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2024/02/26

知れば知るほど面白い地形の謎

 【書 名】知れば知るほど面白い地形の謎
 【著 者】ワールド・ジオガラフィック・リサーチ
 【発行所】宝島社
 【発行日】2024/02/20
 【ISBN 】978-4-299-05263-6
 【価 格】880円

■JR天王寺
天王寺の七名水 金龍、有栖、増井、安井、玉手、亀井、逢坂の井戸
金龍、亀井以外は枯渇してしまいました

■守口市
大阪市との境界が複雑なのは旧淀川の跡 明治時代に現在の淀川に切り替えられました

■若宮大路
鎌倉時代のメイン道路は東側にあった小町大路で、建物などは若宮大路以外に小町大路に入口がありました。若宮大路は聖なる道だったようです。

■江ノ電
最初は片瀬県道(国道467号)を通す予定が人力車などの反対などで江ノ電の株主だった山本庄太郎の所有地に通したため、住宅街の横を曲がりくねって走る江ノ電になりました。

■吹上の浜
和歌山市内に大砂丘があり、平安時代はありましたが室町時代にはなくなってしまいました。枕草子に「浜は吹上の浜」と出てきます。六義園は柳沢吉保が和歌山の景勝地を模して庭園をつくり、吹上の浜もイメージしています。

■柿の葉寿司
紀州藩の漁師が鯖を塩漬けして裕福な吉野へ売りに行ったところ防腐効果のある柿の葉とであい生まれます。

■祇園
四条通り以南は建仁寺の敷地で1873年、明治政府が北半分を没収してしまいます。花街を外へ移動させることになり祇園が生まれます。湿地帯を整備したので花見小路通に段差が残っています。

■土渕海峡
小豆島本島と前島の間の海峡で世界一狭い海峡としてギネスに認定されています。もっとも狭いところで9.93mで3つの橋がかかっています。

■せんば山にはタヌキ
「あんたがさどこか」 熊本城の南西にある新町は船場(船のたまり場)、洗馬があったともいわれ「せんば」と呼ばれていました。新町の南側に掘と土塁があり、この土塁がせんば山です。

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2024/02/23

アナーキー経営学

 【書 名】アナーキー経営学
 【著 者】高橋勅徳
 【発行所】NHK出版新書
 【発行日】2024/02/10
 【ISBN 】978-4-14-088715-8
 【価 格】980円

■正統化戦略
食品などは試して買うことができないので、売り手側が何らかの正統化で「この品質や味は事実である」という状態を作り出さなければ消費者は購入を決断しません。プロティンでモンドセレクションを受賞する動きになります。

■模倣的同型化
・上質の国産素材をふんだんに使用した新ジャンルの創作系ラーメン
・いま流行している二郎インスパイア系ラーメン
融資担当者の評価は二郎系の評価が高くなります。流行にのる方が成功もリスクも計算可能になるからです。

模倣的同型化してから差別化戦略へ
客層が若ければ濃厚でボリュームを増やすなど自分なりに改善していきます

■お寺のビジネスモデル
江戸時代までは寺請制度があり住民の戸籍を管理するなど実質的に行政機関でした。明治6年に地租改正が行われ土地の私的所有が認められる代わりに納税義務が発生します。駐車場や貸しビルなど稼ぎを確保することで信仰そのものに向き合えるようなビジネスモデルへと脱皮していきます。

■脱連結
強い組織ほど脆く、教祖が倒れるとカルト宗教は消滅してしまいます。伝統的な寺社が信仰・布教をゆるやかに切り離し、時代時代で稼ぎ方を変えたことで生き残れました。

■魂を吹き込む
沖縄のバーベキューサイト 行政は用意するだけで沖縄県人が肉を焼き始めるので付近の商店はバーベキューセットの宅配を始めます。自律的な経済圏ができていきます。

手中の鳥の原則 既存の手段から何ができるのかを考えることによってチャンスを切り拓く
許容可能な損失の原則 いくらまでなら損失を出せるのかを決めて事業にコミットする
レモネードの原則 レモンが手に入ったらレモネードを売り出すようにパートナーの持つ資源を活用して価値を生み出す
クレジーキルトの原則 予期せぬ出来事を機会と捉えて活用する
飛行機のパイロットの原則 自身がコントロールできることに集中して行動する

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2024/02/17

9割が答えに詰まる日本史の裏面

 【書 名】9割が答えに詰まる日本史の裏面
 【著 者】歴史の謎研究会
 【発行所】青春文庫
 【発行日】2023/12/20
 【ISBN 】978-4-413-29841-4
 【価 格】980円

■和同開珎
和銅元年(708)5月に銀銭が作られ8月に銅銭が作られます。翌年8月に銀銭が廃止されたため、和同開珎は銅銭というイメージになりました。

■千利休
田中という名前でしたが父の田中千阿弥から千をとって姓にしていました。幼名が田中与四郎だったので千与四郎とも呼ばれていました。仏門に入った時に宗易という法号から千宗
易と名乗ります。利休は朝廷から与えられた居士号で、茶会で宮中に入るために臨時につけられた名前です。

