家康の誤算
【書 名】家康の誤算
【著 者】磯田道史
【発行所】PHP新書
【発行日】2023/11/09
【ISBN 】978-4-569-85541-7
【価 格】900円
■瀬名
当代記によると家康が信長と同盟を結ぶ前に妻と娘は岡崎に帰りましたが、嫡男の信康は駿府にいた状態だったようです。上ノ郷城を甲賀忍者を使って攻め鵜殿長照の子供を確保し人質交換します。
■神君伊賀越え
家忠日記に襲ってきた雑兵200人余りを討たせたとあり、一説には数千人の護衛がいたのではという説もあります。
■寛永通宝
家光の時代に永楽通宝の流通を停止して寛永通宝を鋳造して流通させます。まずかったのは幕府から許可をえれば各藩でも鋳造できるようにしたことです。結局、贋金が作られることになります。天保通宝は原価50円ぐらいで5千円ぐらいの価値があったので儲かりました。
■大名行列は京都に寄れない
松平一族でも格式が高い津山藩松平家は京都へ寄れましたが、それ以外は京都所司代の許可がいりました
■蛤御門の変
御所への道の半分を開けて行儀よく長州軍は進軍し、後ろには戦見物がぞろぞろついていました。そこに襲い掛かったのが薩摩藩です。敗れた長州藩が逃げ込めないように会津藩が町屋に放火します。これで民心は会津藩から離れるようになりますが、長州藩が残した兵糧を薩摩藩がおさえ、焼け出されてた人に配給し評判をあげます。
■孝明天皇
孝明天皇は将軍ありきで考えていたため公家のなかには反対派がたくさんいます。慶喜が将軍に就任した20日後に亡くなりますが真相はやぶの中です。
■慶喜の逃亡
西郷隆盛はパークスに戦いが長引けば局外対立が守れなくなると文章を書いてもらい慶喜に届けます。イギリス海軍が大阪湾を封鎖すれば退路がなくなります。大坂城を抜け出して江戸へ出ることになります。
■並
人材登用のため陸軍奉行並のようなポジションが考え出せれます。奉行ではないが同等の指揮権をもつという見立てになります。能力主義にするための苦肉の策でした。
■山岡鉄舟
胃がんとなり医者から「いかん」と言われると「お医者さん 胃癌胃癌と 申せども いかん中にも よいととこもあり」と言う和歌をよんでます
■帝の姓
隋書に「倭王、姓は阿毎(あめ)」と出ているので隋に対しては「天」と名乗ったようです。
■輪王寺宮
日光山輪王寺に親王を迎えています。戊辰戦争の時に輪王寺宮を東で即位するのではと西洋の新聞で噂されました。東に朝廷を作れるように考えていたようです。
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