2008.03.28

平城京遷都

 【書 名】平城京遷都
 【著 書】千田 稔
 【発行所】中公新書
 【発行日】2008/03/25
 【ISBN 】978-4-12-101940-0
 【価 格】840円

欽明天皇の時代の仏教伝来から平城京遷都とはどういうことだったのか考察した本です。

■大仏開眼
聖武天皇による大仏開眼は天平勝宝4年(752年)ですが、これは仏教公伝から200年目にあたる節目の年だったんですね。

■畿内の範囲
改心の詔で定められた畿内の範囲は
東ー名張の横河
南-紀伊の兄山(せのやま)
西-明石の櫛淵
北ー近江の逢坂山

で天智天皇の大津京は畿内じゃなかったんですね。

■桜井頓宮
難波宮への聖武天皇の行幸で立ち寄ったのが桜井頓宮ですが、東大阪の六万寺近くにあったんですね。

■磯城嶋(しきしま)
大和にかかる枕詞ですが、欽明天皇の宮が磯城嶋金刺宮でした。場所は三輪山の麓で近鉄桜井駅から朝倉駅に向かう途中、飛鳥川の辺にありました。

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2008.03.06

古代史謎解きの「キーパーソン50」

 【書 名】古代史謎解きの「キーパーソン50」
 【著 者】関 裕二
 【発行所】PHP文庫
 【発行日】2008/2/18
 【ISBN 】978-4-569-66968-7
 【価 格】552円

古代史のキーパーソンとなる人物50名を紹介しています。

・ヤマト建国の人脈
・神話と歴史をつなぐ人々
・ヤマトの基礎を築いた人々
・聖徳太子と蘇我氏の時代
・奈良の動向を行きぬいた人々

の5つのカテゴリーで紹介されています。

■神の名前がついた天皇
神の名前がついた天皇は神武、崇神、応神、そして神宮皇后で、4人に共通するのは祟られるという属性のようです。神武と応神は同一人物ではなかったのかが筆者の考えです。

■秦河勝と山背大兄王
太秦の広隆寺で有名なのが秦氏です。聖徳太子時代に有名なのが日本史でも習った秦河勝ですが、奇妙な場所で亡くなっています。それが赤穂にある大避神社で、秦河勝が蘇我入鹿の乱から非難して、この地にきたという伝承が残っているそうです。蘇我入鹿の乱とは山背大兄王が法隆寺で殺された事件です。

蘇我本家が滅んでも秦河勝は都へ戻らなかったようで、戻れなかったのが真相ではなかったのかと筆者は類推しています。蘇我氏が東アジアの中で国力アップのために進めていたのが律令制です。これは豪族がもっていた既得権益を奪うことになりますので反対戦力が多く、蘇我氏に抵抗した皇族の名前として山背大兄王が出てきます。この山背といえば秦河勝の地盤で、なかなか面白い視点ですね。

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2007.09.02

壬申の乱を歩く

 【書 名】壬申の乱を歩く
 【著 者】倉本 一宏
 【発行所】吉川弘文館
 【発行日】2007/7/1
 【ISBN 】978-4-642-07978-5
 【価 格】2500円

文字通り、壬申の乱で大海人皇子が歩いた道をたどる本です。

まず天智天皇から皇位を譲ると言われたのを辞退し大津宮から吉野宮へ向かいます。この時のコースーは大津宮から小関越をし、山科の四ノ宮へ入り、南へ向かいます。山科駅から京都橘大学行きのバスに乗ると北大塚から大宅一里塚までバスが走っていますが、ちょうどこの路線に沿っています。昔の街道筋でした。

さらに醍醐寺のそばを抜け、六地蔵から平等院へ、木津から下ツ道に入って飛鳥の島宮を抜けて吉野へたどりつきます。

壬申の乱のコースでは吉野から榛原へ抜けて、榛原から近鉄線に沿って名張へ、名張川の手前に隠駅家がありました。伊賀神戸から木津川沿いに伊賀へ進み佐那具から今度はJR線に沿って進みます。柘植、加太、関、亀山と過ぎ河野駅から北上し、四日市を越えて桑名へ向かいます。桑名からは近鉄養老線沿いに不破の関(関ヶ原)へ進みます。

桑名に大海人皇子が足を洗ったという井戸(御足洗井)が伝わっていますが、当時は海がかなり内陸に入っており、今の近鉄線付近を歩いたはずということで本物じゃないようですね。

敗れた大友皇子は大津から牛尾峠を越え、山科の大宅から六地蔵を経て、宇治川沿いに桃山へ出て淀から山崎へ出たところで、大海人皇子軍に追いつかれ自害したと言われています。こちらもいろいろと伝説が残っており、房総に逃げたという伝説があります。房総の大友伝説の特徴は必ず蘇我氏が登場します。

