2025/07/02

大阪のなぞ 歴史がつくってきた街のかたち

 【書 名】大阪のなぞ 歴史がつくってきた街のかたち
 【著 者】橋爪紳也
 【発行所】河出新書
 【発行日】2025/06/30
 【ISBN 】978-4-309-63191-2
 【価 格】900円

■大阪城
明治時代に和歌山城から紀州御殿が移築されていましたが戦災で焼失してしまいます。

■ナビオ阪急
現在のHEP NAVIOは船の帆先に見立ててデザイン。ナビオはポルトガル語の「大きな船」という意味があります。

■京阪大和田線
未成線ー大和田駅から荒本駅までを結ぶ計画

■箕面有馬電気軌道
箕面駅では大きく円弧を描いてUターンしていました。ですので降車用と乗車用停車場が別の位置にありました。線路に囲まれた鳥にはテニス場や競争路がありました。

■百均
大阪の高島屋が「なんでも十銭均一売場」を設け、これが元祖となりました。

■理髪店
戦後、電力不足問題から地域ごとに総量規制などが行われます。特に電髪(パーマ)は電気を使うので月曜定休にし、業界をあげて電気を節約した名残で今も月曜定休になっています。

理髪業の先祖は藤原采女亮という人物で13世紀、下関で髪結所を開きます。床に床の間があり、掛け軸が飾られていたことから「床屋」と呼ばれるようになります。

■盾津飛行場
鴻池新田駅近くにあり木製爆撃機「明星」の試作飛行などが行われます。跡地は盾津中学校などになっています。

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2025/05/20

大阪ことばの謎

 【書 名】大阪ことばの謎
 【著 者】金水敏
 【発行所】SB新書
 【発行日】2025/05/05
 【ISBN 】978-4-8156-2471-2
 【価 格】950円

■「ん」
スマホ見つからんねんけど知らん?
関西弁では「ん」が多用される

■関西弁
都が京都などにあったので本来は中央語で「知らん」の「ん」は平安時代にさかのぼる「ぬ」からきています。「よう言わんわ」の「よう」のような形容詞も古語ですが、おはようございます。のように上方由来の礼儀作法が江戸にも伝わり、標準語として使われています。

大阪は型くずし文化、京都は型まもり文化、江戸は型つくり文化

■どんくさい
ラブアタックの番組を作っていたプロデューサーが全国放送になったとこおで関西弁の単語を流行らせたいと考え、「どんくさい」を流行らせました。「千と千尋の神隠し」でリンが千に向かって「どんくさい」という言葉を使っており、目論見どおり全国区になりました。

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2025/04/13

大阪歴史トラベル

 【書 名】大阪歴史トラベル
 【著 者】JTB西日本支社
 【発行所】JTBパブリッシング
 【発行日】2019/04/01
 【ISBN 】978-4-533-13272-8
 【価 格】1,200円

■蜆橋
芹沢鴨と大坂の歴史が喧嘩になった場所が蜆川にかかっていた蜆橋でした。新選組隊士たちの宴会場・住吉楼前で大乱闘になります。

■大坂遷都
天正11(1583)年、秀吉は大阪への遷都を構想していたが朝廷は拒絶します。

■天保山砲台
安政元年(1854)にロシアの軍艦・ディアナ号が大坂港に来航したため天保山に砲台を築きます。この時に山を削り、また地盤沈下で4.5mほどになります。砲台は星形の形をしていました。

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2025/04/05

大阪市のトリセツ

 【書 名】大阪市のトリセツ
 【著 者】昭文社編集部
 【発行所】昭文社
 【発行日】2025/04/01
 【ISBN 】978-4-398-14856-8
 【価 格】1,760円

■堀江
物部守屋が仏像を捨てた「難波の堀江」に由来。阿弥陀池だともいわれていますが天満橋の大川という説もあります。

■木津川飛行場
港区港町にあり水上から離着陸する水上専用機の飛行場。1938年には発着回数が8800回、年間旅行客は1万人を超えていました。船で川を渡るなど利便性の問題があるため1939年に伊丹空港が開設されて移管されます。

