2016/09/29

検証!古代史「十大遺跡」の謎

 【書 名】検証!古代史「十大遺跡」の謎
 【著 者】関 裕二
 【発行所】PHP文庫
 【発行日】2016/05/11
 【ISBN 】978-4-569-76567-9
 【価 格】700円

邪馬台国の候補地として纏向遺跡があがっていますが、近江にある伊勢遺跡もとんでもない遺跡のようで、環濠集落に円形配置で30ほどの建物が並んでいました。魏志倭人伝に倭国は30の国があったと記されているので、伊勢遺跡に各地の長が集まって会議をしていた場所ではないかという説があります。ただ旧石器時代の集落でも円形に住居が並ぶことがあり、もしかしたら関連があるかもしれません。

藤原京という名前は明治になってからつけられた名前で当時は単純に京と呼んでいただけで、万葉集では”藤井が原”と呼んでいました。天武天皇の時代に造営が始まっており、儒教の古典である「周礼」に従って京の中心に宮が作られました。周礼では宮の北側は市場で、実際に市場があったようです。

三内丸山遺跡、板付遺跡、荒神谷遺跡、吉野ヶ里遺跡、纏向遺跡、鬼ノ城、箸墓古墳、稲荷山古墳、藤ノ木古墳、藤原京の十大遺跡が紹介されています。


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2015/10/17

海峡を往還する神々

 【書 名】海峡を往還する神々
 【著 者】関 裕二
 【発行所】PHP文庫
 【発行日】2010/03/17
 【ISBN 】978-4-569-67403-2
 【価 格】619円

日本書紀でスサノオは高天原からまず新羅へ降臨してから日本へやってきます。また日本書紀にはアメノヒボコという新羅から日本へやってきた王子の記載があります。このアメノヒボコという人物、神宮皇后ともからんで、どうも九州にあった邪馬台国を滅ぼした人物のようですね。

もともとアメノヒボコの先祖は日本在住でしたが鉄の技術を求め新羅にわたり、子孫として日本の丹後・但馬へ戻ってきます。ヤマト政権の指令で鉄の供給を止めていた北九州を屈服させますが、この時に邪馬台国を滅ぼします。ところがアメノヒボコヤマト政権に裏切られ、九州南部に逃れます。この話が浦島太郎の原型になったようです。向こうに行って幸せに暮らしていたらよかったのに、帰ってきたことで、えらい目にあったという話になります。

ヤマトで疫病が流行った時、アメノヒボコと神宮皇后を裏切った祟りと考えられ九州から子孫が迎えられ、これが天皇家になっていきます。


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2013/10/05

源氏と平家の誕生

 【書 名】源氏と平家の誕生
 【著 者】関裕二
 【発行所】祥伝社新書
 【発行日】2012/06/10
 【ISBN 】978-4-396-11278-3
 【価 格】780円

平氏は桓武平氏、仁明平氏など4流。源氏は嵯峨源氏、清和源氏、仁明源氏、文徳源氏、陽成源氏、光孝源氏、宇多源氏、醍醐源氏、村上源氏など17流。天皇の末裔で臣籍降下したものです。藤原氏の摂関政治の後、院政がはじまり、やがて武士の時代へ。古代からの流れからなぜ武士の時代が到来したのか解き明かしてます。


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2013/08/20

ヤマト王権と十大豪族の招待

 【書 名】ヤマト王権と十大豪族の招待
 【著 者】関 裕二
 【発行所】PHP文庫
 【発行日】2013/8/19
 【ISBN 】978-4-569-76033-9
 【価 格】648円

古代の有力豪族である物部氏、蘇我氏、藤原氏、尾張氏、上毛野氏、阿倍氏、大伴氏、秦氏、天皇家、出雲国造家について述べています。

この本によるとヤマトの纏向にいち早く進出していたのが近江、尾張、熊野を根拠地とした尾張氏。その筆頭だったのが長髄彦(ながすねひこ、長い髄が白鳥をあらわしヤマトタケルのモデル)。そこへ吉備の物部氏が進出。こちらの筆頭が饒速日命(ニギハヤヒ)。尾張氏と物部氏に出雲が加わり北部九州にあった邪馬台国を詐称していた一族を滅ぼしましたが、出雲はこの後、裏切られます。

ところが疫病が流行り、占うと出雲の祟り。ニギハヤヒは九州に落ち延びていた出雲の王を神武としてヤマトに迎え入れました。この時、神武につき従っていたのが大伴氏。約束が違うと反対した長髄彦はニギハヤヒに殺されてしまい尾張氏は没落してしまいます。

出雲の一族の一派は越の国にも逃れていて、尾張氏と一緒に継体天皇を担ぎ出したのが蘇我氏。出雲につながる一族でした。それで我れ蘇り。これに百済や新羅などがからんで、なかなか興味深い話になっています。


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2012/09/13

遷都に秘められた古代天皇家の謎

 【書 名】遷都に秘められた古代天皇家の謎
 【著 者】関 裕二
 【発行所】PHP文庫
 【発行日】2012/6/19
 【ISBN 】978-4-569-67837-5
 【価 格】619円

