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2024/06/07

軍師たちの日本史

 【書 名】軍師たちの日本史
 【著 者】半藤一利、磯田道史
 【発行所】ポプラ新書
 【発行日】2014/05/07
 【ISBN 】978-4-591-14035-2
 【価 格】920円

■伊勢神宮
関ケ原あたりで大友皇子軍と大海人皇子軍が対峙した時に疾風が大海人皇子軍の後ろから吹いたおかげで勝利します。伊勢の方から吹いた風で神風と呼ばれ、天皇家の氏神として浮上することになります。

■虎の巻
兵法所に六韜があり、その一つに虎韜があり、ここから派生しました。六韜は武王が太公望に質問して答える問答形式で記載されています。

■リーダーの条件
しんどい時でも的確な判断が必要。鳥羽伏見の戦いでインフルエンザによる高熱で慶喜は会津軍からの進軍要請に「勝手にせい」と放り出してしまったことが、あの体たらくになってしまいました。

■調べつくす
島原の乱の収拾にあたったのが松平信綱です。着任するんり敵方の遺体を解剖して食物の状況をチェックしています。また敵方の陣中に甲賀者をいれますが、九州の訛りが分からないと帰ってきたのに激怒しています。島原に向かう前には江戸で宣教師の書物からキリスト教の考え方についても調べています。ノアの箱舟まで知っていた可能性が高く、一揆方の死生観まで探っています。願望と現実をごちゃませにしないことで、情報収集し案をたくさん考え決断する。

■開国兵談(林子平)
ペリーが来た時に小笠原をアメリカ領土にしたという話に大騒動。調べると開国兵談がオランダ語に翻訳されており小笠原は日本領土と明記されていて、ことなきをえました。ペリーは既にフランス語版を読んでおりブラフでもあったようです。

■勝海舟
火縄銃は100~150メートルが射程距離で鎧で防げましたが、螺旋状の溝がほられる新式銃になると500メートルにのびます。鎧を突き破傷口に鎧の破片を散らばせますので鎧をきてたら危ない戦場になります。

■経路依存性
ダグラス・ノース(ノーベル経済学者)
経路ーこれまでの行きがかり、道筋 慣れ親しんだ経路はなるべく変わらない
別館をたてるー勝海舟は海軍伝習所を創設 今なら特区ですが明治初めの敗軍は佐賀藩と幕府の海軍医術に支えられることになります。新しい国家の先まで見通していました。

■チャンス
チャンスは貯金できない ヘンリー・フォード
空間は取り戻せるけど、時間は取り戻せない ナポレオン

■山本五十六
真珠湾に特殊潜航艇で攻撃し9人が戦死、1人が捕虜となりました。捕虜が出たことをひた隠しにしますが山本五十六が捕虜になっても決死でつっこんだことには変りない。と他の隊員と同様に感状を出していました。小沢治三郎中将が感染の時代ではなく航空能力の時代になるということで機動部隊が作られます。

■戦人訓
生きて虜囚の辱めずを受けず
原案を作ったには陸軍中野学校の創設者だった陸軍少将で「戦場で敵国の女性を襲うようなことは厳にせぬように。そんな気持ちが起きた時は自分の父母を思い。郷里の里の人たちの顔を思い浮かべろ。そうすれば悪いことはえきないかずだ」が島崎藤村の推敲で変な形になっていまいました。

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