2017/12/09

日本史の内幕

 【書 名】日本史の内幕
 【著 者】磯田 道史
 【発行所】中公新書
 【発行日】2017/10/25
 【ISBN 】978-4-12-102455-8
 【価 格】840円

副題が「戦国武将の素顔から幕末・近代の謎まで」になっていて、古文書という1次資料を使い日本史の知られていない話が記載されています。

■秀吉の九州征伐
島津攻めに協力していたのが本願寺で、教如が門徒が多かった九州に向かっています。協力によって天満での本願寺の維持が保たれました。

■浜松東照宮
引間城(浜松城の前身)の城主・飯尾豊前守の娘だったキサが80歳まで生き延びて、孫が太閤素性記という記録を残します。配下の松下が引間城に連れてきたのが猿のような人間で、これが後の秀吉でした。秀吉が猿の真似をして皮付き栗を食べたのが引間城の本丸。落城した引間城に新しく入ったのが徳川家康で、二人の天下人の人世の転機になったのが引間城、現在の浜松東照宮になります。

■三方ヶ原の戦い
武田軍2~3万に対し、家康軍8千、信長からの援軍3千と言われていますが、甲陽軍鑑には信長軍は9頭という記述があり、頭は軍団で約2千人。全部で1万8千の援軍がいたようです。岡崎城など各地に分散されていましたが浜松城の西側を守っています。信玄としては大敗して家康が逃げ込んだ浜松城を攻めても、後詰めの信長軍に襲われる恐れがあるので攻めるわけにいかなかったようです。

家康が浜松城に逃げ帰る時に左右のお供の刀に痰唾を吐き続け、後日、それを証拠に賞したそうで、自分の命が危ない状況でも、そんな気配りをしていました。

■真田信繁
真田信繁が討死し首実検をした時、井伊家の記録には床几をはずして、「そのほうほう、たびたび、お敵いたさるところ、不慮に、ご対面ならるるとの御意なり」と丁寧に語りかけたそうです。

■松下嘉兵衛
秀吉が最初に勤務したのが松下嘉兵衛。親戚が井伊家でした。浜松の頭陀寺という修験者の多い集落の豪族でした。柳生十兵衛の母は松下嘉兵衛の娘で井伊直虎も武田に井伊谷を奪われた時に松下家に身を寄せていた可能性があります。秀吉は松下から公をとって木下とした説もあります。秀吉は浜松で下積み生活えをしてたので、小牧長久手の合戦では、「茂るとも羽柴は松の木の下かな」という句が歌われていたようです。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/11/15

江戸の居酒屋

 【書 名】江戸の居酒屋
 【著 者】伊藤善資
 【発行所】洋泉社
 【発行日】2017/10/19
 【ISBN 】978-4-8003-1325-6
 【価 格】950円

お酒にまつわる逸話がたくさんの本です。

杜氏-自家で酒を作るのは主婦で刀自と尊称されたことから杜氏に

平城京の酒造司で作られたのは清酒、浄酒、白酒、黒酒、濁酒

四文屋ー江戸時代の100円ショップですべて四文

お鉢がまわってきたーお酒を飲みまわす風習から順番を指す言葉に


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/09/16

戦国の城 目で見る築城と戦略の全貌(上)関東編

 【書 名】戦国の城 目で見る築城と戦略の全貌(上)関東編
 【著 者】西ケ谷 恭弘
 【発行所】学研
 【発行日】1991/8/1
 【ISBN 】4-05-105602-3
 【価 格】1,748円

戦国期の関東23城が精密イラストとともに復元されています。
小田原城、石垣山一夜城、玉縄城、小机城、江戸城、世田谷城、稲付城、川越城、鉢形城、武州松山城、館山城、真里谷城、百首城、逆井城、山入城、堀之内大台城、唐沢山城、小山城、多気山城、箕輪城、名胡桃城、白井城、平井城


他に縄張図が紹介されています。
三崎城、大庭城、津久井城、赤塚城、志村城、滝の城、杉山城、花園城、土気城、坂田城、島崎城、額田城、小田城、西明寺城、益子城、川連城、国峰城、金山城、大胡城

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/09/09

道で謎解き合戦秘史

 【書 名】道で謎解き合戦秘史
 【著 者】跡部 蛮
 【発行所】双葉社
 【発行日】2017/07/23
 【ISBN 】978-4-575-31288-1
 【価 格】1000円