■オランダ風説書
フランス革命のあと、オランダはフランスに占領されてしまいオランダ風説書には記載されていません。いつも「オランダ本国は平穏なり」と記載されている文章がありませんでした。

■島流し
渡世勝手次第-自分で仕事をみつけて生計を立てなければならず手に職がないと食うた食わずの暮らしになります。

■西郷隆盛
西郷に連絡がとれない時に正三位をもらう時に名前が必要です。友人に聞くと西郷隆盛と答えましたが、父親の名前でした。しかし政府が交付してしまったので西郷隆盛になりました。

■橘耕斎
幕末、日本地図などを中国語通訳にわたしていたところ幕府にみつかりロシア船で逃げたところクリミア戦争に巻き込まれてイギリスへ。ロンドンで2年過ごしロシアにわたり20年ほどたったところへ岩倉具視使節団がやってきて面倒をみます。この後、日本へ戻りました。

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室町は今日もハードボイルド

 【書 名】室町は今日もハードボイルド
 【著 者】清水克行
 【発行所】新潮文庫
 【発行日】2023/01/01
 【ISBN 】978-4-10-104831-4
 【価 格】710円

■鮟鱇(アンコウ)
川にいるアンコウのように口をあけてぽかんとしている人。愚かで鈍いという悪口。もともとはサンショウウオをアンコウと呼んでいたが後の世に深海魚がアンコウと呼ばれているようになる。

■淀川(京都~大阪)の関所
380ケ所で616という説もある。単純計算で100mごとに関所がある計算。どこかの関所にまとめて通行料を払えば系列の関所はフリーパスになっていたと思われます。

■金が森の戦い
延暦寺と戦い,史上最初の一向一揆。

■松平益親(ちかます)
大浦と菅浦の紛争で日野家が派遣したのが松平益親という代官。ところが大浦側は代官の暗殺をはかります。この松平が家康の先祖の一人になります。

■枡
田んぼ1枚1枚で年貢の枡が異なっており、売買が成立すると年貢枡も購入者に渡していました。枡には領主との契約の意味もあり、不信が極点に達すると百姓はまず枡を破壊します。
八升で一斗になる八升枡など、いろいろな枡がありました。

■ゆ年改元
昭和64年 1月8日に平成に 改元された年は前の年号を1年使ってから翌年を元二年にするのが「ゆ年改元」、明、清で使われており令和改元でも検討されました。

■朝鮮への使節団
管領畠山義勝などの名前で使節団が送られた記録が残っていますが、秀吉の時代に150年ぶりに朝鮮使節が日本にくると交易相手にしていた使節団が、なりすまし詐欺と判明します。

■厭離穢土欣求浄土
三河一向一揆の時に家康に味方した大樹寺の和尚「みんなで戦って死んで極楽浄土へ行こう」というキャッチフレーズとして書いたものだそうです

■切腹
江戸時代 恨みを残して切腹したものが切腹した刀を遺族が仇の家に届けると、届けられた側は問答無用で切腹する「指し腹」という復讐法がありました

■徳政令
モノには魂がやどっているという考えがあり、神社などの市場は聖なる場所なので売買できるという意識があったようです。質入れとは本来あるべき場所からひきはがす行為でもあり、徳政令は異常な場所に移ったものを元に戻す考えでもありました。

→ 室町は今日もハードボイルド

 

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2024/02/13

新・幕末史

 【書 名】新・幕末史
 【著 者】NHKスペシャル取材班
 【発行所】幻冬舎新書
 【発行日】2024/01/30
 【ISBN 】978-4-344-98717-3
 【価 格】1100円

副題が「グローバル・ヒストリーで読み解く列強VS日本」で、幕末史に大きな影響を与えた外国勢力に焦点をあたえています。

■戦争を徹底的に避けるが武士政権のリアリズム
イギリスは兵庫開港を要求し認められなければ軍事行動を起こすと圧力。ところが孝明天皇は激怒します。間にたった慶喜は窮します。京都にいた諸藩の武士を集めて意見を集約し孝明天皇に戦争回避が総意と伝え勅許をえます。

■万延二分金
金銀の交換レートが海外と違っていたために金が海外へ流出します。そこで勘定奉行・小栗が作ったのが万延二分金。銀が71%を占める金貨でした。この改鋳による利益でフランスに依頼して造船所を作ることになります。対馬事件に対応するなど、鋭い幕臣でした。

■局外中立
戊辰戦争が始まると列強はどちらにも加担しない局外中立とします。これは居留地などの外国人を保護するための施策でした。ところが列強に連絡もせず江戸に進軍をはじめた新政府軍に対して外国人居留地を守る兵も出さずに何事だとパークスなどは怒り心頭。しかも恭順している慶喜を攻めるとはどういうことだと、新政府軍には横浜には居留地を守るために軍艦が集合します。東海道進軍中に列強の軍艦から攻撃されたら終わりです。勝海舟との会談以前に西郷隆盛は江戸無血開城の選択をしていたようです。