藤原京の大極殿は大和三山の二等辺三角形の垂心に位置します。天の香具山、耳成山、畝傍山は道教の神仙思想の影響があるようで蓬莱にある三神山になぞらえられていました。蓬莱、瀛洲(えいしゅう)、方丈が三神山で、藤原京を作った天武天皇の諱に「瀛」の字が使われていて、道教を重視していたようです。飛鳥の酒船石遺跡も道教の影響を受けていたと言われています。

しっかりした都市計画で作られた日本初の都城でしたが、わずか16年で平城京遷都となりました。古代からの遷都にはどんな思惑があったのか日本建国や邪馬台国もふまえて考察しています。


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2012/04/30

古事記と壬申の乱

 【書 名】古事記と壬申の乱
 【著 者】関 裕二
 【発行所】PHP新書
 【発行日】2012/03/29
 【ISBN 】978-4-569-79808-0
 【価 格】720円

古事記は秦氏と関係があった多氏が作ったものではないかという論です。当時は新羅、百済、唐との関係が現代以上に複雑にからみあい、そこに帰化人の思惑もからんだ時代。蘇我入鹿が殺された乙巳の変も複雑な海外情勢が絡んでいました。

中大兄皇子・藤原鎌足コンビは親百済で、白村江の戦いに突き進んでいきます。白村江の敗戦で、日本が唐に攻められる事態となりますが、新羅が唐に反旗を翻したことで命拾いします。筑紫に唐から郭務宗という人物が47隻の船に乗り2000名の軍隊と共に来ていたそうで、日本が新羅と組まないように牽制に来ていた模様です。親新羅派だった大海人皇子が東北に逃れ壬申の乱が始まるのが、郭務宗が去ったタイミング。待っていたんですかねえ。

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2011/09/23

古代史この「七つの真実」はなぜ塗り替えられたのか

 【書 名】古代史この「七つの真実」はなぜ塗り替えられたのか
 【著 者】関 裕二
 【発行所】実業之日本社
 【発行日】2011/07/12
 【ISBN 】978-4-408-10894-0
 【価 格】762円

出雲の神話時代から平安京遷都まで古代史を7つの項目に分けて説明しています。

神武東征は日下(東大阪)でヤマトの攻撃にあい、日の御子が太陽に向かって攻撃したのが原因だとずっと熊野から錦(三重県・大紀町)まで到達しているのですが、ここから熊野に戻ってヤマトに南側から入っています。錦から北に上がり田丸から美杉、榛原と入ってヤマトへ東側から入る方が楽だし、東側から攻撃できるのですが、なぜかしていません。不思議ですね。この時、神武天皇は高倉下から霊剣を受け取っていますが、どうも尾張氏(草薙剣を祭る熱田神宮と関係あり)とからんでいるようです。

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2011/08/10

日本人はなぜ震災にへこたれないのか

 【書 名】日本人はなぜ震災にへこたれないのか
 【著 者】関 裕二
 【発行所】PHP新書
 【発行日】2011/07/29
 【ISBN 】978-4-569-79855-4
 【価 格】720円

クリスマスを祝い、大晦日はお寺の除夜の鐘を聞き初詣に行く日本人。無宗教と言いながら日本人が多神教になったのは繰り返し襲ってくる災害が原因ではと面白い分析です。日本には昔から地震や津波が襲っており、縄文時代に起きたのが鬼界カルデラ(薩摩半島の南側)の大噴火。火山灰は東北地方まで降ったそうで西日本は多大な影響を受け、縄文人が東国に偏在する理由になったのではということです。

■初穂料
神社で祈願する時に収めるのが初穂料。最初に収穫した稲穂を神に収めるという意味です。律令制度では神社がこの初穂を集め都の神祇官に送り、税金として収められました。一部は天皇が霊力を吹き込み、ありがたい稲穂ということで神社経由で百姓に配られました。律令以前の豪族からあったシステムでしたがこの税の仕組みがうまくいかなくなり神社の地位が下がったことから神仏習合が起きたのではと筆者は考えています。


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2010/06/20

物部氏の正体

 【書 名】物部氏の正体
 【著 者】関 裕二
 【発行所】新潮文庫
 【発行日】2010/6/1
 【ISBN 】978-4-10-136473-5
 【価 格】514円

神武東征以前の大和に舞い降り、神武天皇の大和入りを助けたのが物部氏の祖です。天理にある石上神宮近くが本拠地と言われていますが、もう一つ河内(東大阪、八尾)の土地も物部氏の本拠地です。河内だけでなく瀬戸内海沿岸沿いも支配していたようで、吉備がもともとの本拠地ではという説です。

八尾や東大阪の神社は物部の神を祭っているところが多いですからね。今でも八尾には物部守屋の墓が残っています。


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2010/04/26

平城京は古代豪族の墓標だった!

 【書 名】平城京は古代豪族の墓標だった!
 【著 者】関 裕二
 【発行所】宝島社新書
 【発行日】2010/4/24
 【ISBN 】978-4-7966-7552-9
 【価 格】700円

藤原氏と他の豪族との戦いについて記載していますが、ほとんどは他の著書で既出です。ただ大伴氏の話は面白かったですね。長屋王の変がある前、長屋王に近い大伴旅人は大宰府に追いやられています。大伴氏は蝦夷など東北とつながっていました。平安京となってもがんばっていたんですが応天門の変で藤原氏にやられてしまいました。


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