2026/09/14

増補決定版 謎の大王継体天皇

 【書 名】増補決定版 謎の大王継体天皇
 【著 者】水谷千秋
 【発行所】文春新書
 【発行日】2026/08/20
 【ISBN 】978-4-16-661540-7
 【価 格】1,200円

■飯豊天皇
即位したかどうか不明 仁賢天皇、顕宗天皇への繋ぎで即位した可能性があります

■訳語田幸玉宮(戒重)
敏達天皇の宮を造るにあたって海部王、絲井王の宅地だtっところを占わせたところ吉と出たので造営することになります。

■反継体勢力
葛城氏には二系統あり葛城南部に勢力をもった玉田宿祢の系統が反対していたようで北部に勢力をもつ葦田宿祢の勢力はそのまま存続します。継体天皇の大和入りを助けたのが蘇我氏で、この後に蘇我氏が台頭してきます。

■磐井の乱
継体天皇が即位して20年がたち、政権内部が一本化できたこともあり、物部、大伴氏の軍を派遣して九州に攻め込みます。もともと有明首長連合と大和政権は手を組んでおり阿蘇ピンク石の石棺が近畿各地で見つかっています。ところが自立化する動きをみせていたことが攻撃の遠因となります。
朝鮮半島にあった前方後円墳は磐井の乱が制圧された頃から造られなくなります。自分たちの出身地の盟主が大和政権に制圧されたため後ろ盾を失ったようです。

■万世一系
983年に入栄した日本の僧が、栄の太宗に日本では初代以来64代の天皇が世襲し、臣下の官僚も世襲していると報告しているところから万世一系の思想は平安時代中期ぐらいに存在していました。

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2026/08/05

吉備の古代史

 【書 名】吉備の古代史
 【著 者】今津勝紀
 【発行所】吉川弘文館
 【発行日】2026/08/01
 【ISBN 】978-4-642-30643-0
 【価 格】1800円

■浦間茶臼山古墳(岡山市東区)
箸中山古墳の1/2規格で後円部が3段で構成されている
造山古墳 - 誉田山古墳
作山古墳 - 上石津ミサンザイ古墳
と関連がありそう

■和珥氏と同祖
春日臣、大宅臣、粟田臣、小野臣、柿本臣、大坂臣、伊勢飯高臣、近淡海国造など

■キサキ
吉備とタニハから多くのキサキを出しているが出雲は出ておらず、吉備やタニハに対して出雲の地位が一段低かったもよう

■ミノ
ヤマトの王の接頭語「ミ」にノがついたもので王のための野からきている。

■三重県主
御野県主神社(若江) 八尾市北東部~東大阪市南東部が本拠地

■鬼ノ城
1971年の山火事で発見。山城とともに各地に烽火台も整備された

■壬申の乱
大友側は筑紫と吉備の兵力動員をはかりますが、大津道、丹比道から近江軍が押し寄せたため吉備から動員された兵力が参加した可能性があります

 

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2026/07/18

飛鳥・藤原の宮都

 【書 名】飛鳥・藤原の宮都
 【著 者】来村多加史
 【発行所】NHK出版
 【発行日】2026/05/10
 【ISBN 】978-4-14-082011-7
 【価 格】1,800円

■猿石
江戸時代に字ツクエから出土。欽明天皇陵・濠のすぐ横でカナヅカ古墳、鬼の俎・雪隠に通じる道です。鬼の俎・雪隠は単体ではなくニ基一対の双墓だったようです。

■織女
倭王武(雄略天皇) 南朝の使者が機織りの集団を率いて来日。住まいとして提供されたのが呉原(キトラ古墳のちかく)

