2017/03/19

織田信長の家臣団

 【書 名】織田信長の家臣団
 【著 者】和田 裕弘
 【発行所】中公新書
 【発行日】2017/02/25
 【ISBN 】978-4-12-102421-3
 【価 格】900円

織田信長の古参家臣だった佐久間信盛が本願寺攻めの不手際などでリストラされましたが、原因は信長一族と婚姻などの人脈を築いていなかったことがあるようです。織田信長といえば柴田勝家、滝川一益、羽柴秀吉、明智光秀などの方面軍が有名ですが、配下の武将との関係などを丁寧に検証しており、巻末には人名による索引までついています。

織田信長が家督を継いだころ、弟の信勝と領地や家臣が二分された状態で、自らの力で統一していくことになりカリスマ性を身につけます。他の戦国大名が有力家老に頭があがらない状況と違い自分で決めることができました。桶狭間の合戦でも家臣から裏切りを出すことなく乗り切れました。明智光秀は自分の名誉のために本能寺の変を起こしましたが、家臣団に尾張勢がほとんどいなく情報統制ができたところも大きかったようです。


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2017/03/12

謀略!大坂城

 【書 名】謀略!大坂城
 【著 者】加来耕三
 【発行所】さくら舎
 【発行日】2017/1/15
 【ISBN 】978-4-86581-086-8
 【価 格】1,600円

西軍側で大津城攻めをしていた立花宗茂が関ヶ原の合戦の結果を聞き、大坂城の総大将である毛利輝元に籠城策を献策します。もし毛利輝元が籠城して家康と戦えば、徳川幕府はまず成立しなかったでしょう。加藤清正、福島正則はおそらく秀頼側につきますので、東軍は空中分解してしまい家康は秀頼に戦勝報告をして、豊臣政権が続いたはずです。

また家康は常真(織田信雄)、有楽(織田長益)を秀吉が生かしていたように、最初は秀頼を同じように扱うことを考えていましたが、あまりに楽観的に考える豊臣側の間違った戦略選択もあり、大坂の陣で豊臣は滅んでしましました。最新の説などを導入し、大坂の陣を解き明かしています。

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2017/03/04

応仁の乱

 【書 名】応仁の乱
 【著 者】呉座 勇一
 【発行所】中公新書
 【発行日】2016/10/25
 【ISBN 】978-4-12-102401-5
 【価 格】900円

足利義政が弟の義視に後継者にしたところ、日野富子が子供(義尚)を生んだことで後継者争いに発展。それぞれ細川勝元と山名宗全がくっついて、応仁の乱が勃発したというのが一般的なイメージなんですが、そんな単純な話ではなく、実態はめちゃくちゃ複雑でした。興福寺の僧である経覚と尋尊が奈良を中心に応仁の乱について日記を記載しており、これをもとに解き明かしています。巻末には人名の索引がついており、応仁の乱を理解するには最適な一冊になっています。

守護は在京し、守護代が任地に赴任していましたが明応の変で、この在京制度が成り立たなくなり、守護が任地に行き、こころから戦国大名になっていきます。越前の守護は斯波氏でしたが、守護代の朝倉がのっとってしまいます。仕方ないので、斯波氏はもう一つの任地である尾張に下りますが、やがて織田によってとってかわられます。


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2017/02/23

境界大名16家

 【書 名】境界大名16家
 【著 者】榎本 秋
 【発行所】洋泉社
 【発行日】2017/01/26
 【ISBN 】978-4-8003-1137-5
 【価 格】900円

大河ドラマ「井伊直虎」では三河の徳川と遠州の今川に挟まれた境で懸命に生き残る井伊の姿が描かれています。戦国時代はあちこちで同じことが行われていました。勝ち残る方につかなければ家が滅んでしまいます。特に境界に位置する武将にとっては死活問題でした。なんとか生き残り大名となった16家を紹介しています。

紹介されているのは井伊、亀井、諏訪、真田、相馬、相良、水の、奥平、有馬、大村、遠山、小笠原、伊東、宋、松浦、柳生の16家。小笠原氏は信濃守護でしたが武田信玄の進攻によって信濃を追われます。同族が三好氏だったことから三好長慶の芥川城などにも滞在しています。小笠原流というと礼法のイメージがありますが、江戸時代は礼法を教えることが禁じられていたそうで、民間の浪人によって礼法小笠原流は広まったそうです。

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2017/02/20

秀吉と海賊大名

 【書 名】秀吉と海賊大名
 【著 者】藤田達生
 【発行所】中公新書
 【発行日】2012/01/25
 【ISBN 】978-4-12-102146-5
 【価 格】760円

道後温泉のすぐ近くに湯築城があり、本拠においていたのが瀬戸内海の海賊大名だった河野氏。長宗我部、毛利、秀吉などに翻弄されて最後は滅びます。四国出身の大名で生き残ったのは来島氏(豊後森藩)だけでした。

■本能寺の変の遠因
織田政権で中国・四国政策の中心だったのが光秀で信長自身も毛利との和平を考えていたようです。光秀は長宗我部とも結んでいました。毛利と戦うという主戦派の秀吉と宇喜多直家は織田政権では少し浮いた存在です。まずいと思った秀吉が目をつけたのが四国、三好康長と結んで長宗我部と戦い東瀬戸内地域を織田政権側にします。これで織田信長の政策が変わります。光秀は秀吉に破れた形になります。

