« めぐりんと私 | トップページ | 教養としてのコンピュータサイエンス講義 »

2024/04/27

道鏡

 【書 名】道鏡 悪僧と呼ばれた男の真実
 【著 者】寺西貞弘
 【発行所】ちくま新書
 【発行日】2024/04/10
 【ISBN 】978-4-480-07616-8
 【価 格】880円

■淳仁天皇
聖武上皇が娘の孝謙天皇を次期天皇に指名した時に道祖王(ふなどおう)を立太子します。藤原氏にとっては縁がないため藤原仲麻呂は大炊王に亡くなった息子の奥さんを再婚させます。嫁舅の関係から仲麻呂邸で大炊王を1年間、教育した後に道祖王を廃して大炊王を立太子します。ですが、結局はうまくいきませんでした。

淳仁天皇は藤原仲麻呂の変に関係していたと淡路に流されますが、淳仁天皇は蚊帳の外だった模様です。ただ孝謙天皇が道鏡を大臣禅師にすることに反対したため、ついでに廃帝されたようです。天平神護元年に重祚した称徳天皇が和歌浦行幸しますが大和、河内、和泉に行宮をつくり、固守三関を行わせ軍事的緊張をともなうものでした。聖武天皇が広嗣の乱に備えた騎兵と同じような陣容でした。称徳天皇が岬町に来た時に淳仁天皇が対岸の淡路で亡くなった知らせが届きます。「続日本記」に天皇の犯罪は書けないため暗示する形で記載したようです。

藤原仲麻呂の乱が発覚した日に称徳天皇は乱の平定を祈願して西大寺建立を発願します。藤原四家のうち謀反に三家が関係しており称徳天皇としては北家の藤原永手だけしかなく左大臣に任命し、吉備真備を右大臣に任命します。

■弓削連浄人
道鏡の弟で従八位下から従二位まであがりますが、道鏡の失脚によって土佐に配流されます。道鏡自身は朝廷政治での昇進は考えておらず仏教的に称徳天皇を導ければよいと考えていましたが称徳天皇が大臣級などと扱いを上げていったようです。天皇の犯罪を書くわけにはいかず、道鏡に仮託することになりますが道鏡が失脚しても流罪にする理由がなかったので左遷となりました。

道鏡は聖武天皇の看病禅師で崩御に立ち会っていた可能性があります。称徳天皇としては父帝の思い出を語ることができる唯一の存在だったようです。

→ 道鏡

|

« めぐりんと私 | トップページ | 教養としてのコンピュータサイエンス講義 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« めぐりんと私 | トップページ | 教養としてのコンピュータサイエンス講義 »