2023/11/07

京都人だけが知っている

 【書 名】京都人だけが知っている
 【著 者】入江 敦彦
 【発行所】洋泉社
 【発行日】2001/05/22
 【ISBN 】4-89691-537-2
 【価 格】680円


筆者は1961年の西陣生まれで、現在はイギリス在住。文章も全部ロンドンで書いたとあります。文章のタッチがJJ氏(植草甚一)を彷彿とさせるタッチで、なかなか奥深い京都の世界が楽しみます。知らない話が盛りだくさんでした。


■平野さん
「平野さんに産んでしもうて私が悪かった」筆者が母親に言われた言葉だそうです。平野神社は北野天満宮の先にあり、「北野を越えて」が「汚のう肥えて」になって不細工を表す京言葉なんだそうです。京都に4年ほど住んでいましたが、これは初めて聞きましたね。


■御室の桜
仁和時の桜が背が低いことから、「御室の桜」というと「鼻(花)が低い」ということになります。


■丹波越えの身になる
都落ちすることで、老のノ坂峠を越えると丹波でした。


■食事
ああウマかった。ウシまけた。と続けるのが京。
ドラエモンが好きなどら焼きは関西では「三笠」と呼びます。東寺の僧侶から寺でも作れて間食になって腹持ちがよいお菓子を命じられ銅鑼で皮を焼いたことから命名されます。


■進々堂
黒田辰秋が作ったオーク材の大きな机と椅子が特徴で昭和5年にカルチェラタンに感動したオーナーが作った喫茶店。


■漬物(香の物)
鼻腔や口中を爽やかにするため香道で用いられたのが香の物で沢庵をさします。京では沢庵を「おこう」と呼んでいます。


■サッカーの神様
堀川今出川に白峯神社があります。


白峯神社がある場所は、平安時代から代々蹴鞠の家元とされてきた、飛鳥井家の邸宅があった場所で蹴鞠の神様でもあります。それがどこでどうなったのか蹴鞠もサッカーも似たものということで地元京都パーブルサンガの必勝祈願の場所になります。


■円山応挙
亀岡の出身。四条の金運寺境内に借家住まいをしている時に薄物をひきづって墓参する病弱ま寺の女房を見て、足がない幽霊画を思いつきます。


■送り火
市原野「い」、鳴滝「一」、西山「竹の先に鈴」、北嵯峨「蛇」、観音寺村「長刀」がありました。はじまった時期は分かりませんが、おそらく中世です。


■京都ってどこまで?
京都人の京都という感覚は独特のもののようで、あの世とつながっていると思われるところが境界のようです。北は幽霊で有名な深泥池あたり、昔この近くの上賀茂に住んでおりました。夜は不気味でしたね。タクシーで乗せた女が消えてシートがぐっしゃりは深泥池発祥といわれていますが宝ヶ池トンネル手前の狐坂だそうです。


西は心霊ゾーンである老ノ坂トンネルで、亀岡は近いのですが老ノ坂トンネルの向こうですので京都ではなく彼岸なんだそうで(笑)船岡山、東山遊歩道、持越峠、東山トンネル、清滝トンネルという心霊スポットとして有名なところが京都人が此岸つまり京都と感じているところです。

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2023/03/11

京都大路散歩

 【書 名】京都大路散歩
 【著 者】原島広至
 【発行所】学芸出版社
 【発行日】2022/10/20
 【ISBN 】978-4-7615-1379-5
 【価 格】1800円

■正親町
平安京の正親司という役所で働く役人の宿舎。「おおきむだちのつかさ」が「おおきみのつかさ」となり「おおきみ」が「おうぎ」になたちょうです。正親町天皇の名の由来になっています。

■小川通
平安初期にはなく小川が流れていました。

■二条大路
上京-内裏、幕府、貴族の屋敷
下京ー商業地域、一般民衆
で境目が二条大路でした。

■柳水町
織田信雄の屋敷があり、そこの井戸が柳の水と呼ばれ地名となりました

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2022/11/14

京都の食文化

 【書 名】京都の食文化
 【著 者】佐藤洋一
 【発行所】中公新書
 【発行日】2022/10/25
 【ISBN 】978-4-12-102721-4
 【価 格】880円


■伏見
近鉄が高架で通っていますが、もともとは地下を通す計画でした。月桂冠など伏見の酒造組合が酒造りの基本である地下水の水脈が断たれると反対したことから高架となりました。


■タケノコ
京都のタケノコ産地は活断層の破砕帯に沿っており、この破砕帯を補強するために竹が植えられたようです。


■穀良都
1852年に長州藩士が京都の稲穂を持ち帰り「都」と名づけます。これが穀良都という酒米になります。


■外食しない京都人
京都は大都市圏のなかで少なく外食が多いのが名古屋。那覇は特徴的でハンバーガーが突出しています。


■川端道喜
1503年創業。室町時代後期から幕末まで350年間、御朝物という塩餡で包んだ餅(天皇の朝食)を届けていました。そのために御所には「道喜門」が作られることになりました。


