2024/08/29

消された王権 尾張氏の正体

 【書 名】消された王権 尾張氏の正体
 【著 者】関 裕二
 【発行所】PHP新書
 【発行日】2023/08/22
 【ISBN 】978-4-569-85755-8
 【価 格】1,100円

■スンダランド
タイランド湾から南シナ海にあった陸地で、氷期に、海面が100メートル程度低い時、広大な平野でしたが紀元前12000年頃から紀元前4000年にかけて約8000年間にわたる海面上昇により海底に没しました。一部は日本にたどりつき鹿児島県霧島市では上野原遺跡がみつかっています。ところが喜界カルデラの大噴火で西日本は壊滅します。

■S字甕
東海地域の土器が関東や瀬戸内にまで拡がっていきますが、S字甕の胎土には、雲出川の砂礫をまぜることが特徴になっています。

■物部氏
ニギハヤヒ-吉備勢力が河内に集まり、リーダーだったのがニギハヤヒ
ナガスネヒコ-景行天皇のスネが長いと記載されています

北九州勢力が邪馬台国を詐称して魏から親魏倭王の称号をえていたが、神功皇后&仲哀天皇は北九州に攻め込み滅ぼします。魏に対してはトヨ(神功皇后)が継いだと報告をします。ところが魏か晋に変わった時にヤマトは神功皇后を切り捨てることにしたという説です。継体天皇が継ぐ前に倭彦王に打診をしますが仲哀天皇五世の孫でした。ヤマトの王になる資格は神功皇后の血をひいているかどうかが重要だったようです。

→ 消された王権 尾張氏の正体

 

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2020/01/31

古代史の謎解き紀行1 封印された大和編

 【書 名】古代史の謎解き紀行1 封印された大和編
 【著 者】新潮文庫
 【発行所】関裕二
 【発行日】2014/06/01
 【ISBN 】978-4-10-136476-6
 【価 格】550円


どこかで読んだことあるなと思ったらポプラ社から出ていた本を文庫化したものでした。


■吉野
後醍醐天皇も天武天皇も再起を図る場所はいつも吉野。吉野の南部には熊野の樹海が拡がり、ここに入られると大軍では何ともできなくなります。確かに攻め手は手も足も出なくなります。


■黒作懸佩刀(くろづくりかけはきのたち)
東大寺献物帳に記載されています。もともとは草壁王子が持っていましたが亡くなる前に藤原不比等に渡します。これが草壁王子→藤原不比等→文武天皇→藤原不比等→聖武天皇と三種の神器にかわる持統・藤原体制のレガリアとして使われたようです。


■聖武天皇の関東行幸
天武天皇の壬申の乱をなぞったものと言われていますが聖武天皇が平城京を出発した日も天武天皇が吉野を出た日も同じ壬午の日でした。


■高市皇子は即位していた?
天武天皇の息子で壬申の乱として活躍した高市皇子は持統天皇の血をひいていません。子供が長屋王になりますが長屋王邸から見つかった木簡に「長屋親王」と書かれていました。この親王は天皇の子を意味しているので日本書紀などに記載されていませんが即位していた可能性がありそうです。

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2016/09/29

検証!古代史「十大遺跡」の謎

 【書 名】検証!古代史「十大遺跡」の謎
 【著 者】関 裕二
 【発行所】PHP文庫
 【発行日】2016/05/11
 【ISBN 】978-4-569-76567-9
 【価 格】700円

邪馬台国の候補地として纏向遺跡があがっていますが、近江にある伊勢遺跡もとんでもない遺跡のようで、環濠集落に円形配置で30ほどの建物が並んでいました。魏志倭人伝に倭国は30の国があったと記されているので、伊勢遺跡に各地の長が集まって会議をしていた場所ではないかという説があります。ただ旧石器時代の集落でも円形に住居が並ぶことがあり、もしかしたら関連があるかもしれません。

藤原京という名前は明治になってからつけられた名前で当時は単純に京と呼んでいただけで、万葉集では”藤井が原”と呼んでいました。天武天皇の時代に造営が始まっており、儒教の古典である「周礼」に従って京の中心に宮が作られました。周礼では宮の北側は市場で、実際に市場があったようです。