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2007.08.16

出雲大社

 【書 名】出雲大社
 【著 者】千家 尊統
 【発行所】学生社
 【発行日】1992/5/25 重刷
 【ISBN 】4-311-40703-3
 【価 格】1800円

初刷は昭和43年で、著者は第82代出雲国造です。先日の下鴨納涼古本まつりで見つけてきました。

■身逃神事
出雲大社では年間72の祭りがありますが、古くから続いている祭りの一つに身逃神事があり8月14日に行われます。神幸の途中に、人と逢うと汚れたとして、大社に戻り出直すことになります。そこで大社の人は門戸を閉ざして外出をしない慣例になっています。

■注連縄
出雲大社の注連縄だけが、他とは逆になっています。大社内陣が一般の神社と違って向かって左を上位にしているところに理由がありそうです。また内陣の神座は西向きになっていて、神様を側面から拝んでいることになります。

■国造
神武天皇の時に倭国造と葛城国造が置かれたのがはじめてと言われ、5世紀には全国に130ほどの国造が置かれましたが、系譜が続いているのは出雲、紀伊、阿蘇の国造だけだそうです。

■出雲国造神賀詞
出雲国造になった時は出雲で1年間の潔斎を行い、都の太政官へ行って出雲国造神賀詞をたてまつります。この1年間の潔斎が異常で、班田収授の法が行われた時にはこれも停止され重刑の判決も行われないほど、穢れを忌みました。

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2007.06.05

古代出雲大社の復元

 【書 名】古代出雲大社の復元
 【著 者】大林組
 【発行所】学生社
 【発行日】1989/11/5
 【ISBN 】4-311-20147-8
 【価 格】1800円



出雲大社に行くと赤い色で柱の形がついています。三本の巨木の丸太を金輪で束ねた遺構の跡です。現在の出雲大社の2倍以上、48メートルもの出雲大社がそびえていました。その復元を行うプロジェクトの記録です。

大林組によれば巨大な柱もロクロを使えば建てることは可能で、試算した結果、工期は6年、総作業員数126,700人、総工費121億8,600万円となりました。

それにしても出雲は不思議なところなんですね。新しい出雲の国造(くにのみやつこ)が任命されると出雲だけはいろいろな祭りが行われ、天皇のために2年間も行われます。また出雲大社の宮司は代々、千家が行っており、直系83代となり平均在位を20年と見積もると1660年前になってしまいます。地元では、普通に国造さまと呼ばれています。

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2007.05.27

東海学が歴史を変える

 【書 名】東海学が歴史を変える
 【著 者】森 浩一編
 【発行所】五月書房
 【発行日】2002/11/15
 【ISBN 】4-7727-0378-0
 【価 格】2200円



副題は「弥生から伊勢平氏まで」で、東海地域を中心とした古代から中世までの歴史について論議された第九回春日井シンポジウムをまとめたものです。

■安濃津
現在の津市ですが、地震で破壊されるまで安濃津という港で有名なところでした。海岸の藤方町を望む高台に前方後方墳「池の谷古墳」(全長90メートル)があります。この藤方という地名は日本書紀の雄略天皇の頃に全国から土師部を集めた時に出てくる古い土地です。藤方の方は古くは入り江を意味した「潟」が使われていたそうで、この藤方を見下ろす位置につくられた古墳です。津に長く住んでいますが、こんな古墳があったんですね。また古墳の近くに高茶屋大垣内遺跡があり、窯があったようです。

■伊勢平氏
伊勢平氏は津を中心に勢力を伸ばし、清盛の父親である忠盛は津生まれで都へ登ります。久居に木造荘(こつくりのしょう)という荘園がありますが、雲津川に面しており東端に雲津島貫遺跡があり、水路などが整備された居館が見つかりここが伊勢平氏の居館だったようです。また斎宮とも深い関わりがあったそうです。伊勢は神宮の御厨がたくさんあったところです。

■尾張、蘇我は同族
葛城などを勢力下にしていたのは尾張氏だったようですね。葛城に縁が深い蘇我氏も尾張氏と深い関係があったようです。また壬申の乱では尾張大隈が大活躍していますが、大隈の家は美濃で、尾張氏は尾張だけでなく美濃も勢力下においていたのですね。大海人皇子がいち早く不破の関をおさえられたのも尾張氏の活躍だったのでしょう。

飛鳥に小治田がありますが、これも尾張氏が関係しているそうです。小治田の北は香具山で尾張氏の先祖、香語山命を祭っています。

■持統天皇の三河行幸
天武天皇の意思かどうか分かりませんが当時の国際情勢から信濃への都の移転を考えていたようです。持統天皇の時代になっても同じ動きが出ており、そのために行われたのが三河行幸のようです。こんな事件があったんですね。

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2007.05.17

日本書紀の大和

 【書 名】日本書紀の大和
 【著 者】靏井 忠義
 【発行所】雄山閣
 【発行日】1999/3/5
 【ISBN 】4-639-01015-X
 【価 格】1980円



