地図と地形で楽しむ大阪神戸謎解き歴史さんぽ
【書 名】地図と地形で楽しむ大阪神戸謎解き歴史さんぽ
【著 者】都市研究会
【発行所】宝島SUGOI文庫
【発行日】2024/04/17
【ISBN 】978-4-299-05435-7
【価 格】1100円
■京都ー大坂
八幡あたりから迂回路を進まないとダメで陸路よりも水運でした。そこで秀吉が全長27kmの文禄堤を作ります。堤防が道路として使用できました。
■大坂の公儀橋はたった12本 残りは町橋
天満橋、天神橋、難波橋、野田橋、備前島橋、京橋、高麗橋、本町橋、農人橋、長堀橋、日本橋、鴫野橋
■造幣局
五代友厚が大久保利通に提言。金属を冷やすために大量の水を使うためと船舶での輸送が中心だったため旧江戸幕府の奉行所管理の土地5万6千坪に建設。
■四ツ橋。四つ橋
旧土木局と旧電気局がそれぞれ違う字を届け出したのが原因
■生田川
昔はフラワーロードの道筋を流れていたのを明治時代に付け替え。新神戸駅の北東に生田村があり日本書紀にも登場し、生田神社の神体は砂子山(布引の滝近く)で生田村に生田神社があった模様。延暦18(799)年に反乱で砂山が土砂災害になり、現在の生田神社の場所に移転した模様。
■敏馬崎
灘にあった港で住吉津、難波津から25~30kmで当時の一日の航海距離。
■打出
建武3(1336)年 打出の戦い 尊氏が楠木正成、新田義貞、北畠顕家に敗れた戦い
感応2(1351)年 打出浜の戦い 尊氏が足利直義に敗れた戦い 尊氏は須磨にある松岡城(勝福寺)へ逃れました。
| 固定リンク
コメント