2025/06/04

京都の歩き方 歴史小説家50の視点

 【書 名】京都の歩き方 歴史小説家50の視点
 【著 者】澤田瞳子
 【発行所】新潮選書
 【発行日】2025/03/25
 【ISBN 】978-4-10-603924-9
 【価 格】1,600円

■五重塔
建立年代にこだわらなければ五重塔は京都府内より東京都内の方が多い。

■文覚
遠藤盛遠という武士が19歳で出家。荒廃していた神護寺の再興を後白河法皇にしつこく願ったことから伊豆へ流され頼朝と出会います。

■鯉
平安時代の屋敷には池があり鯉がはなされていましたが観賞用のほかに食用でもありました

■末の松山
宮城県多賀城市八幡にある地名で清原元輔(清少納言の父)が「契りなき かたみに袖を しぼりつつ 末の松山 波越さじとは」と歌っています。波とは津波のことで末の松山のが高台になっているので波がかぶらないことが都に伝わり歌に用いられます

■酒呑童子の大江
大江山といわれるのは室町後期からで本来は老ノ坂周辺。大枝という地名で大枝坂がなまって老ノ坂になってという説もあります。

■薪能の火入れ式
京都の能楽師がオリンピックで行わている聖火台点火から思いついたそうです

■方広寺の大仏
秀吉が建立しましたが地震で倒壊、4度再建されましたが昭和48(1973)年の火災で焼失してしまいました。

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2025/04/20

京都を学ぶ【洛南編】

 【書 名】京都を学ぶ【洛南編】
 【著 者】京都学研究会
 【発行所】ナカニシヤ出版
 【発行日】2025/03/31
 【ISBN 】978-4-7795-1859-1
 【価 格】2,200円

■与等津(淀津)
播磨からの一石あたりの船賃が稲1束ですが、陸路では1.5石(100kg)で稲15束(米1斗5升)と船賃が安くなります

■久我(こが)家
源雅実が祖で久我水閣と呼ばれた別荘があり、鳥羽殿(白河上皇)とは桂川を挟んですぐ近くにあり、上皇も訪れていました。後に久我水閣の地が久我荘となり、鎌倉時代に源通光が久我の名字を使うようになります。

■競馬場
島原遊郭近くにあった島原競馬場が火災で焼失し、須知町(京丹波町)に作られましたが交通が便利な淀にできることになります。

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2024/08/03

京都なぞとき散歩

 【書 名】京都なぞとき散歩
 【著 者】柏井壽
 【発行所】SB新書
 【発行日】2024/07/15
 【ISBN  】978-4-8156-2539-9
 【価 格】990円
 
■力餅
明治の中頃、但馬から出てきた人が饅頭屋を始めたら流行らず、餅を扱うようになると大繁盛。力造という創業者の名前から力餅という屋号にすると、ますます繁盛。人出不足となり但馬から人を呼び寄せ、働いた後にのれん分けしたことから餅がつく名前の食堂が京都に増えます。
 
■万寿寺
万寿寺通りいう名前がありますが火事でお寺が衰微。今は東福寺の塔頭寺院として残っています。
 
■いけず石
民家の端などに置かれた石で始まったのは平安時代。往来した荷車や牛車から家を守るためにおかれました。犬矢来も同様で犬や猫の放尿除けです。また東北角には鬼門除けが作られてています。
 
■紫竹貴船神社
住宅街にありますが賀茂別雷神社の荘園があった場所で、賀茂別雷神社の摂社になっています。
 
■薬師院
二条にある寺で本尊は最澄が彫った薬師如来で美濃の斎藤道三が崇拝していましたが、織田信長が美濃から京都へ移転させたものです。

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2024/08/02

京都の最強神社

 【書 名】京都の最強神社
 【著 者】島田裕巳
 【発行所】祥伝社新書
 【発行日】2024/07/10
 【ISBN  】978-4-396-11701-6
 【価 格】940円
 