先日の古書市で見つけてきた本です。出品は海月文庫で古書価は1000円でした。著者は奈良新聞社の文化記者としていろいろな遺跡の取材や報道していました。

近鉄で大阪から奈良を通って三重へよく行っておりますので、沿線から見える風景はまさに日本書紀の舞台です。

■大阪山
近鉄南大阪線が通っている、大阪と奈良の県境、穴虫峠あたりが候補地になっています。これが大阪の地名の元になりました。香芝町には大阪山口神社という式内社があるそうです。

■垂任天皇陵
西大寺駅の一つ手前に尼ケ辻駅がありますが、この駅から垂任天皇陵が見られます。池には小さな島があるのですが、これが田道間守の墓だそうです。田道間守は垂任天皇の命令で常世の国へ行き、10年かかって「非時(ときじく)の香菓(かぐのみ)」を探し出してきました。ところが既に天皇は亡くなっており、田道間守も自殺してしまったそうです。田道間守には菓子屋さんの参拝が多いそうです。ただ、この小島はどうも幕末に作られたようです。

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2007.05.12

神社の古代史

 【書 名】神社の古代史
 【著 者】岡田 精司
 【発行所】大阪書籍
 【発行日】1985/10/10
 【ISBN 】4-7548-1050-3
 【価 格】1,200円



京都の古書市で見つけてきた本です。大阪の朝日カルチャーセンターで「神社の歴史と文化」のテーマで1982年~1985年に行われた講座をまとめたものです。

概説以外に大神神社、伊勢神宮、宗像、住吉、石上神宮、鹿島・香取神宮が取り上げられています。

■伊勢神宮の別宮
平安時代にあったのは内宮が荒祭宮、月読宮、滝原宮、伊雑宮の4つ。外宮は平安時代初めまでは多賀宮だけでした。

外宮の摂社で江戸初期まで元の場所に建物がそのまま続いたのは渡会大国玉比売神社だけでした。

■一寸法師はPR
一寸法師は誕生に住吉の神さん、一人前の人間になるのに清水の神さんが関わっています。この2つの神社のPRだったんですね。

■氏神さん
現在の氏神さんは、地域の鎮守さんを差し地縁になりますが、古くは氏ごとになっていて血縁でした。正倉院文書には写経生が田舎へ氏神祭に行くための休暇願いが残っています。氏神祭は2月、4月、11月に行われていました。

■式内社の分布
多い
1.大和 288 2.伊勢 253 3.出雲 187 4.近江 155 5.但馬 131

少ない
1.薩摩 2 2.志摩 3 3.安芸 3 4.肥前 肥後 筑後 いずれも4

伊勢は渡会に集中しており、隣の志摩にはほとんどありません。近江も湖北に集中しています。

■総社
国司が赴任すると一宮から順番に回っていましたが、やがてこれが形骸化。全部回るのは面倒くさいと始まったのが総社です。これは国内の神社を国府の近くの1ケ所に集めることで、総社神社や六所神社という名前で全国に残っています。岡山県の総社市には美作国の総社神社があります。

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2007.01.28

「出雲抹殺」の謎

 【書 名】「出雲抹殺」の謎
 【著 者】関 裕二
 【発行所】PHP文庫
 【発行日】2007/1/25
 【ISBN 】978-4-569-66768-3
 【価 格】590円



副題が「ヤマト建国の真相を解き明かす」になっています。出雲は神話の世界と言われていましたが、荒神谷遺跡の発掘や出雲大社の金輪の発見など出雲に大きな国があったことが明らかになってきました。

前半は氏が今まで展開してきた説が中心なんですが、一番最後が面白いですね。大国主神とは一体何だったのか、鍵は事代主神(言代主神)にあったというのが氏の説です。

最後に舞台は出雲から伊勢に移りますが、天照大神の正体は今までの氏の説であったヒミコではなく、とんでもない人物になっています。

→ 『「出雲抹殺」の謎』

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2007.01.22

古代史 封印された謎を解く

 【書 名】古代史 封印された謎を解く
 【著 者】関 裕二
 【発行所】PHP研究所
 【発行日】2005/8/31
 【ISBN 】4-569-64370-1
 【価 格】476円



邪馬台国から壬申の乱、聖武天皇に至る蘇我と藤原の戦いを中心に書かれていますが、関裕二氏の既存の本に載っている内容ですね。とても平易には書かれていますが。

近鉄・八木駅の京都行きホームに若草書店があり、よく電車の乗り継ぎで時間があるとのぞいています。関裕二氏の本がいつも平積みになっています。よく売れるんでしょうね。入口に平積みになっており、読んでいない本だなと思わず買ってしまいました。

八木駅は交通の要所で南に行けば八木西口駅の次が畝傍御陵前で、飛鳥への玄関口になります。東を行くと耳成山はすぐそこで、次に急行が止まるのが桜井駅、三輪山の麓になります。西に行けば一つ目の真菅駅は蘇我の拠点だったところです。

