秀吉は秀頼が自分の子でないと知っていたのか
【書 名】秀吉は秀頼が自分の子でないと知っていたのか 「家」と托卵でひもとく日本史
【著 者】本郷和人
【発行所】徳間書店
【発行日】2025/07/31
【ISBN 】978-4-19-866033-8
【価 格】1,700円
■お勝の方
家康の側室の一人で家康の娘を生みますが夭折してしまいます。そこで家康は末子の徳川頼房を、お前の子として育てなさないと託します。この頼房が水戸光圀の父になります。家康の死後、お勝は鎌倉に英勝寺を創建し水戸家から厚遇されていました。光圀は三男でしたが藩主になったことを自覚していたようで讃岐高松藩の藩主となった兄の子と自分の子を交換し兄の血筋を水戸徳川家に残します。
お勝の方の娘の墓が静岡に残っていますが、この墓を守ったのが少しの間だけお勝の方と夫婦だった松平正綱です。大河内松平家の祖となりますが、養子となったのが知恵伊豆といわれた松平信綱です。
■津軽家
秀吉と津軽家の仲介をしたのが石田三成で、津軽家は三成の娘を正室に迎えます。三成の次男も津軽家に迎えられ杉山姓を名乗り、家老となります。石田三成の肖像画はこの杉山家に伝わっていきます。
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