中世都市鎌倉を歩く
【書 名】中世都市鎌倉を歩く
【著 者】松尾剛次
【発行所】中公新書
【発行日】1997/11/15
【ISBN 】978-4-12-101392-1
【価 格】660円
■古代の鎌倉
郡衙がおかれ寺もあり、幕府が置かれる前は辺鄙な土地というわけではありませんでした。
■若宮大路
大路に開いた門があったのは御所だけで若宮大路は儀礼のための聖なる道でした。また御所のある東側がたかくなっていました。御所あたりの側溝は幅3m、深さ1.5mもありました。
■丈尺制
丈は約3m、尺は約30cmで測量する時にこの丈尺制が使われるようになります。
■四角祭(陰陽道)
山城国-和爾または龍華・会坂・大枝・山崎または関戸)
鎌倉-六浦、小坪、稲村ケ崎、山内
■忍性
民衆救済などをしていた忍性は鎌倉幕府の尊敬を集め、関西は西大寺、関東は極楽寺(忍性)の律僧が鎌倉幕府の後援をうけることになります。
■戒壇
東大寺、筑前観世音寺、延暦寺に戒壇がありましたが中国では東大寺の戒壇しか認められていなかったため延暦寺で受戒をうけていた天岸は東大寺で受戒したという偽書を作ってもらって中国にわたりました。
■最後の執権
北条高時ではなく第15代、金沢貞顕、第16代、赤橋守時と続きます。
■貝
鎌倉で食べられる貝はアカニシ。中世や近世の人の乱獲で日本近海ではとれなくなってしまいます。韓国では現在でも食べられています。
■篝屋
御家人がつめた交番のようなもので、事件が起きると太鼓をたたきました。辻と辻の交差点などに設置されたようです。
■上杉四家
山内上杉家、扇谷上杉家、宅間上杉家、犬懸上杉家で鎌倉を本貫にしました。太田道灌の屋敷も扇谷にあり英勝寺が跡地と考えられています。もともとは丹波国太田郷(亀岡市)が太田氏の本貫で宗尊親王が1252(建長4)年に鎌倉へ下向する時、主君の上杉重房とともに太田資国も鎌倉へ下りました。
■伊勢氏
伊勢長氏(北条早雲)の後を継いだのが伊勢氏綱で鶴岡八幡宮を再興します。氏綱は古河公方の外戚となっており鎌倉幕府の北条氏と同じような立場になったことから北条氏へと改姓します。
| 固定リンク
コメント