2023/01/14

ゼロから学ぶ日本史講義 古代篇

 【書 名】ゼロから学ぶ日本史講義 古代篇
 【著 者】出口治明
 【発行所】文春文庫
 【発行日】2023/1/10
 【ISBN 】978-4-16-791991-7
 【価 格】730円


■ルカ 最終共通祖先
地球上の生命はDNAを遺伝情報でもっている。化学物質からエネルギーを取りだすことができる好熱菌が深海で誕生し、この祖先から進化


■郭務そう
白村江の戦で敗北した後、唐から戦後処理で送り込まれたのが郭務そう。大陸側の記録には出てきませんので地位はそれほど高い人物ではありませんが、日本にとってはマッカーサーのようなものでした。唐が大和を占領したため大津京に遷都したという説もあります。


■武烈王(金春秋)
654年~661年在位。日本、高句麗、長安を実際に目で見てから王位についた人物。


■二聖政治
持統天皇がロールモデルにしたのが則天武后。皇后でしたが権力がなかったため道教好きの皇帝・高宗に、道教における最高神である「天皇上帝」から天皇・天后という新しい称号をつくり、天皇と天后が対等に政治を行う二聖政治にしました。


国分寺、国分尼寺を全国に造ったのは聖武天皇&光明皇后の二聖政治を体現したもののようです。作ったのは郡司という地方の役人でしたが、国分寺を作ったら郡司の世襲を認めるというインセンティブがありました。


■平城京
藤原不比等が北魏の都の名前「平城」(大同市)から名づけています。


■受領
実際に現地へ行って中央政府に納入責任がある役職が受領ー引継ぎ資料を受領することから名づけられる


■寛平御遺誡
寛平9年(897年)に宇多天皇が醍醐天皇への譲位に際して当時13歳の新帝に与えた申し送り状。唐人に会ったけど直接じゃなく御簾越しの方がよかったと書かれていたことから明治まで天皇は外国人に会ってはダメとなりました。


■中央集権の中国
アメリカ本土には4つの標準時がありますが中国には北京標準時しかない


■乙巳の変
唐の力が衰えたことから高句麗ではクーデターが起きて親唐派を弾圧。百済、新羅でも親唐派とアンチ唐派の争いであり日本でも親唐派の蘇我氏を倒せるかと考えた面がありありそうです。

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2022/12/24

戸籍が語る古代の家族

 【書 名】戸籍が語る古代の家族
 【著 者】今津勝紀
 【発行所】吉川弘文館
 【発行日】2019/10/1
 【ISBN 】978-4-642-05888-9
 【価 格】1,700円


■造東大寺司
政所、木工所、造瓦所、鋳所、写経所、造物所、造仏所、山作所、木屋所といった「所(組織)」が設置される。


■庚午年籍 天智9(670)年
氏姓の基準とする根本台帳に、永年保存され平安時代になっても氏姓を改める訴訟などで利用


■古代の人口
享保6(1721)年 吉宗の時代 第一回の人口調査 3120万人
天正年間頃 1200~1800万人ほど
8世紀前半 450万人
9世紀前半 出挙稲数 4385万400束で540万~590万人ほど


■年齢(古代)
婚姻可能 男性15歳、女性13歳
婚姻可能な年齢になった女性「オトメ」、婚姻して結髪した段階で「オミナ」、老いると「オウナ」
8歳以上の男性は「ワラワ」となり、その後は「オトコ」で老いると「オキナ」


■双系
オジ・オバといった親族呼称に古代は父方、母方の区別がない
古代は夫婦別姓で妻は出自氏姓を変更しない
ツマ 一対の男女として安定した関係にある言葉なので夫にも使われた


■少子部連(ちいさこべのむらじ)
雄略6(462)年、国内の蚕(コ)を集めることを命じられたスガルが若子を集めてしまい。集めた若子を養うことが命じられ少子部連の姓をたまわる。


日置(へき)、子部、車持、笠取、鴨の5つの氏族は主殿寮に殿部として奉仕(清掃、灯火の管理など)