■野菜はうつろうもの
50年、100年という単位でみるとどんどん変容していき、京野菜など維持するのが大変です。

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2022/09/26

京都の山と川

 【書 名】京都の山と川-「山紫水明」が伝える千年の都
 【著 者】鈴木康久、肉戸裕行
 【発行所】中公新書
 【発行日】2022/8/25
 【ISBN 】978-4-12-102711-5
 【価 格】920円


■標高
東寺五重塔の上が80mほどで北山通りの標高と同様で京都で「上がる下がる」といいますが、理にかなっています。


■大文字送り火
500年以上も続けられていますが明治になった時に送り火は宗教的活動として休止していた時期もあります。明治以前には「い」や「竿に鈴」などあわせて十山で行われていました。


■竹取物語
石作の皇子が出てきますが嵯峨野や大原野が舞台となった可能性があり小塩山の麓は古くは石作郷と呼ばれています。


■鴨氏
久我国は京都盆地北部の古代地名。紫竹に久我神社がある。鴨氏は鴨川の洪水を受けないように山の麓の上賀茂に居住していました。


■高瀬川
約7mしかないのですれ違いが難しく、そこで上りと下りで分けていました。船を15ほど船団にして朝6~7時頃に伏見を出て2時間ほどかけて七条へ荷物を降ろし、午後には荷を積み込んで伏見に向かいます。


■保津川下り
奈良時代から丹後の材木を運ぶために筏流しがありました。江戸時代に角倉了以が開削して船も通すようにします。最初に船に乗って保津川下りを楽しんだのが角倉素庵(角倉了以の息子)。夏目漱石の虞美人草にも登場します。

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2022/08/27

地形と地理でわかる京都の謎

 【書 名】地形と地理でわかる京都の謎
 【著 者】青木康、古川順弘
 【発行所】宝島社新書
 【発行日】2022/8/24
 【ISBN 】978-4-299-03301-7
 【価 格】1320円


■船岡山
平安京の玄武となった山で幅85mの朱雀大路が作られました。船岡山から一条通までの距離と一条通と二条通までの距離が等しくなっている


■六角堂
京都のへそ-応仁の乱以降、京都は上京と下京に分かれ町衆の自治が行われ六角堂で集会していました。幕末まで祇園祭の山鉾巡行の順番を決めるくじ引きは六角堂で行われていました。


■京都御所
里内裏ー臨時の内裏 現在の京都御所も里内裏のひとつで土御門東洞院殿という藤原邦綱の邸宅が元。


■本能寺
法華宗の総本山で天文法華の乱で京都を追放された時に頼ったのが堺商人。堺商人にとって魅力だったのが種子島などの法華宗ネットワークで鉄砲で結ぶついており信長も重視していました。


■山崎の合戦
山崎の隘路ではなく山崎を抜けた広い所で戦いとなりましたが、戦の前に山崎は光秀側から金制を受けていました。山崎は油座などで経済が発展していました。戦となれば守らなくてもよいのですが光秀は山崎の経済力を温存したかったようです。


■妙顕寺城
妙顕寺を移転させて秀吉が造った城で京都での宿泊所になりました。京都奉行の前田玄以の居城でもあります。


■二条城
家康が造った二条城は東に3度傾いています。当時、西洋から入ってきたコンパスを使っており、家康の頃の京都では真北から東に3度傾いていたようです。当時の技術者も堀川までの距離が北と南で違っていると認識していたので、先進技術を応用して造ったようです。


■三条大橋
粗末な橋を秀吉が63本もの石柱を使った橋にします。天正18年の擬宝珠が今も残っています。三条大橋は東国へつながる入口で北条氏の討伐を終えれば戦乱の世が終わるため、凱旋門のイメージで造ったようです。


■東洞院通
平安京が造られた東から2本目の大路。江戸時代に巨椋池に港が整備され、竹田街道から東洞院通に接続される物流道路となります。日本で初めての一方通行になり、牛車が通るように石畳通りになります。

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2021/02/09

京都一乗寺 美しい書店のある街で

 【書 名】京都一乗寺 美しい書店のある街で
 【著 者】大石直紀
 【発行所】光文社文庫
 【発行日】2020/12/20
 【ISBN 】978-4-334-79129-2
 【価 格】680円


一乗寺商店街にあるのがイギリスのガーディアン紙で「世界で一番美しい十の書店」に選ばれた恵文社。実在します。フィクションですが、この実在する恵文社をキーワードとしたミステリー4作で構成されています。


「追憶の道」では一乗寺商店街をずっと東に行ったところにある狸谷山不動院が異界の入口のような場所として描かれていますが、狸谷山不動院の一番奥にある階段を上がって山を登っていくと北白川城跡に到達でき、本当の異界のような雰囲気です。