三内丸山遺跡、板付遺跡、荒神谷遺跡、吉野ヶ里遺跡、纏向遺跡、鬼ノ城、箸墓古墳、稲荷山古墳、藤ノ木古墳、藤原京の十大遺跡が紹介されています。


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2015/10/17

海峡を往還する神々

 【書 名】海峡を往還する神々
 【著 者】関 裕二
 【発行所】PHP文庫
 【発行日】2010/03/17
 【ISBN 】978-4-569-67403-2
 【価 格】619円

日本書紀でスサノオは高天原からまず新羅へ降臨してから日本へやってきます。また日本書紀にはアメノヒボコという新羅から日本へやってきた王子の記載があります。このアメノヒボコという人物、神宮皇后ともからんで、どうも九州にあった邪馬台国を滅ぼした人物のようですね。

もともとアメノヒボコの先祖は日本在住でしたが鉄の技術を求め新羅にわたり、子孫として日本の丹後・但馬へ戻ってきます。ヤマト政権の指令で鉄の供給を止めていた北九州を屈服させますが、この時に邪馬台国を滅ぼします。ところがアメノヒボコヤマト政権に裏切られ、九州南部に逃れます。この話が浦島太郎の原型になったようです。向こうに行って幸せに暮らしていたらよかったのに、帰ってきたことで、えらい目にあったという話になります。

ヤマトで疫病が流行った時、アメノヒボコと神宮皇后を裏切った祟りと考えられ九州から子孫が迎えられ、これが天皇家になっていきます。


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2013/10/05

源氏と平家の誕生

 【書 名】源氏と平家の誕生
 【著 者】関裕二
 【発行所】祥伝社新書
 【発行日】2012/06/10
 【ISBN 】978-4-396-11278-3
 【価 格】780円

平氏は桓武平氏、仁明平氏など4流。源氏は嵯峨源氏、清和源氏、仁明源氏、文徳源氏、陽成源氏、光孝源氏、宇多源氏、醍醐源氏、村上源氏など17流。天皇の末裔で臣籍降下したものです。藤原氏の摂関政治の後、院政がはじまり、やがて武士の時代へ。古代からの流れからなぜ武士の時代が到来したのか解き明かしてます。


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2013/08/20

ヤマト王権と十大豪族の招待

 【書 名】ヤマト王権と十大豪族の招待
 【著 者】関 裕二
 【発行所】PHP文庫
 【発行日】2013/8/19
 【ISBN 】978-4-569-76033-9
 【価 格】648円

古代の有力豪族である物部氏、蘇我氏、藤原氏、尾張氏、上毛野氏、阿倍氏、大伴氏、秦氏、天皇家、出雲国造家について述べています。

この本によるとヤマトの纏向にいち早く進出していたのが近江、尾張、熊野を根拠地とした尾張氏。その筆頭だったのが長髄彦(ながすねひこ、長い髄が白鳥をあらわしヤマトタケルのモデル)。そこへ吉備の物部氏が進出。こちらの筆頭が饒速日命(ニギハヤヒ)。尾張氏と物部氏に出雲が加わり北部九州にあった邪馬台国を詐称していた一族を滅ぼしましたが、出雲はこの後、裏切られます。

ところが疫病が流行り、占うと出雲の祟り。ニギハヤヒは九州に落ち延びていた出雲の王を神武としてヤマトに迎え入れました。この時、神武につき従っていたのが大伴氏。約束が違うと反対した長髄彦はニギハヤヒに殺されてしまい尾張氏は没落してしまいます。

出雲の一族の一派は越の国にも逃れていて、尾張氏と一緒に継体天皇を担ぎ出したのが蘇我氏。出雲につながる一族でした。それで我れ蘇り。これに百済や新羅などがからんで、なかなか興味深い話になっています。


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2012/09/13

遷都に秘められた古代天皇家の謎

 【書 名】遷都に秘められた古代天皇家の謎
 【著 者】関 裕二
 【発行所】PHP文庫
 【発行日】2012/6/19
 【ISBN 】978-4-569-67837-5
 【価 格】619円

