2018/08/04

激闘!賤ヶ岳

 【書 名】激闘!賤ヶ岳
 【著 者】楠戸 義昭
 【発行所】洋泉社歴史新書
 【発行日】2018/07/19
 【ISBN 】978-4-8003-1528-1
 【価 格】950円

柴田勝家をくだし秀吉の天下取りを確定づけた戦いです。先手をとったのが柴田勝家側で玄蕃尾城を本陣にして行市山砦、別所山砦、中谷山砦、大池山砦などを築いていきます。出遅れた秀吉は神明山砦、堂木山砦などを築き、持久戦にあたらせますが第二陣となる大木山砦などは城造りの途中でした。

柴田郡の総指揮をとっていたのは佐久間盛政で、もともとは御器所西城の出身。佐久間氏は源氏の家人である三浦一族で安房国佐久間庄を本貫としました。余呉湖の西側を迂回し手薄だった大岩山砦を急襲。守っていた中川清秀が討死します。ところが岐阜攻めの途中、大垣で川の足止めをくらっていた秀吉に情報が入り、一夜で戻ってきます。佐久間盛政は見事な退き口で撤退しますが、この時に前田利家が裏切り戦線を離脱します。ここから勝家軍が崩れることになります。

勝家の撤退時間を稼ぐために馬印を借りたのが毛受(めんじゅう)勝助。林谷山砦で2時間、秀吉軍を釘付けさせることで勝家を北庄城に落ち延びさせました。勝家が前田利家の城によって何も言わず茶漬けを食べたシーンが出てきますが、前田利家は迂回して城へ向かっていたので物理的に勝家の前に城には入っていなかったそうです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018/07/24

学校では教えてくれない戦国史の授業

 【書 名】学校では教えてくれない戦国史の授業
 【著 者】井沢 元彦
 【発行所】PHP文庫
 【発行日】2018/02/15
 【ISBN 】978-4-569-76806-9
 【価 格】820円

本能寺の変については謀略説などいろいろとありますが、この本では四国説を掲載しています。信長の家臣だった斎藤利三が信長から長宗我部との取り持ちを頼まれ、妹を嫁がせ生まれたのが長宗我部信親。信長から一字をもらいました。良好な関係だったのですが長宗我部が勢力を伸ばすと信長が方針転換。長宗我部にまだ占領されていないのが阿波の三好に肩入れすることになり、こちらの取次が秀吉だした。秀吉は後に甥っ子を三好の養子に出しています。

占領したところを返せという信長の要求に長宗我部は拒否。大坂から四国攻めの軍団を派遣する手前で起きたのが本能寺の変です。長宗我部側だった斎藤利三はこの時、明智光秀の筆頭家老になっていました。

当時の公家の日記は該当部分が破棄されていたりして分かりませんが、本能寺の変の後、光秀は征夷大将軍に任命されていた可能性があるそうです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018/07/14

天下分け目の関ケ原の合戦はなかった

 【書 名】天下分け目の関ケ原の合戦はなかった
 【著 者】乃至政彦、高橋陽介
 【発行所】河出書房新書
 【発行日】2018/04/15
 【ISBN 】978-4-309-24860-8
 【価 格】1,600円

関ケ原の合戦といえば、豊臣家の簒奪を狙う徳川家康が上杉征伐に乗り出したすきに、石田三成が挙兵。関ケ原を舞台に東西両軍が戦い、西軍有利だったが小早川秀秋の裏切りで一気に東軍が勝ったというのが従来の説ですが、1次資料によるとそんな話じゃなかったようです。

・秀吉の遺言では徳川家康と淀君を結婚させ伏見で政権をにない、秀頼が成人した時に政権を返す約束でした。阻止しようとしたのが大野治長と土方雄久。家康暗殺計画を企画します。
・石田三成は朝鮮出兵時の事件で険悪となっていた諸将に襲われ、奉行職をとかれてから佐和山に逼塞した後も家康とは関係良好でした。家康暗殺計画も家康に知らせ防いでいます。
・家康が上杉景勝征伐に動いた時にクーデターを起こした首謀者は毛利輝元でした。
・西軍全体を指揮していたのは大坂城にいた増田長盛で、美濃方面は長束政家と安国寺恵瓊が指揮していました。大垣城と南宮山の陣地で東軍と対しましたが歴戦の諸将が揃っている東軍は赤坂から垂井まで占拠し、東山道がおさえられたため近江との連絡路が確保できなくなります。
・石田三成は全体を指揮していた増田長盛に伊勢など攻めず、美濃に軍勢を集めるように依頼していましたが、うまくいかず、そこへ小早川秀秋が松尾山を抑えてしまいましたので、これで連絡路が遮断されることから大垣城を出て小早川攻めに関ケ原の西にある山中へ出陣。松尾山の北側にある自害ケ峰の陣をおきます。関ケ原よりの場所に布陣していたのが大谷吉継で、ここに東軍の先手が攻め込み、小早川も攻めたため次々と陣が崩れ、西軍敗退となります。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018/07/04

