2024/10/09

武将、城を建てる

 【書 名】武将、城を建てる
 【著 者】河合敦
 【発行所】ポプラ新書
 【発行日】2024/09/09
 【ISBN 】978-4-591-18259-8
 【価 格】980円

■岐阜城
上の城はプライベート空間で信忠、徳姫、信雄という生駒氏から生まれた3人と信長は暮らしていたようです。フロイスが訪れた時、11歳の信雄がお茶をもってきて信長自身が食膳をフロイスの元に運んできました。また和服姿になるように絹のあわせなどを持ってきて、フロイスが城下の宿舎に戻ると、その和服がおかれていました。

■大坂城
採石場で石を自分のものにするには印をつけるだけではだめで実際に石を運ばないと行かない、喧嘩の禁止、百姓たちに理不尽な要求をするな、作業中は野陣をはるか大坂に宿をとること、ただし強引に借りてはいけない等、こまごまとした指示を秀吉は出していました。

■名護屋城
秀吉が拠点とした城郭の中で総石垣造りの塁線全体を地表上から視認できる、唯一かつ最大の現存城郭跡になっています。

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2024/08/18

日本の城郭を歩く

 【書 名】日本の城郭を歩く
 【著 者】西ケ谷恭弘
 【発行所】JTB
 【発行日】2001/06/01
 【ISBN 】978-4-533-03871-9
 【価 格】1800円

副題が「古写真が語る名城50」です。

■会津若松城
戊辰戦争の舞台となり最後は開城しましたが、原因はトイレ。兵糧などは充分でしたが、城内に逃れた住民でトイレが満杯。臭気などで耐えられず開城となりました。

■犬山城
金山城にあった天守を木曽川経由で移築した説がありましたが、解体修理で否定されます。


■彦根城
京極氏の大津城天守を移築された説がありましたが、こちらは解体修理で伝承通りと確認されました。

■広島城
大陸出兵のために名護屋城を築きますが大坂から海路で向かうため宿城として広島城を築きます。縄張りが聚楽第と同じでした。秀吉の死後、毛利輝元が改修します。

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2023/04/08

教養としての日本の城

 【書 名】教養としての日本の城
 【著 者】香原斗志
 【発行所】平凡社新書
 【発行日】2023/02/15
 【ISBN 】978-4-582-86023-8
 【価 格】920円


■北条攻め
開城した北条氏直は城を出て滝川勝利の陣所へ行き、自分の命と引き換えに城兵の赦免を願い出る。「


■廃城令 明治6年(1873年)
193の城と127の陣屋があったが56だけが残ることになる。


■聚楽第
二条城ー方位磁石を使ったため時計まわりに3度ずれている
聚楽第もずれており、外郭北辺がそっていた元誓願寺通りが傾いている。秀吉も方位磁石を使っていた可能性がある。


■リサイクル
彦根城天守閣は大津城からの移築で天秤櫓は長浜城大手門を移築したもの、太鼓櫓や西の丸三重櫓もどこかの城から移築したものである。


■城割
戦国時代、城を乗っとった勝者が怨念封じのために城を割ることが行われた。


■武家諸法度
櫓などを再建する時に様式変更がなく、古いままに再建された


■五稜郭
安政2年(1855年)函館に入港したフランス軍艦コンスタンティーン号がパリ郊外の台場の書類を写してもよいと申し出があり五稜郭を設計

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2022/11/22

歴史を読み解く城歩き

 【書 名】歴史を読み解く城歩き
 【著 者】千田嘉博
 【発行所】朝日新書 
 【発行日】2022/11/30
 【ISBN 】978-4-02-295196-0
 【価 格】910円
■城好きの進化過程
第一段階 天守や櫓などの城の建造物に感心をもつ
第二段階 石垣や堀といった城の土木構築物が気になる
第三段階 建物がまったく残っていない城跡をよろこんで訪ねるようになる
第四段階 ついには石垣もない、ただ地面が凸凹しているだけの土の城を心から楽しめるようになる


■鯱
双龍印ー安土城の築城以降に信長が用いる(天下布武の文字を一対の龍が囲んだ印章)


■田中城
永禄9(1566)年、足利義昭は近江で将軍家の正統な当主と宣言。六角、浅井、武田(若狭)、朝倉、織田が味方になったが対抗する三好が外交戦を展開して六角氏を寝返らせます。信長は上洛予定でしたが美濃の斎藤と六角にはばまれて断念。足利義昭は若狭の武田氏へ避難することになりますが、義昭側の防衛拠点が田中城で、ここに若き明智光秀がいました。光秀は六角氏が裏切った8月末から文章が発見された10月までは田中城に籠城していたようです。


