2021/10/23

倭国 古代国家への道

 【書 名】倭国 古代国家への道
 【著 者】古市 晃
 【発行所】講談社現代新書
 【発行日】2021/09/20
 【ISBN 】978-4-06-525791-3
 【価 格】1100円


■日下
仁徳天皇の子供が大日下王、若日下女王で王族が住む居地が河内の日下にあったようです。


■吉備
白猪(しらいの)屯倉-蘇我稲目が吉備に赴き差配を行っている。


■播磨
天日槍命(あまのひぼこのみこと)と伊和大神が揖保川流域で争い勝利を収めた模様

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2021/06/03

風土記から見る日本列島の古代史

 【書 名】風土記から見る日本列島の古代史
 【著 者】瀧音能之
 【発行所】平凡社新書
 【発行日】2018/06/15
 【ISBN 】978-4-582-85883-9
 【価 格】820円


■風土記が作られた理由
正史の一部門として地理的要素が必要で、日本書紀、古事記以外に地理書として成立したもので正史の「志」にあたる部分。漢書地理志で有名である。風土記を編纂することで天皇の支配がすみずみまで及んでいることを確認し公表するためのものである。


ただし「風土記」という言葉がつけられたのは平安時代の頃で菅原道真のライバルだった三善清行が風土記という言葉を使っており、これが最古の例で、この頃から使われだしたようです。作られた当時は下級官庁から上級官庁に提出する解(ゲ)【解文】として出されました。


■2月30日
全国で60ほど作られたという風土記ですが、ほぼ完本として残っているのは出雲国風土記です。誰がいつ作ったかも書かれていて書いたのは秋鹿郡の人である神宅臣金太理という人物。


書かれたのが天平5年(733年)2月30日です。実はこの日付が問題となって偽書説まで出ましたが、正倉院から2月30日付の文章が発見され、奈良時代に2月30日があることが分かりました。


■浦嶋子
浦島太郎のモデルです。丹後国風土記では舞台が与謝郡で在地豪族である日下部首の先祖になっています。舞台はいろいろで住吉や余呉湖などがいろいろです。

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2021/04/30

古代日本の官僚

 【書 名】古代日本の官僚
 【著 者】虎尾達哉
 【発行所】中公新書
 【発行日】2021/03/25
 【ISBN 】978-4-12-102636-1
 【価 格】840円


日本人は勤勉と言われていますが、遅刻、欠席、代返、職務放棄は当たり前。元日、朝賀儀という需要儀式にも官人がたくさん無断欠席していました。


■正倉院文書
淡海金弓という写経生は5日間の休暇をとり、休暇後も出仕せず、突如病気になったと欠勤届を出しています。この当時から詐病や不正休暇が多かったようです。また郡司に任用されても、すぐに辞退してしまいます。一度、郡司に任命されると辞任後を官人身分を保証されるため中央官人への抜け道になっていました。


古代からそうだったようで舒明天皇の時に出勤時間を守らないものが多いので鐘で時刻を知らせるように労務管理を始めようとした時、反対したのが蘇我蝦夷。問題するには及ばないと判断したようです。さぼったとしても多めにみることが多く、罰則が厳しくなかった世界でした。儒教などが入ってくるまでは、ゆるい考え方でした。


818年の嵯峨天皇時代には少しはましになったようですが、朝賀に出てきた官人が儀式を知らないため、バラバラの所作に。嵯峨天皇は、まず予行演習せよと命じます。元明天皇も律令を学んでいない官人が多いので勉強せよと命じています。


■天皇に対する畏怖が少なかった
桓武天皇が少納言からあがってくる奏上の紙が悪臭を放つものが多いので何とかせいと少納言を叱責しています。部下から奏上があがってきますが、とりあえず奏文さえ出せばよいと官人は考えており、天皇への畏怖などはなかったようです。


■宴席にもぐりこむ
遅れてきて宴席にもぐりこむものがいて、天皇主催だと最後に恩賜の品が出たので、これが目当てでした。そこで門に近衛府の官人が動員され不届きものを排除していました。また宴席前の儀式はさぼって宴席から出席するものもたくさんいました。守らせるためにいろいろと規制はしますが、刑罰もあまく、厳しくしても、すぐにきつすぎるという声があがってなしくずしになります。


■勤務評定(考選法)
768年(天武7年)に考選法が布告されます。官人の勤務評定と昇進を定めた法です。ただし対象は下級官人でしたが、どんなに頑張っても「大山上」を超えることはできませんでした。これが勤務評定の始まりになります。


 

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2021/04/17

決定版 古代史の謎は海路で解ける

 【書 名】決定版 古代史の謎は海路で解ける
 【著 者】長野 正孝
 【発行所】PHP文庫
 【発行日】2021/02/16
 【ISBN 】978-4-569-90009-4
 【価 格】880円