北に向かえば鏡作神社や唐古・鍵遺跡です。古代史の本を買うには一番最適な本屋かもしれません。

→ 『古代史 封印された謎を解く』

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2006.11.27

古代史の謎はどこまで解けたのか

 【書 名】古代史の謎はどこまで解けたのか
 【著 者】山岸 良二
 【発行所】PHP新書
 【発行日】2006/10/03
 【ISBN 】4-569-65269-7
 【価 格】700円



タイトルから最新の考古学の発見の成果を体系的にまとめた本かなと思ったら、岩宿遺跡のような古い話題から最新の捏造事件まで旧石器文化でまとめるような形になっています。

その意味では網羅的なんですが、もう少し最新の考古学の話題を掘り下げてほしかったですね。ただ、ふだんあまり報道されない北海道などの状況なども掲載されています。

→ 『古代史の謎はどこまで解けたのか』

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2006.08.19

蘇我氏の正体

 【書 名】蘇我氏の正体
 【著 者】関 裕二
 【発行所】東京書籍
 【発行日】2004/11/25
 【ISBN 】4-487-79996-1
 【価 格】1500円



古代史謎解き紀行3 九州邪馬台国編dで蘇我氏は豊岡を開きヤマトに鉄をもたらしたアメノヒボコが祖ではないかという説が述べられていますが、それをもう少し詳しく述べています。

スサノオ アメノヒボコ サルタヒコ 浦島太郎

はすべて一緒で、これが蘇我氏の先祖ではないかという説です。倭から朝鮮に渡り、何代かして、また倭に戻りヤマト建国に力を発揮します最終的にはヤマトに裏切られます。妻となる神宮皇后ともども祟る神へ

何代かして朝廷で復活したため、我蘇り(われよみがえり)と蘇我氏となのったのではという仮説です。 

■山田寺の不思議
飛鳥資料館に山田寺の回廊が再現されていますが、朽ち果てて倒れた回廊が湿地帯で偶然に残ったものです。蘇我石川麻呂が謀反の罪をきせられて自害した寺です。

著者によると回廊が残ること事態が不思議で、廃寺のような状況になれば建築資材として持ち出されたりするはずが、誰も手をつけなかったことになります。祟る蘇我の寺として「さわらぬ神にたたりなし」で近づかなかったために現代まで残ったのではという説です。

→ 蘇我氏の正体

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2006.07.25

古代史謎解き紀行3 九州邪馬台国編

 【書 名】古代史謎解き紀行3 九州邪馬台国編
 【著 者】関 裕二
 【発行所】ポプラ社
 【発行日】2006/5/9
 【ISBN 】4-591-09271-2
 【価 格】1300円



ヤマト編出雲編に続いて九州編です。

著者の以前の本では蘇我氏と物部氏は同族というふうになっていましたが、この九州邪馬台国編ではだいぶ様相が変わってきます。

物部氏は吉備の出身で最初のヤマト建国に尽力し、蘇我氏は豊岡を開きヤマトに鉄をもたらしたアメノヒボコが祖ではないかと風になっています。なかなか面白い説ですね。でも隼人の本拠地である野間岬のようなところからなんで神武東征が始まるのか、なるほどと思わせるものがあります。

本のストーリとは関係ありませんが「わだつみ」の語源が載っていました。単純に海の神さんと思っていましたが、和多都美神社(対馬)の「ワタツミ」からきているそうです。朝鮮語の海がワタで、そこから名付けられたようです。

また二礼、四拍手、一礼の神社があるそうで、全国に2社あり一つが出雲大社で、もう一つが宇佐神宮です。出雲大社はお参りした時に説明を聞いたのですが、もう一つあるとは知りませんでした。

→ 古代史謎解き紀行3 九州邪馬台国編


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2006.07.18

古代史謎解き紀行2出雲編

 【書 名】古代史謎解き紀行2出雲編
 【著 者】関 裕二
 【発行所】ポプラ社
 【発行日】2006/4/11
 【ISBN 】4-591-09230-5
 【価 格】1300円



ヤマト編の続編で、今回の舞台は出雲です。

北九州勢力が関門海峡を経済封鎖し、ヤマトに鉄が流れないようにしていた時代があったそうで、鉄の争奪戦がありました。なぜ鉄の争奪戦が起きるかといえば、武器としての利用よりも農耕器具としての利用です。

農耕器具に鉄を使うと生産性が向上し、収穫が増えます。また米が安定的に収穫できることで人口が増えます。人口が増えると土地や水の奪い合いが始まり、戦争となり、強いリーダーが求められるようになります。

「農業は人類の原罪である」という言葉があるそうで、狩猟民族の方が好戦的というイメージがありますが、狩猟民は動物を取りつくすと自分たちも滅びるとセーブし人口爆発をとめますが、農耕民はそうはいきません。日本の場合、米つくりが盛んになると同時に倭国の大乱になっていきます。

