2022/03/20

地形で読みとく都市デザイン

 【書 名】地形で読みとく都市デザイン
 【著 者】岡本哲志
 【発行所】学芸出版社
 【発行日】2019/09/25
 【ISBN 】978-4-7615-2715-0
 【価 格】2500円


■神田明神
神田明神はもともと柴崎村にあり。安房国から東京湾を渡って移住してきて安房神社の分霊を祀っていました。これが神田明神になっていきます。


■日野用水
開削したのは北条氏照(滝山城主)


■桑折
福島県にある桑折(こおり)が伊達氏の発祥の地


■潮位差
瀬戸内海-広島4m
太平洋ー東京、鹿児島2.3m
日本海-新潟、境港0.3m ※伊根に舟屋が可能に


■枝折(しおり)城
醒ヶ井駅から1kmほど山に入ったところに土肥氏が築城。関ヶ原の戦いでは西軍についたために鳥取に落ち延びることに。この時に資産や記録を寺社に寄進していったため記録が残っています。


■首都高
高速道路の下に店舗を入れ込むことで、家賃収入で高速道路の運営ができました。

| | コメント (0)

2022/03/19

地形と地理でわかる神社仏閣の謎

 【書 名】地形と地理でわかる神社仏閣の謎
 【著 者】古川順弘、青木康
 【発行所】宝島社新書
 【発行日】2022/03/24
 【ISBN 】978-4-299-02770-2
 【価 格】1210円


■タケミナカタ
西側の出雲大社側が鉄の交易ルート、東側の美保神社が越の国からもたらされたヒスイの交易ルート。コトシロヌシが国譲りに合意したのは美保の地で、タケミナカタは反対して追われ諏訪に落ち着きますが交易ルートを逃れています。当時の諏訪湖は盆地一体に拡がっており諏訪神社の上社、下社は湖のほとりに造られました。


■沖ノ島
松浦から出航すると壱岐、対馬経由で朝鮮半島に渡れますが航路をはずれると湧き水がある沖ノ島にたどりつける可能性があります。たくさんの宝物は命拾いした船乗りが奉納したものと考えられています。


■合目は山岳信仰から
人間が仏に至る段階。地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天、声聞、縁覚、菩薩、仏に当てはめたもので五合目は「人」になります。


■篠島
三河湾の入口にある篠島は伊勢神宮の神領で倭姫によって御神界とされました。


■アメノホアカリ
尾張氏の祖先はアメノホアカリ、籠神社の祭神もアメノホアカリと同一。アメノホアカリはニニギの兄で先代旧事本紀では大和に下ったニギハヤヒと同一にしています。


■上賀茂神社
平安京からできる前からあり、山城国風土記には賀茂社については一つで記されており、下鴨神社は朝廷が加茂氏の強大な力を怖れるようになって分割させたようです。


■高尾山古墳(沼津)
全長60mの前方後円墳で箸墓古墳と同じか、さらに古い230年頃に造られたのではと言われています。


■興福寺
興福寺の境内発掘で条坊道路を破壊して伽藍を造営した後が見つかり藤原不比等がやったようです。また春日大社には土着の神ではなく鹿島神宮、香取神宮から勧請しました。


■東寺、西寺
平安京に造られた東寺、西寺は最初、鴻臚館ではなかったのかという説があります。羅城門の近くにあり、9世紀頃になって七条に朱雀大路をはさんで鴻臚館が東西に造られまで鴻臚館として機能していたのはという説です。こうなると桓武天皇は徹底的に仏教勢力の排除を考えていたようです。


■熊野
熊野カルデラ火山、熊野北カルデラ火山は巨大な2つの火山が1400万年前に造ったものです。熊野速玉大社の速玉祭りの舞台となる御船島は岩島で熊野酸性火成岩類で川に侵食されました。

| | コメント (0)

2022/01/14

地形散歩のすすめ

 【書 名】地形散歩のすすめ
 【著 者】新之介
 【発行所】学芸出版社
 【発行日】2021/11/01
 【ISBN 】978-4-7615-2796-9
 【価 格】2000円


■ヒトモトススキ
河内湾から河内湖に変遷によって森ノ宮の貝塚遺跡では海に生息するマガキから淡水に生息するセタシジミに移り変わっています。また生駒山麓の日下新地では海岸近くで生息するヒトモトススキが生息しています。


■佃
田蓑島で徳川家康が多田神社に参詣する時に田蓑島の漁師が渡船をつとめた縁から家康が田蓑島へ寄り、漁業のかたわら田も作れと言ったことから村名が田蓑から佃へと変更。田蓑の名前を残すために住吉神社の名前を田蓑神社に改名します。家康が関東に移った時に将軍家に献魚するように言われ、神社の宮司ら34名が江戸へ移住し、どこで漁をしてもよく税もとらないと特権を与えられます。これが佃島で田蓑神社と同じ住吉三神と神功皇后、家康を祀った住吉神社が鎮座します。


■垂水西牧
摂関家の荘園で春日大社に寄進されました。管理を行う目代の屋敷である春日大社南郷目代今西氏屋敷が今も残っています。


■上町断層
生国魂神社の本殿背後に18mの崖があり縄文海進時代に形成された海食崖。上町断層は生国魂神社の西約300mほどの地下深くにあるようで隆起した台地が外海に削られて東へ後退したようです。


