« 2024年2月 | トップページ | 2024年4月 »

2024/03/26

道と日本史

 【書 名】道と日本史
 【著 者】金田章裕
 【発行所】日経BP
 【発行日】2024/03/08
 【ISBN 】978-4-295-11983-7
 【価 格】1,000円

■北陸道
北陸道は湖西の木津から山に入り玉置駅、美彌駅、松原駅へと続いており、阿倍仲麻呂の変では、この道をたどろうとしますが、既に抑えられており、現在のマキノから続く北陸道に入りますが当時は山道だったようです。

■駅馬の使用
大瑞、軍機、災害・病気の発生、謀反、外国からの渡来、幣帛使などの公使、国司が報告のために上京する四度使(大帳使、貢調使、正税帳使、朝集使)

■信長 東山道の改修
天正3年(1575) 東大寺金堂の日記
スリハリ峠を人夫2万人以上を動員して幅三間、深さ三尺の切通し状の道と水田部分ではそれを埋めた道を建設し京都・美濃間を三里ほど短縮

■唐橋
鴨川にかかっていた橋で東側には醍醐道(滑石越)が通っていたため京都の玄関口になっていました。

■平安京
京都といえば格子状になった町並みが有名ですが、だんだんと農地になったり道に扉がつけられて家になったと変貌してしまいます。

■沓掛
地面が柔らかいので馬に沓(わらじ)をはかせていました。馬沓をははすことで沓掛になった説があります。

→ 道と日本史

| | コメント (0)

2024/03/23

新説 徳川家康

 【書 名】新説 徳川家康
 【著 者】野村 玄
 【発行所】光文社新書
 【発行日】2023/11/30
 【ISBN 】978-4-334-10131-2
 【価 格】1240円

■上杉攻め
島津義弘を伏見城城番にすることを考えていましたが、島津義弘は公儀の命令と受け取っていました。
家康は朝廷の承認を得て会津攻めをしており頼朝の奥州合戦をなぞったものと考えられています。頼朝は前九年の役の追体験を鎌倉武士にさせ権威を高めるところにありました。家康は鶴岡八幡宮を参拝し源氏の頭領として振舞おうとしていました。

■秀吉の失敗
豊臣英次に関白職とともに豊臣氏長者も渡してしまい失敗したのをみていた家康は秀忠に将軍職は譲りましたが源氏長者は保留しました。
片桐且元に伝えられていたのは秀頼が15~20歳になるまでの間、秀頼に天下を治める器量があれば秀頼に天下を渡してほしいというものでした。家康が書いた起請文は秀吉の御棺におさめられました。大坂の陣が終わってから豊国社を封鎖しますが、廟所を破却することはできないが存続するのも困るので破却にちかい形にしたようでう。

■秀吉の遺言
秀頼を伏見城から大坂城へ移し、15歳になっていたら大坂城を出るように遺言していました。

■関ケ原の合戦
秀忠への当初の命令は上田攻めで途中で方針が変わりましたが命令を伝える使者が適切な時期に到着しませんでした。
三成と大谷吉継が決起した時、淀と三奉行は家康に上洛するように求めています。
大垣城には兵糧がなく小早川秀秋の野心が伝わり、籠城戦は無理ということで関ケ原へ移動することになります。吉川広家が評定に参加すると三成らは佐和山までひくとのことで吉川広家は関ケ原の戦い以前に家康に降伏することになります。
小早川秀秋隊は山中で大谷吉継隊と戦い撃破した後に関ケ原の戦線に加わります。

■伏見城
焼けた伏見城を再建し家康が入ります。将軍任官を目指し新政権樹立のためですが、これで秀頼の居城と領地が確定されます。淀が羽柴家の女主人としていろいろな問題に対処せざるをえず、結果的に秀頼親子を追い詰めることになります。

■伊達政宗の提言
秀頼を大坂城から出して江戸か伏見におき、2、3ケ国を与えるのがよいと提言しています。でないと秀頼を担ぎだものがでて切腹させるようなことになれば秀吉に顔向けできないという内容で、政宗が予言したとおりになりました。

→ 新説 徳川家康

| | コメント (0)

記紀の考古学

 【書 名】記紀の考古学
 【著 者】森浩一
 【発行所】角川新書
 【発行日】2024/03/10
 【ISBN 】978-4-04-082505-2
 【価 格】1300円