■志賀の陣
宇佐山城の森可成が浅井・朝倉連合軍と戦い討死にします。この時、光秀は比叡山の浅井・朝倉勢が都へ進出しないよう勝軍山城を整備していました。


■鹿背山城
畝状空堀群を30年前に発見したのが、当時大学1年だった著者でした。


■信長の楽市
他の大名も行っていましたが信長の楽市には「この町に引越して住んだら」という条件があり、一過性ではなく恒常的に発展していきます。


■安土城本丸ツアー
天正10(1582)年元旦、安土城見学ツアーを開催。特別公開したのは正親町天皇の行幸用の御幸之間。一番に見学したのは光秀でした。一人100文(8000円ほど)を出口で信長自身が徴収しました。


■大坂の陣
秀頼出陣前に豊臣軍の前線が崩壊していたため出られなかった模様。金の瓢箪の馬印がほったらかしになっていたので脱出中のお菊が壊して捨てました。


■桶狭間の戦い
善照寺砦-鳴海城に対するのと今川軍の監視の役割が大きい砦
義元の進出ルート 瀬戸市から庄内川に沿って進む、家康の祖父が尾張攻めで使ったコース 義元は品野城、桑下城を整備 信長は攻撃しましたがはねかえされます
そこで桶狭間ルートの鳴海城、大高城を砦で包囲し、桶狭間に来るようにしむけました。


■家康暗殺計画
慶長14(1609)年に清州から名古屋への移転を決定。翌年、家康が清州に入った時に天守の忍んでいる者を発見。暗殺者だった模様です。

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2022/10/18

近江の平城

 【書 名】近江の平城
 【著 者】高田 徹
 【発行所】サンライズ出版
 【発行日】2021/8/30
 【ISBN 】978-4-88325-735-5
 【価 格】2100円


近畿の平城が40紹介されています。ただ遺構がなくなってしまった月ケ瀬城(長浜)、高野瀬城(豊郷町)などより、もう少し遺構が残っていて楽しめる平城を紹介してくれた方がありがかった。

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2022/02/09

古代山城へのいざない

 【書 名】古代山城へのいざない
 【著 者】江藤一郎
 【発行所】海島社
 【発行日】2021/10/25
 【ISBN 】978-4-86656-107-3
 【価 格】1700円


白村江の戦いで敗戦したことから北部九州~瀬戸内に山城が造られます。大部分は石垣や版築土塁しか残っていませんが、なかには周囲8kmに及ぶものもあります。続日本紀の文武2(698)年には鞠智城、大野城、基肄城と高安城の修理をしたという記録が出てきます。三野城、稲積城については文武3(699)年に大宰府に命じて築城しています。実際に各地の山城を巡った記録もついています。

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2021/12/25

大坂城

 【書 名】大坂城
 【著 者】北川央
 【発行所】新潮新書
 【発行日】2021/12/20
 【ISBN 】978-4-10-610932-4
 【価 格】840円


■大坂の陣
大坂夏の陣の後に残党狩りを命じましたが「古参」は豊臣家の譜代で、主命に従ったもの。「新参」は幕府と戦うために大坂城に入ったと区別しました。この線引きは秀頼が大坂城の山里曲輪で行った豊国大明神の勧請があった慶長18年と幕府では認識していました。


■後藤又兵衛への寝返り工作
不仲になっていた黒田長政との間を取り持ち長政から大幅な譲歩を引き出しましたが大坂城へ入城してしまいました。真田信繁には実績がありませんでしたが後藤又兵衛には華々しい戦歴があったため、幕府はかなりの工作をしていました。


■藪入り
神武東征でナガスネヒコに襲われた時に大竹藪に逃げ込んだことが語源となりますが、家康が平野の陣にいたところを真田信繁に攻められ藪に入って助かったことからという異説があります。家康は実は大坂の陣で討死しており堺の南宗寺にお墓がありますが、賛同したのが松下幸之助。松下を創業した頃にヤクザに絡まれたところを助けたのが水戸徳川家家老の子孫。資金がない松下幸之助に水戸の土地を担保にして幸之助に資金提供します。この恩を忘れず、世界の松下になってから徳川光圀を有名にしたいという願いから「水戸黄門」をナショナル劇場として提供することになります。


■三姉妹の弟
浅井周防守で大坂の陣に参加していました。毛利勝永隊の左先頭を務めていましたが、陣の後は初のいる若狭・小浜に身を寄せていました。京極家は松江、龍野、丸亀と転封されますが浅井周防守は丸亀で亡くなり、丸亀藩士・浅井家として明治まで続きます。