■感染症
人間が畜群を管理することで麻疹(犬)、天然痘(牛)、インフルエンザ(水禽)、百日咳(豚や犬)が人間に


■律令制の崩壊
戸籍の不実記載が増え実態と乖離。10世紀の延喜年間になると班田の実施を放棄し戸籍に基づく人身別課税から課税対象を土地に転換。
帳簿による管理システムが解体し国司が大きな権限を手に入れることになる。

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2022/12/07

古代の三都を歩く 難波京の風景

 【書 名】古代の三都を歩く 難波京の風景
 【著 者】小笠原好彦
 【発行所】文英堂 
 【発行日】1995/3/10
 【ISBN 】978-4-578-00458-9
 【価 格】2000円


■摂津
難波津の管理から 677年、天武天皇の時代に摂津識が設置される


■大津道
竹内街道の北1.9kmの位置を平行し、現在の長尾街道と推定されている。
羽曳野市高鷲にある津、船、葛井氏の三氏族の氏神である大津神社に関連している模様


■東大寺の荘園
750年以前に所有 新羅江荘4町-南が堀江(大川)、東が安曇江(淀川旧本流)
752(天平勝宝4)年に難波荘3町6段を購入 新羅江荘のほぼ斜め対岸
もともと安宿王(長屋王の息子)がもっていた土地を購入したもので8年後に一部を残して新薬師寺に売却。金額は購入額とあまり変わらず。


■長岡京
朝堂ー平城京、藤原京が12堂に対して長岡京は8堂。後期難波京(8堂)をそのまま移したため
勤務ー寅の刻(朝4時)に南門の前に左右に並び日が出ると広場に進んで政務に、帰宅は正午の鐘が鳴ってから
   朝集殿が朱雀門のすぐ北に建てられていて、ここで私服から朝服に替えていました


財政再建をはかるため桓武天皇は副都制にしていた難波京を廃止
762年遣唐使船が難波も江口で座礁-難波津の浅瀬が増えて機能性が減少-和気清麻呂が難波京遷都後に三国川(神崎川)に淀川を通じるようにする


■686年の火災
朱雀門跡が発掘され焼けていました。この時に前期難波京のほとんどの建物が消失したようです。

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2022/10/30

律令国家前夜

 【書 名】律令国家前夜
 【著 者】前園実知雄
 【発行所】新泉社
 【発行日】2022/6/10
 【ISBN 】978-4-7877-2203-4
 【価 格】2700円


■壬申の乱
日本書紀に天武側は近江軍と識別するために赤い布をつけていたと出てきますが漢を建国した劉邦をまねたもの。軍旗に赤色を用いろと漢書に書いてあります。クーデターで漢帝国を建国した劉邦が脳裏にあったようです。「周礼」に基づいて藤原京を建設し、亡くなってからは持統天皇がその思いを引き継ぎます。


■額田寺
平群郡にある熊凝精舎(くまごりしょうじゃ)は聖徳太子が釈迦の祇園精舎にならって創建した仏教修行の道場でこれを移したのが百済大寺。額田寺(後身が額安寺)が今の大安寺(百済大寺の後身)の本寺。推古天皇は額田部皇女と名乗っていたので額田部氏とつながりがありました。


■法隆寺の伽藍配置
金堂と塔が並ぶ伽藍配置の祖は百済大寺(吉備池廃寺)。法隆寺では平安時代(925年)に講堂が焼け、再建時に北へずらして他の堂塔との間隔を開けます。そのため回廊が鐘楼を取り込む形で途中から北に曲がります。

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2022/10/12

古代史の定説を疑う

 【書 名】古代史の定説を疑う
 【著 者】瀧音能之、水谷千秋
 【発行所】宝島社新書
 【発行日】2022/10/21
 【ISBN 】978-4-299-03459-5
 【価 格】1210円


■アスファルト
縄文人はアスファルトを採取し壺にいれて加熱、精製しました。土偶の接合にも使われていたようで、こうなると故意に土偶を破壊した説が否定されることになります。


■倭国大乱の原因
181年、ニュージーランド北島にあるタウポ火山が大噴火を起こし地球規模の気候変動になりました。中国では空が黄色になります。気候変動は181~184年まで続き、184年には黄巾の乱が発生します。「蒼天すでに死す、黄天まさに立つ」で長らく蒼天を漢王朝、黄天を黄天党と考えらていましたが、実際に空が黄色になっていたようです。


