家康はなぜ乱世の覇者になれたのか
【書 名】家康はなぜ乱世の覇者になれたのか
【著 者】安部龍太郎
【発行所】幻冬舎文庫
【発行日】2023/12/05
【ISBN 】978-4-344-43435-6
【価 格】670円
■ポルトガルの対日戦略
スペイン-ボリビア南部のポトシ銀山を明に持ちこんで大儲け
ポルトガル-石見銀山を狙って、まずは鉄砲を売り込みます。鉄砲が普及すれば硝石、鉛が売れることになり鉄砲や硝石代などで銀を得られます。
■松平親氏
親氏の3代目である松平信光の記録に親氏が新田氏の出である得川義季(新田義重の子供)の血をひいていることを意識していた記録が出てきます。親氏は南朝方だったようで幕府軍に追われて松平郷に流れつき松平家に入り婿として迎え入れられたようです。
■桶狭間の戦い
信長が大高城の周りに鷲津砦などを作っていた頃、服部友貞、斯波義銀、吉良義昭らが今川義元と連携して信長と対抗しようとしていました。服部友貞が尾張から一千の船を用意して大高から清州へ今川勢を運ぶ計画でした。この計画をしった信長が反対に大高城へ義元を誘い込んだのではと類推しています。
■長篠の合戦
長篠城から寒狭川を超えて設楽原へ出るかが勝負でした。家康は信長本陣を西に隠し、信長に援軍を要請したがわずか5千の兵しかよこさなかったと演出しています。また北に孤立している丸山に佐久間信盛を置き、佐久間から敵中に孤立しているので武田に寝返ると書状を送ります。馬防柵と鉄砲で戦ったいるところに信長軍が前線に出てきたため、罠にはまったことを知った武田勝頼は戦場を離脱します。
■フランシスコ・カブラル
イエズス会日本布教区責任者が貿易のサプライチェーンを握っておりタイのソントー鉱山の鉛を信長に提供していました。
■バテレン追放令
秀吉が天正14年にガスパール・コエリョと会談した時にイエズス会が求めていた明への出兵を承知し、軍艦2隻を貸すように要求しますが、イエズス会は渋ったようです。バテレン追放令は駆け引きで使われたかもしれません。
■家康
関東に移封された時、疲弊していた関東を各地に家臣を配置し農本主義、地方分権で復興させました。重商主義だった信長、秀吉から変更し乱世を終わらせました。
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