吾妻鑑 鎌倉幕府正史の虚実
【書 名】吾妻鑑 鎌倉幕府正史の虚実
【著 者】藪本勝治
【発行所】中公新書
【発行日】2024/07/25
【ISBN 】978-4-12-102814-3
【価 格】1000円
承久の乱に際し、北条政子が演説しますが頼朝以来の系譜が政子を介して北条泰時に接続することがテーマになっています。そのために都合が悪いことは記載せず北条に有利なように記載されています。
■富士川の合戦
頼朝が官軍と対峙したが、水鳥の飛び立った羽音に驚いた平家方がパニックになって平家勢は戦わずに逃げたと吾妻鑑にでてきます。頼朝は合流できず甲斐源氏単独で戦に臨んだようです。平家方は富士川近くに宿泊しますが逃亡や武田方に寝返る兵が続出して戦わずに撤退したようです。
■生田の森・一の谷の合戦
源範頼が福原まで攻め込み、山手は多田行綱が攻め、搦手を義経が担当します。後白河院が糸をひいていて平家方には和平をもちかけ、だまし討ちをすることになります。
■屋島攻略
義経は出陣1ケ月前から兵糧を集め、渡辺党、熊野水軍、河野氏水軍を組織し四国の反平家勢力に連絡をとって入念に準備をしていました。壇ノ浦でも瀬戸内海の制海権をおさえ、源範頼が彦島を包囲する着実な事前工作を行っていました。
■腰越状
実際は義経は頼朝と鎌倉で会っているようです。黒幕は義経が追討されると一番得をする北条時政が手を回したようです。
■実朝暗殺
北条義時が体調が悪いと行列に供奉せず源仲章が間違えて殺され難を逃れたという話になっていますが、公卿・殿上人のみでの儀式で低身分の義時らは中門に留まっていました。また三浦義村が黒幕という説がありますが、北条も三浦も実朝を暗殺するメリットはなく公暁による単独犯のようです。
実朝が唐船を作ったが浮かばなかったと書かれていますが、実際には宋に向けて使者を乗せて船出しています。
■承久の乱
後鳥羽上皇の意図は倒幕ではなく、北条から三浦にすげかえることことを狙っていたようです。
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