藤原京の大極殿は大和三山の二等辺三角形の垂心に位置します。天の香具山、耳成山、畝傍山は道教の神仙思想の影響があるようで蓬莱にある三神山になぞらえられていました。蓬莱、瀛洲(えいしゅう)、方丈が三神山で、藤原京を作った天武天皇の諱に「瀛」の字が使われていて、道教を重視していたようです。飛鳥の酒船石遺跡も道教の影響を受けていたと言われています。

しっかりした都市計画で作られた日本初の都城でしたが、わずか16年で平城京遷都となりました。古代からの遷都にはどんな思惑があったのか日本建国や邪馬台国もふまえて考察しています。


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2012/04/30

古事記と壬申の乱

 【書 名】古事記と壬申の乱
 【著 者】関 裕二
 【発行所】PHP新書
 【発行日】2012/03/29
 【ISBN 】978-4-569-79808-0
 【価 格】720円

古事記は秦氏と関係があった多氏が作ったものではないかという論です。当時は新羅、百済、唐との関係が現代以上に複雑にからみあい、そこに帰化人の思惑もからんだ時代。蘇我入鹿が殺された乙巳の変も複雑な海外情勢が絡んでいました。

中大兄皇子・藤原鎌足コンビは親百済で、白村江の戦いに突き進んでいきます。白村江の敗戦で、日本が唐に攻められる事態となりますが、新羅が唐に反旗を翻したことで命拾いします。筑紫に唐から郭務宗という人物が47隻の船に乗り2000名の軍隊と共に来ていたそうで、日本が新羅と組まないように牽制に来ていた模様です。親新羅派だった大海人皇子が東北に逃れ壬申の乱が始まるのが、郭務宗が去ったタイミング。待っていたんですかねえ。

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2011/09/23

古代史この「七つの真実」はなぜ塗り替えられたのか

 【書 名】古代史この「七つの真実」はなぜ塗り替えられたのか
 【著 者】関 裕二
 【発行所】実業之日本社
 【発行日】2011/07/12
 【ISBN 】978-4-408-10894-0
 【価 格】762円

出雲の神話時代から平安京遷都まで古代史を7つの項目に分けて説明しています。

神武東征は日下(東大阪)でヤマトの攻撃にあい、日の御子が太陽に向かって攻撃したのが原因だとずっと熊野から錦(三重県・大紀町)まで到達しているのですが、ここから熊野に戻ってヤマトに南側から入っています。錦から北に上がり田丸から美杉、榛原と入ってヤマトへ東側から入る方が楽だし、東側から攻撃できるのですが、なぜかしていません。不思議ですね。この時、神武天皇は高倉下から霊剣を受け取っていますが、どうも尾張氏(草薙剣を祭る熱田神宮と関係あり)とからんでいるようです。

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2011/08/10

日本人はなぜ震災にへこたれないのか

 【書 名】日本人はなぜ震災にへこたれないのか
 【著 者】関 裕二
 【発行所】PHP新書
 【発行日】2011/07/29
 【ISBN 】978-4-569-79855-4
 【価 格】720円

クリスマスを祝い、大晦日はお寺の除夜の鐘を聞き初詣に行く日本人。無宗教と言いながら日本人が多神教になったのは繰り返し襲ってくる災害が原因ではと面白い分析です。日本には昔から地震や津波が襲っており、縄文時代に起きたのが鬼界カルデラ(薩摩半島の南側)の大噴火。火山灰は東北地方まで降ったそうで西日本は多大な影響を受け、縄文人が東国に偏在する理由になったのではということです。

■初穂料
神社で祈願する時に収めるのが初穂料。最初に収穫した稲穂を神に収めるという意味です。律令制度では神社がこの初穂を集め都の神祇官に送り、税金として収められました。一部は天皇が霊力を吹き込み、ありがたい稲穂ということで神社経由で百姓に配られました。律令以前の豪族からあったシステムでしたがこの税の仕組みがうまくいかなくなり神社の地位が下がったことから神仏習合が起きたのではと筆者は考えています。


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