漢織-飛鳥衣縫部
呉織ー伊勢衣縫部
の祖先になる

■大道
推古天皇は小野妹子を隋に派遣しましたが答礼使がくることを考えていなかったようで、その後に大道(難波大道、竹内街道、横大路)を整備します。

■伽藍
サンスクリット語のサンギャラマ(僧の修行場)に由来します

■赤埴山
神武天皇が大和を平定するために、この地の粘土で「八十のひらか」を焼きます

■今井町・小網(しょうこ)町
壬申の乱で大伴吹負らが本営をかなえた金綱井の候補地

■藤原の由来
万葉集に出てくる藤井ケ原が語源

■中ツ道
1度傾いており、平城京の南限では133mずれています。本来は那羅山の裏山を測量地点にすべきが西にある大山守命那羅山墓にしたためにずれたようです。

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2026/06/25

空白の4世紀

 【書 名】空白の4世紀
 【著 者】瀧音能之
 【発行所】宝島社新書
 【発行日】2026/06/24
 【ISBN 】978-4-299-07819-3
 【価 格】1,264円

■空白の4世紀
西晋が滅亡し五胡十六国時代になり帯方郡を高句麗がおさえていたためルートがなくなり中国王朝との外交手段を失いました。台与と男王の次を担ったのが10代崇神天皇で独自路線による国内統治をスタートしたようです。崇神天皇の陵と考えられる行燈山古墳から内行花文鏡の原器のようなものが発見されており、中国産の銅鏡を威信財といて用いた台与政権から崇神天皇は銅鏡の国産化に踏み切ったようです。

■張政
狗奴国との戦争では軍事顧問として張政が邪馬台国に来ていましたが、台与の時代には狗奴国も連合政権に参加したようで張政を帰国させています。中国王朝の後ろ盾がそれほど必要でもなくなりました。

■古墳の段築
主系統-後円部と前方部の段数が同じ 箸墓古墳4段、他は3段 箸墓、行燈山、西殿塚
副系統-後円部3段、前方部2段 桜井茶臼山、メスリ山、渋谷向山

後円部3段、前方部3段だと9パターンをあらわすことができる

■ホケノ山古墳
九州にある平原1号墓から内行花文鏡が出土しており、ホケノ山古墳からも出土していることから土木技術(ハード)は吉備が提供し、祭器などソフト面は北部九州が担ったようです。北部九州は干ばつや洪水などが頻発していたため太陽信仰がすすんだようです。

■桜井茶臼山古墳
204メートルで後円部が3段、前方部は2段で土を盛らず丘陵を削り出して作られていました。

■蛇行剣
富雄丸山古墳から発見された蛇行剣は6ケ所で曲がっているようで七支刀をモデルにしたようです。蛇行剣は60基ほどの古墳から出ていますが地名が物部氏との関連があり、富雄丸山古墳の被葬者は物部氏の可能性があります。九州南部と宇陀で出土例が多く、宇陀が石上神宮の祭き圏です。ニギハヤヒは南九州の隼人とすると隼人の移住地に「トミ」の地名が多いのが特徴です。

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2026/06/12

継体天皇 六世紀に現れた世襲王権の「始祖王」

 【書 名】継体天皇 六世紀に現れた世襲王権の「始祖王」
 【著 者】河内春人
 【発行所】中公新書
 【発行日】2026/05/25
 【ISBN 】978-4-12-102910-2
 【価 格】1,000円

■北陸集団
太田茶臼山古墳は古市古墳群の誉田御廟山古墳、墓山古墳、市野山古墳が同じ形で北陸集団は古市集団と近い存在だったようです。北陸集団と古市集団が連携し百舌鳥集団に対抗していたかもしれません。五世紀なかばに北近江に拠点をもっていた北陸集団は淀川水運を活用して瀬戸内と結ぶために、三島の有力集団とのつながりをもったようです。また忍坂とも縁があったようです。

■皇統譜
古事記、日本書紀の皇統譜が一致しているため、共通の原史料をベースにしているようである。

■五世孫
継体天皇は応神天皇の五世孫ですが、律令国家では「親王(天皇の兄弟、皇子)から数えて五世の者は王を名乗っていても皇親とは扱わない」となっていました。

■前方後円形古墳
栄山江領域に十数基が見つかっていて日本の前方後円墳風になっています。

■ミコトモチ
朝鮮半島に大和政権に、その意向を伝達する人を派遣しており、「ミコトモチ」と呼びます。折口信夫は「ミコト」は「御言」で神(天皇)の言葉であり、これを伝達するのがミコトモチ(御言持ち)です。国司は「クニノミコトモチ」となります。

