2025/05/20

日本書紀が解き明かす 日朝古代史の謎

 【書 名】日本書紀が解き明かす 日朝古代史の謎
 【著 者】瀧音能之
 【発行所】宝島社新書
 【発行日】2025/05/24
 【ISBN 】978-4-299-06807-1
 【価 格】1,100円

■纏向遺跡
機内を中心に行われた銅鐸のよる祭が纏向遺跡の登場とともに亡くなります。卑弥呼政権を主導したのが機内勢力でない可能性があります。

■新羅建国
辰韓(新羅)では3つの王族(昔氏、朴氏、金氏)から王を出しました。昔(セキ)氏は倭出身でした。昔氏で最初に王となったのは4代目脱解です。

■アメノヒボコ
アメノヒボコ伝承地と兵主神社の分布図が重なります。兵主神は史記に登場する中国の武神で山東半島で信仰されました。

■百済との国交樹立
364年にヤマト政権に近い関係にある伽耶の卓淳で外交交渉が行われ、367年に国交が樹立。これを記念して369年に七支刀が作られ372年に伝来します。

■鳥居龍蔵
1905年に在野の考古学者である鳥居龍蔵が朝鮮総督府に委嘱をうけて7年間にわたる調査を行います。

■倭の五王時代 二王統対立
履中天皇系統 百舌鳥古墳群 葛城氏、吉備氏がバックアップ
允恭天皇系統 古市古墳群  物部氏、大伴氏がバックアップ

■任那日本府
雄略天皇が反新羅なのに任那日本府は親新羅です。実体は亡命吉備政権だったようです。

■河内直
544年に百済の聖明王が百済の官吏であった河内直(あたい)ら3人が新羅と内通したと非難しています。河内などから半島に渡った豪族が多くいました。

■日本書紀
百済記、百済本紀などの逸文が引用され、特に欽明天皇紀では90%が朝鮮半島の関連記事で亡命百済人が編纂に携わっていました。ですので百済を滅ぼした新羅の記述が少なくなります。

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2025/05/12

日本書紀を歩く5 天皇の吉野

 【書 名】日本書紀を歩く5 天皇の吉野
 【著 者】靏井忠義
 【発行所】青垣出版
 【発行日】2022/01/11
 【ISBN 】978-4-434-29858-5
 【価 格】1,400円

■天武天皇
大豪族連合政権 → 中央集権へ
大弁官、六官などの官僚組織をつくり、国家が支給する食封を定めます。政治に携わる人から経済的な支えを奪って給与生活者にするのが目的です。

■象(さき)の小川
宮瀧遺跡の対岸にある象川が流れるところで大伴家持、山部赤人らが歌によんでいます。

■吉野城
東西が深い谷になっていて中央部がヨ字型になっている。大塔宮が尾根に3つの空堀を作り、下千本の大橋、上千本口にある天皇橋、吉野水分神社裏の丈橋。

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2025/05/04

日本書紀を歩く4 渡来人

 【書 名】日本書紀を歩く4 渡来人
 【著 者】靏井忠義
 【発行所】青垣出版
 【発行日】2020/05/19
 【ISBN 】978-4-434-27489-3
 【価 格】1,300円

■水派邑(みまたのむら)
多くの川が一つになることろで飯高町の北側あたりとみられています。城上(このへ)ともいう町でした。

■秦氏
秦の始皇帝の子孫という説以外に韓国慶尚南道の古地名である波旦(はた)で新羅系との説もあります。応神天皇は弓月君に朝津間・掖上の地をあたえました。

■高石
高師浜駅近くに高石神社があり河内文氏が祖とする王仁を祀っていました。古志連(こしのむらじ)は文宿祢(ふみのすくね)と同祖で王仁の後なりと言われ、古志が高志と同じでしたが、ここから高師となり高師浜などの名称になります。この高師は高石(たかし)とも記載していました。

