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2026/01/24

太平洋戦争と銀行 なぜ日本は無謀な戦争ができたのか

 【書 名】太平洋戦争と銀行 なぜ日本は無謀な戦争ができたのか
 【著 者】小野圭司
 【発行所】講談社現代新書
 【発行日】2025/11/20
 【ISBN 】978-4-06-541706-5
 【価 格】1050円

■交換船
交戦国間の協定で安全運航が保障されているが、交換船の任務が完了すると攻撃対象になります。

■占領経費
GHQなどの占領経費は昭和22年度(1947)一般会計歳出の30%、GNPの5%をしめます。ドイツも連合国軍の占領経費を支払っており1950年に国家予算の38%、GNPの15%をしめました。

戦争中に政府は外資金庫や正金銀行から戦費を借りていましたが、相手が閉鎖してしまったため旧臨時軍事費の借入残高414億円あまりが残っています。

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遊清五録

 【書 名】遊清五録
 【著 者】高杉晋作
 【発行所】講談社学術文庫
 【発行日】2025/12/9
 【ISBN 】978-4-06-542024-9
 【価 格】1000円

■上海へ
幕府が清朝との交易を目的に上海へ船(千歳丸)を派遣。清朝との国交がなかったため日本、清朝の双方と国交があるオランダが上海に領事館を置いていたので、日本の商品をオランダ扱いにして売ることを考えていました。幕府は幕松の数年間に4回、上海に使節を派遣しています。

■五代友厚
船に同乗していた水夫が薩摩藩の五代友厚で、薩摩も上海での交易を目指していました。

■海国図志
魏源が外国語の書物、新聞などを翻訳、集大成した世界地誌。海防全書でもありましたが中国では禁書扱いにしていました。

■横浜
家茂に対して朝廷は攘夷をせまり、戦場は横浜となる可能性が高く、家茂の警護として上京してきた浪士組が江戸にもどったのも、このためです。袂を分かったのが新選組です。

→ 遊清五録

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豊臣秀長 戦国最強のナンバー2のすべて

 【書 名】豊臣秀長 戦国最強のナンバー2のすべて
 【著 者】菅義偉、柴裕之、中村修也、藤田達生、黒田基樹、萩原さちこ
 【発行所】宝島社新書
 【発行日】2025/11/24
 【ISBN 】978-4-299-06826-2
 【価 格】1200円

■旗本 木下小一郎
長島攻めでは丹羽長秀、前田利家らとともに16名の一人として木下小一郎の名前が「信長公記」にあがっています。秀吉の家臣という立場ではなく信長の家臣になっていたようです。

■各個撃破
本能寺の変のあと、秀吉が警戒したのが織田信雄、信孝、柴田勝家、徳川家康の4人が連携して反秀吉と結集すること

■藤堂高虎
奥さんは但馬一色氏で遠縁となる式部一色家には金地院祟伝がいます。

■大和郡山
くろがね(鉄)、魚、塩は内陸部では確保が難しく座を復活させましたが、他は楽座にしました。

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2026/01/20

羽柴秀長と藤堂高虎

 【書 名】羽柴秀長と藤堂高虎
 【著 者】黒田基樹
 【発行所】NHK出版新書
 【発行日】2025/12/10
 【ISBN 】978-4-14-088753-0
 【価 格】980円

■改名
賤ヶ岳の戦い
秀長は通称を小一郎から美濃守に改称します。織田家の直臣から秀吉の一門衆になったことを示します。

小牧長久手の戦い
織田信雄との対立で織田家から自立することもあり長秀から秀長に改名します。

■養子
丹羽長秀の三男を養子にしていましたが秀吉の命令で血縁がある鍋丸に変更します。秀吉は後継者として秀長を考えており、その嫡男が丹羽家出身よりも身内の方がよいと思ったようです。今までの養子を不憫に思ったのか、信頼していた藤堂高虎の養子としました。これが藤堂高吉になります。

■秀保
文禄3年(1594)秀吉から高虎は伊勢国安芸郡今井三郷100石を加増されており、実質的に秀吉の直臣となっていきます。秀保が亡くなり高虎は高野山に入ってしまって、秀吉が呼び戻したというのが通説ですが、秀保の葬礼の前に存続が決まっていて、葬礼後に菩提を依頼に高野山へ行った話が拡がったためと考えられています。

