2018/02/17

戦国武将 お墓でわかる意外な真実

 【書 名】戦国武将 お墓でわかる意外な真実
 【著 者】楠戸義昭
 【発行所】PHP文庫
 【発行日】2017/12/15
 【ISBN 】978-4-569-76789-5
 【価 格】880円

戦国武将のお墓は一人の人物でも複数あり、家来や地元などいろいろな謂れで祀られています。
織田信長、明智光秀、豊臣秀吉、徳川家康、武田信玄、上杉謙信、加藤清正、山中鹿之助、島左近、井伊直親・直政、津軽為信、龍造寺隆信、木村重成、高山右近、内藤如安が取り上げられています。

京都の白川沿いに明智光秀の首塚がありますが、目の前にある餅虎という和菓子屋さんが江戸時代から先祖代々守っています。明智光秀を介錯した家来が知恩院に首を運ぶ途中に夜が明けたので埋めたという説と討ち取られた首が本能寺と粟田口刑場でさらされた後に首塚に葬られたという説があるそうです。

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2018/02/10

歴史の愉しみ方

 【書 名】歴史の愉しみ方
 【著 者】磯田 道史
 【発行所】中公新書
 【発行日】2017/11/30
 【ISBN 】978-4-12-102189-2
 【価 格】740円

帯には累計10万部突破とあり奥付は12版になっていました。

■トカラ列島宝島
幕末に外国と対峙したというと下関戦争や薩英戦争が有名ですが、アングロサクソンと日本人が初めての地上戦を行ったのが宝島だそうです。1824(文政7)年に宝島に英国人(捕鯨船員)が上陸。薩摩藩の詰横目がいたので交渉を行いますが、言葉が通じないので身振り手振りで話をします。野菜などを渡したが対価を払うので牛が欲しいといわれたが、これを拒否。そしたら鉄砲をもって攻撃をしてきたため応戦。英国人一人が戦死し他は逃げ去りました。長い航海で牛が食べたかったのが原因のようです。

■伊勢氏
組織化されると計算が必要となります。奈良時代は民部省に主計寮(かぞうるつかさ)がおかれ、中央財政の収支計算を担当。税は主税寮(ちからのつかさ)が担当します。幕府では政所執事が統括しましすが、この役目を鎌倉時代は二階堂氏、室町幕府では伊勢氏が担当します。この伊勢氏の一人が伊勢盛時で後の北条早雲となります。

■直江兼続
関ケ原合戦が終わったあと、直江状などを送った直江兼続はおとがめなしとなりました。直江兼続が処罰されると毛利や島津の家老連中が次はウチだと領国にたてこまれると大坂城の動きしだいで、どうなるか分からなくなります。それで家康は助命したという話が「玉滴隠見」に掲載されているそうです。

■堅田元慶
毛利輝元の寵臣で、関ケ原合戦で毛利を西軍にした中心人物のようです。安国寺恵瓊が吉川広家に相談したが吉川は毛利秀元と相談した方がよいと言ったのを安国寺恵瓊は無視して毛利輝元に堅田元慶と共に大坂へ来るように要請し、これで石田三成に味方することになります。関ケ原合戦の後、家康は安芸・周防・長門の3国と堅田の切腹を要求しましたが毛利輝元は拒否。周防・長門の2国に減らされてしまいます。

■島津の退き口
島津勢は腰さし鉄砲を侍も足軽ももっていて、すごい重装備の精鋭部隊だったようです。絶大な火力でしたので井伊直政など徳川の要人が軒並みやられてしまいます。

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2018/02/08

一揆と戦国大名

 【書 名】一揆と戦国大名
 【著 者】久留島典子
 【発行所】講談社
 【発行日】2001/11/10
 【ISBN 】4-06-268913-8
 【価 格】2200円

