2023/09/23

巨大古墳の古代史

 【書 名】巨大古墳の古代史
 【著 者】瀧音能之
 【発行所】宝島社新書
 【発行日】2023/09/22
 【ISBN 】978-4-299-04720-5
 【価 格】1100円


■帥升
後漢書東夷伝に登場する王の名前で西暦107年に後漢に朝貢。岡山にある楯築墳丘墓が、その墓ではないかという説があります。


■ニサンザイ古墳の木橋
濠に水をいれた後に柱穴をあけて後円部から木橋をかけ、墳丘に並べられていた埴輪などが崩落する以前には柱穴は埋まっていました。木橋を使って葬送儀礼が行われたと考えられますが、今までそんなものがあると考えて発掘していなかったため他の古墳で見つかる可能性もあります。

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2023/04/26

正倉院のしごと

 【書 名】正倉院のしごと
 【著 者】西川明彦
 【発行所】中公新書
 【発行日】2023/3/25
 【ISBN 】978-4-12-102744-3
 【価 格】900円


■正倉院
正倉-役所や寺院の重要なものをおさめる蔵
正倉院-正倉が集まった区域
いくつもの正倉がありました平安時代頃に燃えたり倒壊したりで一棟だけになりましたが、固有名詞として定着しました。


正倉院展-1度展示すると10年間は選ばないという不文律があります


■収蔵品
舶来品は全体の5%ほどで、ほとんどが国産品 胡人の伎楽面もペルシャ風の国産品


藤原仲麻呂(恵美押勝)の乱で400点あまりの武器、武具が持ち出されましたが、ほとんど戻ってきませんでした。他にも持ちだされて却ってきませんでした。


■校倉
湿度が高いと木が膨張し、乾燥すると木に隙間ができて温度調整していると習いましたが、誤りで木材そのものの吸放湿能と宝物をいれる杉製の唐櫃の二重構造により温度が一定になりました。

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2023/03/26

小説で読みとく古代史

 【書 名】小説で読みとく古代史
 【著 者】周防柳
 【発行所】NHK出版新書
 【発行日】2023/3/10
 【ISBN 】978-4-14-088697-7
 【価 格】930円


九州、大和の2つの邪馬台国、神武天皇の東遷、応神天皇、大王アメタリシヒコ、天智と天武は兄弟か、持統天皇の狙いはなど6つのテーマにした小説などが紹介されています。


例えば、大海人皇子の出自などが不明で、本当は天智天皇と兄弟ではなかったという説もあります。ひょっとすると漢皇子(皇極天皇と高向王との間の子供)ではないかと言う説もあります。持統天皇は官僚制を作り上げ天皇がいなくても政治がまわる仕組みを作りました。30歳以上でないと天皇になれない不文律がありましたが、低年齢化します。

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2023/02/11

古代史のテクノロジー

 【書 名】古代史のテクノロジー
 【著 者】長野正孝
 【発行所】PHP新書
 【発行日】2023/2/9
 【ISBN 】978-4-569-85381-9
 【価 格】1100円


■河内・大和大運河
古市大溝-橿原考古学研究所の秋山氏が航空写真から発見。
丹比大溝-飛鳥時代の幅10m、深さ3mの溝が発掘で見つかる。
河内から大和まで40kmの運河があった模様で堀田のは百舌鳥、古市、馬見古墳群を作った主たちで物流のため
石津川河口ー乳岡古墳ー覆中天皇陵ーいたすけ古墳ー西除川ー東除川ー応神天皇陵-亀の瀬ー奈良湖
6世紀-大和川では帆船が走っていた 橿原市高井戸の横穴遺跡から線刻画が見つかる


亀の瀬の標高40mに堰があり奈良湖が形成されていた。古代の河床は10mほど戦った模様。
古墳ー浚渫土が塚となっていく
6世紀になって半島での戦争が終わって古墳で行われていた鉄取引がなくなり、運河の必要性が薄れ、古墳が造られなくなる
灌漑のやり方を変え推古天皇時代に西除川をせき止めて狭山池という巨大溜池を構築


■対馬
浅茅湾の船曳道 小船越(140m)、大船越(126m)

