運が押領しているという記録があります。

■塩浜
中世、伊勢国は若狭、瀬戸内海と並ぶ塩の生産地でした。鎌倉時代末期に富樫氏(のちに加賀国守護)が伊勢国十五所塩浜の地頭に任ぜられた記録が残っています。十五所というのは雲出にある地名です。織田信包が津城主になった時、藤方、上野、小森、雲出、矢野の塩浜に年貢を課した史料があります。織田信包は入城とともに柳山あたりの人を城下へ移転させ、これが津興(つおき)という津の町の興ったところと名付けられます。

■伊勢新聞
三重で最初に発行されたのが三重新聞(明治5年)で翌年に度会新聞が発行されます。伊勢新聞が発行されたのが明治11年で、創刊から今まで名前が変わっていない唯一の新聞になっています。


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2016/05/08

古地図で楽しむ三重

 【書 名】古地図で楽しむ三重
 【著 者】目崎 茂和
 【発行所】風媒社
 【発行日】2016/02/25
 【ISBN 】978-4-8331-0167-7
 【価 格】1600円

三重県の歴史を古地図で学ぶことができます。

■松阪
松阪駅を降りて商店街を松坂城の方向へ向かうと第三銀行を過ぎたところにある信号が食違いになっています。ここが松阪城総構の入口になっていたんですね。

■志摩国府
志摩市阿児町に国府という地名が残っていますが、ここに志摩国府がありました。国府神社があり、このあたりに国府があったようですが砂州の上にできた町でした。神社の北には国分寺があります。

■忍者
伊賀には忍町があった。江戸時代、忍者を選りすぐって、まとめて城下に住まわせたようでどの屋敷に誰が住んだかも書かれています。

■安濃津
明応地震の津波で安濃津は壊滅してしまいましたが、当時、藤潟など大きく海が入り組んでいた津の中心部も岩田近くが海外線でした。崖の上に垂水城や池ノ谷砦が建つ感じでした。


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2016/01/04

行商列車

 【書 名】行商列車
 【著 者】山本 志及
 【発行所】創元社
 【発行日】2015/12/10
 【ISBN 】978-4-422-23036-8
 【価 格】1800円

今や近鉄だけになった行商列車「鮮魚列車」。カンカン部隊と呼ばれた行商人のレポートです。昔は日本全国にありましたが、京成電鉄を走っていた野菜列車もなくなり、このままでは鮮魚列車もなくなってしまうのでタイムリーな本になっています。

鮮魚列車だけでなく朝一番に松阪駅を出る列車にも行商人が乗っており、5:22発の名張行き普通で名張へ出て、急行に乗り換えます。慣行として一番最後列車に乗って大阪へ向かいます。これが「一番組」。

鮮魚列車は貸切で鳥羽から上本町まで運行しています。借主は伊勢志摩魚行商組合連合会。もともとは一般乗客がクレームが出るため、行商人を分けるために昭和38年から始められました。定期代などを含め1ケ月の経費は3万3千円ほどかかります。平成になった頃の会員数は300人ほどいましたが平成21年で115人に減少。猟師町(猟師漁港)の会員が多く松阪駅から乗り込む行商人が多いようです。

多くの行商人は大阪の商店街に自分の店を持っており、店で近所の人に売ります。市場を通さないので鮮度がよく、おいしいので固定客がついています。猟師町の会員の店の名前は全て「伊勢屋」になっています。

他にも鳥取の行商人のレポートもあり、すごい民俗誌になっています。


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2015/08/26

伊勢神宮とは何か

 【書 名】伊勢神宮とは何か
 【著 者】植島 啓司
 【発行所】集英社新書ヴィジュアル版
 【発行日】2015/08/17
 【ISBN 】978-4-08-720796-5
 【価 格】1400円

伊勢周辺をフィールドワークで歩き、伊勢神宮とはどういう存在なのか紐といた本。本のところどころに挿入されている写真がとてもいい本です。

伊勢神宮は内宮、外宮だけでなく125社から構成されていますが、伊雑宮(いざわのみや)と滝原宮(たきはらのみや)は別宮ながら、かなり離れた地にあります。伊勢神宮は倭姫命が御杖代となって各地をまわり、今の伊勢に落ち着くことでできましたが、もともと地元の神様がいました。そういった神様も取り込んで伊勢神宮125社になっています。

■度会氏
外宮の禰宜ですが宇治土公氏とともに磯部氏と言われていました。度会のワタは朝鮮語のpata(海)からきており、お互いに海を船で渡り合うことからワタライとなったとも言われています。五十鈴川は以前は現在と違う流れでしたが、昔の河口にあったのが江神社で、やはり海が関係しています。