■かぐや姫
ミマキイリ彦の子、イクメイリ彦(垂仁)の妃の一人が大筒木垂根王の娘、カグヤ姫で京田辺市近辺の娘であった模様。竹取物語も南山背で成立した可能性もあります。南山背には古代隼人の居住地があり、市町村合併前の大住村は正倉院文章の「隼人計帳」に出てきます。

南山背に反ヤマト勢力があったようで平城山、祝園から樟葉にかけてが戦場となりました。ヲホド王(継体)が樟葉を最初の宮にしたのは水陸交通の要地以外に先にあった王権にとって記念すべき土地という意味もあった模様。

■箸墓古墳
壬申の乱で、いちはやく始祖王の墓(箸墓)、イワレ彦(神武)の陵をおさえ戦勝の祈願を行うことは皇位の正統性のアピールになりました。大海人皇子らにとって、そう認識されていたようです。
食事用の箸は8世紀頃から使われだすため土師氏が関わった土師墓が箸墓になったのではという説があります。

■葛城
当麻村にはナガスネヒコの墓と伝えられる小古墳があります。

■伊吹山
ヤマトタケルが伊吹山で山の神に苦しめられる話は昔から伝わっていたようで藤原不比等の子である藤原武智麻呂が近江国主の時に伊吹山に登りたいというと地元の人がヤマトタケルの話を出して反対。武智麻呂は鬼神の恐ろしさを知っているから害は加えないだろうと言って登ったそうです。

■安康天皇陵
字名が古城で戦国期の城郭を天皇陵に比定してしまった模様。奈良市の宝来山古墳の可能性が高いそうです。

→ 記紀の考古学

| | コメント (0)

2024/03/16

もう一つの幕末史

 【書 名】もう一つの幕末史
 【著 者】半藤一利
 【発行所】PHP文庫
 【発行日】2024/02/15
 【ISBN 】978-4-569-90381-1
 【価 格】800円

■伊藤博文
英国公使館焼討に参加していたのは高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文、井上馨、品川弥次郎など。伊藤博文は盲目の国学者・塙保己一の息子だった塙次郎を暗殺しています。老中の安藤信正に頼まれて過去の外国人待遇の先例を調べていたのですが、これが攘夷志士に天皇退位の研究していると変な噂が広まってしまいます。帰宅するところを待ち構えて切ったようです。明治の元勲といってもテロ集団と変わらないのが実態です。

■鳥羽伏見の戦い
新政府側 60人、幕府側 279人の戦死者が出ましたが15,000人の軍勢ですので、いくらでも挽回できましたが錦の御旗が出たところで慶喜が戦意喪失してしまいます。

■江戸の無血開城
勝海舟が山岡鉄舟を派遣しますがお供につけたのが益満休之助です。幕府に薩摩藩邸を先制攻撃させようと動いていたリーダーです。薩摩藩の藩邸焼討の時に捕虜となり牢獄に入っていたのを勝海舟が自宅に引き取っていました。薩摩出身の益満がいたおかげで新政府軍でいっぱいの街道を西郷隆盛のもとまでたどりつけたようです。

勝海舟はパークスとも会っていて交渉がダメなら海上から江戸に入った新政府軍を火攻めにする話までします。西郷隆盛はパークスに呼び出されていますので、この話を聞いた可能性があります。パークスは慶喜のイギリス亡命についても勝海舟に提案していたようです。

■咸臨丸
福沢諭吉は勝海舟は船酔いでずっと船室にいたと書いていますが、どうも嘘で海軍伝習所で嵐の海をいくらでも経験していました。実際はサボタージュで幕府から難破した米国測量船の船員も船に乗せよと言われたのが気に入らなかったようです。後世、米国の船員のおかげで太平洋が渡れたと言われたのを危惧したからです。実際は日本人だけで成し遂げました。

→ もう一つの「幕末史」

| | コメント (0)

2024/03/09

トマトが切れればメシ屋はできる栓が抜ければ飲み屋ができる

 【書 名】トマトが切れればメシ屋はできる栓が抜ければ飲み屋ができる
 【著 者】宇野隆史
 【発行所】日経ビジネス人文庫
 【発行日】2023/12/01
 【ISBN 】978-4-296-11945-5
 【価 格】800円

■流行る店
お客さんがどうしたらより楽しく店で過ごせるかを常に考える
お客の顔と名前を憶える
飲食店は健全な”ねずみ講”-店を好きになってくれたお客さんが継ぎのお客さんを連れてくれる