■檜隈
「ひのくま」は日前とも書き、日の手前に山があれば日の影になることからのようです。

■杭全
坂上田村麻呂(東漢氏)の息子である広麻呂が杭全荘を営みます。

■百済難民
亡命渡来人の一般庶民は百済(久大良)洲という中州に住んだようで現在の中央区久太郎町や安土町に比定されています。天王寺、東成区、生野区、住吉区にわたる地域に百済郡があり、太閤検地の頃まではあり百済野ともいいました。百済川が北流し、猪飼津(いかいつ)という入江に注いでいました。鶴が群れ飛ぶ鶴橋町になります。

■交野
百済王氏が本拠とした土地は平安時代、朝廷の狩猟地になっていて禁野(かたの)と呼ばれていました。

■福神漬
百済の武官として軍功をあげたのが鬼室福神で日本から送り返され百済王になった豊璋に仕えましたが謀反の疑いをかけられ処刑されて首を酢漬けにされます。これが福神漬けの語源になったという説があります。

■河内寺(こんでら)
河内直(あたい)の氏寺、コンは韓国語の大きいをあらわし大寺の意味ではともいわれています。

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2025/04/26

日本書紀を歩く3 大王兼の磐余

 【書 名】日本書紀を歩く3 大王兼の磐余
 【著 者】靏井忠義
 【発行所】青垣出版
 【発行日】2019/02/15
 【ISBN 】978-4-434-25725-4
 【価 格】1,200円

■神武東征
宇陀に陣をかまえた神武軍は忍坂の道(166号線)と墨坂(165号線)から攻め下りました。

■下ツ道運河
寺川は戒重付近から西北西に流れ、米川と合流すると下ツ道に沿ってまっすぐ北に流れます。古代の運河跡で、海柘榴市は上ツ道と横大路が交差する戒重あたりとする説もあります。

■安倍氏
軍事と神事や天皇への備膳奉仕が仕事で「アヘ」には饗の意味がありました。氏族には膳臣がおり阿部の地の近くに膳夫町があります。

■百済大寺
舒明天皇が百済宮と百済大寺を作りましたが百済大寺は建設途中で落雷による火災などにあったようです。これが子部大神の怨みと考えられ皇極天皇は夫の遺志を引き継いで場所を変えて再建します。これが吉備池廃寺で九重塔でした。

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2025/04/23

日本書紀を歩く2 葛城の神話と考古学

 【書 名】日本書紀を歩く2 葛城の神話と考古学
 【著 者】靏井忠義
 【発行所】青垣出版
 【発行日】2018/04/05
 【ISBN 】978-4-434-24501-5
 【価 格】1,200円


■神武東征
宇陀に入り忍坂で饗宴をひらいて敵を油断させ破ります。磐余などの敵を各個撃破し、ナガスネヒコと対峙します。
神武天皇が即位したカシハラは御所市柏原という説もあります。

■帰化人
秦氏の祖である弓月君が百済から民を率いてきたとき御所市朝妻の地を賜ります。神功皇后の命で新羅に行き帰還した葛城襲津彦が連れ帰った現地人を桑原、サビ、高宮、忍海の邑に住まわしますが葛城地域としますがサビは佐味とみられています。

■延喜式 名神大社
鴨都波神社、葛木御歳神社、高鴨神社、一言主神社、葛木水分神社、高天彦神社、葛城坐火雷神社 葛城地域に7社
石上神社、大和神社、穴師坐兵主神社、大神神社、多神社、飛鳥坐神社、金峯神社 大和には他に7社しかなく葛城に集中しています

→ 日本書紀を歩く2 葛城の神話と考古学

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日本書紀を歩く1 悲劇の皇子たち

 【書 名】日本書紀を歩く1 悲劇の皇子たち
 【著 者】靏井忠義
 【発行所】青垣出版
 【発行日】2017/09/29
 【ISBN 】978-4-434-23814-7
 【価 格】1,200円