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2023/01/14

ゼロから学ぶ日本史講義 古代篇

 【書 名】ゼロから学ぶ日本史講義 古代篇
 【著 者】出口治明
 【発行所】文春文庫
 【発行日】2023/1/10
 【ISBN 】978-4-16-791991-7
 【価 格】730円


■ルカ 最終共通祖先
地球上の生命はDNAを遺伝情報でもっている。化学物質からエネルギーを取りだすことができる好熱菌が深海で誕生し、この祖先から進化


■郭務そう
白村江の戦で敗北した後、唐から戦後処理で送り込まれたのが郭務そう。大陸側の記録には出てきませんので地位はそれほど高い人物ではありませんが、日本にとってはマッカーサーのようなものでした。唐が大和を占領したため大津京に遷都したという説もあります。


■武烈王(金春秋)
654年~661年在位。日本、高句麗、長安を実際に目で見てから王位についた人物。


■二聖政治
持統天皇がロールモデルにしたのが則天武后。皇后でしたが権力がなかったため道教好きの皇帝・高宗に、道教における最高神である「天皇上帝」から天皇・天后という新しい称号をつくり、天皇と天后が対等に政治を行う二聖政治にしました。


国分寺、国分尼寺を全国に造ったのは聖武天皇&光明皇后の二聖政治を体現したもののようです。作ったのは郡司という地方の役人でしたが、国分寺を作ったら郡司の世襲を認めるというインセンティブがありました。


■平城京
藤原不比等が北魏の都の名前「平城」(大同市)から名づけています。


■受領
実際に現地へ行って中央政府に納入責任がある役職が受領ー引継ぎ資料を受領することから名づけられる


■寛平御遺誡
寛平9年(897年)に宇多天皇が醍醐天皇への譲位に際して当時13歳の新帝に与えた申し送り状。唐人に会ったけど直接じゃなく御簾越しの方がよかったと書かれていたことから明治まで天皇は外国人に会ってはダメとなりました。


■中央集権の中国
アメリカ本土には4つの標準時がありますが中国には北京標準時しかない


■乙巳の変
唐の力が衰えたことから高句麗ではクーデターが起きて親唐派を弾圧。百済、新羅でも親唐派とアンチ唐派の争いであり日本でも親唐派の蘇我氏を倒せるかと考えた面がありありそうです。

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2022/12/24

戸籍が語る古代の家族

 【書 名】戸籍が語る古代の家族
 【著 者】今津勝紀
 【発行所】吉川弘文館
 【発行日】2019/10/1
 【ISBN 】978-4-642-05888-9
 【価 格】1,700円


■造東大寺司
政所、木工所、造瓦所、鋳所、写経所、造物所、造仏所、山作所、木屋所といった「所(組織)」が設置される。


■庚午年籍 天智9(670)年
氏姓の基準とする根本台帳に、永年保存され平安時代になっても氏姓を改める訴訟などで利用


■古代の人口
享保6(1721)年 吉宗の時代 第一回の人口調査 3120万人
天正年間頃 1200~1800万人ほど
8世紀前半 450万人
9世紀前半 出挙稲数 4385万400束で540万~590万人ほど


■年齢(古代)
婚姻可能 男性15歳、女性13歳
婚姻可能な年齢になった女性「オトメ」、婚姻して結髪した段階で「オミナ」、老いると「オウナ」
8歳以上の男性は「ワラワ」となり、その後は「オトコ」で老いると「オキナ」


■双系
オジ・オバといった親族呼称に古代は父方、母方の区別がない
古代は夫婦別姓で妻は出自氏姓を変更しない
ツマ 一対の男女として安定した関係にある言葉なので夫にも使われた


■少子部連(ちいさこべのむらじ)
雄略6(462)年、国内の蚕(コ)を集めることを命じられたスガルが若子を集めてしまい。集めた若子を養うことが命じられ少子部連の姓をたまわる。


日置(へき)、子部、車持、笠取、鴨の5つの氏族は主殿寮に殿部として奉仕(清掃、灯火の管理など)


■感染症
人間が畜群を管理することで麻疹(犬)、天然痘(牛)、インフルエンザ(水禽)、百日咳(豚や犬)が人間に


■律令制の崩壊
戸籍の不実記載が増え実態と乖離。10世紀の延喜年間になると班田の実施を放棄し戸籍に基づく人身別課税から課税対象を土地に転換。
帳簿による管理システムが解体し国司が大きな権限を手に入れることになる。