奥羽列藩同盟が発生すると新潟港をおさえます。局外中立といいながら民間人は対象外になります。プロイセンと関係があったシュネル兄弟が武器などを列藩同盟に売ります。少なくともライフル5000は売りさばいていました。供給元はアメリカで南北戦争が終わり、膨大な余剰兵器がありました。新潟港ではシュネルらが砲台などを取り付けて防衛していましたが、裏切った新発田藩領に上陸して進軍し、新政府軍におちたため列藩同盟は崩壊することになります。

→ 新・幕末史

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2024/02/09

15の街道からよむ日本史

 【書 名】15の街道からよむ日本史
 【著 者】安藤優一郎
 【発行所】日経ビジネス人文庫
 【発行日】2023/12/01
 【ISBN 】978-4-296-11743-7
 【価 格】900円

■奥の細道
芭蕉とともに旅をした曾良は信濃上諏訪生まれで伯母の縁で伊勢長島藩に仕官します。河合惣五郎の名前で10年ほどを藩士として過ごします。江戸に出て芭蕉の門下生になります。「曾良旅日記」を残しましたので「奥の細道」の創作部分などが分かるようになります。

■寛永寺
東の比叡山として山号は東叡山にし、延暦寺が延暦の元号からとったように寛永の元号からとりました。

■運送業・中馬
農民の片手間仕事だったのが荷物が増えるとともに専業になっていきます。問屋場を通さず荷主との直契約です。名古屋・松本間を中馬が運んだ荷物は1万4943駄(宝暦末年)で80%が伊奈街道を通りました。

■問屋場
飛脚-継飛脚と呼ばれ公文書をリレー形式で届ける仕組み(低額)
御定運賃-公的荷物(低額)
相対運賃-私的荷物(御定運賃の倍が相場)-中間という中抜き業者が出てきてしまいトラブルに

■伊勢参り
日永の追分で東海道から分かれ参宮街道へ
津(江戸橋駅付近)ー参宮街道に関からの伊勢別街道が合流
月本の追分(六軒駅付近)-参宮街道に伊賀上野からの伊賀街道が合流
六軒茶屋-参宮街道に初瀬街道が合流
中川原(宮川の渡しを降りたところ)-伊勢本街道が合流

→ 15の街道からよむ日本史

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古本大全

 【書 名】古本大全
 【著 者】岡崎武志
 【発行所】ちくま文庫
 【発行日】2024/01/10
 【ISBN 】978-4-480-43934-5
 【価 格】1000円

ラベルには「買って、読んで、書いてきた四半世紀分の古本仕事の集大成」とあります。本を買えば当然、溜まります。いかに処分するか悩むことになります。

■遅筆堂文庫
井上ひさしが故郷の川西町(山形県)の図書館に寄贈した蔵書が13万冊。町の小さな図書館の蔵書数が3万冊なので並外れた規模になります。
「書物を売るということは、書物を買うのと同じように人間を賢くするものだ」薄田泣菫「茶話」

■出久根達郎流古本処分法
自分が目を通したもの、読んだ本はとにかく処分してはダメ-あの本のあそこに書いてあったと覚えてしまっているから

■古本屋の閉店時間が早くなった理由
昭和30年代は24時頃まで開けている店もあり、銭湯帰りに商店街へ寄る夜の客が多かったのが理由です。銭湯の減少とともに夜20時ぐらい占める店が増えることになります。

→ 古本大全

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2024/02/03

磯田道史と日本史を語ろう

 【書 名】磯田道史と日本史を語ろう
 【著 者】磯田道史
 【発行所】文春新書
 【発行日】2024/01/20
 【ISBN 】978-4-16-661438-7
 【価 格】900円

■武田信玄
家康が旧武田領に進駐すると人を煎り殺す釜を発見し、一罰百戒になると家康は考えましたが家臣の本田作左衛門が恐怖で人を治めても長続きしないと諭した逸話があります。家康は軍事を信玄に学び治世は北条を見習いました。

■赤穂浪士
大石内蔵助は詳細な会計報告を残し、また吉良邸の外に医者を待機させて、簡易救護所まで作っていました。

■将の条件 鈴木正三(禅僧で元は三河武士)
・先見の明がある
・時代の流れが的確に読める
・人の心をつかむことができる
・気遣いができて人徳がある
・自己の属している共同体、組織全体について構想をもっている
・大所高所から全体が見渡せる力量をもっている
・上に立つにふさわしい言葉づかいと態度が保てる

■信長の死生観
信玄が信長の故郷近くの僧に信長の人となりを尋ねる一説が信長公記にでてきます
「しのび草には何をしよぞ、一定kたりをこすよの」
自分が死後、何をやったといって語られるかを意識していました。実に長い人生観をもっていました。

■梅毒
鉄砲伝来より30年以上も前、1510年代に日本に入ります。朝鮮出兵の影響が大きく、肥前病とも呼ばれています。

→ 磯田道史と日本史を語ろう

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