脱税の日本史
【書 名】脱税の日本史
【著 者】大村大次郎
【発行所】宝島社
【発行日】2024/07/26
【ISBN 】978-4-299-05392-3
【価 格】1500円
■班田収授
6年ごとに造籍(戸籍作成)、校田(農地の広さを測る)、班田(戸籍、農地の広さから田を振り分ける)が全国一律で行われていました。租庸調の租は国衙の正倉に米を収め、高齢者や貧困者への支給以外は貯蓄されていました。その地域の特産物に交換されて都には送られました。
国司は毎年、大計帳、正税帳、調帳、朝集帳の4つの会計報告を中央政府に送り脱税できない仕組みになっていました。4つの報告書は「四度の公文」と呼ばれ、持参する役人を「四度の使い」と呼ばれます。
■平安時代の脱税スキーム
貧しい農民は戸籍をごまかす(高齢者や女性ばかり)、それでも生活が苦しくなると富裕な農民に公田を売ります。買い取った側は荘園にして国司には賄賂を贈り見逃してもらいまう。国司は京都の有力貴族に貢物を送って追及を逃れます。
戸籍が曖昧になると徴兵に影響します。国司に対して兵をまとめるように命じるようになると国司が武力を握ることになります。ここから平氏や源氏が出てきます。
■鎌倉時代
守護・地頭の設置と兵糧米の徴収権を朝廷に認めさせます。徴税権があると会計検査権も手に入ります。
■比叡山
分かっているだけで285の荘園をもっていました。近江の荘園の4割、若狭の3割は延暦寺がもっていました。
■囲米
江戸時代、年貢の一部を籾で備蓄していました。災害支給用でしたが米価の調整にも使っていました。
■地租改正
米で収めた年貢をお金に切り替えます。税率は土地代の3%で収穫米の平均代価の34%程度でした。江戸時代の四公六民より若干低い負担率でした。収穫高による年貢ではなく、あらかじめ決まっていますので生産をあげればあげるほど儲かる仕組みとなりインセンティブになりました。
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