「古代史の謎は海路で解ける」を加筆・再編集したものです。

■古代船は平底
赤間、水間、船越という地名がついているところは狭水道、分水嶺などで船をひいて進んでいました。宗像大社近くに赤間があり、邪馬台国の時代は海が内陸に入り込んでおり、赤間には船曳道がありました。

■曹操の運河
天津港から洛陽に向けて黄河(暴れ川)と離れた地域に運河を作っていました。洛陽までは約600kmで邪馬台国からの使者もこの運河を使って都へ行ったようです。曹操は軍船を投入し兵や食料を運んだ兵站に優れていました。

■郭務?
白村江の戦いで破れたあと、郭務?が百済の難民2000人をひきいて来日したと記録されていますが、47隻の艦隊を率いて筑紫や大宰府を占領します。これが671年11月。港が占領されたのか唐津、唐戸、唐泊という地名となった可能性があります。12月に天智天皇が亡くなり、672年5月に退去します。翌月6月に壬申の乱が発生しますが、何らかの関係があったのでしょう。

■対馬海峡
神功皇后が東松浦半島から対馬に渡っていますが潮にのれば対馬に行きやすかったからです。秀吉の朝鮮侵攻でも名護屋城は東松浦半島に造られました。対馬には一番狭いところで140mしかない小船越という地峡があり、船が島を回らなくても東と西を結ぶ船曳道がありました。対馬では幕末にポサドニック号事件が起き、ロシアに一時占領され群港が造られはじめましたが、イギリス公使オールコックが仲介に入り立ち退かせました。

■琵琶湖の水運
古代は水運が重要なため近江を抑えるのが一番でした。敦賀-長浜の峠越えの陸送が問題なため、清盛も秀吉も運河を作ることを計画していました。江戸時代は小浜藩に命じて疋田舟川を建設させました。大津から京都へは急流の瀬田川は使えず逢坂山を超えることになります。欽明天皇の時代、越国に高句麗の大船が漂着し、狭狭波山(ささなみやま・逢坂山)に引き上げさせたとあります。

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2021/01/01

地形で読み解く古代史の謎

 【書 名】地形で読み解く古代史の謎
 【著 者】関裕二
 【発行所】PHP文庫
 【発行日】2020/12/15
 【ISBN 】978-4-569-90091-9
 【価 格】970円

■縄文時代 東日本の人口が多かった
縄文時代は東日本の人口が多かったのですが西日本では鬼界カルデラの爆発があり、火山灰が東北まで飛んでいたので、この影響があったようです。全国では10万5千人ほどですが東北19,200人、関東42,800人と60%を占めていました。

■和邇氏
氏族に春日氏や小野氏がおり、奈良市付近を拠点にしていましたが平城京遷都のあとに春日氏の聖地だった春日神社は藤原氏のものになってしまいました。

■仁徳天皇の治水工事
茨田の堤、浪速の堀江、丸邇池(大和)、依網池(河内)、小椅江(入江の整備)、墨江津の整備

■関東
栃木県-下毛野氏
群馬県-上毛野氏、車持氏
長野県-語源は河内の長野邑

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2020/09/05

邪馬台国は別府温泉だった

 【書 名】邪馬台国は別府温泉だった
 【著 者】酒井正士
 【発行所】小学館新書
 【発行日】2020/08/04
 【ISBN 】978-4-09-825376-0
 【価 格】840円

副題が「火山灰に封印された卑弥呼の王宮」。1里=77m、1000里=77キロと方向を考えて魏志倭人伝を元に考察しています。対馬海流があるので馬山から加徳島(かどくど)を経由して対馬へ。上対馬町の入江に着いて壱岐へ渡ります。次の末蘆国が問題で呼子あたりを想定していますが、これでは距離があいません。想定しているのが洞海湾沿岸。当時は水位が高く、急流だった関門環境を通らずにバイパスできるルートがありました。伊都国があったのが筑上町湊周辺、奴国は豊前市、不彌国は中津あたりに想定されます。距離や方向は魏志倭人伝通り。金印は奴国が侵略され落ち延びる時に隠したのではという説です。

ここから先、投馬国は分岐して宮崎市手前の都萬神社近くに比定しています。邪馬台国は別府にありましたが火山灰で埋まってしまいます。魏からの使者はいろいろと調べていたようで丹などの天然資源調査をしていたようです。卑弥呼の墓は宇佐神宮境内にある山で禁足地になっています。昔の調査では人口の山のようですので可能性は高いですね。

