2017/09/02

中村屋のボース

 【書 名】中村屋のボース
 【著 者】中島 岳志
 【発行所】白水社
 【発行日】2005/04/30
 【ISBN 】4-560-02778-1
 【価 格】2200円

ボースの娘さんから借りた資料などから出来上がった一冊で大佛次郎論壇賞、アジア太平洋賞を受賞しています。

新宿中村屋のカレーはインド独立の味がすると言われていますが、本格的なカレーの味を伝えたのがR.B.ボース。イギリス植民地となっていたインドの独立闘志がボースでした。爆破事件などでイギリスに追われ1915年に日本に亡命。匿ったのが新宿中村屋です。日本の力を使ってインド独立を目指そうとしますが日本自体が帝国主義になり朝鮮や中国に進出して植民地化しようと、やっていることがイギリスと変わらなくなり、悩むことになります。道半ばで日本で亡くなりますが、亡くなる前に「なにが食べたいですか」という質問に迷わず「インドカリー」と答えました。

銀座に「ナイルレストラン」がありますが、創業者のナイルも京大留学時代からインド独立運動をしておりボースと連携していろいろと行動しています。他にも安岡正篤などそうそうたるメンバーが登場します。関連本として「新宿中村屋 相馬黒光」、「一商人として」もおすすめです。

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2005/01/14

新宿中村屋 相馬黒光

 【書 名】新宿中村屋 相馬黒光
 【著 者】宇佐美 承
 【発行所】集英社
 【発行日】1997/10/30
 【ISBN 】4-08-774289-X
 【価 格】2800円

新宿中村屋の本です。

旦那の相馬愛蔵は「一商人として」という本を書いていますが、こちらは奥さんについてです。奥さんの名前は黒光(こっこう)と言います。(本名は良)

昔、新宿の中村屋でカリーライスを頼むと必ず蘊蓄をたれる人がいたようで「どうだ、うまいだろう。このなかにはヨーグルトという乳製品が入っているんだ。伝授したのはボースというインド人で、祖国でイギリス人の総督の命をねらった人だ。懸賞金付きで指名手配されて日本に逃げてきたんだが、そのインド人をあの人が救ったという話だ」とその頃まだ働いていた黒光を指して食べたそうです。

ウーン、今度中村屋のカリーライスを食べる時はぜひこういうセリフを言わねば。大阪の阪急地下の店ってまだ、ありましたよね?

それにしても、この黒光という人物は学生時代から色々なことに巻き込まれていたようです。明治女学校に入学した頃に、従姉妹と文士志望の国木田独歩の恋、結婚、破局につきあわされることになります。のちに有島武郎がこの従姉妹をモデルに「或る女」という小説にしています。

相馬愛蔵の書いた「一商人として」(岩波)が中村屋の歴史を淡々と描いていますが、この本は中村屋サロンなど黒光を中心に描いています。もちろんボースの話なども詳細が載っており、昭和19年10月に恩人だった頭山満が死んで、翌年1月にボースが57歳で死んでいます。

昭和19年の7月というと日本軍とチャンドラ・ボースが率いる印度国民軍がインパールから撤退した年で、20年8月は敗戦の年です。ボースだけではなくロシアや韓国などから追われた人々をずいぶん助けていたんですね。関東大震災の時には徹夜でパンを焼け出された人に値上げもせず配り、昭和の天河屋義平と呼ばれたり、義商という名前もありました。

黒光(相馬良)が死んだのが昭和30年で80歳でした。

明治から終戦にかけてを、時代の移り変わりと共に新しい視点を提供してくれる題材を豊富に備えた一冊です。

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2005/01/13

一商人として

 【書 名】一商人として
 【著 者】相馬愛蔵
 【発行所】岩波書店
 【発行日】昭和13年7月25日
 【 ISBN 】無し
 【価 格】200円 (古書値2000円)

元々は何がきっかけでこの本を探していたのか忘れてしまいましたが、何かの本に紹介されていて、読みたいなと探書リストに書き込みました。

岩波の発行書籍を探しても無く、とっくに絶版になった本です。岩波のホームページが出来た時は一番にこの本を探しましたが、ありません。こりゃ古本屋で探すしかないなと思っているうちに5年あまり、すっかりあきらめていたら、たまたま時間があって入った銀閣寺道近くの古本屋の一番下の棚の片隅にありました!探していたらいつかは出てくるものですね。

学生時代、用事で梅田に出ると昼飯は決まって、阪急3番街の新宿中村屋のカレーでした。梅田・地下2階の地下街を流れる川を見ながら食べるカレーは実に美味でした。その中村屋を作ったのが相馬愛蔵です。

元々はパン屋をやろうと考えていたら萬朝報(古いな!黒岩涙香でしたっけ?)の広告に「パン店譲り受け渡し」とあり、本郷の帝大前にあった中村屋というパン屋を買ったのがそもそもの始まりです。明治34年のことです。

■酒を売ろうとしたこともある
やがて近所でミルクやジャムを仕入原価ぐらいで売る店が現われました。調べてみると酒や煙草のマージンで、その安売りをやっているようでした。対抗上、酒の売りだしを決めたところ、どなりこんできたのが内村鑑三です。

「中村屋が悪魔の使者ともいうべき酒を売るとはなにごとだ!」とこの一件ですぐに取り止めに苦労しましたが、店を軌道に乗せることができました。内村鑑三とも親交のあった中村屋です。

■葉桜餅は中村屋から
開業3年目にクリームパンやクリームワッフルの二つが新案で生まれ好評でした。その頃、役場から小学生用に赤飯の注文があり、米を水の浸しておいたところに注文の取消があり、仕方無しに少しつぶし
て桜色をつけて餡を入れ、桜の葉を巻いて売り出した所、季節商品として新鮮だったのが大いに受けたそうです。よく売れたので定番として、そのうちに全国に広まったそうです。

■新宿中村屋に
開業5年もすると配達も広範囲に広がり、お客さんの方でも支店を出してくれないかという話がありました。そこで文士村だった大久保などの物件を探し、最終的に決めたのが新宿です。電車も単線で向かいの豆腐屋のブリキ板が風でバタバタ音をたてるような場末でした。明治40年のことです。

■なぜカレーライスか?
中村屋といえばカレーですが、そのためにはすさまじい事件があったんですね。

元々はインド独立運動が発端でインド人のボースがインドで革命運動に入り、インド総督に爆弾を投げるなどして、懸賞金がかかるようになりました。そこで英国の魔手から逃れるために大正4年に日本に亡命します。

英国政府もその事実をすぐに察知し、日本政府に身柄引き渡しを求めました。日本政府は昔から外圧に弱いので、すぐに応じる気配でしたが、マスコミと文化人がこれに反対!

これに中村屋が関わっていまして、外国人の出入りも多いから目立たないだろうとボースを夜陰にじょうじて姿を消させて、中村屋の裏にかくまいました。警視庁は上へ下への大騒ぎ、こうして4ケ月半かくま
われます。そうこうしている内に高圧的なイギリスの態度に政府でも反対の動きが出て、正式にボースを保護しようということになりました。

これが縁でボースは相馬愛蔵の長女と結婚することになり、日本に本場のインドカレーを紹介します。これが中村屋のカレーになったわけです。

相馬愛蔵はクリスチャンでもあり、日本の若い文化人(荻原守衛(ロクザン)など皆世話になっています)を育てた相馬愛蔵は商売人というより志士のような感じですね。こういうショーバイ人は本当に少なくなりました。それにしてもいい本ですね。岩波にぜひリクエスト復刊してほしい本です。

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