【書 名】歴史を読み解く城歩き
【著 者】千田嘉博
【発行所】朝日新書
【発行日】2022/11/30
【ISBN 】978-4-02-295196-0
【価 格】910円
■城好きの進化過程
第一段階 天守や櫓などの城の建造物に感心をもつ
第二段階 石垣や堀といった城の土木構築物が気になる
第三段階 建物がまったく残っていない城跡をよろこんで訪ねるようになる
第四段階 ついには石垣もない、ただ地面が凸凹しているだけの土の城を心から楽しめるようになる
■鯱
双龍印ー安土城の築城以降に信長が用いる(天下布武の文字を一対の龍が囲んだ印章)
■田中城
永禄9(1566)年、足利義昭は近江で将軍家の正統な当主と宣言。六角、浅井、武田(若狭)、朝倉、織田が味方になったが対抗する三好が外交戦を展開して六角氏を寝返らせます。信長は上洛予定でしたが美濃の斎藤と六角にはばまれて断念。足利義昭は若狭の武田氏へ避難することになりますが、義昭側の防衛拠点が田中城で、ここに若き明智光秀がいました。光秀は六角氏が裏切った8月末から文章が発見された10月までは田中城に籠城していたようです。
■志賀の陣
宇佐山城の森可成が浅井・朝倉連合軍と戦い討死にします。この時、光秀は比叡山の浅井・朝倉勢が都へ進出しないよう勝軍山城を整備していました。
■鹿背山城
畝状空堀群を30年前に発見したのが、当時大学1年だった著者でした。
■信長の楽市
他の大名も行っていましたが信長の楽市には「この町に引越して住んだら」という条件があり、一過性ではなく恒常的に発展していきます。
■安土城本丸ツアー
天正10(1582)年元旦、安土城見学ツアーを開催。特別公開したのは正親町天皇の行幸用の御幸之間。一番に見学したのは光秀でした。一人100文(8000円ほど)を出口で信長自身が徴収しました。
■大坂の陣
秀頼出陣前に豊臣軍の前線が崩壊していたため出られなかった模様。金の瓢箪の馬印がほったらかしになっていたので脱出中のお菊が壊して捨てました。
■桶狭間の戦い
善照寺砦-鳴海城に対するのと今川軍の監視の役割が大きい砦
義元の進出ルート 瀬戸市から庄内川に沿って進む、家康の祖父が尾張攻めで使ったコース 義元は品野城、桑下城を整備 信長は攻撃しましたがはねかえされます
そこで桶狭間ルートの鳴海城、大高城を砦で包囲し、桶狭間に来るようにしむけました。
■家康暗殺計画
慶長14(1609)年に清州から名古屋への移転を決定。翌年、家康が清州に入った時に天守の忍んでいる者を発見。暗殺者だった模様です。
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