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2020/05/30

京都まみれ

 【書 名】京都まみれ
 【著 者】井上章一
 【発行所】朝日新書
 【発行日】2020/4/30
 【ISBN 】978-4-02-295063-5
 【価 格】810円


■洛中
京都人は洛中というと二条通~五条通という狭い範囲で考えていますが、東京も同じで有楽町マリオンがオープンする時に銀座の名前をつけようとしましたが銀座の商店街が認めなかったようです。銀座は1丁目から8丁目まであり8丁目の隣に外堀がありました。今は埋められましたが銀座9丁目は非公式名称で銀座ナインが建っています。ただ銀座はもともと家康が京都の伏見に作り、次に駿府にも作って江戸の銀座は3番目でした。


室町幕府で地方から出てきた大名が駐屯したところが今の中京です。ところが大名が領国に戻ると間が空きます。上京と下京に分かれることになり下京が洛中の意識になります。


■西陣祭り
京都で”この間の戦争”というと応仁の乱の話が出てくると言われていますが、西陣などでは本当にそう思っているようです。応仁の乱が1477年11月11日に集結しましたが、この11月11日を記念して西陣祭りが行われています。また「応仁の乱」がベストセラーになりましたが、自分の先祖の話が出ていると京都の居酒屋で話題になったそうです。老舗を継がすために京大ではなく同志社に行かせる京都ならではの話ですね。


■西京
維新後に京都が西京と呼ばれた時代がありました。西京味噌などに名前が残っています。京都府立大学も発足当時は西京大学という名前でした。また東京と西京の間だったのが中京です。


■舞鶴
もともとは田辺でしたが維新後に地名を区別することになり紀州に田辺があるので舞鶴に改名されました。田辺城の通称が舞鶴城でした。

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2018/03/17

京都ぎらい 官能篇

 【書 名】京都ぎらい 官能篇
 【著 者】井上章一
 【発行所】朝日新書
 【発行日】2018/02/10
 【ISBN 】978-4-02-273747-2
 【価 格】780円

「京都ぎらい」の続編ですが、この分ですといろいろな篇が作れ柳の下の泥鰌が続々と出てきそうです。

新田義貞といえば後醍醐天皇側で戦い散っていった鎌倉武士ですが匂当内侍に恋したことが後醍醐天皇の耳に入り、新田義貞に与えます。恩に感じた新田義貞は忠勤をはげみます。他にも鵺退治で有名な源頼政の菖蒲や後深草天皇の思われ人だった二条の事例が出てきます。女性をうまく活用していたんですね。まさに官能篇。

1970年から始まったディスカバー・ジャパンで嵯峨野などを訪れる一人旅女性が増加した懐かしい話や水戸黄門の撮影が大沢池周辺という京都アルアルが出てきます。遠山の金さんのお白洲でよく使われていたのが大覚寺でした。学生時代、上賀茂神社や下鴨神社もよく時代劇に出てきていました。

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お稲荷さんの招待

 【書 名】お稲荷さんの招待
 【著 者】井上満郎
 【発行所】洋泉社
 【発行日】2018/03/19
 【ISBN 】978-4-8003-1434-5
 【価 格】950円

京都産業大学の学生時代に一般教養で受講した井上先生の新著です。

もともと稲荷山は神のいる神体山でしたが、そこへ伏見稲荷神社を創建したのが秦氏。秦氏は中国からの渡来人と言われていますが、どうも新羅にあった波丹(はたん)の地が出身地のようです。日本に渡来して250年ほど経った和銅4年(711年)に伏見稲荷神社を創建します。付近にある深草の郡司をしていたことが確認されています。

伏見稲荷神社には狛犬の代わりに狛狐がいますが一匹は玉(霊魂)をもう一匹は鍵を加えています。この鍵は倉庫のもので豊穣をあらわしています。鍵には霊魂が宿るといわれ鍵を印鑑とあわせた印鑰(いんやく)神社があります。


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2017/07/16

京都の凸凹を歩く2

 【書 名】京都の凸凹を歩く2
 【著 者】梅林秀行
 【発行所】青幻社
 【発行日】2017/05/26
 【ISBN 】978-4-86152-600-8
 【価 格】1600円

今回、取り上げられているのはブラタモリでも紹介された嵐山、ほかに金閣寺、吉田山、御所、源氏物語(五条)、伏見城です。

金閣寺にはもともと西園寺公経が作った邸宅「北山第」がありました。山を削って平らに整地し、金閣寺はこの改修した後が使われて建てられています。残っている崖には昔、四十五尺滝が流れていたのではないかと思えるところがありそうです。

秀吉が地震で倒壊した伏見指月城の後、少し離れたところに伏見木幡山城を造りましたが、天守閣などは影も形もありません。伏見の町には当時の郭跡や町割り、総構えの跡が残っています。高低差を楽しめる一冊です。

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