足利将軍たちの戦国乱世
【書 名】足利将軍たちの戦国乱世
【著 者】山田康弘
【発行所】中公新書
【発行日】2023/08/25
【ISBN 】978-4-12-102767-2
【価 格】840円
■直轄軍
足利将軍には強大な直轄軍がなく、有事には守護たちが各国の武士を引率して駆けつけていた。幕府発足時は守護は任国に権力基盤をもっておらず、将軍の後ろ盾がないと任国の武士たちを統率できなかった背景がある。将軍にとっては巨大な官僚機構をもつ必要がなかった。ところが守護が世襲となり任国で自立できるようになっていく。
■9代将軍 足利義尚
従わなかった六角高頼を攻めるために近江まで進出。坂本に本陣を置き、近江八幡にあった金剛寺城を攻撃。六角は甲賀に落ち延びていく。坂本から鈎に進んで、ここを本拠にする。ところが、ここで病没してしまいます。
■10代将軍 足利義稙
足利義視の息子で美濃の暮らしが長かったが日野富子の後押しで将軍に就任。諸大名を参陣させ六角高頼を攻めたところまではよかったが、この後に畠山氏の氏族内争いに介入したことから厭戦気分が広がり明応の政変で京都に幽閉されることになります。新たに足利義澄が擁立されたが、足利義稙は嵐に脱出して北陸に逃れます。朝倉などが支援したため二人の将軍がいる状態に陥ります。大名を巻き込んでの戦争になりますが義澄が若くして死んでしまったため、足利義稙は船岡山の戦いで勝利し将軍に返り咲きます。10年以上にわたって安定しましたが細川澄元と細川高国の戦いで連携していた細川高国を見捨てたところ、高国が勝って阿波に逃れることになります。
■山科本願寺
細川晴元と三好元長との争いで晴元は山科本願寺に協力要請。門徒衆が挙兵し堺にいた三好元長は攻められて自刃してしまいます。ここから歯止めがきかなくなり暴徒化した一部の門徒衆が奈良へ進んで寺々を焼いて略奪を働きます。恐れた晴元は今度は本願寺討伐側にまわり、門徒衆が多く手を焼いていた六角定頼と連携し、京都の法華衆が加わって山科本願寺を攻めます。本願寺は武家同士の争いに介入すると危険かを悟り、信長に対する挙兵まで40年間、中立を保つようにします。
■足利義昭
信長がいない京都で足利義昭の仮御所だった本国寺を三好三人衆が攻めます。新たに堅牢な御所を作ることになり義輝の御所跡地に派手な演出(藤戸石の搬入など)をしながら行います。信長は畿内に権力基盤がないため信長には勢いがあると「見せる」ことにこだわります。
| 固定リンク
コメント