さて、鉄についてですが古代史を巻き込んだ面白い考察になっています。出雲といってもいろいろな話が統合されたようで、推理小説のように解きほぐしていきます。

→ 古代史謎解き紀行2出雲編

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2006.07.14

古代史9つの謎を掘り起こす

 【書 名】古代史9つの謎を掘り起こす
 【著 者】関 裕二
 【発行所】PHP文庫
 【発行日】2006/6/19
 【ISBN 】4-569-66645-0
 【価 格】476円



この頃、関裕二氏の新刊がよく出ており、出るそばから買っております。

・神話に封印された謎
・迷宮入りしてしまった邪馬台国の謎
・ヤマト建国の謎
・浦島太郎とアメノヒボコの謎
・雄略天皇と継体天皇の謎
・聖徳太子の謎
・蘇我入鹿の謎
・壬申の乱の謎
・聖武天皇の謎

太秦の広隆寺に聖徳太子33歳像の本尊がありますが、平安時代から天皇の儀式に用いた服を、儀式のあとに天皇から贈られ続けています。この奇妙な儀式ですが、御袍御更衣(ごほうごこうい)之儀式と言い、現在も続いています。

なぜ、こんな儀式が続いているのか、藤原氏とどんな葛藤があったのかなど9つの謎が語られています。

→ 古代史9つの謎を掘り起こす

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2006.06.23

馬・船・常民

 【書 名】馬・船・常民 東西交流の日本列島史
 【著 者】網野善彦、森浩一
 【発行所】河合出版
 【発行日】1992/05/15
 【ISBN 】4-87999-080-9
 【価 格】1800円



考古学で著名な網野善彦氏、森浩一氏の対談集です。対談では、こんな事例がある、それなら資料にこんな記録があると次々と止め処なく、いろいろな事例が出てきます。出てくるということは全部、覚えているんでしょうね。

そういえば梅棹忠夫先生とたまにお話する機会があるのですが、質問すると質問したことの周辺領域も含めていろいろなことを教えていただけます。梅棹先生は目が悪いのでメモを見るわけにはいきません。つまり全部頭の中に整理されて入っています。森氏や網野氏も同じで、全部頭の中に入っているんでしょうね。

・摂関家で、罪に問われた人は「厩に下す」ということで厩が牢獄だった時代があります。

・楠正成は北条氏の家来だった?
楠氏は武蔵国の住人で、河内の和泉に所領をもらってい移り住んだそうで、つまり北条氏の家来だったようです。

・パソコン通信などの匿名文化は平安時代から
平安時代から実名を使わず四郎、三郎などの仮名(けみょう)が使われています。実名は簡単に名乗らず、例えば主従関係を結ぶような場合に実名を書いて主人になるべき人に渡すようなことを行います。

名前で支配されるとは「千と千尋」の映画のようですね。パソコン通信などでハンドル名が使われてるのは、こんなところに根源があるかもしれません。

→ 『馬・船・常民』

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2006.06.14

卑弥呼はふたりいた

 【書 名】卑弥呼はふたりいた
 【著 者】関 裕二
 【発行所】ワニ文庫
 【発行日】2001/7/5
 【ISBN 】4-584-39129-7
 【価 格】590円



週末に津から東大阪へ戻る途中に八木駅があります。京都-橿原神宮と伊勢-難波が交わる駅で、近鉄特急の時間待ちのためにホームにある本屋(若草書店)にいつも立ち寄っています。

飛鳥や三輪山がすぐ近くというせいか、よく古代を扱った歴史物を平積みしていますが、これもその1冊です。

邪馬台国の時代に、魏志に載った国ともう一つ別の国があり、そちらにも女王(神宮皇后)がいたのではないかと実に壮大な内容です。

鳥越憲三郎氏の邪馬台国東遷説とも違い、けっこう面白い論です。

→ 『卑弥呼はふたりいた』

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2006.05.20

古代史謎解き紀行1ヤマト編

 【書 名】古代史謎解き紀行1ヤマト編
 【著 者】関 裕二
 【発行所】ポプラ社
 【発行日】2006/3/8
 【ISBN 】4-591-09192-9
 【価 格】1300円



古代史にまつわるドラマを軸に奈良を紹介していますが、一連の著者の本と違い、エッセイ風になっていて気軽に読めます。

例えば奈良の名物旅館であった日吉館に20年前に泊まった話が出てきます。八畳ぐらいの部屋に10人ほどが相部屋で雑魚寝する変わった旅館ですが冬というのに暖房設備はなく、おまけに古い建物ですきま風も入ってきます。

消灯時間近くに仲居のおばちゃんが「湯たんぽ」を売りに、常連客が次々に買うので著者も買いますが、著者の有人は「湯たんぽを売りにくる宿がどこにある」と笑い転げて買わずじまい。奈良の底冷えで悲惨な一夜をおくることになります。

