2019/02/04

武士の人事

 【書 名】武士の人事
 【著 者】山本博文
 【発行所】角川新書
 【発行日】2018/11/10
 【ISBN 】978-4-04-082275-4
 【価 格】840円

田沼意次が失脚した後、老中首座についたのが松平定信。倹約を奨励したためバブル経済からデフレ経済に陥ってしまいました。この松平定信がまとめさせたのが「よしの冊子」という書物で、幕府役人や旗本、町人などに流布している話をまとめたものです。デフレ社会といい、なんか現代の監視社会とよく似ています。有名な火付盗賊改の長谷川平蔵も登場しますが町奉行など、あまり聞いたことがない人が登場し、出世したのかダメだったのか風評と共に人事が書かれていて、なかなか楽しめます。

きちんと仕事をするけれども上司とあわず出世できない、反対に仕事はできないが上司の覚えがよくって出世できるなど、現在と変わらない話もあります。武士の社会なんで事が起きても内々ですませる方が上司の覚えがよい面もあります。なかには優柔不断で町方から馬鹿にされる町奉行も出てきます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2019/01/19

歴史の勝者にはウラがある

 【書 名】歴史の勝者にはウラがある
 【著 者】河合 敦
 【発行所】PHP文庫
 【発行日】2018/12/17
 【ISBN 】978-4-569-76867-0
 【価 格】740円

副題が「日本人が誤解している戦国史」になっています。けっこうメジャーではない人物も取り上げられており、一人は臼井城を上杉謙信の猛攻から守った白井入道浄三で、寡兵でよく天下の名将である謙信の攻撃を防ぎました。もう一人は志賀親次という人物で大友側でしたが島津の猛攻で島津になびくものが多い中、荒城の月で有名な岡城にこもり、付近の城と連携しながら秀吉の島津征伐まで守り抜きました。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2019/01/05

歴史家と噺家の城歩き

 【書 名】歴史家と噺家の城歩き
 【著 者】中井均、春風亭昇太、齋藤慎一
 【発行所】高心在書院
 【発行日】2018/12/10
 【ISBN 】978-4-86215-187-2
 【価 格】1800円

武田の城である躑躅ケ崎城、要害山城、白山城、新府城を巡る旅。

武田の城といいながら後世の改変も多いため、実際の縄張りを見ながらいろいろと考察しています。例えば武田の本城である躑躅ケ崎城はもともとは本郭だけのいわゆる守護館が基本でした。武田信玄の息子の義信のために新しい郭を作ったとあり、これが当時の大手が西側にあったようなので本郭の横に付けられた西郭のようです。これで聚楽第や広島城とよく似た縄張りとなります。君子南面すという言葉があるように南側に出入口を造らないのが当時の基本だったようで、造るとしたら勅使門になります。

御隠居郭はもともと家臣の郭だったのが、いろいろな郭を付け加える段階で躑躅ケ崎城に取り込まれていったようです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018/12/09

無私の日本人

 【書 名】無私の日本人
 【著 者】磯田 道史
 【発行所】文春文庫
 【発行日】2016/06/10
 【ISBN 】978-4-16-790388-6
 【価 格】630円

刻田屋十三郎、中根東里、大田垣連月の3人を紹介しています。連月は連月焼で名前だけは知っていましたが、他の2人については全然、知りませんでした。

刻田屋十三郎は貧しい吉岡宿が寂れていく一方で、このままでは皆が立ち行かなくなることに憂いていました。そこで有志と考え出した方法が藩にお金を貸して、その利息を宿場に支払ってもらうという前代未聞の方法。ところが前例主義、事なかれ主義の武士の世界を動かすのは並大抵ではありません。同志の浅野屋は皆のためならと身代をこの事業にかけていました。時間をかけ工夫をしながら何とか成し遂げます。これが藩主の耳まで入り、なんと藩主が浅野屋をたずね酒銘をあたえ、殿さまが名付けたお酒と評判をよび浅野屋は破産を免れます。

大和川付け替えを長年にわたって実現した中甚兵衛の名前は今に伝わっていますが、他にも皆のためと考えて生きた江戸時代の人々がいたのですね。この当時、”そんなことをしてはご先祖様にあわせる顔がない”という公共心が今以上にあったようです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018/11/24

徳政令 なぜ借金を返さなければならないのか

 【書 名】徳政令 なぜ借金を返さなければならないのか
 【著 者】早島 大祐
 【発行所】講談社現代新書
 【発行日】2018/08/21
 【ISBN 】978-4-06-512902-9
 【価 格】880円

中世の利子率は月5%(年60~65%)で高率ですが、稲の種まきする頃に貸し付けて収穫期に回収する出挙以来の設定になっています。一粒から五十粒ほどになりますので当時は妥当でした。借上や土倉の本業は荘園の代官請負業で金融は副業でしたが、こちらが伸びることになります。地域では現地の荘園代官が担っていましたが税負担の増大と天変地異などで地域金融が崩壊していきます。今でいうと信金などがつぶれる状況で都市銀行に集中する形となります。

室町幕府の奥向きでいろいろと浪費していましたが、この費用を発達した京都の借上や土倉が担っていましたが、さすがに苦しくなりだし幕府はいろいろな所から税金をとろうとします。これで一般庶民が苦しむことになり徳政令を求める動きになり、実力行使で徳政令が出されますが、結局は信用できない社会となり疲弊していきます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018/11/23

戦国の城の一生

 【書 名】戦国の城の一生
 【著 者】竹井 英文
 【発行所】吉川弘文館
 【発行日】2018/10/01
 【ISBN 】978-4-642-05875-9
 【価 格】1,700円

