戦国時代を変えた合戦と城
【書 名】戦国時代を変えた合戦と城
【著 者】千田嘉博、平山優
【発行所】朝日新書
【発行日】2024/10/30
【ISBN 】978-4-02-295276-9
【価 格】1273円
徳川家康を中心に桶狭間から大坂の陣までに対談です。
■大高城
松平元康が1560(永禄3)年の桶狭間の戦いで大高城へ兵糧を入れたと有名ですが他の記録では永禄元年や永禄二年と記載されています。陸路ではなく船運を使っていたはずで、また鳴海城には大高城にいれた兵糧をまた船で運んだ可能性が高そうです。
■三方ヶ原の戦い
三河からの陸路が3つあり、東海道、姫街道、鳳来寺道がありますが鳳来寺道は武田信玄によって塞がれます。姫街道も危ない状況で東海道が残っていますが浜名湖は水運になっています。三方ヶ原にあがった武田信玄は水運を握る堀江城に向かいそうなため、攻撃せざるをえなくなります。
■長篠の合戦
最初は互いに鉄砲を使った戦いですが経済封鎖にあっていた武田方の弾がきれるロジスティックスの格差がありました。長篠がある奥三河には睦平鉛山があり、徳川側の弾の原料である鉛に使われていたようです。この鉱山の取り合いでもありました。武田方の武将は撤退時に討ち死にが多く、勝頼を逃げさせるために身代わりになっていたようです。
■後継者教育
自分でできてしまうため権限移譲などができず上杉謙信、武田信玄などうまくいきません。家康も晩年になって、ようやく後継者教育ができるようになります。うまく代替わりできたのは北条氏ぐらいです。
■江戸時代の町屋
日本橋に江戸橋と同じ三階建て白漆喰の町屋を作らせていますが、費用は町人もちです。その代わり正月に江戸城で将軍に挨拶にいける得点がありました。
■名古屋城
釘や金具の発注で家康は入札制度を導入していました。
■関ケ原の合戦
南宮山の山頂には小規模な砦が2つしかなく、毛利秀元軍は山麓に布陣していたようです。竹中重門の菩提山城も東軍に寝返っていましたので難なく家康は関ヶ原へ進軍できました。
■大坂城
千畳敷が懸造という説がありましたがオーストリア・エッゲンベルク城所蔵の豊臣期大坂図屏風には描かれていません。
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