→ 羽柴秀長と藤堂高虎

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2026/01/16

副業・福業・ひとり社長で年金にプラス10万円を得る方法

 【書 名】副業・福業・ひとり社長で年金にプラス10万円を得る方法
 【著 者】藤木俊明
 【発行所】日経ビジネス人文庫
 【発行日】2025/12/03
 【ISBN 】978-4-296-12525-8
 【価 格】900円

■「きょうよう(今日の用事)」と「きょういく(今日、行く場所)」

■特別非常勤講師制度(文部科学省)
教育免許を持たなくても特定の分野で優れた知識や経験をもつ社会人人材を非常勤講師として迎え入れる制度

地域企業経営人材マッチング促進事業(レビジャリ) 金融庁
SAGOJO(サゴジョー) すごい旅人求人サイト 地方と都市部の人材をつなぐ

■AI学習の対価還元プログラム
2025年8月よりnoteに書いた記事をAIの学習データに提供することを承諾するとギフトカードなどで対価が支払われます。

■トランク(Trunk)
三井住友銀行が提供する法人向けのデジタル総合金融サービス

→ 副業・福業・ひとり社長で年金にプラス10万円を得る方法

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職業は武装解除

 【書 名】職業は武装解除
 【著 者】瀬谷ルミ子
 【発行所】朝日文庫
 【発行日】2015/05/30
 【ISBN 】978-4-02-261828-3
 【価 格】720円

■DDR
兵士の武装解除(Disarmament)、動員解除(Demobilization)、社会復帰(Reintegration)

■カルザイ大統領(アフガニスタン)
「ファヒーム国防大臣を副大統領と国防大臣から外すべきか意見を聞きたい」と日本の駒野大使と著者、アメリカのハリルザト大使、国連PKOのアルノー事務総長特別代表、イギリスの臨時代理大使を呼び出した先で切り出します。日本は「アフガニスタン政府の問題だから外国の人間が意見すべきではないが、武装解除を進めるためには彼が障害になっているのは事実だ」と口火をきりましたが一国の大臣の去就に日本が意見を求めらえた稀有な例でした。アメリカなどは「大統領が決めたことには全力で支持する」とだけで明確な発言はありませんでした。記録に残らないように国連としめしあわせていた可能性があります。

■日本の立ち位置
アメリカやヨーロッパから総攻撃を受けて原爆までおとされボロボロになりながら、今や世界有数の経済大国になっている。どうしたら復興できるのか教えてほしい。今はボロボロの我が国も日本のようになれるのではないかと希望を与える存在にもなっている。

→ 職業は武装解除

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2026/01/13

人間とは何だろうか

 【書 名】人間とは何だろうか
 【著 者】脳が生み出す心と言葉
 【発行所】河出新書
 【発行日】2025/12/30
 【ISBN 】978-4-309-63199-8
 【価 格】1000円

■言語獲得
赤ちゃんが言葉をまねることで話せることはありません。五段活用や文構造の作り方を発見できる幼児はおらず、言語獲得は学習ではなく生得的なものです。言語獲得には個人差がほとんどなく、生得的でなければ学習能力の違いで個別言語の文法に相当な違いが生じることはありません。

普遍文法-言語獲得装置が生得的に備わっており日本語や英語といった個別言語によらずに普遍的です。母語の次に第二言語、第三言語がありますが、脳のまったく同じ部分が使われています。人間はみな同じ能言語をもっていて、能言語を日本語に変換しているだけです。

突然変異で言語をもった種が有利となり、脳の変異によって無限の再帰的計算ができるようになります。

■ヨーロッパコマドリという渡り鳥
網膜にクリプトクロムというタンパク質があり地磁気が感知できるため正確な方向感覚で飛び続けられます。

■街灯効果
光があたるところに群がって手がかりを探そうとしますが通りの反対側で落としたはずの鍵を、明るいという理由だけで手近な街灯のもとで探そうとするもの

→ 人間とは何だろうか

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2026/01/10

「ナンバー2」の日本史

 【書 名】「ナンバー2」の日本史
 【著 者】本郷和人
 【発行所】ハヤカ新書
 【発行日】2025/12/25
 【ISBN 】978-4-15-340052-8
 【価 格】1200円

■梶原景時
頼朝のNo2でしたが頼朝に対する不満が頼朝亡きあとに梶原景時に集中し滅ぼされてしまいました。奥州藤原氏の生き残りたちが頼りにしたのが梶原景時でした。侍所別当として武士の取りまとめにも奔走し、梶原景時が滅ぼされる時に幕府に反乱したのが城長茂や藤原高衡(藤原泰衡の兄弟)でした。