■兎我野町
梅田にあり、かご坂王が猪に食い殺された地となります。弟が忍熊王で奈良市の押熊町あたりが勢力基盤だったようです。応神天皇の大和入りを阻止しようとしました。考古学的には三輪山周辺から佐紀盾列古墳群に4世紀後半に移り5世紀になると河内の古市や百舌鳥に移りました。ひょっとすると政権交代があったのかもしれません。

■倉橋
「梯立の」が倉梯にかかる枕詞で、梯をたてたようなけわしい山をあらわすようです。

■大草香皇子
冤罪で亡くなった大草香皇子に殉じて亡くなった難波吉士日香蚊の子孫は大草香部吉士の姓を賜ります。草香部(日下部)吉士の祖先伝承が日本書紀に取り込まれたようです。

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2025/03/29

一冊でつかむ古代史と豪族

 【書 名】一冊でつかむ古代史と豪族
 【著 者】瀧音能之
 【発行所】河出書房新書
 【発行日】2025/02/28
 【ISBN 】978-4-309-62962-9
 【価 格】1,800円

■阿曇氏
百済救援軍の阿曇比羅夫が有名で海産物を貢納した氏族を統括しました。律令政権では膳氏の後身である高橋氏とともに天皇の食膳調理の監督を行っていました。

■三輪氏
意富多多泥古(おおたたねこ)-大物主の4世孫で和泉国陶邑で祀られていた女神・活玉依毘売(いくたまよりひめ)を母とする子の末裔
三輪氏は陶邑で須恵器を製造しており6世紀前半に三輪に移りました。

■猿女氏
天宇受売命(あめのうずめのみこと)の子孫で猿田彦の妻となったことから猿女氏が生まれました。にちに稗田氏になります。

■東漢氏
62氏族があり末裔には大蔵氏や坂上氏となります。

■吉備氏
上道氏、下道氏,笠氏、加陽氏、三野氏などの豪族からなる連合代でした。

→ 一冊でつかむ古代史と豪族

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2025/03/20

ヤマト建国の真相

 【書 名】最新考古学が解き明かすヤマト建国の真相
 【著 者】瀧音能之
 【発行所】宝島社新書
 【発行日】2025/03/24
 【ISBN 】978-4-299-06506-3
 【価 格】1,100円

■狗奴国
東海地域にあるとすると笹山古墳(岐阜県大野町)が濃尾平野で最古級の前方後方墳で狗奴国王の可能性があります。

■公孫氏
後漢が衰退にあわせて公孫度が遼東郡で独立し朝鮮半島へ勢力をひろげ204年頃に楽浪郡の南に帯方郡を設置します。倭国は公孫氏に臣属することになり、倭国内の混乱をおさめるためイトを中心とした勢力にキビ、ハリマ、サヌキ、イヨ、アワ、イズモ、タニハが集まり合議をし卑弥呼を擁立します。

■北九州
北九州は伊都国(一大卒)、奴国が中心で戦いの痕跡が少なく、高地性集落は東からの防御陣地のようです。瀬戸内海では抗争の後に吉備と大和が結びついたようで北九州は静観していましたが181年にニュージランド北島のタウオイ火山が噴火し農作物に打撃を与えます。中国では黄巾の乱が起き多くの難民が北九州に押し寄せます。公孫氏が中国とのルートを遮断したため後漢の後ろ盾を失った北部九州に対して、大和、瀬戸内海連合が圧力をかけて倭国乱となります。公孫氏が魏に滅ぼされると外交のアドバンテージが復活したことで卑弥呼に接近し、親魏倭王の称号をえられるように動きます。親魏倭王の権威によって出雲連合が卑弥呼政権に加わることになります。ただ吉備や出雲には反対勢力もいたようで呉鏡がでたりタケミナカタの諏訪逃亡の神話となります。

