日本三大幕府を解剖する
【書 名】日本三大幕府を解剖する
【著 者】河合敦
【発行所】朝日新書
【発行日】2023/10/30
【ISBN 】978-4-02-295236-3
【価 格】910円
■下地中分
荘園領主と地頭との紛争で解決しない場合は荘園を思い切って折半し、そのかわりに荘園領主の荘園には地頭は一切手を出さない約束にした。これで地頭の立場が荘園領主と同じとなり地頭の土地は武家地となり荘園領主の土地は本所一円地と呼ばれるようになる。
■鎌倉
北条氏や幕府官僚など住んでいたのは一部だけで多くの御家人は常駐せず、屋敷には給人(代官)をおいていました。また屋敷地の一部は民衆に貸し出していました。京都の貴族や僧侶もかなり多く住んでいました。
■御成敗式目
女性の相続権を認めている。順次、項目が追加され、これが式目追加と呼ばれました。
■南北朝の戦い
鎌倉時代後期になると武士の分割相続は認められず嫡子がすべてを相続することになります。朝廷が南北の2つに分かれているので惣領争いで長男が北朝につけば次男が南朝を味方につけることになり、南北朝の戦いが長引くことになります。
■足利義尚の近江遠征
母親の日野富子が近江に領地をもっており舟木関をもうけ毎月60貫文の収入があったが、六角氏が横領するようになり近江遠征に踏み切っったという説もあります。
■大奥
江戸城には本丸、西の丸、二の丸それぞれに大奥があり、西の丸には将軍の後継ぎとその妻子、大御所と妻子が住んでいました。二の丸は将軍の生母、前将軍の正妻や側室などが生活していました。
■年貢
村全体にかける村請制で四公六民から五公五民だったが他にも小物成、高掛物という雑税や夫役(労働税)もあった。
■飛脚
幕府専用の継飛脚は通常2人で書状や荷物を運んだ。無刻(超特急便)は江戸ー京都の間を60時間ほどで走り抜けました。
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