「日本の歴史」26巻シリーズの13巻です。一揆といっても江戸時代の百姓一揆ではなく、中世の一揆はある目的をもって組織や集団をつくることでした。神仏に誓う形で一揆を組成し、相互対等の関係でした。この神仏に代わっていったのが戦国大名です。

■徳政令
借金の棒引きですが貸す方にしたらたまったものではありません。大和国宇智郡の百姓連判状が残っていますが、これは蔵本(貸す方)に10年は徳政をしないので、お金を貸してという内容。

■東西の通貨圏
江戸時代に江戸の金遣,大坂の銀遣という言葉が生まれましたが戦国時代にその萌芽があったようです。毛利氏がおさえていたのが石見銀山。銀貨幣の流通が始まります。東国の北条で流通していたのは西国では信用が低下していた永楽銭です。東は銭貨が中心でした。そこで伊勢商人は西国で永楽銭を代金として受け取り東国の支払いにあてていました。信用度が東西で違っていたので為替差益にちかいものが得られたそうです。しかし東でも銭の信用度が落ち始めると金山の多い東国で金を銀山の多い西国で銀が使われるようになります。

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2018/02/02

日本史劇場信長たちの野望

 【書 名】日本史劇場信長たちの野望
 【著 者】金谷俊一郎
 【発行所】ベレ出版
 【発行日】2017/12/25
 【ISBN 】978-4-86064-517-5
 【価 格】1600円

戦国時代を分かりやすく北条早雲から織田信長が本能寺の変で倒れるまで各武将の年齢を記載しており、この歳にあの事件が起きたのかなど身近に感じることができます。例えば桶狭間の合戦は織田信長19歳、今川義元42歳、松平元康(徳川家康)27歳の時でした。三好三人衆と争い、織田信長の上洛を待っていた松永久秀は59歳という、当時ではかなりの高齢だったんですね。

上杉の名跡を継いだ上杉謙信はもともと長尾景虎という名前でしたが、この長尾家は古く、古代の東漢氏(やまとのあやうじ)の子孫。源平の合戦では平家につきますが平家が滅亡するすると鎌倉武士の三浦氏に仕えます。ところが北条氏に三浦氏が滅ぼされることで生き残った長尾氏は関東に入ってきた上杉氏の筆頭家臣となっていきます。

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2018/01/14

戦国の地政学

 【書 名】戦国の地政学
 【著 者】乃至政彦
 【発行所】じっぴコンパクト新書
 【発行日】2017/11/15
 【ISBN 】978-4-408-00906-3
 【価 格】850円

最新の研究をもとに戦国時代の戦いは実際はどうだったかを解説しています。

■第四次川中島の戦い
”鞭声粛々夜河を渡る”で有名な謙信と信玄の戦い。信玄が陣を構えたのは妻女山ではなく、その東にある西条山(にしじょうやま:現在の象山)。妻女山から海津城は見えませんが西条山からは見ることができますので炊飯の煙も見えます。誰かが”にしじょうやま”を”さいじょやま”と読み間違え妻女山となったようです。

海津城を囲む形で謙信は包囲網を築いていました。国境の城である海津城を見捨てるわけにはいかず信玄は海津城へ入ります。そして海津城から見えるように別動隊を動かします。信玄の意図は西条山を降りなければ謙信の越後への退路を断つということで、狙い通りに謙信は山を降りました。そのまま越後へ戻るのが定石でしたが、武田の別動隊に挟撃される危険を顧みず、武田本体への攻撃をはじめます。これが車懸りで謙信の各部隊が武田の部隊をとめている間に親衛隊が本陣に切り込んで信玄の首をとる作戦でした。こうなると謙信と信玄の一騎打ちにちかい状態が確かにあったようです。

■姉川の戦い
信長、家康連合軍VS浅井、朝倉連合軍の戦いで13段に構えた信長の軍が11段まで破られたという話が伝わっていますが、現地には13段も配置できるほど広い場所はなく、浅井軍と信長の馬廻り衆が激突する状況で横山城を監視していた西美濃衆が救援に駆け付けて押し返した模様です。