■出店
遊び心を出す余裕がなくなるような無理な投資はしない
不動産屋に自分が働いていた店の写真や作りたい店のプランや出身地などを伝える
定期的に銀行に預金をし、入金額が小さくても銀行の信用は厚くなる
最初に出すのは「手段の店」で「目的の店」ではない。まずは売上があがる店を出して、最終目標を目指す。

■楽しませる工夫
ラーメン屋の寸胴をみても煮込んでいるだけで分からない。そこで客席から見える冷蔵庫に「〇月〇日、トンコツ50kg、鶏もみじ30kg」と書いておく。
寿司なら客の目の前で魚を捌いて新鮮さをアピール
おばちゃんがエビの頭をむいて「食べなさい」と差し出す店
貝酒-寒い日は姫貝のヒモをちょっと焦がして熱燗に入れる アサリを頼むと箸ではなく洗濯ばさみが出てくる
料理が運ばれてくるまでにアルバムを出す アルバムにはトイレの壁を塗ったり椅子を作ったりするシーンが映っている
手書きメニューは売るため「昨日はサンマ、60本出ました!」「今日、まかないで食べてみたら最高でした!」と書く。
サンマの塩焼きは片側を焼いて焦げ目をつけて出し、「ひっくり返す時に、もう一度炙るので声をかけてください」コミュニケーションがとれる。

■呼び込み
道路に面した間口に、おでん鍋をおいて馴染みの客が歩いてくると「今日は寄らないの」と聞いて、「今日は家に帰る」と聞いたら、おでんの2つ3つを持って帰ってと渡す。次は絶対に店に来てくれる。チャンスを逃さない工夫が必要。

■サービス
デザートメニューにアイスをサービスしようという時にキッチンで盛り付けて「アイスをサービスしました」と言ってもダメ。アイスクリームのカートンを客席まで持っていって目の前で「サービスしときます」と、その場で盛り付ける。
お客さんがハマチにするがマグロにするか悩んでいてマグロにしたら「一切れ、ハマチをつけときました。今日のはおいしいので食べてください」と出す。
豚足が食べにくくハサミを頼まれたらハサミを渡さず、切って出してあげる

■食品ロス
売れ残りそうなら「刺身は次の日まで残せないので半額にします!」と売り切ってしまう。魚が新鮮な店と宣伝になる。魚は鮮度でアピールができる。
焼きそばやマーボ豆腐のように何人前も作れるのならオーダーが入った時に「今から熱々の麻婆豆腐を限定5人前作るので、欲しい人は手を挙げてください!」手間は一緒。

■忘年会
販促よりも、お客を待たせない工夫。ご飯ものなら、すぐ出せるお握りにする。その代わり、お客さんが「へっ」と思う具を考える。

落語家に客席のどこらへんを見ているか聞いた記者に「何、言うてますのや、ワタシが客先におりますがな」
店の子がトイレに行く時はドアに「ワンミニッツクリーニング中」という札をかける。お客はいやな気分にならない。

→ トマトが切れればメシ屋はできる栓が抜ければ飲み屋ができる

| | コメント (1)

脱税の世界史

 【書 名】脱税の世界史
 【著 者】大村大次郎
 【発行所】宝島SUGOI文庫
 【発行日】2024/02/20
 【ISBN 】978-4-229-05252-0
 【価 格】880円

■徴税請負人
徴税権を売りに出し業者が入札します。
国-実際の超税額よりも若干、損をするが徴税しなくてもすみ先にお金がはいります
徴税請負人が利益を出すには厳しく税をとりたてる必要があります

1642年にイギリスでは清教徒革命が起き徴税請負制度を廃止しました。税務官僚を試験で選び十分な給与を払い頻繁に転勤することになります。日本の税務職員も3~5年で転勤します。

フランス革命
フランスでは貴族や教会が大きな力をもちルイ16世は貴族の脱税をなくすためにスイスの銀行家ジャック・ネッケルを財務総監に任命します。そして徴税請負制度の改革に取り組みますが貴族や教会が猛反対。そこでネッケルはフランス国家の歳入と歳出を公開します。国家の支出も多かったため矛先が王室に向かってしまいフランス革命になります。