全国にある城はコンビニの数よりも多く、1村1城だった時代もありました。古城をリサイクルしたりなど城の一生についての一冊です。城の維持管理は郷村にまかされていました。例えば相模玉縄城の田名郷では中城や清水郭の兵の一部が担当でした。また山城は禿山ではなく、中の様子が見られことと土留のために適当に植生もされていました。

戦国大名は自由に城を造れたわけではなく地元が反対していると造らない場合もあったようです。城には門限もあって上野箕輪城では午前7時頃に開門し午後5時頃に閉門されていました。飲み会などは禁止でしたが、よく条文が出されるぐらいなので守られてなかったようです。

小牧長久手の合戦では伊勢も戦場になりました。織田信雄・徳川家康連合軍では伊勢萱生城へのつなぎの城として古城だった浜田城を再利用したようです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018/11/10

明智光秀 残虐と謀略

 【書 名】明智光秀 残虐と謀略
 【著 者】橋場日月
 【発行所】祥伝社新書
 【発行日】2019/09/10
 【ISBN 】978-4-396-11546-3
 【価 格】840円

最新史料をもとに光秀の素顔を迫る本です。

■近江高島 田中城に籠城
明智光秀が史料に登場するのは田中城(上寺城)に籠城した時の記録が最初です。命じたのは足利義輝で六角氏を浅井氏から援護するために命じられたようです。大坂の陣で豊臣方として本町橋の夜討に傘下したのが長岡(米田)監物是季で、母は田中城主の姉で明智光秀の妻の姪でした。田中城籠城の縁で明智は田中、比良、米田、沼田、細川といった諸氏とつながりができたようです。

明智光秀は意外に若かったという説があり天文9年(1540)生まれともいわれています、こうなると本能寺の変の時には42歳となります。

■秀吉との競争
明智光秀だけではありませんが押領の常習犯で、訴えられてもいます。比叡山延暦寺の焼き討ちを進言したのも光秀で信長自身は最後まで躊躇していたようです。実力主義の織田家中では、基本的に自ら立案して信長のOKをもらい自ら実行することで自分の領地を拡げる形でした。また光秀は孤独だったようで実績を上げ続けなければなりません。またこまめにいろいろな報告を信長にしていたようで、まるで現地にいるようだと信長に褒められています。ホウレンソウは戦国時代も重要なんですね。

秀吉は中国をおさえにいきますが、光秀は四国から九州入りを狙っていました。これが長宗我部との接近となります。また毛利と和睦して九州に行く案で信長もこの案にのっていましたが、秀吉は宇喜多直家を寝返らせて毛利をたたく方に路線変更させます。また奥を取り仕切っていた妹の死去によって信長への根回しも弱くなり、八歩ふさがりになったことが本能寺の変の遠因になっているようです。

■天王山
武田勝頼と激突した長篠の戦の立案者は光秀だったようで、天王山の戦いではそれを再現するために小泉川沿いに長大な防衛ラインを作ります。秀吉側は雨なので明日が戦と言いながら、夕方に決戦がはじまります。天候が回復していきそうなので光秀が得意とする鉄砲を使えなくする作戦で勝利することになります。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018/11/04

宇喜多秀家と豊臣政権

 【書 名】宇喜多秀家と豊臣政権
 【著 者】渡邊大門
 【発行所】洋泉社
 【発行日】2018/10/19
 【ISBN 】978-4-8003-1580-9
 【価 格】980円

毛利氏から離反し織田方について宇喜多直家が病死した時、宇喜多秀家はわずか8歳でした。やがて天下をとった秀吉は秀家を豊臣家大名にしようと養女の豪姫(前田利家の娘)と結婚させ、順調に成長していきます。

ところが秀吉が死去すると事情が激変。宇喜多秀家の領地は備前・美作ですが、昔からの国衆である有力な家臣が多く、なかなか一枚岩になりません。浮田姓を与えて疑似的な一族としたり、豪姫の婚礼と共に前田家から宇喜多家に入った中村次郎兵衛を登用して改革しようとしましたが旧臣とぶつかり、宇喜多騒動が起きます。ここに介入したのが家康で、宇喜多秀家を離れた家臣は家康につき関ケ原の合戦でも東軍方につきます。

宇喜多秀家は関ケ原の合戦で敗れ薩摩に逃れます。薩摩の嘆願によって助命され八丈島に流されることになります。

■校正ミス p211 分部光嘉の上野城(三重県伊賀市)ではなく(三重県津市)です。伊勢上野城と伊賀上野城を間違えたのでしょう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018/10/19

地形と立地から読み解く戦国の城

 【書 名】地形と立地から読み解く戦国の城
 【著 者】萩原さちこ
 【発行所】マイナビ出版
 【発行日】2018/9/28
 【ISBN 】978-4-8399-5978-4
 【価 格】1,290円

カラー版で戦国の城を紹介しています。境目の城や城攻めで使われた附け城など、けっこうマイナーな城も紹介されています。第一章が城の分類と戦国の城の基礎知識にもなっていますので初心者向けガイドにもなっています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018/09/29

織田家臣団の謎

 【書 名】織田家臣団の謎
 【著 者】菊池 浩之
 【発行所】角川選書
 【発行日】2018/02/22
 【ISBN 】978-4-04-703639-0
 【価 格】1,700円

信長といえば能力主義で抜擢したという話が有名ですが、なぜそんな風にしないといけなかったのか家臣団の謎を分かる一冊です。

姉川の合戦ですが信長は浅井・朝倉が攻めてくるとは予想していなかったようで、柴田勝家は長光寺城へ、佐久間信盛は永原城へ戻され京都へ戻る帰路を確保していました。信長軍が手薄だと見た浅井・朝倉が攻め掛り、最大の武将が徳川家康だけだったため信長は先鋒を家康に頼んで、なんとかしのいだのが真相のようです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