■唐沢山城の戦い
北条氏康が包囲する唐沢山城へ謙信がわずか14騎で敵中突破したと伝説が残っていますが、遠巻きに布陣している相手から視認されながら射程距離外を通ったというのが真相のようです。唐沢山城城主だった佐野昌綱は去就を決めかねておらず北条は包囲することで圧力をかけて味方にしようと考えていました。そこへ謙信が佐野昌綱が味方であることを疑わないような入城をしたことで、佐野昌綱は意気に感じ上杉謙信につくことになり、目的が達成できなかった北条は陣払いすることになります。

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2017/12/09

日本史の内幕

 【書 名】日本史の内幕
 【著 者】磯田 道史
 【発行所】中公新書
 【発行日】2017/10/25
 【ISBN 】978-4-12-102455-8
 【価 格】840円

副題が「戦国武将の素顔から幕末・近代の謎まで」になっていて、古文書という1次資料を使い日本史の知られていない話が記載されています。

■秀吉の九州征伐
島津攻めに協力していたのが本願寺で、教如が門徒が多かった九州に向かっています。協力によって天満での本願寺の維持が保たれました。

■浜松東照宮
引間城(浜松城の前身)の城主・飯尾豊前守の娘だったキサが80歳まで生き延びて、孫が太閤素性記という記録を残します。配下の松下が引間城に連れてきたのが猿のような人間で、これが後の秀吉でした。秀吉が猿の真似をして皮付き栗を食べたのが引間城の本丸。落城した引間城に新しく入ったのが徳川家康で、二人の天下人の人世の転機になったのが引間城、現在の浜松東照宮になります。

■三方ヶ原の戦い
武田軍2~3万に対し、家康軍8千、信長からの援軍3千と言われていますが、甲陽軍鑑には信長軍は9頭という記述があり、頭は軍団で約2千人。全部で1万8千の援軍がいたようです。岡崎城など各地に分散されていましたが浜松城の西側を守っています。信玄としては大敗して家康が逃げ込んだ浜松城を攻めても、後詰めの信長軍に襲われる恐れがあるので攻めるわけにいかなかったようです。

家康が浜松城に逃げ帰る時に左右のお供の刀に痰唾を吐き続け、後日、それを証拠に賞したそうで、自分の命が危ない状況でも、そんな気配りをしていました。

■真田信繁
真田信繁が討死し首実検をした時、井伊家の記録には床几をはずして、「そのほうほう、たびたび、お敵いたさるところ、不慮に、ご対面ならるるとの御意なり」と丁寧に語りかけたそうです。

■松下嘉兵衛
秀吉が最初に勤務したのが松下嘉兵衛。親戚が井伊家でした。浜松の頭陀寺という修験者の多い集落の豪族でした。柳生十兵衛の母は松下嘉兵衛の娘で井伊直虎も武田に井伊谷を奪われた時に松下家に身を寄せていた可能性があります。秀吉は松下から公をとって木下とした説もあります。秀吉は浜松で下積み生活えをしてたので、小牧長久手の合戦では、「茂るとも羽柴は松の木の下かな」という句が歌われていたようです。


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2017/11/15

江戸の居酒屋

 【書 名】江戸の居酒屋
 【著 者】伊藤善資
 【発行所】洋泉社
 【発行日】2017/10/19
 【ISBN 】978-4-8003-1325-6
 【価 格】950円

お酒にまつわる逸話がたくさんの本です。

杜氏-自家で酒を作るのは主婦で刀自と尊称されたことから杜氏に

平城京の酒造司で作られたのは清酒、浄酒、白酒、黒酒、濁酒

四文屋ー江戸時代の100円ショップですべて四文

お鉢がまわってきたーお酒を飲みまわす風習から順番を指す言葉に


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2017/09/16

戦国の城 目で見る築城と戦略の全貌(上)関東編

 【書 名】戦国の城 目で見る築城と戦略の全貌(上)関東編
 【著 者】西ケ谷 恭弘
 【発行所】学研
 【発行日】1991/8/1
 【ISBN 】4-05-105602-3
 【価 格】1,748円

