【書 名】戦国史の中の戦国大名
【著 者】鹿毛敏夫
【発行所】講談社現代新書
【発行日】2023/10/20
【ISBN 】978-4-06-533218-4
【価 格】1100円
江戸幕府の当初、1604年~1635年(日本人の海外渡航の禁止)に分かっているだけで356隻の朱印船が海外には出航しています。家康時代は19ケ国に対して195通の朱印状、秀忠・家光時代は7ケ国に対して161通でした。戦国大名は王と名乗って勝手に外交をしていました。朝鮮出兵でも武器などは自前でそろえる必要があり海外から火薬原料の調達などが行われていました。
■BVNGO(豊後)
海外貿易で有名でヨーロッパでブランドになっていたのが豊後の大友義鎮。天正遣欧使節はヴァリニャーノが主導しながら有馬晴信、大村純忠が派遣したもので主体的に関わっていなかった大友義鎮が派遣した形にしたのはヴァリニャーノの演出でした。
■日明貿易
大内義隆が日本国王の名義で朝貢船を出し勘合貿易を行っていましたが、その後に大内義長と大友義鎮が出した遣明船団は手順にのっとていないと明によって却下されてしまいます。永楽帝が足利義満に「日本国王之印」を送っていましたが、これが大内家に移り、いつのまにか金印が失われ箱だけは残っていました。この金印を偽造した印影では明ではOKになりました。正式ルートがダメだったので密貿易に切替、中国側には倭寇ということになってしまいます。
■硫黄輸出
足利義政時代の遣明船は9船に1,200人が乗り込んでいました。刀剣類1万以外に硫黄39万斤が輸出されました。軽自動車238台分になります。各船は室町幕府から勘合という証票を買い取った天龍寺、伊勢法楽舎、大友氏、島津氏などが経営主体でした。
■坊津、山川、伊倉
1560年頃、薩摩にはキリスト教の司祭やポルトガル商人が出入りしており、阿久根の港が有名でした。ここにいたアフォンス・ヴァスというポルトガル商人が阿久根港で越冬しているところを海賊に襲われて亡くなり、とっぽどんの墓として地元に伝わっています。昭和になってファルカン砲(小型大砲)が見つかり、海賊襲来の際に船から落ちた可能性があります。
九州の港には唐人町も形成され、日本人と一緒に伊勢へ御蔭参りなどをしています。
■稙田玄佐
大友義鎮がインドのゴアに派遣したのが家臣の稙田玄佐でゴアに戻るザビエルに同行しました。帰りは中国に向かうザビエルにマラッカで別れ鹿児島経由で戻っています。翌年、またゴアに行って帰ってきておりゴアと2往復しています。
■アンジロウ
ザビエルを日本へ導いた日本人で勉強によってポルトガル語が堪能でした。キリスト教教理書の翻訳をイエズス会に頼まれ、デウスを「大日」、マリアを「観音」、パライソを「極楽」と訳すことになります。
■田中勝介
フィリピンの元総督がメキシコに向かっていたガレオン船が上総国に漂着。駿府城で家康と面会し三浦按針が船を作ってメキシコにわたることになります。この時に京都の商人だった田中勝介ら20名ほどの日本人が同船していました。帰国して家康に葡萄酒や羅紗を献上していますが太平洋を横断した最初の日本人になります。スペインとの通商が目的でした。
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