■邪馬台国 畿内説
箸墓古墳が卑弥呼の墓とすると西殿塚古墳が同じ形態なので台与の墓。副系列となる桜井茶臼山古墳やメスリ古墳は王権の軍事面を担う執政官で、神聖王と執政王の祭政分離体制で、この後の執政王がヤマト王権に発展したのではという説がある。崇神天皇は纏向を本拠としており、邪馬台国を引き継いだヤマト政権の初代と見られています。


■蘇我稲目
古代、目の名前を持つ人物は神のお告げがきけるシャーマンの役割があった。


■狂心溝(たぶれごころのみぞ)
斉明天皇が行った運河事業。人民には散々の評価でしたが石材がとれた天理市の豊田山から飛鳥を結ぶ運河で、実際は藤原京造営にも活用された模様です。


■乙巳の変
皇極天皇は飛鳥を石造りの壮麗な都へかえていましたが山背大兄皇子が即位すると斑鳩が都となるため蘇我入鹿に命じて山背大兄皇子を攻めさせました。蘇我入鹿は交換条件として古人大兄皇子を次期天皇にしてもうことを内定します。ところが皇極天皇の弟である軽王子が不満をいだき、中大兄皇子や中臣鎌足を巻き込んでクーデターを起こします。


小山田古墳が蘇我蝦夷、小ぶりの菖蒲池古墳が蘇我入鹿のものですが、乙巳の変の後、小山田古墳は破壊され蝦夷と入鹿をともに菖蒲池古墳に葬ったようで石棺が2つあります。


■墾田永年私財法
律令制を崩す法律ですが、735(天平7)年~737(天平9)年にまで発生したパンデミックが原因です。遣唐使や新羅からの交易で海外から入ってきたようで天然痘と風疹の大流行で藤原4兄弟だけでなく当時の人口の25~35%が亡くなりました。緊急時代に橘諸兄は墾田永年私財法で働き手が減った農村復興を狙いました。


■激務の平安貴族
中下級貴族は一月15日勤務、宿直5日が最低ライン。枕草子に登場する藤原行成は1000(長保2)年3月に1~6日まで勤務し1日休みをとって8日から3日続けて宿直し、この月は26日勤務で、そのうち12日間は宿直でした。

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2022/09/14

日本の古代豪族100

 【書 名】日本の古代豪族100
 【著 者】水谷千秋
 【発行所】講談社現代新書
 【発行日】2022/7/20
 【ISBN 】978-4-06-528622-7
 【価 格】1500円


■古墳の被葬者
男女比が6:4で古代社会では男女両系を重んずる社会。古墳時代中期になると次第に父系化が進む。


■葛城氏
襲津彦(そつひこ)が初代とみられ御所市の室宮山古墳に比定する説がある。


■継体天皇
豪族の多くは天皇の後裔としているところが多いが神武~応神までで仁徳天皇を祖とする豪族はなく継体天皇以降まで途切れることになる。仁徳~武烈までなくなるのは、王権から規制されたからで継体天皇の正統性を補完するため。継体天皇は息長君出身とみられ息長の本貫は近江坂田郡息長(米原)。


■三輪君
疫病が流行った時に大物主が天皇の夢にあらわれたので、河内の美努(みの)村にいた意富多々泥古を探し出し三輪で祀ったのが三輪神社のはじまり。美努村は須恵器の発祥の地で三輪君は須恵器生産に関わっていた模様


■大日下王
仁徳天皇と髪長媛(日向諸見君)の子供で地盤が河内の日下。母方に日向出身者をもつので日下王族、日下宮王家とも呼ばれている。


■額田部連
平群郡額田、河内郡額田が本貫の模様。推古天皇の幼名は額田部皇女で額田部氏が養育していたと思われる。


■弓削連
道鏡に対して「先祖の大臣として仕え奉りし位名を継がんとおもいてある人」と言われており物部氏の復活を考えていました。


■秦氏
平安京の内裏のあったところは秦河勝の邸宅があったところで紫宸殿の左近の桜、右近の橘も邸宅にあったという伝承がある。


■田辺史
百済系渡来系豪族で、藤原不比等は壬申の乱の時に少年期で避けるために山科の田辺史大隅のもとで養育された模様。不比等の名前は史(ふびと)からとった。黒作懸佩刀という刀があり草壁王子→不比等→文武天皇→不比等→聖武天皇と伝来し皇位を象徴する刀になっていた。本来は父から子だが早世したために不比等が中継ぎをした。

