2015/07/21

尾張名古屋の歴史歩き

 【書 名】尾張名古屋の歴史歩き
 【著 者】大下 武
 【発行所】ゆいぽおと
 【発行日】2015/07/10
 【ISBN 】978-4-87758-452-8
 【価 格】1300円

戦国時代の尾張から登場したのが織田信長。岩倉城、下津城、清州城など戦国時代の城の紹介の後は名古屋城の紹介。名古屋の碁盤の目の城下町が微妙にずれていて、どうも信長時代の那古野城の堀や塁が少しずれていたのを、そのまま使って名古屋城が造られたようです。那古野城は現在の名古屋城の二の丸にあったようです。鳴海城を中心とした桶狭間の合戦に関わる砦や城も紹介されています。


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2013/09/08

尾張名所図解謎解き散歩

 【書 名】尾張名所図解謎解き散歩
 【著 者】前田栄作
 【発行所】風媒社
 【発行日】2006/10/25
 【ISBN 】4-8331-0126-2
 【価 格】1600円

天保年間にできた尾張名所図解を元に昔と今を対比させていますが、さすがに様変わりしています。

名古屋の吹上から飯田街道をずっと行くと、八事の興正寺。近くには名城大学があります。八事は名古屋を出ると最初の峠にあたる部分で、飯田街道をそのまま行くと岡崎に達します。西国から攻められ名古屋城が落城した時に八事に陣をひくことが決まっていて本陣になるのが興正寺。周りの寺にも尾張藩の重臣が陣をひくことになっていました。興正寺には今も土塁が残っているそうです。

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2013/09/05

名古屋今昔散歩

 【書 名】名古屋今昔散歩
 【著 者】原島 広至
 【発行所】中経文庫
 【発行日】2013/8/29
 【ISBN 】978-4-8061-4869-2
 【価 格】657円

「尾張名古屋は城でもつ」と言われる名古屋の今昔です。古い名鉄瀬戸線の写真が掲載されていました。今は栄から出ていますが、かっては名古屋城のお堀の底を走っていました。ついた名前がお堀電車。ぜひとも乗ってみたかったですなあ。

宮崎駿の「風たちぬ」にも出てくる名古屋駅の写真もあります。現在の場所から少し離れたナナちゃん人形のあたりに当時の駅はありました。

百貨店・松坂屋の前身はいとう呉服店。もともとは織田信長の小姓をしていた伊藤蘭丸祐広という人物がいて子供の祐道が信長に仕え、信長が本能寺の変に倒れたあと、商人となり呉服小間物商をはじめたのがきっかけです。


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2012/12/29

堀川端ものがたりの散歩みち

 【書 名】堀川端ものがたりの散歩みち
 【著 者】名古屋市中区役所 まちづくり推進部地域振興課
 【発行所】株式会社あるむ
 【発行日】2002/3/29

名古屋の堀川周辺に関する物語をまとめた本です。

「いざ出でむ 雪見にころぶ ところまで」12月にピッタリな松尾芭蕉の句。てっきり江戸でよんだと思っていたら名古屋が舞台。名古屋城近くにあった風月堂という本屋さんに立ち寄っていた松尾芭蕉が店を出ようとすると、雪が降り始めており、雪景色を見てよんだ句です。風月堂があったのが名古屋市中区丸の内で、現在の中日病院のあるところ。対面にあるアイリス愛知は江戸時代、伊藤呉服店だったんですね。今の松坂屋です。

奈良の「ならまち」にある元興寺は童子による鬼退治で有名ですが、(「日本霊異記」などに出てきます)この童子、もともとは尾張元興寺から奈良へ出てきました。尾張元興寺は東海地方最古のお寺で、発掘調査などが行われています。五重の塔があり、鴟尾の破片も見つかったので相当大きな寺でした。場所は金山駅のすぐそばにありました。

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2012/12/06

花の名古屋の碁盤割

 【書 名】花の名古屋の碁盤割
 【著 者】堀川文化を伝える会
 【発行所】株式会社あるむ
 【発行日】2004/3/26
 【価 格】400円

鶴舞の古本屋さんで見つけてきました。名古屋中心街の碁盤の目に残る町名の歴史について書かれています。名古屋は城下町ですので中心街は碁盤の目になっています。その中に桑名町、長島町、伊勢町というお隣の三重の地名がついた町名があります。