江戸時代の不都合すぎる真実

 【書 名】江戸時代の不都合すぎる真実
 【著 者】八幡 和郎
 【発行所】PHP文庫
 【発行日】2018/06/15
 【ISBN 】978-4-569-76742-0
 【価 格】780円

江戸時代はエコでよかったといった賛美論がありますが、恵まれていたのは江戸の民衆だけで何回も飢饉で餓死者が出るなど大変な時代でした。

島津氏の元は秦氏で惟宗朝臣を名乗っていました。秦氏の祖は秦の始皇帝と伝わっています。やがて近衛家につかえ近衛家が南紀州にもっていた荘園の名前から島津となります。室町時代頃から源頼朝の子孫という話も伝わっており、幕末に島津が将軍になる可能性があると一部で言われたようです。現在も鶴岡八幡宮で行われる源頼朝の催しで子孫代表として島津宗家が参加しています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018/04/26

悪代官はじつは正義の味方だった

 【書 名】悪代官はじつは正義の味方だった
 【著 者】山本博文
 【発行所】じっぴコンパクト新書
 【発行日】2018/3/16
 【ISBN 】978-4-408-33771-5
 【価 格】800円

「越後屋、お主も悪よのう」「いえいえ御代官様ほどでも」

時代劇でおなじみのシーンでしたが、実際はそんな代官はほとんどいなく薄給ながら民百姓のために頑張った役人が多かったそうです。なかには飢饉や地震で幕府の許可を得ず米蔵を開いて救民を助け、あとで責任をとり切腹していった代官もいました。ただ部下である手代で悪さをするのがいて、こうなると監督責任が問われます。

ただ一朝一夕では実現できず綱吉の時代に世襲不良代官を罷免し、実務的代官を登用をはじめます。代官の収入は収穫した年貢に比例しており不作となると大赤字になっていたのを改めて一定額の経費を支払う形に改めます。

ナイショの語源
現在のアメリカのように江戸時代は訴訟社会でした。民事訴訟が多かったのですが訴える方も村から離れて行かねばならず経費も日数もかかりました。そこで行われたのが示談です。表ざたにせず内々ですませることを内証といい、これがナイショの語源となりました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

戦国武将の精神分析

 【書 名】戦国武将の精神分析
 【著 者】本郷和人、中野信子
 【発行所】宝島社新書
 【発行日】2018/04/23
 【ISBN 】978-4-8002-7817-3
 【価 格】800円

戦国武将を脳科学の分野から考える面白い一冊です。織田信長といえば典型的なサイコパス(反社会性パーソナリティ障害)のようで、特徴は外見が魅力的で、ナルシステッィックであう、恐怖や不安を感じにくい、他人に対して共感性が低い、人がためらうことを平然と行うがあります。

信長は比叡山の焼き討ちを行いましたが、この時に殺されたのが4000人で大体、東大の教員数と同じだそうです。現代に置き換えると東大に火をつけて教員を皆殺しにすることになり、本郷先生が講演で話をすると意外にうけるそうです。これはシャーデンフロイデで自分よりいい目を見ている誰かが痛い目にあうことで味わえる快感だそうです。松永久秀もサイコパスだったようで信長は意外に親近感をいだいていたようです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018/04/22

陰謀の日本中世史

 【書 名】陰謀の日本中世史
 【著 者】呉座 勇一
 【発行所】角川新書
 【発行日】2018/03/10
 【ISBN 】978-4-04-082122-1
 【価 格】880円

本能寺の変の黒幕は秀吉だった、関ケ原合戦を引き起こしたのは徳川家康だったなど、何か事変が起きると最後に得をした人が実は黒幕だったのではないかと思われますが、そんなことはなく、たまたまでした。

■源義経
頼朝の許可を得ず後白河法皇から検非違使を任官されたことに頼朝が激怒したと、よく言われていますが、そんなことはなく頼朝の意を得たものだったようです。頼朝は平氏の補給路をたって持久戦で平氏に勝とうという戦略を組んでいたのを、義経は三種の神器も安徳天皇も壇ノ浦に失ってしまうという失態を演じてしまいます。

これだけが引き金ではなく頼朝の意向で伊予守という最高峰に任じたので検非違使を辞任して京都を離れるのが筋でしたが、後白河法皇が手放したくなったことから独自の軍事力を後白河法皇は持ちたいのではないかと頼朝に認識されてしまいます。検非違使を辞めなかったことがきっかけになってしまいました。