国家が崩壊するパターン
官僚の腐敗→税収減→埋め合わせのための増税→民が疲弊→国家が崩壊

■無記名債権
ユダヤ人は金を貸した際の借用書を債権として流通させます。これが有価証券になっていきます。中世になるとスペイン海軍はユダヤ人というだけで船や船荷を没収するようになるため、貿易関係の書類に架空のキリスト教徒の名前を使うようになります。これが無記名債権になっていきます。

■モンゴル
第5代皇帝クビライ:カーン 帝国内の関税を3.3%で一元化 売却地で一回だけ払えばよいようにしたために自由な交易が行われヨーロッパとアジアがむすびつきます。

■教会税
旧約聖書に収穫物の1/10を聖職者に貢納したという記述が収入の1/10を教会におさめることになります。宗教改革など半分は教会税の問題でもありました。

■領海
密輸を見張るためにイギリスでは洋上徘徊防止法を作り、臨検できるようにします。国内船は300海里まで外国船は3海里までと臨検できる範囲を決めます。これが領海のもとになり現在は12海里になっています。

■ボストン茶会事件
イギリスがアメリカを植民地にしますが、移った人は税金を払いません。またお茶の密輸を行っていました。そこで東インド会社に無関税でアメリカで茶を売る権利を与えました。イギリスは間接的に税金を徴収できるようにしましたが、東インド会社の船を襲ってお茶を捨ててしまいます。

■源泉徴収制度
ナチスが導入します。扶養家族がいれば扶養控除できるようにし低所得者の税金は軽減させます。これで徴税コストが安くなり日本では所得税の80%が源泉徴収で行われ担当している税務職員は全体の1割ですみます。日本では昭和16人にナチスを見習って導入しました。

■中国のタックスヘイブン
新疆ウイグル自治区にあるコルガスという都市。5年間は法人税が免除され、その後の5年間も半額。個人の所得税はありまえん。コルガスに会社の実体がなくても登記だけでOKです。

→ 脱税の世界史

| | コメント (0)

2024/03/02

ハッとする言葉の紡ぎ方

 【書 名】ハッとする言葉の紡ぎ方
 【著 者】堤 藤成
 【発行所】祥伝社新書
 【発行日】2024/01/10
 【ISBN 】978-4-396-11691-0
 【価 格】930円

■エッセイの語源
モンテーニュの「エセー」(随想録)
エッセイとは、人間として生きることの試みである

■コピー
ボクのおとうさんは、桃太郎というやつに殺されました 
夢を笑うな、夢と笑おう
アウェーで戦ってみませんか? (東京人を大阪に呼ぶためのキャッチコピー)

■セネカ(ローマ)
難しいからやろうとしないのではなく、やろうとしないから難しいのだ

■さしみの法則
10人のお客さんがいたら応援してくれる人が3人、あまりあわない人も3人、中間が4人
営業は3人にファンになってもらい、中間の4人に行動を通して信頼してもらうことが重要

→ ハッとする言葉の紡ぎ方

| | コメント (0)

三井大坂両替店

 【書 名】三井大坂両替店
 【著 者】萬代悠
 【発行所】中公新書
 【発行日】2024/02/25
 【ISBN 】978-4-12-102792-4
 【価 格】1000円

■両替
江戸と大坂に両替屋があると幕府は送金業務(御為替御用)を委託していました。大坂で公金を預かり江戸に上納するまで90日間の猶予があり、融資に転用できました。基本的に預かった幕府公金よりも多く融資できませんでしたが、幕府の人事交代のどさくさに、御為替組が相手と額を非公開できるようになり融資が拡大します。延為替貸付は低利でしたが債務不履行となると大坂町奉行所から財産差し押さえ命令が出るようになります。

■従業員
茶屋から帰店する門限 平手代20時、筆頭20時半、上座23時、役頭24時 支配、組頭は門限なし
勤労意欲を高めるためか遊興手当もあった

■信用調査
担保にとる家屋敷は町会所で確認でき土地台帳、家質割引表が保管されていました。法務局のような存在でした。家屋敷が角地かどうか以外に町が発展しているかどうかも重要でした。家屋敷を差し押さえても売れなければ賃貸にまわすことになります。
蔵米ー綿密な品質調査が行われる
納屋米ー蔵屋敷を経由しない民間ものはあまり信用できなかった
信用調査で審査に通るのは10人に1人程度

→ 三井大坂両替店

| | コメント (0)

« 2024年2月 | トップページ | 2024年4月 »