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2022/07/15

新版 大化改新

 【書 名】新版 大化改新
 【著 者】遠山 美都男
 【発行所】中公新書
 【発行日】2022/5/25
 【ISBN 】978-4-12-102699-6
 【価 格】960円


■藤原不比等
蘇我連子(むらじこ)の娘である蘇我娼子(しょうし)と不比等が結婚し、武智麻呂が生まれます。これで蘇我氏につながる血脈となり天皇家の外戚をつとめる一族となります。葛城氏→蘇我氏→藤原氏とつながります。


760(天平宝子4)年に不比等は太公望にならって近江国12郡を追贈され淡海公と称されます。武智麻呂、仲麻呂が近江国司として活躍したことが評価されたようです。


■平岡連
河内国讃良郡枚岡郷で津速魂命の14世孫、鯛身臣の後裔


■難波吉士(きし)
本拠地は日下郷で大彦命を祖にします


■蘇我倉山田石川麻呂
蝦夷の異母兄弟で入鹿の叔父にあたる人物だったようです。本拠地は河内国石川地域にあった山田で、飛鳥の山田寺は石川の山田に由来しています。


■大化の改新の真相とは?
中大兄皇子の諱は葛城で、葛城の手で養育された模様


皇極天皇
・舒明天皇の皇子だった古人大兄を即位させるため山背大兄の殺害を入鹿に命じる
・背には用明天皇の血統を滅ぼすため
・蝦夷から大臣を受け継いだばかりの入鹿としては実行せざるをえない
・入鹿が斑鳩寺を焼かなかったため山背大兄が生駒に逃れていた時に、大兄につくか皇極につくか、どっちつかずの状態となり蝦夷がこの焼かなかった行動を怒る
・軽皇子、中大兄王子の嘆願を聞き入れ蘇我を裏切ることを決意


軽王子
・皇極天皇と同じ世代なので古人大兄が即位すると自分が即位する目がない
・古人大兄が即位すると、その子孫に皇統がつがれるかもと中大兄を説得して味方に


船恵尺
・厩戸皇子と蘇我馬子が編纂していた「天皇記」、「国記」の前に「帝皇日継」、「先代旧辞」が編纂されており、実は「天皇記」などの編纂は舒明天皇以降で蘇我蝦夷が行っていたため、乙巳の変では編纂に関わっていた船恵史が「国記」を持ち出して中大兄皇子に献じたのでは


中心になっていたのは軽王子と蘇我倉山田石川麻呂で古人大兄が報告した「韓人、鞍作臣を殺しつ」の韓人とは蘇我倉山田石川麻呂をさす
中大兄は入鹿暗殺の実行部隊で軍事拠点となる入鹿の斑鳩寺の失敗からいちはやく飛鳥寺をおさえ、蘇我と古人大兄との連絡を絶つ。
古人大兄は蘇我入鹿が殺された翌日に飛鳥寺で出家し、甘樫丘で見ていた蝦夷が抵抗をあきらめ自滅へ


■評へ
部、屯倉を廃止ー豪族の世襲職が廃止へ 位階を明らかにして官僚制へ
評ー50戸制で統合し律令国家の「国-郡ー里」の元ととなる

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2022/06/23

空白の日本古代史

 【書 名】空白の日本古代史
 【著 者】水谷千秋
 【発行所】宝島社新書
 【発行日】2022/6/24
 【ISBN 】978-4-299-03027-6
 【価 格】1100円


■米
弥生時代の当初は米をあまり食べなかったようで穀物食でできる虫歯の発生が縄文とあまり変わりませんでした。弥生中期頃からコメを食べ始めたようです。


■纏向遺跡
明治維新で薩長土肥が相乗りして連合新政府を作りましたが、初代の大和朝廷も同様だったようです。


■雄略天皇(ワカタケル)
埼玉ー稲荷山古墳鉄剣、熊本ー江田船山古墳鉄剣の銘文が出たため、統治機能が登場していたようです。
記紀に一言主伝説が出てくるため葛城氏を服従させた逸話だったようです。