■室町幕府
下文(くだしぶみ) 土地に関する文章で尊氏が出す
下知状 政治に関する裁定で忠義が出す

■左大臣
足利義満は内大臣、左大臣を経て太政大臣になりました。左大臣は儀式などを取り仕切らなければならず織田信長は右大臣、秀吉は内大臣から関白、家康は右大臣から太政大臣になりました。武士にとって左大臣は困難でした。貴族にとって義満は公家のトップと認められるので荘園のことなども上司に相談する形で頼みやすかったようです。

→ 「ナンバー2」の日本史

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日本史の血脈

 【書 名】日本史の血脈
 【著 者】本郷和人
 【発行所】扶桑社新書
 【発行日】2026/01/01
 【ISBN 】978-4-594-10151-0
 【価 格】950円

■成功(じょうごう)
官職の売買のこと 三河守の官職が3千貫で売買された史料があり、3億円ほどになります。

■3つの平氏
堂上平氏    昇殿できる資格をもつ
軍事貴族の平氏 地方で武装した貴族 平将門など
一所懸命に土地を守り抜く平氏

■北条家
官位を四位でとどめ、権威としての将軍、実験を握る執権の二重構造を徹底しました

本家に準ずる名門から嫁いできた女性の家が没落すると、後継ぎとされてきた長男が外されてしまいます。代わりに領地などが与えられできたのが吉良家や今川家です。

■津軽為信
南部家から独立する時に石田三成が助けました。恩義に感じており関ケ原の合戦のあとに三成の次男や娘を保護しています。

→ 日本史の血脈

 

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豊臣兄弟 天下を獲った処世術

 【書 名】豊臣兄弟 天下を獲った処世術
 【著 者】磯田道史
 【発行所】文春新書
 【発行日】2025/12/20
 【ISBN 】978-4-16-661514-8
 【価 格】950円

■土屋円都(えんいち)
土屋氏は甲斐武田家に仕えた一族で、幼少期に失明した円都は井伊谷の菅沼氏に身を寄せ、その後に駿河で人質だった家康のそばに仕えます。円都は検校として今川氏真や北条氏政に仕えます。秀吉の小田原攻めでは家康は井伊直政に命じて円都を救出しました。円都は今川家や北条家に仕え膨大な情報を記憶していました。「太閤素性記」は家光に仕えた土屋知貞が記載しましたが父親が円都でした。また養母が尾張、中中村の代官・稲熊助右衛門の娘で代官は中村時代の秀吉について、よく話していたようです。

■松下加兵衛
秀吉が最初に仕えた武将ですが、秀吉と同年配です。松下家は山伏の頭領でもあり松下家からは柳生十兵衛の母もでています。秀吉はのちに松下加兵衛を大名にしますが、恩義以外に全国の山伏とつながっている点に価値を見出したようです。

■羽柴長秀
小牧・長久手の戦いの最中に「美濃守 秀長」と署名します。織田家の「信」と羽柴家の「秀」を入れ替える秀吉の明確な意向でした。

■三木攻め
別所長治が敵対した理由の一つが破城のようだったようです。播磨の土豪にとって自分たちの山城が壊され秀吉側に城を造らされることが屈辱的だと思ったようです。

■本能寺の変
光秀は武田と内通していたふしがあり、敗れた武田家の投降者からばれると思った可能性があります。長宗我部との四国外交を否定されたこともあり、次に処分されるのは自分だと考えました。また秀吉が上月城を攻められ窮地に陥った時に信忠を総大将に佐久間信盛、滝川一益、明智光秀を救援に向わせますが明石高砂あたりで止まり、別所長治を攻める方が先だと主張します。秀吉が功績をあげているのがねたましかったようで、秀吉は忘れてなかったようです。

■高松城の水攻め
毛利元就の娘婿・上原元将まで秀吉に裏切っている状況で、毛利軍は前に出たら後ろから討たれるのではと疑心暗鬼になっていました。秀吉軍との講和がはじまり、高松城の清水宗治に連絡するために泳いで往復した武将が宇多田小四郎で、宇多田ヒカルの先祖です。

■山崎の戦い
斎藤利三から援軍を送ってくれという要請に送りたくても送れなかったため最後には利三が光秀の本陣にやってきて暇乞いして陣払いしてしまいました。味方に通告して戦線離脱するのが作法で関ケ原の合戦では安国寺恵瓊や長束正家が届け出なしで陣払いしたと後で非難されています。