■国替え
信長、秀吉が考えたのが預治(よち)思想。鎌倉武士いらいの一所懸命ではなく天下人から領地、領民、城郭を預かる形になります。本領を守り抜くという中世武士の価値観こそ戦国動乱を長期化させ泥沼化させた原因だと考えていました。信長は海外から植民地化されないよう適材適所の統一国家をつくらなければと思っていたようです。本格化するのは江戸時代で隣の大名との戦争は起らなくなりました。


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2017/01/30

江戸の家計簿

 【書 名】江戸の家計簿
 【著 者】磯田 道史
 【発行所】宝島社新書
 【発行日】2017/01/24
 【ISBN 】978-4-8002-6336-0
 【価 格】800円

江戸の台所事情がよく分かる本です。シーボルトが網羅的に江戸の物価を調べており、これでどんな商品がいくらぐらいで売られていたかが分かります。肉を食べませんでしたが鳥はよく食べていたようで、29種類の鳥が食べられています。

旅籠 4,500~15,000円 木賃宿 2,250~3,000円で、現在とあまり変わりませんね。参勤交代では単身赴任で大勢の藩士が江戸に来ますので流行ったのがファーストフード。蕎麦、うどんは250円ほど。寿司は1貫で125円、鰻丼は当時も高く3,150円ほど。大工などの職人の給料はよかったのですが、作家はダメで明治に訪れた西洋人が作家の収入が低いことに驚いています。また履き潰した草履を田んぼの脇に積んで、おがんで新しい草履に履き替えて立ち去ったことも西洋人の記録にあります。

江戸は金、銀、銭の3種類が使われましたが金と銀は金座、銀座で管理されました。ところが銭は大名に鋳造を許していたので、作るだけ作ってインフレが起きるようなことが発生していました。昔も今も変わりません。


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3日でわかる戦国史

 【書 名】3日でわかる戦国史
 【著 者】武光 誠 監修
 【発行所】ダイヤモンド社
 【発行日】2000/11/16
 【ISBN 】4-478-92033-8
 【価 格】1400円

応仁の乱から大阪冬の陣までの150年についての色々な歴史の裏側などが記載されています。

All About「企業のIT導入」でガイド記事を書いているのですが一生懸命調べて時間をかけて書いている記事よりも、割と時間をかけずノリで書いている「戦国武将に学ぶシステム作り」シリーズの方が好評でして (^^);では、もう少し書こうかなと、そのネタ本として買ってきました。


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2016/12/11

城館調査の手引き

 【書 名】城館調査の手引き
 【著 者】中井 均
 【発行所】山川出版社
 【発行日】2016/08/25
 【ISBN 】978-4-634-15091-1
 【価 格】1800円

帯には「初心者から文化財担当者まで必読の書」とあります。日本全国にたくさんの城館がありますが、見方、歩き方などの楽しみ方を紹介し最新の研究成果も反映されています。縄張図の書き方についても解説があります。今は消えてしまい地籍図にしか残っていない城では京都の南になる城陽市の水主(みずし)城が紹介されています。

昭和6年に軍の要塞研究の一環で本邦築城史編纂委員会が作られ、この委員会から刊行される予定でしたが、疎開先で空襲で燃えてしまいました。ところが委員の一人が自宅に手控えを保管していたことから「日本城郭史資料」42冊となるなど城館研究の歴史も記載されています。


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2016/12/02

戦国史の俗説を覆す

 【書 名】戦国史の俗説を覆す
 【著 者】渡邊 大門
 【発行所】柏書房
 【発行日】2016/10/25
 【ISBN 】978-4-7601-4751-9
 【価 格】2000円

1次資料などをもとに従来から言われている戦国時代の俗説が本当なのか焦点をあてています。

■神君伊賀越え
「本能寺の変」の後、堺にいた家康が三河まで帰り着くまでの逃避行で、一番危なかったのが伊賀越えでした。実際のルートは明確ではなく、石仏をのせた籠をカモフラジューのために別のルートを通したりしたために各地に伝承が残る結果となりました。伊勢へ着いてからは四日市で船に乗ろうとしたらなかったので南へ行って長太で船を探してもなく、さらに南へ行って白子で乗船したようです。もっとも別れて乗船した可能性もあります。34名が家康に付き従ったとありますが、酒井忠次、石川数正、本多忠勝、榊原康政らの名前があがっていますから郎党を連れていますので、200人~300人の大勢力で移動したことになります。

■関ヶ原の合戦
問鉄砲で小早川秀秋が裏切ったという俗説がありますが、最初から家康側だったというのはよく知られるようになりました。この本では大谷吉継の陣が、山中エリアから平地に突出して、徳川軍と激突しているところを小早川軍に挟撃されたという説を紹介しています。

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2016/12/01

家康研究の最前線

 【書 名】家康研究の最前線
 【著 者】日本史史料研究会
 【発行所】洋泉社歴史新書
 【発行日】2016/11/18
 【ISBN 】978-4-8003-1084-2
 【価 格】950円

信長、秀吉に続き最新の研究をもとに家康の実像について書かれています。

■織田家の人質
家康は今川家に人質に入るはずが田原城主だった戸田康光の裏切りで、織田信秀のもとに人質として送られることになります。ここで若き織田信長に会うというのが映画やテレビでよく出てくるシーンですが、どうも違っていたようです。織田と今川で連携しており、今川義元が今橋城を攻める時、後詰に入れないよう織田信秀が岡崎城を包囲してしまったようです。松平広忠は織田信秀に降参し命は助けられたが人質として家康が織田に送られたのが真相のようです。

■奥州仕置
家康の力をおそれた秀吉が関東へおっぱらったという説が言われていますが、伊達正宗に対するおさえでもあったようです。蒲生氏郷ともに奥羽仕置を行っていますが、秀吉の信頼も厚かったようです。


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