武士の起源を解きあかす
【書 名】武士の起源を解きあかす
【著 者】桃崎有一郎
【発行所】ちくま新書
【発行日】2018/11/10
【ISBN 】978-4-480-07178-1
【価 格】980円
■賀茂祭の騎射
飛鳥時代 698年-賀茂祭の人々が群衆して騎射するのを朝廷が禁止
702年-山背国の住人に限って許可
■身分制度
貴ー公卿とよばれる三位以上
通貴(つうき)ー四位、五位
士ー六位以下
桓武帝の時代に徴兵制がなくなり弓騎を募集するようになる
御家人ー世襲可能な所領があり維持できる
官僚-蔭位の制があるが一位の嫡子でもスタートは従五位下からスタートで、簡単に没落する社会→世襲可能な所領を手に入れる→武士団へ
■臣籍降下(財政再建)
桓武帝の子供は32人もいて歳費削減のために平氏、源氏へ臣籍降下させ、嵯峨天皇以降は皇子の一定数を臣籍降下させるようになります
■都の名前を氏名に
近江大津宮ー淡海氏
飛鳥浄御原宮-清原氏
長岡京ー長岡氏
平安京-平
■東(あずま)
東国を「あずま」と呼ぶのは都から見て「あちら側の端(つま)」から反対に西の果ては「そちら側の端」で薩摩。
■藤原秀郷
将門の乱など以前は朝廷や国衙に敵対する無法者というのが実態。秀郷の曽祖父が蝦夷と交流することで武芸を教えてもらうようになった。藤原氏には中臣鎌足が中大兄皇子を助け、蘇我入鹿を殺した武力が原点という意識があった。
■河内国高安郡
八戸史姓→常澄宿禰姓→高安宿禰
大化の改新を機に高安郡に土着した帰化人の豪族だったようで高安を本貫にして安芸や常陸の下級国司となる。
■滝口の武士
清涼殿の北東に小さな滝になるような段差があり、そこの清涼殿への出入り口があったので滝口と呼ばれた。滝口の武士は官職ではなく群盗から天皇を守る親衛隊で「物部氏永の乱」がきっかけ。
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