2024/05/12

楠木正成・正行・正儀 南北朝三代の戦い

 【書 名】楠木正成・正行・正儀 南北朝三代の戦い
 【著 者】生駒孝臣
 【発行所】星梅社新書
 【発行日】2024/04/22
 【ISBN 】978-4-06-535473-5
 【価 格】1400円

■新田義貞
千早城に籠城する楠木正成の攻めてにいたのが新田義貞。護良親王の倒幕の令旨を受け取ると仮病で陣を引き払って上野国に戻り、鎌倉に攻め込みます。

■楠木正儀
楠木正行らが討死した後に中心となったのが弟である楠木正儀です。二代将軍、足利義詮による南朝征伐が落ち着いた頃に幕府側で二木義長を追い落とす動きがあり内乱が起きていました。このチャンスに後村上天皇は住吉社に行宮を移して前線基地にして京都奪環を目指します。そこに起きたのが1361年6月24日の南海地震。被害を受けた摂津に対して南朝が復興の手を差し伸べて支配地を拡げていきました。

■楠木氏のその後
松永久秀の家臣に備前国出身の大饗正虎という人物がおり信長や秀吉の祐筆にもなります。大饗は河内郡大饗(堺市美原区)を名字にしたもので楠木一族であった和田氏の本貫だったところです。祖先の朝敵赦免と楠への改姓を松永久秀に頼み、久秀が正親町天皇に依頼して実現します。本当に楠木氏の末裔かどうかわ分かりません。

■楠木一族
橋本氏ー和泉国日根郡橋本
神宮寺氏-河内国大県神宮寺(八尾)
大塚氏-石川郡大ケ塚(河南町)
佐備氏-石川郡佐備

正成軍
石川判官代(河内源氏石川氏)ー河内国石川
平野但馬前司-摂津国平野(平野郷)
渡辺孫六-渡辺津 白河院政期から王家の直轄領扱いで恩恵をうけていたため滝口の武士や北面の武士として王家に直属し平野家とともに在京が多かった。
切(木札)判官代-喜連
八田ー和泉国八田荘(岸和田)
湯浅-紀伊国

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2018/01/24

蒙古襲来と神風

 【書 名】蒙古襲来と神風
 【著 者】服部 英雄
 【発行所】中公新書
 【発行日】2017/11/25
 【ISBN 】978-4-12-102461-9
 【価 格】860円

伊勢神宮の外宮、内宮のそれぞれに風宮、風日祈宮という別宮があります。元寇の時に神風を起こし日本を守ったとして別宮に昇格しましたが、いまだに元寇は神風(台風)のおかげで助かったという論が多い中、実際に鎌倉武士はいかに戦ったのかを竹崎季長の「蒙古襲来絵詞」などの同時代史料を使いながら論説しています。台風で元軍が一日で退散したとか言われていますが、そんなことはなく沈んだのはバラストの積みすぎた老朽船だけです。

元軍の一部である高麗軍(東路軍)は志賀島をおさえ要塞化をしていました。確かに台風の影響はありましたが、鎌倉武士は満潮や干潮の時間も考え戦略的に攻撃していました。江南軍は被害を受け、司令官もあまりやる気がなかったようで戦略的目標である大宰府をおさえることが無理なため、撤退しました。ただ敗戦の理由に台風を過大に報告していたようです。現場を知らない京都の貴族は神風のおかげで助かったということになり、訳の分からない神風神話なるものができることになります。

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