■竹取物語
藤原氏の全盛を嘆く貴族が、藤原氏をこき下ろすのが目的で竹取物語が書かれたという話は有名ですが、実在の人物の名前を書いていたんですね。しかも江戸時代の国学者・加納諸平が既に指摘していたそうです。

かぐや姫に求婚する殿方
・石つくり(作)の御子
・右大臣あべのみむらじ
・大納言大伴のみゆき
・中納言いそのかみまろたり(石上麻呂足)
・くらもちの皇子

古代の官僚名簿「公卿補任」の文武5年(701)にそっくりな名前が出てきます。
・左大臣多治比嶋(たじひのしま)
・右大臣阿部御主人(あべのみむらじ)
・大納言大伴御行(おおとものみゆき)
・大納言石上麻呂(いそのかみのまろ)
・大納言藤原不比等

3人はそっくりですが、多治比嶋は一族に石作氏がいたそうです。
くらもちの皇子は藤原不比等の母親が車持氏(くるまもち)の出身で、語呂が似ているからここから隠語的に使ったのではという説です。藤原の全盛期にあからさまにはできなかったようで。

→ 『古代史謎解き紀行1ヤマト編』

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2006.04.13

検証邪馬台国論争

 【書 名】検証邪馬台国論争
 【著 者】関 裕二
 【発行所】ベスト新書
 【発行日】2001/9/1
 【ISBN 】4-584-12016-1
 【価 格】680円



江戸時代から始まった邪馬台国論争の論点などを整理しながら紹介しています。

北九州説、大和説のそれぞれの論拠も分りやすく述べられています。今までの論争をふまえ筆者の考え方は大和説で展開しています。

近年、考古学的発見で出雲に巨大な権力が存在したことが、判明したことにより邪馬台国論争もまた新たな局面を迎えています。

それにしても邪馬台国は永遠のテーマですね。今までにどれだけの本が出たことか。

卑弥呼が魏からもらった金印が見つかれば一発なのですが

→ 『検証邪馬台国論争』

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2006.04.12

額田王の謎

 【書 名】額田王の謎
 【著 者】梅澤恵美子
 【発行所】PHP文庫
 【発行日】2002/8/18
 【ISBN 】4-569-66013-4
 【価 格】667円



「あかねさす 紫野行き標野行き野守り見ずや君が袖振る」

で有名な額田王ですが万葉集にたくさんその歌が載っている割には日本書紀にはほとんど記載がありません。天智天皇の奥さんだったのに不思議な話です。

額田王はどうも物部一族だったようで、彼女を歴史から消し去ったのは持統天皇のようだとこの本では述べております。

正史として残るのは常に勝者の歴史ですので、実際は伝わっていない英雄などたくさんいるんでしょうね。

→ 『額田王の謎』

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2006.02.24

「海底遺跡」超古代文明の謎

 【書 名】「海底遺跡」超古代文明の謎
 【著 者】奈須 紀幸
 【発行所】講談社アルファ文庫
 【発行日】2005/11/20
 【ISBN 】4-06-256979-5
 【価 格】838円



与那国島の海底遺跡が話題になりましたが、同じように世界中の大陸棚からいろいろな海底遺跡が見つかっています。

1万年ほど前、現在よりも海外線は100メートルほど低く、河口近くや海岸などに作られた当時の街は水位の上昇と共に海に沈んでしまいます。これが世界中に残る洪水伝説になっていきました。

■アトランティスが見つかった
プラトンがエジプトの神官から教えられたアトランティスですが、ジブラルタル海峡の西にあると記述されています。また大いなる土地と書かれ、大陸というのは誤訳でした。そのジブラルタル海峡のすぐ西に深さ50メートルに沈んでいる島があり、これがアトランティスではないかというのが最新の説です。

インダス文明も急にあのような文明が登場したのではなく、カンベイ湾内に約1万年前の古代遺跡が眠っていることが発見されています。文明の歴史はますますさかのぼりそうです。

 → 「海底遺跡」超古代文明の謎

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2006.02.09

鬼の帝 聖武天皇の謎

 【書 名】鬼の帝 聖武天皇の謎
 【著 者】関 裕二
 【発行所】PHP文庫
 【発行日】2006/2/17
 【ISBN 】4-569-66474-1



この著者の本は出るたびに買っています。古代史を全然違った目から見れて、なかなか面白いですね。

今回は聖武天皇がテーマですが、発端は乙巳の変にさかのぼります。改革派だった蘇我入鹿、蝦夷が暗殺されますが、陰で糸をひいていたのが藤原鎌足です。この鎌足ですが、百済から人質で送られてきていた王子・豊璋という説があります。

そうなると蘇我などの豪族はもともと百済に滅ぼされた伽耶との結びつきが強かったので、乙巳の変は蘇我氏が専横が原因という国内問題でなく国際情勢が原因になってしまいます。天智天皇は新羅を復活させるために白村江の戦いで大敗してしまいますが、その伏線がこんなところにあったようです。