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2026/05/23

古代史の真実

 【書 名】古代史の真実
 【著 者】武光 誠
 【発行所】青春新書
 【発行日】2026/05/15
 【ISBN 】978-4-413-04748-7
 【価 格】1,120円

■漢字
弥生時代中期などの再調査から硯らしきものが見つかり紀元前200年頃から日本に漢字を使いこなしていたようです。

■倭国大乱
181年 ニュージランド北島のタウボ火山が噴火し、寒冷化となり中国では黄巾の乱が起き、日本では倭国大乱となりました。

■七支刀
百済の王子が倭王の旨(し)のために、、この優れた刀を造る とあり、応神天皇の実名が「イササワケ」でこの「ササ」を「旨」と表記した説があります。

■小和田古墳
難波と飛鳥を結ぶ巨勢道に沿って平行に築造されています。一尺が35.6cmとする高麗尺が使われており小和田古墳は縦横400尺となり、菖蒲池古墳は縦横200尺で造られています。

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2026/05/05

大安寺の歴史を探る

 【書 名】大安寺の歴史を探る
 【著 者】森下惠介
 【発行所】東方出版
 【発行日】2016/07/01
 【ISBN 】978-4-86249-262-3
 【価 格】1,400円

■熊凝精舎
大安寺の租は聖徳太子の熊凝精舎ですが、平端にある額安寺(額田寺)が熊凝精舎との説があります。額田寺は額田氏の氏寺で奈良時代に大安寺を造営した道慈が額田氏の出身で額田寺を額安寺という名に改めたのも道慈と言われていますが鎌倉時代から言われ始めたところで、本当はどうか分かりません。

■百済大寺
舒明天皇がつくった百済大寺は吉備池廃寺が有力視されています。天武天皇は百済大寺を移して高市大寺を造営します。場所は雷丘北方にあるギヲ山西遺跡が濃厚です。文武天皇の時代に大官大寺が造立されますが金堂、講堂ができ塔などを建築中に炎上してしまいました。藤原京から平城京に遷都しますので平城京に新たにつくることになり、これが大安寺になります。

■古代のお寺は名前が2つ
飛鳥寺(法興寺)、斑鳩寺(法隆寺)、川原寺(弘福寺)

大官大寺、飛鳥寺、川原寺、豊浦寺、坂田寺 で寺院の筆頭でした。

■道慈
唐から日本に戻り大安寺造営に関わることになります。大官大寺を再建する計画でしたが、既に塔よりも多数の僧侶を養成すせる僧房を充実させることが唐のトレンドでしたので、計画を見直して建築します。また普照と栄叡を唐に派遣して戒師を招聘させます。これが鑑真の来日につながります。またインドの菩提僊那など外国人講師を招いて僧侶養成を行い空海らも修行していたようです。

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2026/04/30

飛鳥の遺跡を知る

 【書 名】飛鳥の遺跡を知る
 【著 者】明日香村教育委員会
 【発行所】雄山閣
 【発行日】2026/02/25
 【ISBN 】978-4-639-02739-3
 【価 格】2,400円

■狂心渠(たぶれごころのみぞ)
酒船石遺跡東側の谷-飛鳥池東方遺跡-現在の「中の川」ー山田道を横断-奥山廃寺の西-大官大寺を東から北へ回り込んで北上-木之本廃寺の東-横大路沿いの米川に合流-下ツ道んい東側溝から布留川を遡って豊田山へ

■飛鳥
舒明天皇の飛鳥岡本宮、皇極天皇の飛鳥板蓋宮、斉明天皇の後飛鳥岡本宮が重複しています

■東漢氏
漢(あや) 伽耶諸国にあった安羅(あら)の国名と一致し、安羅出身ではという説があります。西漢氏にも安羅出身者がいます。

■飛鳥の玄関口(今城谷)
カナヅカ古墳、鬼の俎、雪隠古墳、野口王墓古墳が東西一直線に造営され斉明天皇の血族による皇族が葬られているとみられています。梅山古墳(欣明天皇陵)は飛鳥の始祖王墓と考えらえ紀路から飛鳥に入る平田キタガワ遺跡に苑池をつくり一角に猿石などを配置したようです。
野口王墓古墳は東西軸と藤原京朱雀大路が交差するところにつくられています。

