2019/01/27

名鉄沿線ディープふしぎ発見

 【書 名】名鉄沿線ディープふしぎ発見
 【著 者】小林 克之
 【発行所】じっぴコンパクト新書
 【発行日】2018/07/11
 【ISBN 】978-4-408-33808-8
 【価 格】900円

■名鉄三河線
東京浅草に神谷バーがありますが、創業者は三河の出身。知立から大浜までの碧南地域に線路敷設の話がきた時に出資。ところが財政難や社長の死亡などから立ち直しのために3代目社長に就任し、現在の三河線につながりました。

■水中翼船「王将」
伊勢の道路沿いにビルの上に水中翼船が飾られているお店があり、目を引きます。名鉄と近鉄が伊勢湾の船の運航で張り合っていた時期があり、水中翼船が導入されました。ところがメンテナンス費がかかり、コストが低い高速船が登場すると置き換わっていきます。伊勢志摩みやげセンターに名鉄海上観光船の水中翼船「王将」が飾られることになります。

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2018/10/12

名古屋円頓寺商店街の奇跡

 【書 名】名古屋円頓寺商店街の奇跡
 【著 者】山口あゆみ
 【発行所】講談社アルファ新書
 【発行日】2018/08/20
 【ISBN 】978-4-06-291522-9
 【価 格】800円

名古屋駅から名古屋城へ向かう途中にあるのが円頓寺商店街。歴史がある商店街なんですがモータリゼーションの進展とすぐ近くに駅があったお堀電車(名古屋鉄道瀬戸線)が栄へと路線変更になったことで無くなり商店街がさびれます。ところが商店街には関係がない人物の登場で、この商店街がよみがえっていきます。ただし即効性がある話ではなく、じわっと発展させていくしかありません。

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2018/01/27

地図と地形で楽しむ名古屋歴史散歩

 【書 名】地図と地形で楽しむ名古屋歴史散歩
 【著 者】都市研究会
 【発行所】洋泉社
 【発行日】2018/01/26
 【ISBN 】978-4-8003-1402-4
 【価 格】950円

名古屋に関する話題が豊富で、名古屋の麺といえば「きしめん」ですが、語源は紀州の人が伝えた「きしゅうめん」が有力な説になっています。

犬山城、小牧山城、岐阜城の3つはチャートの上に築かれています。チャートというのは2億年前の海に住む小さな生き物の遺骸が海底に積もったものです。

東海道線が計画された時代、西南戦争があり太平洋からの艦砲射撃にあわないよう中山道で計画されました。加納(岐阜)まで線路をつくったところで港から物資を運ぶ武豊線が作られました。途中にあったのが名古屋駅。元尾張藩士で名古屋市長だった吉田禄在が中山道を鉄道を通すのが大変なので太平洋沿いを通すように進言。しかも広小路通りを名古屋駅(笹島ステーション)まで接続すると国を説得しました。というわけで途中から昔の東海道を通ることになりました。


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2017/08/17

日本の異界 名古屋

 【書 名】日本の異界 名古屋
 【著 者】清水義範
 【発行所】KKベストセラーズ
 【発行日】2017/07/18
 【ISBN 】978-4-584-12559-5
 【価 格】824円

名古屋人は大学も名古屋で、そのまま名古屋で就職します。同窓生とも親密な関係が続き、出来上がるのがツレ・コミュニケーション。何か頼み事があると「ツレに聞いてみると」なります。

名古屋メシといえば味噌カツが有名ですが東海地域に拡がる豆味噌文化が背景にあります。東海地域以外では大豆に麦やコメを混ぜて味噌を作っていますが、東海地域では大豆だけで味噌を作っています。モツなどを煮込んだものを”どて”と呼んでいますが、これも名古屋独特の文化になります。

また喫茶店では小倉トーストが出てきますが、粒あんを小倉と呼ぶのは拾遺和歌集の歌に由来します。「小倉山 峰のもみぢ葉心あらば 今ひとたびのみゆき待たなむ」で。小倉山といえば紅葉が有名で、紅葉は鹿がつきもの。粒あんを鹿の子模様に見たて、今ひとたびのみゆき待たなむ、をもう一度食べたいものだの意味にかけているそうです。

名古屋には久屋大通、若宮大通という100メートル道路があります。戦後、田淵寿郎という人物が都市計画をしますが、もう一つ行ったのが市内の墓を集めて作った平和公園という一大墓地、戦後で町が灰燼している時とはいえ、よく作りました。

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2017/05/04

明治・大正・昭和 名古屋地図さんぽ

 【書 名】明治・大正・昭和 名古屋地図さんぽ
 【著 者】溝口 常俊
 【発行所】風媒社
 【発行日】2015/10/20
 【ISBN 】978-4-8331-0164-6
 【価 格】1,700円

新旧の地図が載っていて、まち探索に出かけられます。

10世紀にまとめられた和名抄に愛智郡に十の郷が掲載されています。中村郷、日部郷、太毛郷、物部郷、作良郷、成海郷、熱田郷、駅家郷、千竃郷ですが現在も地名が残っているのが中村、熱田、成海(鳴海)の3つになります。

大久手-八事まで市電が運行され八事電車と呼ばれていました。昭和46年に廃線となります。名古屋刑務所があった吹上近くも通っていました。八事には墓地や火葬場があったため霊柩電車が走っていました。貸切で棺桶だけではなく参列者も乗れたそうです。