11の合戦を道で読み解いた一冊です。

・桶狭間への道
・川中島合戦の道
・小谷城攻めの道
・本能寺への道
・中国大返しの道
・天正壬午の乱の道
・賤ヶ岳の合戦の道
・江戸入府の道
・関ヶ原の合戦への道
・九州征服の道
・大坂ノ役への道

織田信長は小谷城を攻めるための付城を築きましたが、大規模土木工事も行いました。最前線の虎御前山砦から横山城へ連携するために間に宮部砦を造り、間に三間半(約6.5m)の道路を整備し、小谷城側には5.5kmにわたり高さ3mお築地を築かせています。

備中高松城の秀吉の元へ本能寺の変の知らせが届きますが、流言も飛び交うので本当に所は分かりません。荒木村重や別所の反乱で瀬戸内海側の連絡ルートが閉鎖された時に山陰道の連絡通路を作っていたようです。おそらく情報が両側から届きダブルチェックができた可能性があります。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

信長研究の最前線2

 【書 名】信長研究の最前線2
 【著 者】日本史史料研究会
 【発行所】洋泉社歴史新書
 【発行日】2017/8/18
 【ISBN 】978-4-8003-1306-5
 【価 格】980円

副題が「まだまだ未解明な革新者の実像」。織田信長は中世的で保守的であったという実像が中心になりつつありますが、前作に続き信長の実像に迫っています。

・信長以前の織田氏とそのルーツは
・信長を生んだ、尾張国の地形・地理的環境とは
・信長の一代記「信長記」はいかなる書物か
・織田の顔・姿はどこまで本物に近いのか

・スムーズでなかった、信長の家督相続の現実
・信長と美濃斎藤氏との関係とは
・浅井長政は、なぜ信長を裏切る決断をしたのか

・室町幕府の幕府とは何か
・信長はなぜ蘭奢待を切り取ったのか
・信長の馬揃えは朝廷への軍事的圧力だったのか

・信長とイエスズ会との本当の関係とは
・信長「神格化」の真意を検証してみる
・安土城「天主」の復元はどこまで可能か

・信長は、生野銀山を直接支配したのか
・信長と都市・堺はどのような関係だったのか
・名物狩りと御茶湯御政道の実像とは

織田信秀が亡くなった後、信長に家督を譲ったことになっていますが弟の信勝が信秀に似せた自身の花押を発給文書に書いており、どうもスムーズな家督相続ではなかったようです。美濃では斎藤道三が土岐頼芸と争っていましたが今川との戦いを優先せざるを得なくなった織田信秀が斎藤道三と組みます。これで信長と帰蝶との婚姻に結び付き、斎藤道三は美濃をとることができます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/09/02

戦国の城 目で見る築城と戦略の全貌(下)中部・東北編

 【書 名】戦国の城 目で見る築城と戦略の全貌(下)中部・東北編
 【著 者】西ケ谷 恭弘
 【発行所】学研
 【発行日】1992/12/01
 【ISBN 】978-4051063498
 【価 格】1942円

戦国期の中部・東北31城が精密イラストとともに復元されています。
清州城、小牧山城、岡崎城、浜松城、二俣城、高天神城、駿府城、山中城、岐阜城、高山城、躑躅ケ崎館、新府城、真田氏館、上田城、小諸城、海津城、林城、七尾城、一乗谷城、丸岡城、栃尾城、春日山城、向羽黒岩崎城、鴨山城、羽黒山城、小浜城、米沢古城、九戸城、高水寺城、堀越城、根城

他に縄張図が紹介されています。
末森城、葛山城、諏訪原城、小里城、金山城、江馬下館、屋代城、福与城、鳥越城、白鳥城、栖吉城、百目木城、楢葉城、久川城、八谷城、石切城、鹿島館、金沢柵、浪岡城

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/07/09

戦国おもしろばなし百話

 【書 名】戦国おもしろばなし百話
 【著 者】青木繁男
 【発行所】ユニプラン
 【発行日】2017/01/05
 【ISBN 】978-4-89704-406-4
 【価 格】1,500円

通説とは違った話がいくつか掲載されていて楽しめます。

・織田信長の京都馬揃えは正親町天皇の要請というのが通説ですが、どうもヴァリニャーニの日程にあわせて28日に馬揃えが実施されたようです。またこの時に信長公記にバテレンが黒人を連れてきたという記載があり、これが本能寺の変まで付き従うことになる弥助のようです。

