2005/03/20

石神井書林日録

 【書 名】石神井書林日録
 【著 者】内堀 弘
 【発行所】晶文社
 【発行日】2001/10/30-
 【ISBN 】4-7949-6508-7
 【価 格】2000円



近代詩専門の古書目録の店「石神井書林」店主が内堀弘氏です。「ボン書店の幻」の著者でもあります。本には鳥羽茂の話題も出てきます。

■なかなかよい言葉が載っています。
「一人の老人が死ぬことは、一つの図書館が消えることだ」
「親の仇と古本は出会い頭」
「今度とお化けは出たことがない」
「本を買いすぎて潰れた本屋はない」
「人は欲しいとなれば必死になってその一冊を買うものだ。
ひっしになって手にいれた本でも人は手放すものだ。」

■古本屋さんの前歴
元大型書店店長、元編集者、元商社マンなど様々な前歴ですが不思議と元古本屋というのは見かけないんだそうで、わりと落ち着いてしまう商売なのでしょうか。

■中山信如さんの出版記念会
「古本屋シネブック漫歩」(中山信如著・ワイズ出版)の出版記念会には古本屋さんが100人ほど集まったそうで、著者のスピーチは「ろくに本を読まない古本屋にご忠告するが、この本はとてもいい本だから、外の百円均一台に入れてはいけない」なるほど。(笑)

■古本屋の入札
同業者に負けないように一生懸命やっているけど、子供が遊戯王カードで必死になっているのとそう変わらないと思い、これって問題だなと筆者が奥さんに言った時の一言。「わずかながら成長の兆しが見え初めている」と経済月例報告のようであったそうです。

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2004/07/05

ボン書店

このところ読む本、読む本で「ボン書店の幻」に出会います。

出久根達郎氏の「人さまの迷惑」に「ボン書店の幻」の話が出てきました。ここまでいくと次は古本屋でボン書店が出した本に巡り会えるかもしれません。

ボン書店とは鳥羽一郎という青年がモダニズム詩人の著作を昭和7年から13年にかけて出した出版社です。鳥羽青年自身も詩人でいくつかの作品を残しています。出版社と言っても町の印刷屋という程度で印刷、装丁などすべて鳥羽青年がやっていました。ところが1冊1冊の造本、装丁が実に美しく、一部では相当注目されていました。36点の書物を出してひっそり消えていきました。

小部数発行で戦争でも相当焼けたので、もし出てきたらかなりの高値になるはずです。このボン書店や鳥羽茂について調査したのが内堀さんというモダニズム詩などの専門古本屋のご主人です。

「東京古書店グラフィテイ」を読むまで私もまさか「ボン書店の幻」の作者が古本屋(石神井書林)のご主人とは知らなかったのです。

「人さまの迷惑」によるといつ行っても表戸が閉まっている古本屋があるが、はたして営業しているのだろうかという客に聞かれたそうで、出久根氏の近所の古本屋でもあり、もしや不況の中、夜逃げしたのかなと心配していたそうです。

あとで聞いてみたら良書を作った者の伝記がないことに義憤を覚えて鳥羽青年探索の旅に商売をうっちゃって出かけ、それでできたのが「ボン書店の幻」です。

ただ、やっぱり謎も多く、鳥羽茂も29歳で亡くなったまでは分かりましたがどこで亡くなったは不明のようです。彗星のように現われて彗星のように消えていった幻の出版社ですね。

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2004/03/16

ボン書店の幻

 【書 名】ボン書店の幻
 【著 者】内堀弘
 【発行所】白地社
 【発行日】1992/9/15
 【価 格】2300円
 【 ISBN 】4-89359-094-4

ボン書店という名前をご存じですか?

もし知っているのなら、あなたは相当に詩的な人生をおくられており、またシュルレアリズムに相当詳しい方です。

1920年代から1930年代にかけてモダニズムと呼ばれる時代がありました。この時代も後半にさしかかった頃にボン書店という小さな出版社がありました。出版社といっても社員を雇い事務所を設け、というのでありません。たった一人で活字を組み、自分で印刷もして好きな詩集を作っていました。こんな小さな出版社でしたが当時のモダニズム詩人の詩集やシュルレアリズム文献を送り出していました。東洋で初めてプーシュキン全集も出しました。(2巻で後がつづきませんでしたが)そして数年後、彗星のように消えていきました。

ボン書店の本には必ず刊行人・鳥羽茂とあります。どこでいつ生まれた人か分かりません。ボン書店は色々な人の随筆とかに出てきます。

春山行夫
「私は、日本の詩集出版の歴史に一つの美しい伝説をのこした青年について、書きのこしておきたい。昭和8年頃だったか、鳥羽茂という詩の好きな青年が現われて、ボン書店という名で小さな詩集の出版を始めた。書店というとだれもが店を連想するが、彼の場合は単なる象徴にすぎなかった。彼は詩集を出版する目的でどこかに小さな印刷屋に入って、その2階に住み、昼間は印刷を手伝いながら夜や日曜日に
コツコツと自分で活字を拾って.....
彼が、10数冊の詩集を出した後で急に姿を消してしまった。伝え聞くところによると、彼は詩集を出している間に結婚して、細君と二人で仕事をしていたところ、二人とも病気になって田舎で死んでしまったといわれている。彼らの郷里がどこであったか、いつ頃彼らが世を去ったのか、一切のことが分からない」

大正から昭和にかけて銀座のカフェでエリック・サーテイを聴きながら若者が暇をつぶしているかたわらにこの詩集があった。レスプリ・ヌウボウの風の匂をさせながら...

雑誌「サライ」なんかがよく特集している大正モダニズムの世界ですね。小部数で印刷で稼いだ金をすべて本つくりにつぎこんだということですので、著者も送られてきた本を見て、「こんなすごい装丁だとは思わなかった」というような感想だったそうです。「ボン書店の幻」には出版された本や詩集などの写真が載っていますが、すごい装丁です。今ですと、ボン書店の本にすごい古書値がつくというのもよく分かります。これは美術品です。

鳥羽茂の生まれは、どうも岡山あたりであったようで、髪が長くて、今はなくなってしまったVANの石津謙介氏とよく似ていたそうです。岡山第一中学の昭和4年卒が石津で、その前年が鳥羽だったそうで、この二人が1920年後半、レスプリ・ヌウボウの風にふかれながら同じ中学校に通っていました。片方は詩集を初め、片方は天津に渡り洋装店をひらき(ボン書店と同じ年)戦後日本に帰り、若者に圧倒的な人気を誇ったVANを作り出します。

フランスのシュールレアリストと協力してダリ、ブルトン、マン・レイなどに書き下ろしをたのみ本を出版するような若者が今から70年ぐらい前にいて、街にはモダニズムの香がただよい、少女歌劇の水の江滝子がその若者が作った本をアクセサリーのように大事にしていた、そんな時代があったようです。(こりゃやっぱりサライの特集記事のテーマみたいですな。ボン書店をテーマにしてやらないかな?やっぱりちょっとマイナーですかね)

鳥羽茂について調査した本が「ボン書店の幻」です。戦争前というと何かすごく暗いイメージがあるのですが、とんでもないというのがよく分かります。鳥羽茂は昭和14年の夏頃、29歳ぐらいで亡くなったようです。その死亡も皆、風の便りで聞いたようでいつどこでというのも分からないままのようです。

ボン書店についてはこちらにも


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