もう一つ壬申の乱がターニングポイントになっています。藤原広嗣の乱が起きた時に聖武天皇が名張から鈴鹿、桑名、不破の関と奇妙な行動をとり、ノイローゼだったのではという定説がありますが、どうもこれは天武天皇が行った壬申の乱をもう一回やってもいいんだぞという藤原氏へのメッセージだったようです。天武天皇とまったく同じコースをたどっています。

その後、平城京の北東にある恭仁宮に遷都します。なんでこんな辺鄙なところにというような山の中です。これは藤原氏の支配下にあった平城京をいつでも北から攻めるぞという位置にありました。そう言われると一山超えれば奈良ですし、高地から攻められ、また恭仁宮は天然の要害になりますので確かにそうですね。なかなか楽しめる一冊です。

聖武天皇は藤原氏の手の上にあった天皇というイメージが強いのですが、だいぶ違うようですね。それよりも光明子が実は藤原を裏切っていた側面もあり、仲麻呂をうまく信用させて東大寺の正倉院に宝物を封印しますが、この時に武器も納入されました。この武器は仲麻呂(恵美押勝の乱)で使われます。また封入された聖武天皇の遺品や宝は藤原氏に略奪されず現在に伝わっています。

→ 『鬼の帝 聖武天皇の謎』

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2006.01.25

正倉院よもやま話

 【書 名】正倉院よもやま話
 【著 者】松嶋 順正
 【発行所】学生社
 【発行日】1989/06/05
 【価 格】1730円



正倉院で働いている筆者による正倉院に関するよもやま話です。

正倉というのは諸国から納められた雑物(正税)を納める倉です。この正倉、いろいろなところにありましたが火災でよく消失しました。

どうも管理している国司などが、正税の不正支出を隠すために神火などと称して放火していたようです。結局、残ったは東大寺の正倉だけになりました。

正倉院の院は正倉のある一廓を意味し、現在では正倉院と言えば東大寺の正倉を指すようになります。

正倉院には大仏開眼(天平勝宝4年4月9日)で使われた物が多く納められています。この開眼日ですが最初は4月8日を予定していましたが、なぜか1日ずれたようです。

文豪の森鴎外ですが、大正6年に帝室博物館総長に任ぜられ、正倉院の最高責任者でもありました。いつもは和服ですが宝庫の開封には勅使を迎えてフロックコートにシルクハットの礼服だったそうです。大正11年に亡くなるまで勤めていたそうです。

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2005.11.28

旅の古代史

 【書 名】旅の古代史
 【編 者】森浩一、門脇禎二
 【発行所】大巧社
 【発行日】1999/11/15
 【ISBN 】4-924899-38-0
 【価 格】2300円



1998年11月に愛知県春日井市で開催されたシンポジウム「古代を歩く 旅と道」をまとめた本です。

古代、直線でまっすぐ続く幹線道路が整備され、大化の改新の時には駅馬(はいま)、伝馬(つたえうま)の制度ができています。やがて中央集権が崩れて道は埋もれてしまいますが、江戸時代、五街道が整備され、道の場所は違いますがまた復活します。

万葉集の頃の東海道は鳥羽から神島経由で伊良湖岬に渡るコースだったようです。つまり東海道は尾張を通らず、東山道が尾張を通っていた説があります。

関西、関東の語源となる鈴鹿関(鈴鹿市)、不破関(関が原)、愛発関はどこにあったのかまだよく分かっていません。

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2005.11.25

完全踏査 古代の道

 【書 名】完全踏査 古代の道
 【著 者】武部 健一
 【発行所】吉川弘文館
 【発行日】2004/10/1
 【ISBN 】4-642-07932-7
 【価 格】2600円



筆者は建設省などで高速道路の計画や建設に従事していた方で、不思議なことに高速道路の近くに国分寺があることが多く、そこから古代の道に興味をいだくことになります。やがて畿内・東海道・東山道・北陸道を現地調査してまとめた本になっています。

古代の道というとなんか細い道を想像しますが、そんなレベルではなく奈良時代には道幅は12メートルもありました。しかも何十キロにもわたっての直線道路でした。約16キロごとに駅屋(うまや)が整備され、壮大なネットワークが日本中に構築されていました。

北は蝦夷との境である秋田城や志波城まで、南は薩摩まで整備されていました。

高速道路の計画距離が北海道をのぞくと約6500キロで古代の道の総延長も6500キロでほぼ一致します。調べてみると高速道路と古代の道のルートが奇妙なことによく一致し、また昔の駅屋の近くがインターチェンジになっていることも度々ありました。

高速道路を計画する時にある地点とある地点を結ぶという大局な視点とバランスよくインターチェンジの配置が必要となり、これは古代でもまったく一緒だったようです。

やがて中央集権が崩れると古代の高速道路もだんだん消えていきました。

→ 『完全踏査 古代の道』

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2005.08.09

消された王権・物部氏の謎

 【書 名】消された王権・物部氏の謎
 【著 者】関 裕二
 【発行所】PHP文庫
 【発行日】2002/3/15
 【ISBN 】4-569-57707-5
 【価 格】514円