■倭の五王
高句麗の南下によって朝鮮南部の権益を巡り衝突する中、宋に遣いを送り軍事的優先権の承認を得ようとしましたが、結局はうまくいかず、朝鮮から多くの渡来人が逃げてくることになります。


■継体天皇
ひいおじいさんのおじいさんが同じぐらいの親戚です。継体天皇の出自については上宮記に書かれていたようで、この上宮記が釈日本紀に引用されていて、古代から知られたことだったようです。


■国造(くにのみやつこ)
自分の領地を献上して、あらためて大王から与えらる形となり、まさに国譲りの形でした。


■和爾氏
大和国の和爾を本拠とし春日氏、大宅氏、粟田氏、小野氏、柿本氏などが同族です。このなかで春日郷の春日氏が本宗を継いだようです。


■帰葬
婚姻した女性は里に帰って埋葬されました。

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2022/06/11

ここまで解けた縄文・弥生という時代

 【書 名】ここまで解けた縄文・弥生という時代
 【著 者】山岸良二
 【発行所】KAWADE夢新書
 【発行日】2022/05/20
 【ISBN 】978-4-309-50436-0
 【価 格】890円


■縄文土器
モース博士が大森貝塚を発掘し、発掘調査報告書を英文で書きますが土器群を「コードマークドポタリー」(縄・ひもつき土器)と名づけ、これが縄文土器という名前で定着しました。


■埋蔵文化財センター
バブル経済崩壊の後、埋蔵文化財センターの80%がなくなり、2000年代になると民間の発掘会社ができ発掘を請け負うようになります。2005年には業界団体である日本文化保護協会ができます。その代わり自治体の発掘力が弱まり補助金不正事件なども発生するようになります。


■安満(あま)遺跡
弥生前期の水田跡が9000平方メートル以上が発見されています。大洪水があり水田がパックされて残り2018年に発見されました。日本で初めて集落&水田&方形周溝墓がセットで見つかりました。


■10進法
福岡で弥生時代の権(けん 重さをはかる分銅)が出土し、朝鮮半島で見つかった権の3倍、6倍、20倍で10進法が用いられていたことが判明しました。


■観光考古学
吉野ケ里遺跡、三内丸山遺跡など遺跡が集客できるようになりました。吉野ケ里遺跡には260万人もの見学者で一人が千円のお土産を買うと、それだけで26億円の経済効果になります。

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2021/11/13

古代豪速の興亡に秘められたヤマト王権の謎

 【書 名】古代豪速の興亡に秘められたヤマト王権の謎
 【著 者】古川順弘
 【発行所】宝島社新書
 【発行日】2021/10/22
 【ISBN 】978-4-299-02161-8
 【価 格】982円


■語部
古伝承を語り伝え、公的な儀礼でそれを奉することを職業にした部


■先代旧事本紀
天磐船に乗ったニギハヤヒが32柱の神々を連れて河内の河上に天下ってから次に降りたのが大和も鳥見の白庭山。日本書紀などが編纂された時に既に世に知れ渡っていたようで否定できなかったのではと考えられている。物部氏の根拠地である渋川から渋川廃寺が見つかりましたが創建は7世紀前半と推定されており物部守屋が滅んでから菩提をとむらうために作られたのではという説が出ています。


■神武天皇陵
日本書紀の壬申の乱の記載に大伴吹負が大海人皇子側として戦うが、この時の神武天皇陵に馬と武器を奉納して勝利した記事があり、畝傍山近くに神武天皇陵があったことになります。藤原京造営でも壊されなかった塚山古墳と考えられています。


■国造
出雲だけでなく阿蘇国造、紀伊国造が宮司職を世襲する形で現代にまで続いています。


■新撰姓氏録
1,182氏が掲載され326氏が諸蕃に分類。渡来系氏族が該当します。


■秦氏
畑、羽田、秦野、畠山、服部、惟任、赤染、辛嶋などが子孫。長曾我部、島津も秦氏の子孫にあたる。

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