平治の乱の謎を解く
【書 名】平治の乱の謎を解く
【著 者】百崎有一郎
【発行所】文春新書
【発行日】2023/07/20
【ISBN 】978-4-16-661405-9
【価 格】1150円
平治の乱を首謀していたのは誰か、ほとんどミステリーの謎解きのようにすすんでいく一冊。皇位継承問題での争いだったのが結局は清盛に頼らないと国家を支えられない事態になっていきます。
■国府津駅
東海道線で小田原駅の2つ横浜よりの駅です。国府の港があったところで、二宮駅ちかくに六所神社があり、国司が国内の神々を国府に集めた神社です。ここに相模国府があった模様です。信西の息子たちが流刑となり、このまでまとまって護送されてから別行動になりました。安房へ行く場合は国府津から船で向かったようです。
■湯浅宗重
熊野詣でに向かっていた清盛の異変が伝えられた時、手持ちの兵が少ない状態でした。田辺宿で清盛に湯浅宗重が合流してあわせて50騎となり京都へ向かうことになります。
■源頼朝
源義朝と熱田大宮司・藤原季範の娘との間に生まれたのが頼朝で藤原季範は信西の父である実兼の従兄弟で、頼朝と信西は同じ血をひいていました。建久元年(1190)に平治の乱で京都を追われてから30年ぶりに上洛した頼朝は後白河法皇と会見。その後、摂政である九条兼実と会談。義朝が反逆したのは王命に従ったまでだと平治の乱の真相を語ります。頼朝は坂東を拠点にして全国の武士を統括するが朝廷には奉仕すると明言します。内裏の再建は幕府が行い、これが明治維新まで内裏の再建は幕府の仕事になります。
■源氏と平家
平家は源平合戦で源氏と戦いましたが、一の谷で敗れ四国に逃げた平宗盛は後白河法皇に「源氏と平家はそもそも恨みあっていない。平治の乱で信頼の追討がでたため信頼の一味だった義朝と戦ったが、個人的な怨恨ではない」と返答しています。
■天体の異常
平治の乱の年に希代の天変があり、最新の天文学をおさめていた信西は自分の宿命が終わったことを悟ったようです。事変が起きることを予想しており、捕縛などをうけることを恥と思っていたのでいち早く逃亡して自殺したようです。また息子たちは捕らえられても流罪ですむので、息子たちをおいて自分だけ逃亡し、死ぬのは自分だけで充分と考えていたようです。
■黒幕は誰か
後白河院が二条の異母弟を次の天皇にしようと画策し、信西も同意したため不安になった二条天皇が源義朝などに命じ、清盛が熊野詣で留守の間に後白河院の御所を襲って破壊し、信西一派を追い落とします。クーデタは成功しましたが後先考えずに院政を止めたため、政務がとん挫。三条公教が中心になって二条天皇の政治がたちゆくように立て直しますが、二条天皇が御所をおそった暴挙を隠蔽する必要がありました。。これで源義朝などが二条天皇に裏切られ反逆者扱いとなります。二条天皇が若死にしたこともあり後白河院が皇位継承のトラブルから解放されますが、天皇が反逆したという暴挙を隠す後始末をします。
■朝の大将軍
朝廷は平治の乱による二条天皇の暴挙で義朝一家に借りをつくってしまいました。30年ぶりに上洛した頼朝は朝の将軍という地位をもらい、これが征夷大将軍になっていきます。頼朝の子孫が世襲する正統性などを後白河に追認させます。いわば貸しの清算で鎌倉幕府が登場することになります。
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