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2020/02/29

戦況図解 古代争乱

 【書 名】戦況図解 古代争乱
 【著 者】山岸良二
 【発行所】サンエイ新書
 【発行日】2020/02/11
 【ISBN 】978-4-7796-4135-0
 【価 格】900円

環濠集落での争いから後三年の役で源義家が台頭するまでについて記載されています。

■672年 壬申の乱
琵琶湖の東岸と西岸でも戦いが行われます。7月22日に羽田矢国が三尾城を攻略しますが、この三尾城の場所は分かっていません。


■807年 伊予親王謀反事件
桓武天皇と藤原吉子(藤原南家)との間に生まれたのが伊予親王で桓武天皇が没したあと、藤原氏の政争に巻き込まれます。807年、母親とともに謀反の罪で捕らえられて長岡京の川原寺に幽閉され、無実を訴えて毒を飲んで自殺します。他の南家勢力も排除し藤原北家が台頭することになります。

■810年 平城太上天皇の変
昔、日本史の教科書では「薬子の乱」と習いましたが、今は「平城太上天皇の変」というそうです。嵯峨天皇が平安京にいる時に位を譲った平成天皇は平城京を改修し遷都を命じます。これで嵯峨天皇と対立することになり結局は平定されてしまいます。

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2020/02/11

馬が動かした日本史

 【書 名】馬が動かした日本史
 【著 者】蒲池明弘
 【発行所】文春新書
 【発行日】2020/01/20
 【ISBN 】978-4-16-661246-8
 【価 格】900円

■黒ボク土
日本の31%を占めているのが黒ボク土。1万年前の縄文時代からあり、日本列島は森林だけではなく草原地帯が拡がっていました。農地利用が難しく放牧地として活用されました。この黒ボク土の分布と武士が地盤としていた分布がよく似ています。

■河内の讃良(サララ)
現在の四条畷市、寝屋川、大東の一部でサララ、ササラと呼ばれる牧がありました。持統天皇の名前が?野讚良皇女なので、何か関係があったかもしれません。

■もっとも多くの前方後円墳が作られた県は?
答えは千葉県。奈良県の2.5倍、京都府の6倍もあります。江戸時代、千葉には幕府直営牧場(小金牧、佐倉牧、嶺岡牧)が造られ下総国の1/5を放牧地がしめていました。

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2020/02/07

古代史の謎解き紀行2 神々の故郷 出雲編

 【書 名】古代史の謎解き紀行2 神々の故郷 出雲編
 【著 者】新潮文庫
 【発行所】関裕二
 【発行日】2014/07/01
 【ISBN 】978-4-10-136477-3
 【価 格】550円

荒神谷遺跡や出雲大社の大きな柱など、驚くべき発見が続いている出雲です。荒神谷遺跡では大量の剣が発見されましたが、この銅剣の数が出雲国風土記に記載されている、この地域一帯の神社の数とほぼ重なるそうです。

春日大社の本殿入口の脇に三輪神社とあり少彦名命(すくなひこなのみこと)」が祭られています。スクナヒコは出雲建国に貢献した神様ですが無名にちかい扱いになっています。春日大社というと藤原氏ですが、もともとは柿本人麻呂と縁が深い和珥氏の所有でした。

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2020/01/16

古代史が面白くなる地名の秘密

 【書 名】古代史が面白くなる地名の秘密
 【著 者】八幡和郎
 【発行所】光文社知恵の森文庫
 【発行日】2019/12/20
 【ISBN 】978-4-334-78780-6
 【価 格】800円

■出雲
大和の桜井に出雲という土地があり相撲の創始者として有名な野見宿祢はここの出身という説があります。神武天皇の前に住んでいた先住民族とかかわりがあったことかが古事記からうかがえます。大和に進出した神武天皇は大国主命の孫娘を皇后として、綏靖天皇なども大国主命の子孫を皇后にしていますが、なぜ出雲の神々の子孫が大和にいたのかはよくわかっていません。

■三種の神器
北九州では剣、鏡、勾玉のセットが王者のシンボルで景行天皇に差し出した記録があるので、三種の神器のアイデアはもともとは大和政権が北九州を勢力下においたときに降りれた可能性があります。

■藤原鎌足
藤原仲麻呂が編纂した「藤氏家伝」に中臣鎌足は大和国高市郡藤原で生まれたとあり、地名から藤原とつけたようです。

■遣唐使
円仁の10年におよぶ旅行記が有名ですが行きは遣唐使船ですが帰りは新羅船で帰っています。円珍が唐に渡った時、遣唐使が断絶していたので生き帰りは唐の商人の船に便乗していました。

■渤海
渤海国は日本海に面していて渤海には面していません。初代国王が唐から渤海郡王(河北省南部)の称号を与えられていたことから国号にしました。

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