■十六社
平安京以前にあったのが賀茂神社、伏見稲荷大社、松尾大社、梅宮大社、貴船神社の5つ。中世には十六社が定められ、国家の重大事があると奉幣が捧げられました。
伊勢神宮、賀茂神社、松尾大佐、平野神社、伏見稲荷大社、春日大社、大原野神社、大神神社、石上神社、大和神社、廣瀬大社、龍田大社、住吉大社、丹生川上神社。貴船神社
991年に吉田神社、廣田神社、北野天満宮が加えられました。
その後、梅宮大佐、祇園社(八坂神社)、日吉大社が加わって二十二社になります。
 
■新宮神社(上賀茂神社の摂社)
祭神はタカオカミで、貴船神社とも呼ばれています。大雪などで貴船参りができないので境内に祀ったのではという説があります。
 
■呪詛
1882(明治15)年まで呪詛は殺人罪にあたるとされてきました。
 
■こう天の祭祀
夏至と冬至に中国の皇帝が行っていた行事。桓武天皇が河内国交野郡柏原で行います。神武天皇が鳥見山で行って以来になります。百済王氏が協力したようです。
 
■祇園社
神社としては日吉大社の末社、祇園感神院としては延暦寺末寺になっています。天台座主だった良源(元三大師)の時代のようです。
 
■鎌足
鎌足の出生地は大和国高市郡藤原と考えられています。
 
■菅原道長
藤原時平が陥れたといわれますが、主導はしなかったが源善の誘いをはっきり断らなかったのが原因だったようです。

 

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京都でのんびり

 【書 名】京都でのんびり
 【著 者】小林由枝
 【発行所】祥伝社
 【発行日】2006/10/25
 【ISBN  】978-4-396-31418-7
 【価 格】850円
 
■河合神社(下鴨神社)
鴨長明は河合神社神官の生まれ
 
■蘆山寺
紫式部の邸宅があった所で元三(がんざん)大師が創建。鬼の姿に変身した元三大師が描かれた「角大師の護符」が厄除けになります。
 
■鎌倉地蔵(真如堂)
狐の妖怪が武士に退治されて石となります。石はまわりのものを殺す殺生石になりますが源翁(げんのう)和尚が3つに割り、その一つが鎌倉地蔵になる。「かなづち」を「げんのう」と呼ぶのは、この伝説から
 
■伴氏社(北野天満宮)
末社にあり道真の母方の伴氏をまつっている。
 
■千本釈迦堂
本堂を建てた頭領の奥さんがモデルとなりお多福が生まれる
 
■上七軒の提灯の紋章は御手洗団子
秀吉の北野大茶会で休憩所となった七軒の茶屋から御手洗団子を献上したことろ団子を商う特権をたまわりました。花街の上七軒から祇園にも伝わり、団子をあしらった紋章が使われています。
 
■首途(かどで)八幡宮
源義経が支えた金売吉次の邸宅跡で邸宅にあった鎮守と伝えられている。義経が奥州に旅立ったところから首途(かどで)八幡宮となりました。

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2023/11/07

京都人だけが知っている

 【書 名】京都人だけが知っている
 【著 者】入江 敦彦
 【発行所】洋泉社
 【発行日】2001/05/22
 【ISBN 】4-89691-537-2
 【価 格】680円


筆者は1961年の西陣生まれで、現在はイギリス在住。文章も全部ロンドンで書いたとあります。文章のタッチがJJ氏(植草甚一)を彷彿とさせるタッチで、なかなか奥深い京都の世界が楽しみます。知らない話が盛りだくさんでした。


■平野さん
「平野さんに産んでしもうて私が悪かった」筆者が母親に言われた言葉だそうです。平野神社は北野天満宮の先にあり、「北野を越えて」が「汚のう肥えて」になって不細工を表す京言葉なんだそうです。京都に4年ほど住んでいましたが、これは初めて聞きましたね。