■在京賄料
家康が大坂、京都に滞在するのに遠方から米などを運ぶのは大変なので小さな飛び地を与え制度で家康には3万石が支給されました。聚楽第近くにあった宇喜多秀家などの屋敷を3軒のかせ、家康の屋敷を建てますが書院は秀吉が厨房を秀長が造ることになり藤堂高虎に命じています。

■上洛誘導システム
大名に上洛を迫り、応じたら高い官位を与える制度です。またやってきたら、徹底的におもてなしをしました。ただ公家のポストを奪うことになるので公家側は不満でした。家康は武家の官位は定員の外としてカウントしない制度にしました。

→ 豊臣兄弟 天下を獲った処世術

 

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2026/01/02

神と仏の人文地質学

 【書 名】神と仏の人文地質学
 【著 者】巽好幸
 【発行所】光文社新書
 【発行日】2025/12/30
 【ISBN 】978-4-334-10822-9
 【価 格】1020円

■フィリピン海プレート
南海トラフから斜めに沈み込んでいることから北と西に押す力が働きます。この影響で瀬戸内海には島がなく海が拡がる灘と島が多い瀬戸が交互に分布しています。約300万年前に北向きに沈み込んでいたフィリピン海プレートが45度西へ運動方向を変えました。関東地方の下で西に向かう太平洋プレートが押し負けて北西に向きを変えました・この影響で中央構造線が動いて瀬戸内海ができ、日本海溝が西向きに移動し、南北に並ぶ山脈ができます。

■大和王権
鉄の多い岩石が川などで流れだし、纏向の土壌には鉄分を含んでおり米の生産力をあげました。また1万1千年前からわずが1000年の間に海が急激に広がった記憶もあり大阪ではなく奈良を選定しました。

4世紀初頭、伊勢丹生産の辰砂を利用して黒塚古墳や天神山古墳の朱として使っていました。伊勢をよく理解していたので7世紀後半に伊勢神宮の創祀につながっていきます。鈴鹿市の天皇遺跡には屯倉が設置されたようです。

5世紀後半、気候不順により米に収穫量が落ち、免疫力が落ち疫病が拡がります。三輪山で国家祭祀が行われるようになります。この天候不順は聖武天皇の時代まで続きます。

4世紀後半から5世紀初頭に大和川を瀬戸内海への主要経路として使いますが、それ以前は紀ノ川を使っていました。鳴滝遺跡で大型倉庫群跡が見つかり、5世紀前半には法円坂倉庫群に転用されたようです。

■熊野
3つのカルデラから構成されており、熊野カルデラが約750平方キロあります。阿蘇カルデラが400平方キロ程度ですので約1400年前に世界最大クラスの巨大カルデラ火山がありました。巨大な火砕流が発生し、痕跡が室生地域の柱状節理と玉手山に残っています。

巨大火山の噴火で低温となりますが大気中にまき散らされた火山灰が太陽光をさえぎるためと思われていましたは、意外とすぐに地表に落ち、火山ガスに含まれる硫黄がエアロゾルになって大気中に漂い続けます。

カルデラの地下にはマグマが冷え固まった熊野岩体があるために、フィリピン海プレートが紀伊半島地下で大きくたわむことになります。

行基など山岳修行僧は国家にとって危険と判断していましたが大仏建立などで金などを探す必要があり、山に入ることを解禁します。大峯奥駆道などが切り開かれます。

■寺田寅彦
ウェゲナーの大陸移動説に触発され日本列島が大陸から移動したと考えました。約1500万年前に東日本は反時計回りに西日本では時計回りに回転しながら移動しました。

■聖武天皇
734年に畿内七道地震が発生し、生駒断層の北部での直下型地震でした。
735年にパンデミックが発生。麻疹(はしか)が遣唐使や遣新羅使が国内に持ち込んだようです。
745年に天平地震が養老断層系の南部で発生。紫香楽宮も相当に揺れて廃都の要因になりました。

味方だと思っていた藤原広嗣が乱を起こしたことから橘諸兄と計画して平城京に変わる恭仁京を考えます。藤原氏は朝廷に背いた形になっているので、藤原氏から金を出させました。また神を祭ってもでは効果がないため、神祇祭祀から鎮護国家を目指すことになります。尊敬する大海人皇子の足跡をたどりながら恭仁京に入ります。ただ皆を納得させないといけないので宇佐八幡宮を活用し、隼人征伐を手伝ったことで農作物などが不作となり、隼人の祟りを鎮めるために放生会をはじめます。神が仏になる本地垂迹になっていき神社に神宮寺が建てられていきます。また八幡神は菩薩となり八幡大菩薩へとなっていきます。

→ 神と仏の人文地質学

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