日本書紀などの矛盾点を中心に、隠された歴史を読み解く内容になっています。知的好奇心を刺激される1冊ですね。

奈良の町を歩いていると不思議なことが多いですからね。

例えば、桜井から山之辺の道に入ると、古代の大きな市であった海柘榴市(つばいち)があり、このあたりが最初の大和朝廷の成立したあたりだと言われています。

つまり皇室の故郷みたいなところなのですが、ここにある神社と言えば、日本最古の神社と言われている大神神社です。

神社に祭られているのは大物主大神、大己貴神、少彦名神と確か、大和朝廷が倒した出雲の神さんばかりです。「なんで出雲の神さんが?」ですよね。

しかも、天照を祭った檜原神社が、大神神社境内の端っこにある摂社で、ここが伊勢神宮の故郷で、元伊勢と呼ばれています。天理から山之辺の道を歩くと大神神社に入る入口の小高い丘にある実にこじんまりした神社です。

それにしても、なんで自分とこの神さんではなく、違う神さんを一生懸命、祭っているのか不思議ですよね。

というわけで蘇我や物部の消された歴史を、色々と解きほぐしています。

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2005.04.12

大いなる邪馬台国

 【書 名】大いなる邪馬台国
 【著 者】鳥越 憲三郎
 【発行所】講談社
 【発行日】1975/5/30
 【価 格】980円 古書値 400円



鳥越憲三郎氏の「神々と天皇の間」「古事記は偽書か」は割と古本屋に並んでいますがこの本は全然見かけませんでした。

出版された当時はよく売れたようですが、古本屋さんにあまり売る人がいなかったのか、そんなに値段がつけられるものでもないので古本屋さんが買わなかったのか、見かけませんでしたね。京都で10軒ほど回りましたが全然駄目でしたね。

先日、東京へ出かけた時にそういえば神田古書センターで土曜日は大概、古書市を開催しているなと思い行ってみるとやっておりました。入口で荷物を預けて会場に入ると、しばらく行ったところにポンと置いてあるではありませんか! 

探し始めて、1年ほどでついに発見です。価格は400円でした。まあ妥当な根付けなんでしょうね。

鳥越氏は邪馬台国東遷説ですので前作と同じように九州の博多近くにいた物部氏が東に向い、大阪から奈良に入り、邪馬台国を作ったが神武天皇に象徴される葛城王朝にたおされて滅亡する話です。

尾張国の尾張氏の系譜になかなか面白い部分があります。最初が物部氏の系譜で後は尾張氏の実際の系譜なんですが、尾張氏は物部氏とはもともと血縁関係は無く(後で物部の分家とできたようですが)、由緒のある氏族の系譜を借りて、自分らの地位をあげる操作をしていたとあります。

物部氏の系譜を借りていたようです。ただ系譜をくっつける所に3代ほど入っているのが日女命、弟彦命、止与命とかで、これは滅んでしまった物部本家のようです。

ここらあたりは、今よく売れている関裕二氏の説とは全然違いますね。

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2005.04.03

古都発掘

 【書 名】古都発掘
 【著 者】田中 琢編
 【発行所】岩波新書
 【発行日】1996/11/20
 【ISBN 】4-00-430468-7
 【価 格】660円



よく近鉄電車で八木で乗り換えて伊勢の方へ行きますが、ランドマークとなるのが耳成山です。この山から南側の飛鳥にむかって広がっていたのが藤原京です。

また西大寺でよく乗り換えますが、このあたりは平城京の都があったところです。この二つの古都について書かれた本です。

●藤原京という名前はない
「藤原宮」という言葉は文献に出てきますが「藤原京」という言葉はありません。当時は「京」や「京師」と普通名詞で呼んでいたそうです。藤原京というのは歴史家の喜田さんが提唱された名前で、これが通称になっています。

●日本書紀の書かれた時期
「評」「郡」はどちらも「こおり」と読み昔の地域の単位でした。「評」は701年の大宝令が施行されるまで使われ、この後は「郡」となることが木簡から確かめられたました。

ところが日本書紀の大化の改新の詔の記述には「郡」が使われており、これは日本書紀を編纂した時の知識によって書いていることになり、日本書紀も注意して読まないと駄目ということが分かったそうです。

●平城京は「へいじょう」ではない。
「へい・じょう」は漢音、呉音の組み合わせでありえず、本当は「ヘイ・ゼイ」か「ヒョウ・ジョウ」のいずれかで呼んでいたはず。

●朝礼、朝廷
平城京では儀式があると、朝庭と呼ばれる広場に整列し、夜明けと共に朝堂の席につき執務をしました。朝礼や朝廷という言葉はここからきているそうです。

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