■御室の桜
仁和時の桜が背が低いことから、「御室の桜」というと「鼻(花)が低い」ということになります。


■丹波越えの身になる
都落ちすることで、老のノ坂峠を越えると丹波でした。


■食事
ああウマかった。ウシまけた。と続けるのが京。
ドラエモンが好きなどら焼きは関西では「三笠」と呼びます。東寺の僧侶から寺でも作れて間食になって腹持ちがよいお菓子を命じられ銅鑼で皮を焼いたことから命名されます。


■進々堂
黒田辰秋が作ったオーク材の大きな机と椅子が特徴で昭和5年にカルチェラタンに感動したオーナーが作った喫茶店。


■漬物(香の物)
鼻腔や口中を爽やかにするため香道で用いられたのが香の物で沢庵をさします。京では沢庵を「おこう」と呼んでいます。


■サッカーの神様
堀川今出川に白峯神社があります。


白峯神社がある場所は、平安時代から代々蹴鞠の家元とされてきた、飛鳥井家の邸宅があった場所で蹴鞠の神様でもあります。それがどこでどうなったのか蹴鞠もサッカーも似たものということで地元京都パーブルサンガの必勝祈願の場所になります。


■円山応挙
亀岡の出身。四条の金運寺境内に借家住まいをしている時に薄物をひきづって墓参する病弱ま寺の女房を見て、足がない幽霊画を思いつきます。


■送り火
市原野「い」、鳴滝「一」、西山「竹の先に鈴」、北嵯峨「蛇」、観音寺村「長刀」がありました。はじまった時期は分かりませんが、おそらく中世です。


■京都ってどこまで?
京都人の京都という感覚は独特のもののようで、あの世とつながっていると思われるところが境界のようです。北は幽霊で有名な深泥池あたり、昔この近くの上賀茂に住んでおりました。夜は不気味でしたね。タクシーで乗せた女が消えてシートがぐっしゃりは深泥池発祥といわれていますが宝ヶ池トンネル手前の狐坂だそうです。


西は心霊ゾーンである老ノ坂トンネルで、亀岡は近いのですが老ノ坂トンネルの向こうですので京都ではなく彼岸なんだそうで(笑)船岡山、東山遊歩道、持越峠、東山トンネル、清滝トンネルという心霊スポットとして有名なところが京都人が此岸つまり京都と感じているところです。

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2023/03/11

京都大路散歩

 【書 名】京都大路散歩
 【著 者】原島広至
 【発行所】学芸出版社
 【発行日】2022/10/20
 【ISBN 】978-4-7615-1379-5
 【価 格】1800円

■正親町
平安京の正親司という役所で働く役人の宿舎。「おおきむだちのつかさ」が「おおきみのつかさ」となり「おおきみ」が「おうぎ」になたちょうです。正親町天皇の名の由来になっています。

■小川通
平安初期にはなく小川が流れていました。

■二条大路
上京-内裏、幕府、貴族の屋敷
下京ー商業地域、一般民衆
で境目が二条大路でした。

■柳水町
織田信雄の屋敷があり、そこの井戸が柳の水と呼ばれ地名となりました

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2022/11/14

京都の食文化

 【書 名】京都の食文化
 【著 者】佐藤洋一
 【発行所】中公新書
 【発行日】2022/10/25
 【ISBN 】978-4-12-102721-4
 【価 格】880円


■伏見
近鉄が高架で通っていますが、もともとは地下を通す計画でした。月桂冠など伏見の酒造組合が酒造りの基本である地下水の水脈が断たれると反対したことから高架となりました。


■タケノコ
京都のタケノコ産地は活断層の破砕帯に沿っており、この破砕帯を補強するために竹が植えられたようです。


■穀良都
1852年に長州藩士が京都の稲穂を持ち帰り「都」と名づけます。これが穀良都という酒米になります。


■外食しない京都人
京都は大都市圏のなかで少なく外食が多いのが名古屋。那覇は特徴的でハンバーガーが突出しています。


■川端道喜
1503年創業。室町時代後期から幕末まで350年間、御朝物という塩餡で包んだ餅(天皇の朝食)を届けていました。そのために御所には「道喜門」が作られることになりました。


