2019/03/15

戦国大名と国衆

 【書 名】戦国大名と国衆
 【著 者】平山優
 【発行所】角川選書
 【発行日】2018/12/21
 【ISBN 】978-4-04-703670-3
 【価 格】1700円

大河ドラマ「真田丸」の最初の方では佐久・小県郡での国衆通しの争いが描かれ真田氏と対立する室賀氏などが描かれていますが武田氏の領国を舞台にした国衆にスポットをあてた一冊です。領国のなかには小領主と呼ばれる国衆がいて、いかに自軍に取り込むかが重要でした。国衆にとってもどの陣営につくかで家が栄える没落する滅亡するに分かれてしまうため大変な判断をしないといけない世界でした。

放状-被官が主人を離れるには主人に暇乞いをして、放状を発行してもらうのが基本でした。今でいう離職状みたいなものですね。当時も勝手に辞めることは行われていました。この被官の逃亡では裁判になる時もあったようです。

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2019/02/24

覇王 信長の海 琵琶湖

 【書 名】覇王 信長の海 琵琶湖
 【著 者】中井均、太田浩司、松下浩、東幸代
 【発行所】洋泉社歴史新書
 【発行日】2019/01/25
 【ISBN 】978-4-8003-1553-3
 【価 格】950円

敦賀と塩津の間を運河で結ぶ計画は平清盛の時代からあるそうで、昭和になっても2回計画されて断念しました。運河ができると日本海と太平洋が水路で結ばれることになります。北陸方面からの物資は塩津、海津、今津から坂本、大津へと運ばれ尾張や美濃からの荷物は米原にある朝妻湊が使われました。

安土城の築城では常楽寺湊が近くに会ったことが要因の一つでした。津田宗及が坂本城での茶会の後に安土に向かいますが、この常楽寺湊を使ったようです。安土は東山道からは少し離れていたので下街道(朝鮮人街道)を整備し、安土にくる商人は下街道を使うように定めました。

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2019/02/23

戦国武将に学ぶ究極のマネジメント

 【書 名】戦国武将に学ぶ究極のマネジメント
 【著 者】二木謙一
 【発行所】中公新書ラクレ
 【発行日】2019/02/10
 【ISBN 】978-4-12-150645-0
 【価 格】880円

滅んだ戦国武将というとボンクラのイメージですが、そんなことはなく家臣のため領民のためにいろいろと苦労して国をマネジメントしていました。論語などをしっかり読んで指針にしていました。「合戦というものは、ただ戦って勝ち、戦って負けるものではない。戦う前に勝敗の道理を知るのが良将というものである」という家康の言葉が残っています。

関ケ原の合戦で有名な吉川広家に親父の吉川元春が送った手紙が残っています。手紙によれば月代(さかやき)をしっかり剃って侍らしい恰好をしよという内容です。若い広家は当世風にしていたのでしょうね。毛利と秀吉との講和条件として広家は大坂に人質として送られ大坂で教育を受けることになります。

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2019/02/04

武士の人事

 【書 名】武士の人事
 【著 者】山本博文
 【発行所】角川新書
 【発行日】2018/11/10
 【ISBN 】978-4-04-082275-4
 【価 格】840円

田沼意次が失脚した後、老中首座についたのが松平定信。倹約を奨励したためバブル経済からデフレ経済に陥ってしまいました。この松平定信がまとめさせたのが「よしの冊子」という書物で、幕府役人や旗本、町人などに流布している話をまとめたものです。デフレ社会といい、なんか現代の監視社会とよく似ています。有名な火付盗賊改の長谷川平蔵も登場しますが町奉行など、あまり聞いたことがない人が登場し、出世したのかダメだったのか風評と共に人事が書かれていて、なかなか楽しめます。

きちんと仕事をするけれども上司とあわず出世できない、反対に仕事はできないが上司の覚えがよくって出世できるなど、現在と変わらない話もあります。武士の社会なんで事が起きても内々ですませる方が上司の覚えがよい面もあります。なかには優柔不断で町方から馬鹿にされる町奉行も出てきます。