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2015/03/14

三重のおきて

 【書 名】三重のおきて
 【著 者】三重県地位向上委員会
 【発行所】アース・スターエンターティメント
 【発行日】2015/01/25
 【ISBN 】978-4-8030-0657-5
 【価 格】952円

中部地域に入るのか、それとも近畿地域に入るのかよく分からない三重県。そんな三重を楽しむための48の掟が掲載されています。

三重と言えばイオンの発祥地。県民はイオンと呼ばずジャスコと呼んでいます。さらに年配となると岡田屋になります。民主党の岡田克也が「こんなシャッター街になったのは自民党のせいです」と演説をしたら、「何いってんだ!ジャスコのせいだろう」と野次が飛んだそうです。

食材と一緒に炊き込んだご飯を「味ご飯」と呼びますが、これって方言だったんですね。


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2014/06/17

あなたの知らない東海地域の名字の秘密

 【書 名】あなたの知らない東海地域の名字の秘密
 【著 者】森岡 浩
 【発行所】洋泉社
 【発行日】2014/05/23
 【ISBN 】978-4-8003-0386-8
 【価 格】800円

愛知、岐阜、三重、静岡、東海地域に多い名字についての調査です。

東日本で多いのは佐藤、鈴木、加藤、伊藤、斎藤、渡辺、小林。西日本で多いのは山本、田中、中村、吉田、井上など。日本海側では富山県と新潟県の間できれいに分かれており、これは北アルプスが日本海まで張り出して交通の便が悪かったためと考えられています。太平洋側は交通の便がよかったため、特に東海地域で入り乱れており、名前の分布をみていくと三重県の津市を流れる雲出川あたりが境界になります。

三重で多いのが伊藤。平安時代後期、藤原氏が朝廷中にあふれたため、新しい名字を名乗りました。伊勢守となった尾藤基景が起こしたのが伊勢守と藤原を組み合わせた伊藤という名字で、濃尾平野一帯で広まりました。松坂屋の創業家も伊藤です。

水谷は三重県北部に多い名前で旧多度町(桑名市)では人口の11%もしめていました。愛知県西部、岐阜県南部の狭い一帯に全国の水谷の50%が住んでいます。


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2013/07/31

津ふるさと学検定テキストBOOK

 【書 名】津ふるさと学検定テキストBOOK
 【著 者】津市観光ボランティアガイド・ネットワーク協議会
 【発行所】一般社団法人津市観光協会
 【発行日】2013/7/15
 【価 格】500円

2013年10月27日(日)に第2回津ふるさと学検定があるそうで、検定対策用のテキストですが津の様々な歴史を学べます。1280項目もありますが、知らないことばかり。オタッキーな問題も多いですね。

徳川四天王と言えばた酒井忠次・本多忠勝・榊原康政・井伊直政ですが、もともとは南北朝時代の武将で足利氏一族である仁木義長が三河、伊賀、伊勢、志摩の守護となり、5代末裔が榊原温泉で有名な榊原に住み着いたそうです。そこで姓を榊原に変更。やがて三河にわたり徳川に仕えたそうです。こんな豆知識が満載の本です。

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2013/03/13

三重県謎解き散歩

 【書 名】三重県謎解き散歩
 【著 者】矢野健一、五十鈴塾 編
 【発行所】新人物文庫
 【発行日】2012/12/13
 【ISBN 】978-4-404-04276-7
 【価 格】857円

神代の時代から「うまし国」と呼ばれた三重県の紹介本。三重は旧国名で言うと伊賀、伊勢、志摩、紀州からなっています。古代は鈴鹿の関の東側でしたので伊賀は関西ですが、伊勢は関東になります。現在の関東地域は板東と呼ばれていました。

■伊勢の方言 チャウチャウちゃうんちゃう?
言いますねえ。(笑)意味は「チャウチャウ(犬)と違うんじゃない?」です。

他にも下記のようなものがあります。
運ぶ → つる 「机をつって」
触る → いろう 「そんなもん、いろうたらあかん」
疲れた → えらい 「あーえらかった」
混んでいる → つんどる 「車、つんどっだ」

■木造荘(こつくりのしょう)
津は伊勢平氏の発祥地で基盤が置かれていましたが、久居の木造荘も平氏が領主で市町村合併で大きくなりましたが平氏は津市南部を本拠地にしていたようです。

■荒神山の戦い
講談や浪曲で清水次郎長の「血煙荒神山」がよく演じられましたが、舞台は鈴鹿だったんですね。鈴鹿にある高神山観音寺で、縁日に開かれる賭場の縄張り争いが発端。次郎長と黒駒勝蔵一家が激突します。寺の裏山で行われたそうですが、講談などでは高神山じゃなく荒神山と、いかにもらしい名前になってしまったんですね。