■道頓堀
安井道頓は実在せず、道頓は平野の成安家の人物だったことが判明します。成安道頓は大坂の陣で討死にし、安井久兵衛と平野藤次郎が引き継いで堀を完成させます。安井家はもともとは渋川氏で河内国渋川郡の久宝寺寺を本拠としていました。貞享暦を作った安井算哲は旧姓に戻し渋川算哲としました。


■半ドン
大阪城に置かれている大砲はもともとは天保山台場にあり維新後は大阪城に移り、日に三度、打ち鳴らされる時報に使われました。お昼のドンと言っていたのが午後半日の休みを半ドンというのは、ここからきているというのは大阪の俗説で実際はオランダ語の「ドンターク(日曜、休日)」で半分ドンタークが半ドンになりました。


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2021/07/24

日本の城

 【書 名】日本の城
 【著 者】小和田哲男
 【発行所】マイナビ新書
 【発行日】2021/05/31
 【ISBN 】978-4-8399-7569-2
 【価 格】957円

■観音寺山遺跡
和泉中央にある高地性集落である観音寺山遺跡には173棟の建物跡があり高地で防御性を高めていました。やがて平地に移動しできたのが環濠集落です。

■方八町
多賀城は東西880m、南北700mで方八町に近い大きさ。東北地方には方八町と呼ばれる地域があり城柵があった可能性があります。方一町は一辺109mほどの方形でこれが武士の居館の標準サイズになります。古代の条里制の影響を受けたサイズのようです。堀・土塁が一重だと土豪(国人の被官)の城郭で二重になると国人の城郭となります。

寄親寄子制度ー国人領主が寄親で土豪や地侍が寄子となります。寄子を寄騎、与力と書く場合があります。

五八の枡形-横五間、縦八間の40坪が基本

■小字
兵を集める鐘打台がなまって蟹打台になって伝えられています。竹の内も元々は館の内(たてのうち)が訛ったというケースもあり、垣内、開戸、貝戸、垣外は「かいと」と呼ばれ城にまつわることが多い。

■瓦林正頼
摂津の国人領主 敵(三好?)が芥川の北に山城を築き300~500人が普請しているのに対し鷹尾城の普請は50~100人程度

■石垣
中井均氏の見分け方 素人でも積めるのが石積、プロの石工でないと積めないのが石垣

■破城
伊勢松坂城ー取り壊す費用がかかるため石垣、堀、天守も放置されたまま。天守は自然崩壊しました。

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2021/02/23

図解「地形」と「戦術」で見る日本の城

 【書 名】図解「地形」と「戦術」で見る日本の城
 【著 者】風来堂
 【発行所】イースト新書Q
 【発行日】2021/01/20
 【ISBN 】978-4-7816-8069-9
 【価 格】920円

57城が立体縄張り図で紹介されています。攻略のポイントも記載されています。高天神城攻めの陣城である小笠山砦など、けっこうマイナーなお城も紹介されています。

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2021/02/20

城郭考古学の冒険

 【書 名】城郭考古学の冒険
 【著 者】千田嘉博
 【発行所】幻冬舎新書
 【発行日】2021/01/25
 【ISBN 】978-4-344-98611-4
 【価 格】940円


■楽市楽座
岐阜城下の加納に下した永禄10年(1567年)の制札が残っており釘の跡などがあることから実際に野外に掲げられていたようです。翌年の制札はこういった跡はなく、野外ではなく市場の代表者が特権の証拠として保管したようです。他の制札と製作者が同じようで信長が複数の制札を保管しておき、必要に応じて寺社などの名前を書いて渡していたようです。


■城のデザイン 美意識にこだわったのが信長でした
安土城ー軒丸瓦、軒平瓦の文様は安土城独自で統一されていました。
豊臣大坂城ー瓦の文様が不揃い


■中国大返し
兵庫城に信長の御座所を作ろうとした改修の痕跡があり、信長の軍勢が移動しやすいように兵粮や武器、馬などを用意し、陣小屋群も備えていました。備中高松までの街道も整備し、各御座所には信長の進軍を連絡する情報要員も置いていたため本能寺の変も素早く伝わったようです。


■聚楽第
秀吉が名護屋城にいる間に秀次が堀を掘っている形跡がありました。無益な朝鮮出兵に対しクーデターを起こすつもりで準備していたようです。秀次を中継ぎにして秀頼に政権を渡す構想はこれでついえました。


■秀吉の家康対策
伏見城-公 家康
大坂城-私→公へ 大名屋敷を整備して大名を住まわせ家康を孤立化
秀吉が亡くなったために伏見城に大名屋敷が残り、うまくいかなかった。ただ京都新城も作っており秀頼を公家として存続させる計画もあった模様。

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