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2015/07/21

尾張名古屋の歴史歩き

 【書 名】尾張名古屋の歴史歩き
 【著 者】大下 武
 【発行所】ゆいぽおと
 【発行日】2015/07/10
 【ISBN 】978-4-87758-452-8
 【価 格】1300円

戦国時代の尾張から登場したのが織田信長。岩倉城、下津城、清州城など戦国時代の城の紹介の後は名古屋城の紹介。名古屋の碁盤の目の城下町が微妙にずれていて、どうも信長時代の那古野城の堀や塁が少しずれていたのを、そのまま使って名古屋城が造られたようです。那古野城は現在の名古屋城の二の丸にあったようです。鳴海城を中心とした桶狭間の合戦に関わる砦や城も紹介されています。


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2013/09/08

尾張名所図解謎解き散歩

 【書 名】尾張名所図解謎解き散歩
 【著 者】前田栄作
 【発行所】風媒社
 【発行日】2006/10/25
 【ISBN 】4-8331-0126-2
 【価 格】1600円

天保年間にできた尾張名所図解を元に昔と今を対比させていますが、さすがに様変わりしています。

名古屋の吹上から飯田街道をずっと行くと、八事の興正寺。近くには名城大学があります。八事は名古屋を出ると最初の峠にあたる部分で、飯田街道をそのまま行くと岡崎に達します。西国から攻められ名古屋城が落城した時に八事に陣をひくことが決まっていて本陣になるのが興正寺。周りの寺にも尾張藩の重臣が陣をひくことになっていました。興正寺には今も土塁が残っているそうです。

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2013/09/05

名古屋今昔散歩

 【書 名】名古屋今昔散歩
 【著 者】原島 広至
 【発行所】中経文庫
 【発行日】2013/8/29
 【ISBN 】978-4-8061-4869-2
 【価 格】657円

「尾張名古屋は城でもつ」と言われる名古屋の今昔です。古い名鉄瀬戸線の写真が掲載されていました。今は栄から出ていますが、かっては名古屋城のお堀の底を走っていました。ついた名前がお堀電車。ぜひとも乗ってみたかったですなあ。

宮崎駿の「風たちぬ」にも出てくる名古屋駅の写真もあります。現在の場所から少し離れたナナちゃん人形のあたりに当時の駅はありました。

百貨店・松坂屋の前身はいとう呉服店。もともとは織田信長の小姓をしていた伊藤蘭丸祐広という人物がいて子供の祐道が信長に仕え、信長が本能寺の変に倒れたあと、商人となり呉服小間物商をはじめたのがきっかけです。


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2012/12/29

堀川端ものがたりの散歩みち

 【書 名】堀川端ものがたりの散歩みち
 【著 者】名古屋市中区役所 まちづくり推進部地域振興課
 【発行所】株式会社あるむ
 【発行日】2002/3/29

名古屋の堀川周辺に関する物語をまとめた本です。

「いざ出でむ 雪見にころぶ ところまで」12月にピッタリな松尾芭蕉の句。てっきり江戸でよんだと思っていたら名古屋が舞台。名古屋城近くにあった風月堂という本屋さんに立ち寄っていた松尾芭蕉が店を出ようとすると、雪が降り始めており、雪景色を見てよんだ句です。風月堂があったのが名古屋市中区丸の内で、現在の中日病院のあるところ。対面にあるアイリス愛知は江戸時代、伊藤呉服店だったんですね。今の松坂屋です。

奈良の「ならまち」にある元興寺は童子による鬼退治で有名ですが、(「日本霊異記」などに出てきます)この童子、もともとは尾張元興寺から奈良へ出てきました。尾張元興寺は東海地方最古のお寺で、発掘調査などが行われています。五重の塔があり、鴟尾の破片も見つかったので相当大きな寺でした。場所は金山駅のすぐそばにありました。

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2012/12/06

花の名古屋の碁盤割

 【書 名】花の名古屋の碁盤割
 【著 者】堀川文化を伝える会
 【発行所】株式会社あるむ
 【発行日】2004/3/26
 【価 格】400円

鶴舞の古本屋さんで見つけてきました。名古屋中心街の碁盤の目に残る町名の歴史について書かれています。名古屋は城下町ですので中心街は碁盤の目になっています。その中に桑名町、長島町、伊勢町というお隣の三重の地名がついた町名があります。

これらの町はもともと清州にありました。織田信長の息子である信雄は本能寺の変の後、伊勢を領有していましたが、その後、清州城主になったので引っ越し。この時、家臣の移転に商人もついてきたようです。

藤堂高虎が伊予から伊勢の津へ国替えした時に伊予の商人が移り住んだ伊予町や松阪には日野から移った蒲生氏郷についてきた商人の町、日野町があります。城下町の多くには同様の事例があります。

やがて家康が水害が多かった清州から名古屋へ住民ごと引っ越す、清州越しを行います。この時に住民と一緒に町の名前も移ってきました。同様にクリスマスイルミネーションが美しい名古屋の大津町は大津から移ってきた住民の町で、清州越しで移ってきました。伏見町は清州越しではなく、名古屋城ができてから伏見から移ってできた町です。

名古屋のテレビ塔近くに武平町がありますが江戸時代に古墳が発見されました。壬申の乱で大海人皇子の元へ2万人の兵をひきつれた少子部連錯鉤。壬申の乱が終わった後に自殺した謎の人物です。古墳は江戸時代に埋め戻したそうで、名古屋の街中の地下に今も残っています。

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