■秀吉の都市開発
平野郷から天王寺区上汐に強制移住させ、上町台地の西側の湿地帯を埋め立て慶長地震で堺が壊滅したため新しい港湾都市を目指した説もあります。

■此花区
古今和歌集 難波津に咲くやこの花 冬ごもり 今は春べと 咲くやこの花 から命名

■城東区
関目-見張所があったことに由来
放出-河内湖から淀川へ放出する「はなちで」が転じた説があります

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2025/01/18

大阪 超マニアック案内

 【書 名】大阪 超マニアック案内
 【著 者】歯黒猛夫
 【発行所】KAWADE夢文庫
 【発行日】2024/09/30
 【ISBN 】978-4-309-48607-9
 【価 格】720円

■大乗坊
日本橋のオタロードにあるお寺。もともとは四天王寺の北東あたりにありましたが信長と本願寺との戦で焼け落ち、移転してきました。

■光蓮寺
大聖勝軍寺を南に行った八尾空港近くにあるのが光蓮寺で、ここに物部守屋が築いた稲城がありました。

■平野
坂上田村麻呂の次男、広野麻呂の荘園があり広野が転じて平野になりました。杭全神社は862(貞観4)念に広野麻呂の子供である当道(まさみち)がスサノオを祀る祇園社を創建したのがはじめです。

■宮武外骨
東京で活躍していましたが大阪に移り土佐堀2交差点近くに住んでいたそうです。

■三十国船
大坂と伏見を結び最盛期には上り下りで1日320便、約9000人が往来しました。

■高野街道
河内長野で合流し高野山へ向かいました。東高野街道(八幡が起点)、西高野街道(堺の大小路橋)、中高野街道(平野)、下高野街道(天王寺)で下高野街道と中高野街道は大阪狭山市で一本になり、河内長野で西高野街道と合流してから東高野街道に合流します。

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2024/12/28

大阪の街道を歩く

 【書 名】大阪の街道を歩く
 【著 者】小西進
 【発行所】日本機関紙出版センター
 【発行日】2024/09/20
 【ISBN 】978-4-88900-291-1
 【価 格】2000円

西国街道、京街道、熊野街道、暗越奈良街道、東高野街道、西高野街道、竹内街道、大和田街道(大阪ー尼崎)、古堤街道(京橋ー生駒)、俊徳街道、庚申街道が紹介されています。

■信長街道
信達宿(熊野街道)本陣跡から分かれているのが信長街道。信長が雑賀衆を攻めるために整備した街道。

■暗越奈良街道
八剱神社などで街道が曲がっているのは旧大和川分流の自然堤防を街道が通っていた名残です。

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2024/07/23

越境する民 近代大阪の朝鮮人史

 【書 名】越境する民 近代大阪の朝鮮人史
 【著 者】杉原達
 【発行所】岩波書店
 【発行日】2023/03/15
 【ISBN  】978-4-00-600463-7
 【価 格】1520円
 
■大阪・東成区
済州島では四・三事件もあり、縁故をたどって大阪へ渡る住民が多く、猪飼野や鶴橋、今里など東成区に集まりました。背景として同じ島民が経営する下宿屋があり、安い労働力を求めるゴム工場がたくさんありました。
 
■君が代丸
済州島から乗ってきたのが「君が代丸」。元はロシアの砲艦マジュール号でロシア皇太子ニコライが日本を訪れた時にも随行していました。元戦艦なので船首が前方にせり出していました。運行していたのは尼崎汽船で尼崎は人の名前です。大阪から済州島へ向かう時は棺桶も乗せていました。日本は火葬ですが、済州島では土葬でした。

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2024/04/20

大阪がすごい

 【書 名】大阪がすごい
 【著 者】歯黒猛夫
 【発行所】筑摩書房
 【発行日】2024/04/10
 【ISBN 】978-4-880-07611-3
 【価 格】1000円