■八咫鏡
平原遺跡から見つかった内行花文鏡の円周が約146cmで八咫(約147cm)に近似し北九州の鏡が八咫鏡になった可能性があります。

■機内
大和盆地には東(三輪山、纏向)のミマキ、中心(唐子・鍵)のナカト、西北(生駒、信貴)のイコマ、西南(葛城)のミマスといった4つの官がありました。

■纏向遺跡
建物跡が見つかっていますが一つが伊勢神宮の原型となった神明造り、もう一つが大社造りの原型になります。

■卑弥呼の鏡
画文帯神獣鏡-機内を中心に吉備などに分布。北部九州や東海地域ではわずかの出土です。共立王の時代
三角縁神獣鏡-親魏倭王とともに魏の皇帝による特注品

■大王
女王と男王が並立して統治していたようで
磯城・山辺地域 箸墓(卑弥呼?)、西殿塚(台与?)、行燈山(崇神天皇?)
磐余地域 桜井茶臼山(キビツヒコ?)、メスリ山(オオヒコ?)、渋谷向山
キビツヒコの姉はモモソヒメ(箸墓)で弟は吉備氏の祖となるワカタケヒコになります。オオヒコはキビツヒコの次世代の四道将軍です。

→ 最新考古学が解き明かすヤマト建国の真相

マト建国の真相

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2025/02/24

嘘だらけの日本古代史

 【書 名】嘘だらけの日本古代史
 【著 者】倉山満
 【発行所】扶桑社新書
 【発行日】2023/11/01
 【ISBN 】978-4-594-09585-7
 【価 格】1,034円

■アマテラス
アマテラスがニニグノミコトの命令して天孫降臨させたという通説がありますが日本書紀では「一書に曰はく」の異説扱いになっています。日本書紀自体にはタカミムスビが天孫降臨を命じています。

■明史
1739年に成立した明史に「本能寺の変」が出てきますが阿奇行(あけち)などと記載されており戦国時代でもこのような状況なので魏志倭人伝でも、どの程度か分かりません。

■出羽三山
蘇我馬子が崇峻天皇を暗殺しますが聖徳太子が従兄弟にあたる崇峻天皇の皇子である蜂子皇子を囲まい逃がして東北に落ち延びたことから出羽三山が開かれたと社伝では伝えています。

■国民の意識
白村江の戦で唐が攻めてくると考え防衛体制を整えます。関東から防人を集め対馬、九州に配備します。九州の人間にやらせると地元を守るになるので、そうならいようにしました。これによって「国民の意識がある共同体が国家としてまとます」国民国家となります。幕末に長州人、薩摩人と思っても同じ日本人と認識します。排他的共同体意識で国としてまとまり各個撃破されず西洋列強に対応できました。

→ 嘘だらけの日本古代史

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2025/02/08

伊勢遺跡と卑弥呼の共立

 【書 名】伊勢遺跡と卑弥呼の共立
 【著 者】伴野幸一、森岡秀人、大橋信弥
 【発行所】吉川弘文館
 【発行日】2024/12/01
 【ISBN 】978-4-642-08462-8
 【価 格】2,000円

■伊勢遺跡
三上山がよく見える地に紀元前80年頃に突如、出現し紀元180年頃に役割を終えて消えてしまいます。
後漢王朝時代で方形区画を中心に直径220mの円弧上に大型建物が並んだ遺跡です。東アジアの政治的枠組みが変動する時に対外的に正当な代表者を擁する倭国成立の起点になります。

後漢の衰退から公孫氏が帯方郡掌握すると卑弥呼はおそらく公孫氏に使いを出し属していたでしょう。魏が公孫氏を滅ぼした翌年の239年に魏に朝貢します。
邪馬台国畿内説では伊都国が九州を統括する政権でヤマトと連携し、敵対した狗奴国は尾張、三河、遠江あたりと比定されています。

→ 伊勢遺跡と卑弥呼の共立

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