■日野富子
悪女として名高いですが実際は我が子である義尚が成人するまでリリーフを足利義視に頼んでいました。義視の奥さんは自分の妹でもあったので将軍の跡継ぎ問題が応仁の乱のきっかけになったわけではありません。「応仁記」を書いた側が印象操作したことから悪女のイメージがついてしまいました。関所を作って幕府財政を支えましたが徴収される側の民としては守銭奴のイメージがあったことも確かです。

■関ケ原の合戦
過去撃破を狙って上杉討伐軍を起こした家康ですが、まさか石田三成が挙兵するとは思わなかったようです。しかも毛利輝元まで担ぎ出したのでびっくり仰天、といったとkろが真相のようです。「内府ちがいの条々」という告発書で、ますます窮地に陥ります。そこで賭けに出ます。村越茂助を福島正則らに派遣して、各々が動かないから家康も動かないと告げ、これに発奮して岐阜城を攻め落とします。ここから流れが変わり関ケ原の戦いに突入していきます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018/03/24

気象で見直す日本史の合戦

 【書 名】気象で見直す日本史の合戦
 【著 者】松嶋 憲昭
 【発行所】洋泉社
 【発行日】2018/03/19
 【ISBN 】978-4-8003-1439-0
 【価 格】950円

「桶狭間は晴れ、のち豪雨でしょう」の続編です。桶狭間の合戦では今川義元へ突進する前に豪雨が降り、織田信長にとってラッキーという通説になっていますが、実際はどうだったか古文書などから丁寧に解き明かしています。善照寺砦から中島砦を経て太子ケ根の麓から屋形狭間に攻め入ったとありますが、実際に中島砦へ行ったのは信長など一部で、大部分は別の道から太子ケ根に向かったようです。

豪雨で接近に気づくのが遅れ、兵も雨宿りのために陣形が崩れていたことは言えそうですが、実は晴れていても勝てる作戦だったようで、それよりも雨が降ると今川義元は田楽狭間ではなく、いちはやく大高城に入る選択肢もあり、こうなると奇襲は万事休す。豪雨は信長にとって複雑な心境だったかもしれません。

他にも関ケ原の戦いや元寇などが天気とともに取り上げられています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018/03/01

竹中重門と百姓の関ケ原合戦

 【書 名】竹中重門と百姓の関ケ原合戦
 【著 者】三池純正、中田正光
 【発行所】洋泉社歴史新書
 【発行日】2018/02/19
 【ISBN 】978-4-8003-1397-3
 【価 格】980円

美濃垂井、関ケ原を支配していたのが竹中重門で竹中半兵衛の息子です。もともとは三成側で自分の城であった菩提山城の整備を行います。石田三成の戦略は菩提山城、松尾山城で関ケ原の隘路を防ぎ、中山道を遮断できる山中には大谷刑部が陣取ります。山中の先には玉の城山を整備しました。宇喜多秀家の陣では不破の関にあった土塁を二重にするなど活用しています。

家康が上杉攻めに出発するとすぐに毛利輝元などと連携をとり万全の準備をします。ところが竹ケ鼻城、岐阜城を家康側に落されたことから美濃の国人などは家康側に寝返ることになります。戦場となりそうな関ケ原の百姓を守るため竹中重門は家康側につくことになりますが、竹中重門は西軍の戦略を知っているため三成にとっては大きな誤算となります。南宮山に陣取った毛利勢は、どうも家康優勢の動きに大坂の毛利輝元とはかって日和見を決めた模様です。

島左近らが前哨戦で行った杭瀬川の戦いは家康側に守りの体制に入らせ、その隙に関ケ原へ移動することにあったようです。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018/02/24

壬申の乱と関ケ原の戦い

 【書 名】壬申の乱と関ケ原の戦い
 【著 者】本郷和人
 【発行所】祥伝社新書
 【発行日】2018/02/10
 【ISBN 】978-4-396-11527-2
 【価 格】800円

不破関、南宮山、松尾山に囲まれた関ケ原。関ケ原の戦いで有名ですが他にも青野ヶ原の戦い、壬申の乱の舞台ともなりました。不破関の東側が関東で、都では西側に関を設けず、東側にだけ設置しました。西から東への逃亡を防ぐとの、東からの侵入を防ぐ狙いがあります。東と西がぶつかる場所でもあります。

伊勢国司の北畠の拠点は陸奥守だった東北にありました。九州から攻め上った足利尊氏に京都を奪われたため、後醍醐天皇の命で京都に攻め上ってきたのが北畠顕家。足利軍とぶつかったのが青野ヶ原(関ケ原)です。結局は突破できず奈良で高師直の軍勢に破れ、堺で討死します。北畠顕家の軍事行動を指揮していたのが結城宗弘でした。

東西がぶつかる関ケ原ですが、家康によって統一されると関ケ原の地政学的な位置が変わり、伊勢-彦根ラインで江戸を守る形へと変貌していきます。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