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2022/12/07

古代の三都を歩く 難波京の風景

 【書 名】古代の三都を歩く 難波京の風景
 【著 者】小笠原好彦
 【発行所】文英堂 
 【発行日】1995/3/10
 【ISBN 】978-4-578-00458-9
 【価 格】2000円


■摂津
難波津の管理から 677年、天武天皇の時代に摂津識が設置される


■大津道
竹内街道の北1.9kmの位置を平行し、現在の長尾街道と推定されている。
羽曳野市高鷲にある津、船、葛井氏の三氏族の氏神である大津神社に関連している模様


■東大寺の荘園
750年以前に所有 新羅江荘4町-南が堀江(大川)、東が安曇江(淀川旧本流)
752(天平勝宝4)年に難波荘3町6段を購入 新羅江荘のほぼ斜め対岸
もともと安宿王(長屋王の息子)がもっていた土地を購入したもので8年後に一部を残して新薬師寺に売却。金額は購入額とあまり変わらず。


■長岡京
朝堂ー平城京、藤原京が12堂に対して長岡京は8堂。後期難波京(8堂)をそのまま移したため
勤務ー寅の刻(朝4時)に南門の前に左右に並び日が出ると広場に進んで政務に、帰宅は正午の鐘が鳴ってから
   朝集殿が朱雀門のすぐ北に建てられていて、ここで私服から朝服に替えていました


財政再建をはかるため桓武天皇は副都制にしていた難波京を廃止
762年遣唐使船が難波も江口で座礁-難波津の浅瀬が増えて機能性が減少-和気清麻呂が難波京遷都後に三国川(神崎川)に淀川を通じるようにする


■686年の火災
朱雀門跡が発掘され焼けていました。この時に前期難波京のほとんどの建物が消失したようです。

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2022/10/30

律令国家前夜

 【書 名】律令国家前夜
 【著 者】前園実知雄
 【発行所】新泉社
 【発行日】2022/6/10
 【ISBN 】978-4-7877-2203-4
 【価 格】2700円


■壬申の乱
日本書紀に天武側は近江軍と識別するために赤い布をつけていたと出てきますが漢を建国した劉邦をまねたもの。軍旗に赤色を用いろと漢書に書いてあります。クーデターで漢帝国を建国した劉邦が脳裏にあったようです。「周礼」に基づいて藤原京を建設し、亡くなってからは持統天皇がその思いを引き継ぎます。


■額田寺
平群郡にある熊凝精舎(くまごりしょうじゃ)は聖徳太子が釈迦の祇園精舎にならって創建した仏教修行の道場でこれを移したのが百済大寺。額田寺(後身が額安寺)が今の大安寺(百済大寺の後身)の本寺。推古天皇は額田部皇女と名乗っていたので額田部氏とつながりがありました。


■法隆寺の伽藍配置
金堂と塔が並ぶ伽藍配置の祖は百済大寺(吉備池廃寺)。法隆寺では平安時代(925年)に講堂が焼け、再建時に北へずらして他の堂塔との間隔を開けます。そのため回廊が鐘楼を取り込む形で途中から北に曲がります。

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2022/10/12

古代史の定説を疑う

 【書 名】古代史の定説を疑う
 【著 者】瀧音能之、水谷千秋
 【発行所】宝島社新書
 【発行日】2022/10/21
 【ISBN 】978-4-299-03459-5
 【価 格】1210円


■アスファルト
縄文人はアスファルトを採取し壺にいれて加熱、精製しました。土偶の接合にも使われていたようで、こうなると故意に土偶を破壊した説が否定されることになります。


■倭国大乱の原因
181年、ニュージーランド北島にあるタウポ火山が大噴火を起こし地球規模の気候変動になりました。中国では空が黄色になります。気候変動は181~184年まで続き、184年には黄巾の乱が発生します。「蒼天すでに死す、黄天まさに立つ」で長らく蒼天を漢王朝、黄天を黄天党と考えらていましたが、実際に空が黄色になっていたようです。