■鹿谷寺跡
竹内街道から二上山の雌岳を少し登ったところに8世紀頃の石窟寺院である鹿谷寺跡があります。十三重層塔は建てたものではなく凝灰岩を掘り残して造られたもので1000年以上も残っています。近くには岩屋という別の石窟寺院跡がある。


■環濠集落
摂津ー塚口、富田(高槻)、小浜(宝塚)
河内-招堤(枚方)、枚方、出口(枚方)、久宝寺、八尾、萱振(八尾)、富田林、大ケ塚(河南町)
奈良盆地にはかって160~240ほどの環濠集落が存在したようである。

| | コメント (0)

2021/07/28

日本の都市誕生の謎

 【書 名】日本の都市誕生の謎
 【著 者】竹村公太郎
 【発行所】ビジネス社
 【発行日】2021/06/01
 【ISBN 】978-4-8284-2285-5
 【価 格】1400円


■江戸以前の関東
関東平野は大湿地帯だったため昔の古道は江戸を避けていました。戦国時代、山口~伊豆半島、紀伊半島~能登半島まで木が伐採されて禿山ばかり。明治から昭和にかけても禿山で昭和初期の比叡山ケーブルは禿山の中を走っていました。広重の東海道53次でも禿山のような背景がところどころに書かれています。江戸を入府した家康が見たのが森林で、江戸を大改造することになります。


■上町台地
石山本願寺が籠城できた一つの理由が水の確保です。上町台地の南側から地下水流が流れ込んでいて井戸を掘れば飲み水が確保できました。


■重力による下水道システム
3.11で電源が止まってもも仙台の下水処理場は機能していました。ポンプを使用せず自然の重力だけで汚水を流すことができ、元々は伊達政宗の遺産でした。政宗がたぶん参考にしたのが今も現役で使われている太閤下水のようです。


■牛馬を家族にした日本
モンゴルなどでは牛を制御するために去勢して車を曳かせましたが、日本は家族のように扱ったためか去勢しませんでした。発情期の牛はちょっとした刺激で暴れだすため平安絵巻には暴走する牛車が描かれています。渇いた広い台地がないこともあり車が発達しなかったようです。


■三分の一堰
水争いをなくすために平等に三棟分する堰があり、信玄が造ったと伝わっています。


■災害が多い日本
陸面積で0.3%しかないのに巨大地震の20%が起き、活火山の10%が集中しています。

| | コメント (0)

2021/06/12

世界と日本の地理の謎を解く

 【書 名】世界と日本の地理の謎を解く
 【著 者】水野一晴
 【発行所】PHP新書
 【発行日】2021/05/27
 【ISBN 】978-4-569-84948-5
 【価 格】950円


■砂漠
砂砂漠は20%で礫砂漠や岩砂漠が80%をしめています。


■湧水の源
ケニアやキリマンジャロでの飲料水は山麓(2000m)あたりの湧水でもともとは標高5000mぐらいの氷河や積雪が解けて長い年月をかけて湧き出てきたことが分かってきました。


■渋谷に高層ビルが少ない理由
12万年前以前に形成された新宿の地盤が一番硬い。次が6万年前にできた池袋で渋谷は2万年前にできており谷に泥がたまった地層で高層ビルを建てるには建設費がかかるため高層ビルが少ないことになります。


■エベレスト 8848mより高い山がない理由
エベレストの標高は対流圏と成層圏の境界の圏界面より少し低い高さになり、山頂が圏界面を超えると雲ができず強い日差しや夜との温度差で崩落し、長い年月で見ると圏界面より低くなります。飛行機で上昇してシートベルトがはずせるのは、対流圏から圏界面を超える時になります。


■縄文海進とハブの生息
諸説ありますがハブのいない島は標高が低い隆起サンゴ礁の島が多く、ハブがいるのは標高の高い火山島と言われています。


■倹約遺伝子説
ポリネシアの人々は身体が大きくトンガなどでは65%以上が肥満体。小さな島から移住していくのに少ない食料で耐えるために、そういった体質の人間だけ生き残ったという説です。

| | コメント (0)

2019/02/09

フォッサマグナ

 【書 名】フォッサマグナ
 【著 者】藤岡換太郎
 【発行所】講談社ブルーバックス
 【発行日】2018/09/20
 【ISBN 】978-4-06-512871-8
 【価 格】1000円

日本列島のど真ん中にある巨大ツ地溝がフォッサマグナですが、成り立ちなどよく分かっていません。ナウマンゾウで有名なエドムント・ナウマンが名付け親で日本に来たのは20歳という青年地質学者でした。フォッサマグナはラテン語で大きな地溝という意味になります。

日本列島は大陸から離れ東日本は反時計回り、西日本は時計回りで引っ付いたことは分かっています。この時に断裂(オラーコジン)が発生し北のフォッサマグナができたました。ここへ伊豆半島となるフィリピン海プレートがぶつかって南のフォッサマグナができたようです。伊豆半島はフィリピン海プレートに乗って本州にぶつかったことが分かっていますが最初のプレートの境界で作られたのが多摩川で、だんだんずれて次に出来た境界が相模川、現在のプレート境界が酒匂川になっています。

もともとあった中央構造線はこのフォッサマグナの活動で、その部分だけ消えてしまいます。フォッサマグナは深く地下6000メートルまでボーリング調査しても基盤岩に到達せず日本アルプスの高さと足すと1万メートルを超える巨大なものになっています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)