戦国期の関東23城が精密イラストとともに復元されています。
小田原城、石垣山一夜城、玉縄城、小机城、江戸城、世田谷城、稲付城、川越城、鉢形城、武州松山城、館山城、真里谷城、百首城、逆井城、山入城、堀之内大台城、唐沢山城、小山城、多気山城、箕輪城、名胡桃城、白井城、平井城


他に縄張図が紹介されています。
三崎城、大庭城、津久井城、赤塚城、志村城、滝の城、杉山城、花園城、土気城、坂田城、島崎城、額田城、小田城、西明寺城、益子城、川連城、国峰城、金山城、大胡城

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2017/09/09

道で謎解き合戦秘史

 【書 名】道で謎解き合戦秘史
 【著 者】跡部 蛮
 【発行所】双葉社
 【発行日】2017/07/23
 【ISBN 】978-4-575-31288-1
 【価 格】1000円

11の合戦を道で読み解いた一冊です。

・桶狭間への道
・川中島合戦の道
・小谷城攻めの道
・本能寺への道
・中国大返しの道
・天正壬午の乱の道
・賤ヶ岳の合戦の道
・江戸入府の道
・関ヶ原の合戦への道
・九州征服の道
・大坂ノ役への道

織田信長は小谷城を攻めるための付城を築きましたが、大規模土木工事も行いました。最前線の虎御前山砦から横山城へ連携するために間に宮部砦を造り、間に三間半(約6.5m)の道路を整備し、小谷城側には5.5kmにわたり高さ3mお築地を築かせています。

備中高松城の秀吉の元へ本能寺の変の知らせが届きますが、流言も飛び交うので本当に所は分かりません。荒木村重や別所の反乱で瀬戸内海側の連絡ルートが閉鎖された時に山陰道の連絡通路を作っていたようです。おそらく情報が両側から届きダブルチェックができた可能性があります。

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信長研究の最前線2

 【書 名】信長研究の最前線2
 【著 者】日本史史料研究会
 【発行所】洋泉社歴史新書
 【発行日】2017/8/18
 【ISBN 】978-4-8003-1306-5
 【価 格】980円

副題が「まだまだ未解明な革新者の実像」。織田信長は中世的で保守的であったという実像が中心になりつつありますが、前作に続き信長の実像に迫っています。

・信長以前の織田氏とそのルーツは
・信長を生んだ、尾張国の地形・地理的環境とは
・信長の一代記「信長記」はいかなる書物か
・織田の顔・姿はどこまで本物に近いのか

・スムーズでなかった、信長の家督相続の現実
・信長と美濃斎藤氏との関係とは
・浅井長政は、なぜ信長を裏切る決断をしたのか

・室町幕府の幕府とは何か
・信長はなぜ蘭奢待を切り取ったのか
・信長の馬揃えは朝廷への軍事的圧力だったのか

・信長とイエスズ会との本当の関係とは
・信長「神格化」の真意を検証してみる
・安土城「天主」の復元はどこまで可能か

・信長は、生野銀山を直接支配したのか
・信長と都市・堺はどのような関係だったのか
・名物狩りと御茶湯御政道の実像とは

織田信秀が亡くなった後、信長に家督を譲ったことになっていますが弟の信勝が信秀に似せた自身の花押を発給文書に書いており、どうもスムーズな家督相続ではなかったようです。美濃では斎藤道三が土岐頼芸と争っていましたが今川との戦いを優先せざるを得なくなった織田信秀が斎藤道三と組みます。これで信長と帰蝶との婚姻に結び付き、斎藤道三は美濃をとることができます。

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