■三重の超早場米は伊勢湾台風のせい
三重は超早場米で有名で、ゴールデンウィークには田植えが終わっています。昔はそうでもなかったのですが昭和34年9月26日に伊勢湾台風が上陸。太平洋戦争以来の大打撃になりました。ここらへんから、だんだん早く刈り入れするために早くなっていったようです。


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2012/12/25

伊勢志摩のパソコン女将

 【書 名】伊勢志摩のパソコン女将
 【著 者】前田 千恵子
 【発行所】静岡学術出版
 【発行日】2012/11/30
 【ISBN 】978-4-86474-001-2
 【価 格】900円

偶然のきっかけから志摩で地域おこしに取り組む志摩の女将会と出会い、情報発信をしたいという願いからパソコンを教えることになった著者。電源の入れ方から説明するところから始まりますが、次の難関はキーボードの配置を覚えること。そんなん無理と言いながら、紙に書いたキーボードで必至に練習に取り組むなど女将さんも実に熱心。

教室で「メモ帳を出して」と言うとカバンから本物のメモ帳を出す受講生に対して、ドラッグをズルズルと表現するなど懇切丁寧に教えた成果からブログ開設やホームページによる「てこね寿司」レシピなどの情報発信が実現。情報発信が実り、いろいろな問い合わせが増え、テレビ取材を受けたり、「食と地域の絆づくり」選定証を総理官邸で贈呈されるまでになりました。

地域の情報は自らの手で発信する姿勢が大切です。

■生産年齢人口が減り、地域活性化は待ったなし
今から100年前といえば司馬遼太郎『坂の上の雲』の舞台となった日露戦争の頃、日本人口は4,385万人でした。この100年間、人口が3倍に増えるという外部環境で全ての商売を行ってきました。すでに人口のピークは過ぎており減り始めています。

実は1995年、生産年齢人口(15~64歳の人口)が先にピークを迎え、この17年間減り続けています。生産年齢人口が減ったためお酒が売れなくなりました。若者がお酒を飲まなくなった以上に人口減の影響が大きく響いています。生産年齢人口が減るということは生産に伴う所得税が減るということです。国も地域も税金が減っていきますので、地域は地域なりに工夫してお金を集めなければなりません。

■農作業を外注して、しかも儲ける仕組みを作る
地域で高齢化がすすむと重労働である田んぼの世話ができなくなります。ただ、先祖伝来の田畑を自分の代で手放なすわけにもいきません。そこで農作業を外注するのですが、田植えを頼むと手間賃がかかります。田植えをするための種苗代もかかります。雑草を抜くのは自分でやるにしても稲刈りや脱穀を頼むとまたお金がかかります。結局、お米を作らずに買った方が安いことになり、ますます耕作放棄地が増えます。

この田植えなどの農作業を何とかできないかと考え知恵をしぼったのが飯田市です。飯田市では農家450戸を組織して農家に泊まる農家民泊の修学旅行を誘致しています。修学旅行生を市町村や地元企業などが出資して作った株式会社南信州観光公社が受け入れています。しっかりとしたホームページを作り、都会の中学校などから集客しています。

都会の中学生にとって、もちろん田植えは初めて。最初は田んぼに入るのもおぼつかない様子です。泥に足をとられキャーキャー言いながらやっていますが、さすがに若いのですぐに慣れて植えられるようになります。田んぼの中の色々な生き物が見ながら田植えを経験します。日本国中、機械植えが当たり前ですが、飯田市には今も手植えの田んぼが残ります。この田植えですが、農林業体験ということでしっかりお金を取っています。農家にとっては田植えの重労働から解放され、しかも潤う仕組みになっています。

飯田市では農家民宿という体験もできます。農家に宿泊しながら農作業を手伝う体験で、ヨーロッパではグリーンツーリズムと言っています。やったことがない薪割りなどを体験し、囲炉裏端を囲んで農家のおじいちゃんから話を聞きます。家族にとっては、また同じ話をしているわとなり、誰も聞いてくれませんが、中学生にとっては初めての話で興味津津。おじいちゃんにとっては家族が聞いてくれない話を毎回しても大丈夫です。

「田舎の人は純朴だ」と言っている時代ではありません。税金が減る中、しっかり地域へお金が落ちる仕組みを作らなければなりません。飯田市では農林業体験というコンテンツを整備し、都会から地域へお金が流れる仕組みを作りあげてきました。

しかも、この成功体験を伝えるための出張講演や視察受け入れによる有償研修プログラムを用意して、さらにお金が地域へ回る仕組みを作っているのは葉っぱビジネスの上勝町や伊賀のモクモクと同様です。田舎ならばこそ、したたかに稼ぐ仕組み作りが重要です。

▼南信州観光公社
http://www.mstb.jp/


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