【書 名】神と仏の人文地質学
【著 者】巽好幸
【発行所】光文社新書
【発行日】2025/12/30
【ISBN 】978-4-334-10822-9
【価 格】1020円
■フィリピン海プレート
南海トラフから斜めに沈み込んでいることから北と西に押す力が働きます。この影響で瀬戸内海には島がなく海が拡がる灘と島が多い瀬戸が交互に分布しています。約300万年前に北向きに沈み込んでいたフィリピン海プレートが45度西へ運動方向を変えました。関東地方の下で西に向かう太平洋プレートが押し負けて北西に向きを変えました・この影響で中央構造線が動いて瀬戸内海ができ、日本海溝が西向きに移動し、南北に並ぶ山脈ができます。
■大和王権
鉄の多い岩石が川などで流れだし、纏向の土壌には鉄分を含んでおり米の生産力をあげました。また1万1千年前からわずが1000年の間に海が急激に広がった記憶もあり大阪ではなく奈良を選定しました。
4世紀初頭、伊勢丹生産の辰砂を利用して黒塚古墳や天神山古墳の朱として使っていました。伊勢をよく理解していたので7世紀後半に伊勢神宮の創祀につながっていきます。鈴鹿市の天皇遺跡には屯倉が設置されたようです。
5世紀後半、気候不順により米に収穫量が落ち、免疫力が落ち疫病が拡がります。三輪山で国家祭祀が行われるようになります。この天候不順は聖武天皇の時代まで続きます。
4世紀後半から5世紀初頭に大和川を瀬戸内海への主要経路として使いますが、それ以前は紀ノ川を使っていました。鳴滝遺跡で大型倉庫群跡が見つかり、5世紀前半には法円坂倉庫群に転用されたようです。
■熊野
3つのカルデラから構成されており、熊野カルデラが約750平方キロあります。阿蘇カルデラが400平方キロ程度ですので約1400年前に世界最大クラスの巨大カルデラ火山がありました。巨大な火砕流が発生し、痕跡が室生地域の柱状節理と玉手山に残っています。
巨大火山の噴火で低温となりますが大気中にまき散らされた火山灰が太陽光をさえぎるためと思われていましたは、意外とすぐに地表に落ち、火山ガスに含まれる硫黄がエアロゾルになって大気中に漂い続けます。
カルデラの地下にはマグマが冷え固まった熊野岩体があるために、フィリピン海プレートが紀伊半島地下で大きくたわむことになります。
行基など山岳修行僧は国家にとって危険と判断していましたが大仏建立などで金などを探す必要があり、山に入ることを解禁します。大峯奥駆道などが切り開かれます。
■寺田寅彦
ウェゲナーの大陸移動説に触発され日本列島が大陸から移動したと考えました。約1500万年前に東日本は反時計回りに西日本では時計回りに回転しながら移動しました。
■聖武天皇
734年に畿内七道地震が発生し、生駒断層の北部での直下型地震でした。
735年にパンデミックが発生。麻疹(はしか)が遣唐使や遣新羅使が国内に持ち込んだようです。
745年に天平地震が養老断層系の南部で発生。紫香楽宮も相当に揺れて廃都の要因になりました。
味方だと思っていた藤原広嗣が乱を起こしたことから橘諸兄と計画して平城京に変わる恭仁京を考えます。藤原氏は朝廷に背いた形になっているので、藤原氏から金を出させました。また神を祭ってもでは効果がないため、神祇祭祀から鎮護国家を目指すことになります。尊敬する大海人皇子の足跡をたどりながら恭仁京に入ります。ただ皆を納得させないといけないので宇佐八幡宮を活用し、隼人征伐を手伝ったことで農作物などが不作となり、隼人の祟りを鎮めるために放生会をはじめます。神が仏になる本地垂迹になっていき神社に神宮寺が建てられていきます。また八幡神は菩薩となり八幡大菩薩へとなっていきます。
→ 神と仏の人文地質学
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