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2019/01/19

歴史の勝者にはウラがある

 【書 名】歴史の勝者にはウラがある
 【著 者】河合 敦
 【発行所】PHP文庫
 【発行日】2018/12/17
 【ISBN 】978-4-569-76867-0
 【価 格】740円

副題が「日本人が誤解している戦国史」になっています。けっこうメジャーではない人物も取り上げられており、一人は臼井城を上杉謙信の猛攻から守った白井入道浄三で、寡兵でよく天下の名将である謙信の攻撃を防ぎました。もう一人は志賀親次という人物で大友側でしたが島津の猛攻で島津になびくものが多い中、荒城の月で有名な岡城にこもり、付近の城と連携しながら秀吉の島津征伐まで守り抜きました。


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2019/01/05

歴史家と噺家の城歩き

 【書 名】歴史家と噺家の城歩き
 【著 者】中井均、春風亭昇太、齋藤慎一
 【発行所】高心在書院
 【発行日】2018/12/10
 【ISBN 】978-4-86215-187-2
 【価 格】1800円

武田の城である躑躅ケ崎城、要害山城、白山城、新府城を巡る旅。

武田の城といいながら後世の改変も多いため、実際の縄張りを見ながらいろいろと考察しています。例えば武田の本城である躑躅ケ崎城はもともとは本郭だけのいわゆる守護館が基本でした。武田信玄の息子の義信のために新しい郭を作ったとあり、これが当時の大手が西側にあったようなので本郭の横に付けられた西郭のようです。これで聚楽第や広島城とよく似た縄張りとなります。君子南面すという言葉があるように南側に出入口を造らないのが当時の基本だったようで、造るとしたら勅使門になります。

御隠居郭はもともと家臣の郭だったのが、いろいろな郭を付け加える段階で躑躅ケ崎城に取り込まれていったようです。

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2018/12/09

無私の日本人

 【書 名】無私の日本人
 【著 者】磯田 道史
 【発行所】文春文庫
 【発行日】2016/06/10
 【ISBN 】978-4-16-790388-6
 【価 格】630円

刻田屋十三郎、中根東里、大田垣連月の3人を紹介しています。連月は連月焼で名前だけは知っていましたが、他の2人については全然、知りませんでした。

刻田屋十三郎は貧しい吉岡宿が寂れていく一方で、このままでは皆が立ち行かなくなることに憂いていました。そこで有志と考え出した方法が藩にお金を貸して、その利息を宿場に支払ってもらうという前代未聞の方法。ところが前例主義、事なかれ主義の武士の世界を動かすのは並大抵ではありません。同志の浅野屋は皆のためならと身代をこの事業にかけていました。時間をかけ工夫をしながら何とか成し遂げます。これが藩主の耳まで入り、なんと藩主が浅野屋をたずね酒銘をあたえ、殿さまが名付けたお酒と評判をよび浅野屋は破産を免れます。

大和川付け替えを長年にわたって実現した中甚兵衛の名前は今に伝わっていますが、他にも皆のためと考えて生きた江戸時代の人々がいたのですね。この当時、”そんなことをしてはご先祖様にあわせる顔がない”という公共心が今以上にあったようです。

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2018/11/24

徳政令 なぜ借金を返さなければならないのか

 【書 名】徳政令 なぜ借金を返さなければならないのか
 【著 者】早島 大祐
 【発行所】講談社現代新書
 【発行日】2018/08/21
 【ISBN 】978-4-06-512902-9
 【価 格】880円

中世の利子率は月5%(年60~65%)で高率ですが、稲の種まきする頃に貸し付けて収穫期に回収する出挙以来の設定になっています。一粒から五十粒ほどになりますので当時は妥当でした。借上や土倉の本業は荘園の代官請負業で金融は副業でしたが、こちらが伸びることになります。地域では現地の荘園代官が担っていましたが税負担の増大と天変地異などで地域金融が崩壊していきます。今でいうと信金などがつぶれる状況で都市銀行に集中する形となります。