■西九条
河村瑞賢が1684年から淀川河口をふさぐようにあった九条島を開削して安治川を作ります。九条島が東西に分割され西側が西九条になりました。

■関西鉄道
三重県で設立され1895年に名古屋ー草津を結びます。その後に大阪へ進出し網島駅から名古屋駅まで172.2kmの直通路線が開通します。最盛期には愛知、大阪、京都、三重、奈良、滋賀、和歌山にまたがっていました。1906年の鉄道国有法で国有化されてしまいます。現在のJR西日本のほとんどは元私鉄でした。

■リトル沖縄(大正区)
第一次世界大戦後の戦後恐慌で砂糖の価格が暴落し、大阪では紡績会社が設立されていたので仕事を求めて大阪に移り住んでいきます。

■五大色街
飛田新地、松島新地、今里新地、信太山新地、滝井新地

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2024/04/17

地図と地形で楽しむ大阪神戸謎解き歴史さんぽ

 【書 名】地図と地形で楽しむ大阪神戸謎解き歴史さんぽ
 【著 者】都市研究会
 【発行所】宝島SUGOI文庫
 【発行日】2024/04/17
 【ISBN 】978-4-299-05435-7
 【価 格】1100円

■京都ー大坂
八幡あたりから迂回路を進まないとダメで陸路よりも水運でした。そこで秀吉が全長27kmの文禄堤を作ります。堤防が道路として使用できました。

■大坂の公儀橋はたった12本 残りは町橋
天満橋、天神橋、難波橋、野田橋、備前島橋、京橋、高麗橋、本町橋、農人橋、長堀橋、日本橋、鴫野橋

■造幣局
五代友厚が大久保利通に提言。金属を冷やすために大量の水を使うためと船舶での輸送が中心だったため旧江戸幕府の奉行所管理の土地5万6千坪に建設。

■四ツ橋。四つ橋
旧土木局と旧電気局がそれぞれ違う字を届け出したのが原因

■生田川
昔はフラワーロードの道筋を流れていたのを明治時代に付け替え。新神戸駅の北東に生田村があり日本書紀にも登場し、生田神社の神体は砂子山(布引の滝近く)で生田村に生田神社があった模様。延暦18(799)年に反乱で砂山が土砂災害になり、現在の生田神社の場所に移転した模様。

■敏馬崎
灘にあった港で住吉津、難波津から25~30kmで当時の一日の航海距離。

■打出
建武3(1336)年 打出の戦い 尊氏が楠木正成、新田義貞、北畠顕家に敗れた戦い
感応2(1351)年 打出浜の戦い 尊氏が足利直義に敗れた戦い 尊氏は須磨にある松岡城(勝福寺)へ逃れました。

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2023/04/30

大阪のトリセツ

 【書 名】大阪のトリセツ
 【著 者】昭文社出版メディア出版部
 【発行所】昭文社
 【発行日】2023/02/15
 【ISBN 】978-4-398-14854-4
 【価 格】1500円


■片江駅
近鉄の古い路線をみていると片江駅という名前が今の今里駅で1914年(大正3年)に大阪電気軌道が開通した時の駅名です。その後、今里片江駅になり、1929年(昭和4年)今里駅になります。


■丁未(ていび)の乱
物部守屋と蘇我馬子・聖徳太子とで戦い、戦場は河内国渋川といわれています。大聖勝軍寺には守屋塚などがあり、寺の南にある光蓮寺が守屋軍の砦といわれています。守屋が討たれたのは衣摺(きずり)と言われ、もう少し北にあり光泉寺には守屋の稲城跡の碑が建っています。大聖勝軍寺とは4.5kmも離れています。


決戦前に餌香川(えがのがわ、今の石川)と旧大和川の合流地点で蘇我軍が物部軍の先遣隊を破り、聖徳太子は高井田横穴墓群がある高井田から見ていたといわれています。

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