越智丘-牽牛子塚古墳、越柄御門古墳は独立して作られ、八角墳があるのは今城谷と越智丘の2ケ所だけです。

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2026/04/10

ここまでわかった聖武天皇の宮

 【書 名】ここまでわかった聖武天皇の宮
 【著 者】奈良文化財研究所、大阪歴史博物館
 【発行所】吉川弘文館
 【発行日】2026/03/01
 【ISBN 】978-4-642-08493-2
 【価 格】2,000円

■平城京
疫病 天平7(735)年~平成9年
聖武天皇の王権の正当性に大きな打撃を与えます。精神的に穢れてしまった平城京ではなく恭仁京、紫香楽宮へと遷都します。仏教で国を守ろうと紫香楽で大仏の塑造をつくりはじめましたが美濃を中心とした地震で壊れてしまいました。そこで平城京でつくることになりますが大極殿は恭仁京に移してしまったので今までの東側に第二次大極殿をつくりリニューアルします。これで穢れがなくなったと考えました。

東大寺には68mの塔が建てられ、平城京からよく見えました。廬舎那仏が平城京を見守るので清浄化されたと考え、聖武天皇は平城京に戻ります。

二条大路のごみ捨て場から木簡などが大量に出て、疫病は長屋王の祟りと考えられ、穢れたものを捨てていました。実際は遣唐使が疫病を持ち込んだようで、山陽道からきた疫病に帰ってくれという呪符も見つかっています。

第一次大極殿は710年の遷都時にはなく、和銅3年の木簡が第一大極殿の地ならしをしている土から出土しました。

奈良京と書かれた木簡が見つかっており平城京は「ならのみやこ」と呼ばれていたようです。

■恭仁京
内裏西地区が最初に作られましたが北が少し東に傾いています。途中で設計変更されたようです。

■難波京
前期難波京は火事で全焼しましたが、そのまま保存されました。聖武天皇の時代に後期難波京が作られますが前期難波京の中心軸にあわせ、その範囲にあわせて作られました。

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2026/03/02

飛鳥の古代史

 【書 名】飛鳥の古代史
 【著 者】瀧音能之
 【発行所】宝島社新書
 【発行日】2026/02/24
 【ISBN 】978-4-299-07476-8
 【価 格】1,100円

■斑鳩宮
斑鳩宮の造営は601年で推古天皇が豊浦宮から小墾田宮に遷宮したのが603年で2つの宮はほぼ同時期に造営されました。厩戸皇子が斑鳩宮に移ったのは小墾田宮に遷宮した後の605年です。厩戸皇子は仏教と外交を担うことになり執政は蘇我馬子が中心でした。

■四天王寺
中国で作られた経典「月光童子」をモデルとしているようである。

■百済との関係
舒明天皇は飛鳥岡本宮へ遷宮します。翌年の631年に百済の義慈王の皇子である豊璋と善光が質(むかわり)として来日します。新たにきた新百済系渡来人と飛鳥の開発時からの渡来人とその子孫との間で軋轢があったようで、舒明天皇は飛鳥の外へ百済宮を造営することになります。

■古人大兄皇子
皇極天皇と古人大兄皇子の体制が発表される前に軽皇子が起こしたのが乙巳の変で蘇我本家をのぞき皇極天皇を退位させたことで古人大兄皇子を擁立する勢力を一掃できました。

■山背大兄王襲撃
蘇我氏にはメリットがなく皇極天皇の命令だったようですが、事件の前月に蘇我蝦夷が病となり入鹿が大臣になりますが、なったばかりで皇極天皇は汚れ仕事をやるかどうか試金石の形で命じたのでは

■運河
飛鳥東垣内遺跡からは幅10M、深さ1.3Mの大溝が発見されています。

■白村江の戦い
豊璋が百済再興に尽力した鬼室福信を処刑してしまい、また唐は義慈王の子である隆を擁立し百済王族が加わったことで百済・倭軍は動揺することになります。

■信濃宮
天武天皇は飛鳥、難波以外に信濃にも有事の際の都を考えていたようで行宮が作られました。ただ686年の前期難波宮が火災にあったことから頓挫します。

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