■野菜はうつろうもの
50年、100年という単位でみるとどんどん変容していき、京野菜など維持するのが大変です。

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2022/09/26

京都の山と川

 【書 名】京都の山と川-「山紫水明」が伝える千年の都
 【著 者】鈴木康久、肉戸裕行
 【発行所】中公新書
 【発行日】2022/8/25
 【ISBN 】978-4-12-102711-5
 【価 格】920円


■標高
東寺五重塔の上が80mほどで北山通りの標高と同様で京都で「上がる下がる」といいますが、理にかなっています。


■大文字送り火
500年以上も続けられていますが明治になった時に送り火は宗教的活動として休止していた時期もあります。明治以前には「い」や「竿に鈴」などあわせて十山で行われていました。


■竹取物語
石作の皇子が出てきますが嵯峨野や大原野が舞台となった可能性があり小塩山の麓は古くは石作郷と呼ばれています。


■鴨氏
久我国は京都盆地北部の古代地名。紫竹に久我神社がある。鴨氏は鴨川の洪水を受けないように山の麓の上賀茂に居住していました。


■高瀬川
約7mしかないのですれ違いが難しく、そこで上りと下りで分けていました。船を15ほど船団にして朝6~7時頃に伏見を出て2時間ほどかけて七条へ荷物を降ろし、午後には荷を積み込んで伏見に向かいます。


■保津川下り
奈良時代から丹後の材木を運ぶために筏流しがありました。江戸時代に角倉了以が開削して船も通すようにします。最初に船に乗って保津川下りを楽しんだのが角倉素庵(角倉了以の息子)。夏目漱石の虞美人草にも登場します。

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2022/08/27

地形と地理でわかる京都の謎

 【書 名】地形と地理でわかる京都の謎
 【著 者】青木康、古川順弘
 【発行所】宝島社新書
 【発行日】2022/8/24
 【ISBN 】978-4-299-03301-7
 【価 格】1320円


■船岡山
平安京の玄武となった山で幅85mの朱雀大路が作られました。船岡山から一条通までの距離と一条通と二条通までの距離が等しくなっている


■六角堂
京都のへそ-応仁の乱以降、京都は上京と下京に分かれ町衆の自治が行われ六角堂で集会していました。幕末まで祇園祭の山鉾巡行の順番を決めるくじ引きは六角堂で行われていました。


■京都御所
里内裏ー臨時の内裏 現在の京都御所も里内裏のひとつで土御門東洞院殿という藤原邦綱の邸宅が元。


■本能寺
法華宗の総本山で天文法華の乱で京都を追放された時に頼ったのが堺商人。堺商人にとって魅力だったのが種子島などの法華宗ネットワークで鉄砲で結ぶついており信長も重視していました。


■山崎の合戦
山崎の隘路ではなく山崎を抜けた広い所で戦いとなりましたが、戦の前に山崎は光秀側から金制を受けていました。山崎は油座などで経済が発展していました。戦となれば守らなくてもよいのですが光秀は山崎の経済力を温存したかったようです。


■妙顕寺城
妙顕寺を移転させて秀吉が造った城で京都での宿泊所になりました。京都奉行の前田玄以の居城でもあります。


■二条城
家康が造った二条城は東に3度傾いています。当時、西洋から入ってきたコンパスを使っており、家康の頃の京都では真北から東に3度傾いていたようです。当時の技術者も堀川までの距離が北と南で違っていると認識していたので、先進技術を応用して造ったようです。


■三条大橋
粗末な橋を秀吉が63本もの石柱を使った橋にします。天正18年の擬宝珠が今も残っています。三条大橋は東国へつながる入口で北条氏の討伐を終えれば戦乱の世が終わるため、凱旋門のイメージで造ったようです。


■東洞院通
平安京が造られた東から2本目の大路。江戸時代に巨椋池に港が整備され、竹田街道から東洞院通に接続される物流道路となります。日本で初めての一方通行になり、牛車が通るように石畳通りになります。

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