これらの町はもともと清州にありました。織田信長の息子である信雄は本能寺の変の後、伊勢を領有していましたが、その後、清州城主になったので引っ越し。この時、家臣の移転に商人もついてきたようです。

藤堂高虎が伊予から伊勢の津へ国替えした時に伊予の商人が移り住んだ伊予町や松阪には日野から移った蒲生氏郷についてきた商人の町、日野町があります。城下町の多くには同様の事例があります。

やがて家康が水害が多かった清州から名古屋へ住民ごと引っ越す、清州越しを行います。この時に住民と一緒に町の名前も移ってきました。同様にクリスマスイルミネーションが美しい名古屋の大津町は大津から移ってきた住民の町で、清州越しで移ってきました。伏見町は清州越しではなく、名古屋城ができてから伏見から移ってできた町です。

名古屋のテレビ塔近くに武平町がありますが江戸時代に古墳が発見されました。壬申の乱で大海人皇子の元へ2万人の兵をひきつれた少子部連錯鉤。壬申の乱が終わった後に自殺した謎の人物です。古墳は江戸時代に埋め戻したそうで、名古屋の街中の地下に今も残っています。

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2012/08/06

名古屋地名の由来を歩く

 【書 名】名古屋地名の由来を歩く
 【著 者】谷川彰英
 【発行所】ベスト新書
 【発行日】2011/10/20
 【ISBN 】978-4-584-12344-7
 【価 格】838円

【名古屋の語源】
根古屋(ねごや)に由来するのではというのが著者の説。中世における豪族の根城で、例えば鳴海城は根古屋城と呼ばれていたそうです。

【長者町繊維街】
住居表示に関する法律で味気ない街名に変わった中、名古屋では通名が生き続けています。例えば長者町ですがもともとは清須にあった町名。清洲越しで移転した時に町名もほとんど移転したそうで、長者町もその一つ。江戸時代は「ながものまち」と呼ばれていたそうです。

【ノリタケ】
ボンチャイナと言えばノリタケ。名前の由来は則武(ノリタケ)という町名で、現在、ノリタケの森があるところです。この則武ですが、もともとは人名だったそうです。

【鶴舞】
「つるまい」とも「つるま」ともよみますが、もともとは「ツルマ」で水が流れる間のようなところでした。これに「鶴舞」の字をあてたので「つるまい」とも呼ぶようになりました。

【御器所】
吹上駅の隣が御器所駅ですが、古い土地名で鎌倉時代にはあったそうです。熱田神宮の神領で、神事に用いる土器を献上していました。

【味鋺】
「あじま」とよみます。ここも古い土地で物部氏の支配地だったようです。尾張一宮の真清田神社一帯も物部支配の土地だったようで、壬申の乱で尾張氏が大海人皇子に味方する要因になったわけです。

【極楽】
もともとは高針と呼ばれていたそうです。針は「治」で、開拓の意味があったようです。名古屋市の平野部は洪水の被害が多く、高針は高地になっているので安住の地から極楽と名付けたようです。

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2012/07/10

あなたの知らない愛知県の歴史

 【書 名】あなたの知らない愛知県の歴史
 【著 者】山本博文
 【発行所】洋泉社
 【発行日】2012/6/21
 【ISBN 】978-4-86248-965-4
 【価 格】780円

信長、秀吉、家康を輩出した愛知県の歴史です。なかなか知られていない逸話が紹介されています。江戸時代に現在の豊橋市にあったのが羽田八幡宮文庫。現在の図書館の先駆的存在です。貧しくて本を買えない人に対して読書の機会を与えることを目的に設立されました。まさに図書館ですね。明治時代に経営困難となり文庫は閉鎖されましたが、蔵書は豊橋市の中央図書館に伝わっているそうです。

全国区となった名古屋コーチンですが、武士の商法から出発したんですね。廃藩置県で困った尾張藩士の海部壮平がいろいろと品種を掛け合わせて大型で卵をよく産む鶏を開発。これが名古屋コーチンとなりました。

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