・「神君、伊賀越え」はなく、家康は堺から東に向かい伊勢南街道を通り高見峠を越えて松坂の松ケ島城へ出て、伊勢の岩出城を経由し大湊から三河へ向かいます。伊賀越えをしていたのは別動隊という説です。

・秀吉の文禄・慶長の役では現地で投降した兵がおり、その中の武将の一人が沙也可。対馬出身、雑賀出身などいろいろな説がありますが、今も子孫がおり司馬遼太郎が沙也可の村を訪れたそうです。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/06/29

江戸始図でわかった江戸城の真実

 【書 名】江戸始図でわかった江戸城の真実
 【著 者】千田 嘉博、森岡 知範
 【発行所】宝島社新書
 【発行日】2017/06/09
 【ISBN 】978-4-8002-7129-7
 【価 格】740円

家康が造った江戸城については資料が残っておらず謎でしたが真田丸が独立した城だったことがわかった「極秘諸国城図」に創建当時の江戸城の絵図が入っていました。家康が入封した頃は太田道灌が造った江戸城を整備し使っていましたが関ケ原の合戦の後、ようやく余裕ができた家康は整備していきます。当時の天守閣は姫路城や和歌山城と同じ連郭式天守閣。5連続の枡形虎口や3重の丸馬出まであり高い防御力がありました。

二の丸などが突破されたら本丸だけで持ちこたえるのは難しいのですが、今川氏直と掛川城での戦いでの経験が影響しているようです。今川義元亡き後、9年間、今川を支えてきましたが、最後は掛川城で家康軍に包囲されます。裏切りも多く出ましたが朝比奈泰朝のように最後まで付き従う武将もいます。絶望的な籠城戦でしたが半年間持ちこたえている間に状況が変化し家康は北条と武田と相手することになり、今川氏直に武田信玄を駿河から追い出したら駿河を与えるという条件で和睦します。

後詰めがなくても状況変化で生き残れることを家康は学びました。もう一つ、和睦の条件を守らなくてもよいことは、のちの大坂の陣でまた使うことになります。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/06/23

戦国の城攻め

 【書 名】戦国の城攻め
 【著 者】渡邊 大門
 【発行所】光文社知恵の森文庫
 【発行日】2017/06/20
 【ISBN 】978-4-334-78722-6
 【価 格】680円

毛利氏による吉田郡山城の戦い、川越夜戦で有名な河越城の戦い、大友一族の内紛である大友二階崩れの変、尼子氏による第二次月山富田城の戦い、足利義昭を擁した織田信長と六角氏との観音寺城の戦い、浅井氏の小谷城の戦い、武田・徳川の境目の城である高天神城の戦い、松永久秀の信貴山城の戦い、荒木村重の有岡城の戦い、尼子・山中鹿介による上月城の戦い、波多野氏の裏切りによる、八上城の戦い、別所氏と戦った三木城の戦い、宇野氏と秀吉の戦いである長水城の戦い。

徹底した封鎖による鳥取城の戦い、水攻めで有名な備中高松城の戦い、上杉景勝を追い詰めた魚津城の戦い、長宗我部と三好との十河城の戦い、紀州で行われた水攻めである紀伊太田城の水攻め、のぼうの城で有名な忍城の戦い、関ヶ原の前哨戦となった岐阜城の戦い、立花宗茂らを釘付けにした大津城の戦い、直江兼続の長谷堂城の戦い、関ヶ原のもう一つの前哨戦である安濃津城の戦い、真田と徳川の戦いである上田城の戦い、大河ドラマで有名となった真田丸の攻防といった25の戦いが紹介されています。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/06/18

戦国武将の辞世

 【書 名】戦国武将の辞世
 【著 者】加藤 廣
 【発行所】朝日新書
 【発行日】2017/05/30
 【ISBN 】978-4-02-273718-2
 【価 格】760円

副題が「遺言に秘められた真実」となっています。

面白かったのが宮本武蔵と佐々木小次郎が戦った巌流島の戦い。小次郎の長刀よりも長い木刀を舟の櫂から作りリーチの差をいかしました。また細川藩は佐々木小次郎と弟子たちを一網打尽にしたかったようで、理由はキリシタンだったからだそうです。忠臣蔵についても面白いことが書かれていて討ち入りで実際に戦闘に参加した吉良側は15人ほど。小競り合いのようなものだったのが実際の話のようです。「覚悟した ほどにはぬれぬ 時雨かな」という、”なんだ~あ”という大石内蔵助の言葉が残っています。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