■邪馬台国 畿内説
箸墓古墳が卑弥呼の墓とすると西殿塚古墳が同じ形態なので台与の墓。副系列となる桜井茶臼山古墳やメスリ古墳は王権の軍事面を担う執政官で、神聖王と執政王の祭政分離体制で、この後の執政王がヤマト王権に発展したのではという説がある。崇神天皇は纏向を本拠としており、邪馬台国を引き継いだヤマト政権の初代と見られています。


■蘇我稲目
古代、目の名前を持つ人物は神のお告げがきけるシャーマンの役割があった。


■狂心溝(たぶれごころのみぞ)
斉明天皇が行った運河事業。人民には散々の評価でしたが石材がとれた天理市の豊田山から飛鳥を結ぶ運河で、実際は藤原京造営にも活用された模様です。


■乙巳の変
皇極天皇は飛鳥を石造りの壮麗な都へかえていましたが山背大兄皇子が即位すると斑鳩が都となるため蘇我入鹿に命じて山背大兄皇子を攻めさせました。蘇我入鹿は交換条件として古人大兄皇子を次期天皇にしてもうことを内定します。ところが皇極天皇の弟である軽王子が不満をいだき、中大兄皇子や中臣鎌足を巻き込んでクーデターを起こします。


小山田古墳が蘇我蝦夷、小ぶりの菖蒲池古墳が蘇我入鹿のものですが、乙巳の変の後、小山田古墳は破壊され蝦夷と入鹿をともに菖蒲池古墳に葬ったようで石棺が2つあります。


■墾田永年私財法
律令制を崩す法律ですが、735(天平7)年~737(天平9)年にまで発生したパンデミックが原因です。遣唐使や新羅からの交易で海外から入ってきたようで天然痘と風疹の大流行で藤原4兄弟だけでなく当時の人口の25~35%が亡くなりました。緊急時代に橘諸兄は墾田永年私財法で働き手が減った農村復興を狙いました。


■激務の平安貴族
中下級貴族は一月15日勤務、宿直5日が最低ライン。枕草子に登場する藤原行成は1000(長保2)年3月に1~6日まで勤務し1日休みをとって8日から3日続けて宿直し、この月は26日勤務で、そのうち12日間は宿直でした。

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2022/09/14

日本の古代豪族100

 【書 名】日本の古代豪族100
 【著 者】水谷千秋
 【発行所】講談社現代新書
 【発行日】2022/7/20
 【ISBN 】978-4-06-528622-7
 【価 格】1500円


■古墳の被葬者
男女比が6:4で古代社会では男女両系を重んずる社会。古墳時代中期になると次第に父系化が進む。


■葛城氏
襲津彦(そつひこ)が初代とみられ御所市の室宮山古墳に比定する説がある。


■継体天皇
豪族の多くは天皇の後裔としているところが多いが神武~応神までで仁徳天皇を祖とする豪族はなく継体天皇以降まで途切れることになる。仁徳~武烈までなくなるのは、王権から規制されたからで継体天皇の正統性を補完するため。継体天皇は息長君出身とみられ息長の本貫は近江坂田郡息長(米原)。


■三輪君
疫病が流行った時に大物主が天皇の夢にあらわれたので、河内の美努(みの)村にいた意富多々泥古を探し出し三輪で祀ったのが三輪神社のはじまり。美努村は須恵器の発祥の地で三輪君は須恵器生産に関わっていた模様


■大日下王
仁徳天皇と髪長媛(日向諸見君)の子供で地盤が河内の日下。母方に日向出身者をもつので日下王族、日下宮王家とも呼ばれている。


■額田部連
平群郡額田、河内郡額田が本貫の模様。推古天皇の幼名は額田部皇女で額田部氏が養育していたと思われる。


■弓削連
道鏡に対して「先祖の大臣として仕え奉りし位名を継がんとおもいてある人」と言われており物部氏の復活を考えていました。


■秦氏
平安京の内裏のあったところは秦河勝の邸宅があったところで紫宸殿の左近の桜、右近の橘も邸宅にあったという伝承がある。


■田辺史
百済系渡来系豪族で、藤原不比等は壬申の乱の時に少年期で避けるために山科の田辺史大隅のもとで養育された模様。不比等の名前は史(ふびと)からとった。黒作懸佩刀という刀があり草壁王子→不比等→文武天皇→不比等→聖武天皇と伝来し皇位を象徴する刀になっていた。本来は父から子だが早世したために不比等が中継ぎをした。

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