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2026/08/14

室町「下克上」サバイバル

 【書 名】室町「下克上」サバイバル
 【著 者】清水克行
 【発行所】文藝春秋
 【発行日】2026/07/10
 【ISBN 】978-4-16-392120-4
 【価 格】1800円

■世阿弥
本名は秦元清で秦河勝の子孫になります。

■斎藤実盛
武蔵国長井荘(熊谷)を本拠として最初に白髪染めした人物として知られています。平家方につきますが、昔、命を助けた源義賢の遺児が成長して木曽義仲になっていました。白髪染めして戦いますが源氏に討ち取られてしまいます。首実検でかっての恩人を見た木曽義仲は号泣することになります。

■蔵回り
午前4時頃に質流れ品を買い取ったり不用品を引き取ったりするリサイクル業者で人目がつきにくい夜にまわりました。また馬買い(博労)や皮買いも動いていました。明け方の暗い時間帯は「ばくろうどき」と呼ばれます。

■元興寺
極楽坊本堂の内陣の柱に寺への土地の寄進状が記載されています。本来は紙に書きますが、僧侶が紙ごと土地を売却したりしないように本堂の柱に刻み付けました。

■前斗かき
枡に米を盛った後にすり切り棒を手前にひくと「前斗かき」、手前から向こうに押すと「おろし」と言いました。前斗かきは、おろしに比べ枡に入る量が減り、年貢では有利です。

■戦国時代の御所
天文法華の乱など騒乱があると庶民は御所に逃げkんでいました。数千人という資料もあります。御所は局外中立なので最も安全な避難場所でした。御所で行われた正月のどんと焼きには2万人もの観衆がつめかけます。関白となった秀吉は天皇の権威を高めるために入れなくします。

■読み方
浅井-あさい、あざいか分かりませんが地名が「あざい」なので、それを根拠に「あざい」になっています。
尼子-あまご、大友ーおおども は宣教師のアルファベット表記から分かっています。
斯波-「しば」と呼ばれていますが「しわ」とも呼ばれていました。岩手の紫波は「しわ」になっています。
長宗我部-「ちょうそうかめ」「ちょうそうがめ」と当時はよばれていたようです。

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