室町幕府の奥向きでいろいろと浪費していましたが、この費用を発達した京都の借上や土倉が担っていましたが、さすがに苦しくなりだし幕府はいろいろな所から税金をとろうとします。これで一般庶民が苦しむことになり徳政令を求める動きになり、実力行使で徳政令が出されますが、結局は信用できない社会となり疲弊していきます。

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2018/11/23

戦国の城の一生

 【書 名】戦国の城の一生
 【著 者】竹井 英文
 【発行所】吉川弘文館
 【発行日】2018/10/01
 【ISBN 】978-4-642-05875-9
 【価 格】1,700円

全国にある城はコンビニの数よりも多く、1村1城だった時代もありました。古城をリサイクルしたりなど城の一生についての一冊です。城の維持管理は郷村にまかされていました。例えば相模玉縄城の田名郷では中城や清水郭の兵の一部が担当でした。また山城は禿山ではなく、中の様子が見られことと土留のために適当に植生もされていました。

戦国大名は自由に城を造れたわけではなく地元が反対していると造らない場合もあったようです。城には門限もあって上野箕輪城では午前7時頃に開門し午後5時頃に閉門されていました。飲み会などは禁止でしたが、よく条文が出されるぐらいなので守られてなかったようです。

小牧長久手の合戦では伊勢も戦場になりました。織田信雄・徳川家康連合軍では伊勢萱生城へのつなぎの城として古城だった浜田城を再利用したようです。

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2018/11/10

明智光秀 残虐と謀略

 【書 名】明智光秀 残虐と謀略
 【著 者】橋場日月
 【発行所】祥伝社新書
 【発行日】2019/09/10
 【ISBN 】978-4-396-11546-3
 【価 格】840円

最新史料をもとに光秀の素顔を迫る本です。

■近江高島 田中城に籠城
明智光秀が史料に登場するのは田中城(上寺城)に籠城した時の記録が最初です。命じたのは足利義輝で六角氏を浅井氏から援護するために命じられたようです。大坂の陣で豊臣方として本町橋の夜討に傘下したのが長岡(米田)監物是季で、母は田中城主の姉で明智光秀の妻の姪でした。田中城籠城の縁で明智は田中、比良、米田、沼田、細川といった諸氏とつながりができたようです。

明智光秀は意外に若かったという説があり天文9年(1540)生まれともいわれています、こうなると本能寺の変の時には42歳となります。

■秀吉との競争
明智光秀だけではありませんが押領の常習犯で、訴えられてもいます。比叡山延暦寺の焼き討ちを進言したのも光秀で信長自身は最後まで躊躇していたようです。実力主義の織田家中では、基本的に自ら立案して信長のOKをもらい自ら実行することで自分の領地を拡げる形でした。また光秀は孤独だったようで実績を上げ続けなければなりません。またこまめにいろいろな報告を信長にしていたようで、まるで現地にいるようだと信長に褒められています。ホウレンソウは戦国時代も重要なんですね。

秀吉は中国をおさえにいきますが、光秀は四国から九州入りを狙っていました。これが長宗我部との接近となります。また毛利と和睦して九州に行く案で信長もこの案にのっていましたが、秀吉は宇喜多直家を寝返らせて毛利をたたく方に路線変更させます。また奥を取り仕切っていた妹の死去によって信長への根回しも弱くなり、八歩ふさがりになったことが本能寺の変の遠因になっているようです。

■天王山
武田勝頼と激突した長篠の戦の立案者は光秀だったようで、天王山の戦いではそれを再現するために小泉川沿いに長大な防衛ラインを作ります。秀吉側は雨なので明日が戦と言いながら、夕方に決戦がはじまります。天候が回復していきそうなので光秀が得意とする鉄砲を使えなくする作戦で勝利することになります。

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