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2023/08/30

天下人の攻城戦

 【書 名】天下人の攻城戦
 【著 者】渡邊大門
 【発行所】朝日新書
 【発行日】2023/08/30
 【ISBN 】978-4-02-295226-4
 【価 格】950円


■小谷城
最初は大嶽城のあたりが小谷城で丁野側に大手があった模様


■金ヶ崎城
秀吉が殿をしていたのは信長の本陣があった敦賀の妙顕寺付近だった模様


■信貴山城
大和国の勢野から南畑を経由して河内国教興寺まで信貴路が通っていた。南畑には南畑ミネンド城があった模様。
築城したのは畠山政国の家臣である木沢長沢で天文5年(1536)頃。長政は太平寺の戦いで討ち死に。次に松永久秀が信貴山城を拠点にします。永禄4年に多聞山城へ移る時に筒井氏と三好氏が信貴山城の争奪をし筒井氏が入城。また松永久秀が奪い返します。


■有岡城攻め
高槻城ー大津長昌、茨木城-福富秀勝、原田城-中川清秀、椋橋ー池田恒興、食満-織田信雄、滝川一益、塚口-織田信孝、丹羽長秀、髙山右近
賀茂-織田信忠が指揮

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2023/08/26

戦国秘史秘伝

 【書 名】戦国秘史秘伝
 【著 者】藤田達生
 【発行所】小学館新書
 【発行日】2023/08/06
 【ISBN 】978-4-09-825458-3
 【価 格】1000円


■桶狭間の戦い
鳴海城ー根小屋城とも呼ばれ室町時代の応永年間に築城された模様
善照寺砦が詰城で一体となって普請されたが、桶狭間の戦いの頃には織田方の付城になっていた
大高城-大規模な堀があり今川義元の本陣として整備された可能性がある


■平城京
5万人~10万人程度の人口


■安土城
長安には3つの門があり、大手門に3門を配置


■五畿七道図表
畿内近国を制圧した時に天正13年に作成、その後、支配地域の郡絵図を出すように指示し、天正19年に秀吉が後陽成天皇に御前帳と郡絵図を献呈。古代以来の国土領有権をふたたび天皇が掌握したことを意味する。国土領有権を理念的に天皇がもち実質的に秀吉が握り、荘園制度を基盤とする中世国家を解体する。


■やぐら
鎌倉時代中期から室町時代前半に造られた横穴式の供養堂。鎌倉だけでなく房総半島にも500基以上あり、鎌倉の寺社領と重なっていて安房と鎌倉が海運でつながっている根拠になっている。


■遣欧使節
慶長16年に慶長大地震が発生し仙台も大きな被害を受ける。復興資金獲得のために慶長18年に遣欧使節を派遣し、幕府と協力しながら石巻から東周り航路を開拓して貿易で儲けることを政宗は考えていたようです。


■津軽氏
南部氏からの独立など石田三成への恩義があり、三成の子供たちを藩士として取り立て重臣にしていました。三成の娘が藩主の正室になっていて弘前藩には三成の血統が続くことになります。

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2023/08/19

別冊太陽 石見銀山

 【書 名】別冊太陽 石見銀山
 【著 者】田中琢
 【発行所】平凡社
 【発行日】2007/11/1
 【ISBN 】978-4-582-94510-2
 【価 格】2400円


■室町時代
益田氏ー平安末期に益田荘(益田市)に拠点を移す
南北朝時代は南朝方
周防の大内氏が石見国守護となる


■戦国時代
山吹城、矢滝城、矢はず城、石見城が築かれ、日本海には鵜丸城、櫛山城が築かれる。
大内氏、尼子氏、小笠原氏(邑智郡の地方豪族)が石見銀山の争奪戦を開催。大内氏が陶晴賢に滅ぼされてからは毛利氏が参戦。関ヶ原の戦いの後は徳川氏が支配することになります。
1556年ー尼子氏が毛利氏を撃退 忍原(うしばら)崩れ
    同じ年に毛利氏は邑智郡の佐波氏と結んで尼子氏と戦い、矢はず城などから尼子氏を追い払う
1559年ー尼子氏方の小笠原氏が毛利氏についたことから毛利氏が石見銀山を平定することになる


明治となって長州軍が大森に入ると藩祖・毛利元就を祭る寺(豊栄神社)を発見して驚く。


■石見国府
石見銀山から50kmほど西になる国府川河口部の那賀郡伊甘郷(浜田市)には柿本人麻呂などが国司として赴任。

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徳川時代の古都

 【書 名】徳川時代の古都
 【著 者】安藤優一郎
 【発行所】潮新書
 【発行日】2023/08/20
 【ISBN 】978-4-267-02400-9
 【価 格】900円


■江戸時代の奈良
205町で約35,000人 京都や大坂の1/10
露座の大仏を修復し元禄4年(1691)に大仏開眼供養を開催
大仏殿を作ることになり宝永5年(1708)に完成
ものすごい観光客が押し寄せることになります


■鎌倉
徳川光圀が鎌倉、江ノ島、金沢を訪れ「鎌倉日記」のまとめる
江戸時代になり吾妻鏡や太平記に書かれた名所旧跡を巡ることがブームになる


■家康の江戸転封
国替えは天正18年(1590)5月27日に内示
それ以前に風評が陣中に流れており流したのは秀吉
水面下で家康に打診して外堀を埋めるために情報をリークした模様


理由の一つとして北条と不戦のまま臣従させられず開戦したことがあり親戚関係だった家康への期待が裏切られたこともあったようで、戦争で荒廃した北条氏の旧領をしっかり統治することで責任を取らせる目的があった模様。


■仙台
塩竈神社ー陸奥国一の宮で伊達家の藩主は大神主をつとめるのが習わし。東北の人心を掌握するためであった。


■静岡
明治までは府中で、駿府城の北にある賤機山から静岡となる。


■問丸
水上運送を仲介した業者。荷物の保管、委託販売、旅宿の提供を業務とする商人。


■山口城
4つの街道が交差する交通の要衝が山口。お茶屋と呼ばれる藩主用の宿泊施設があり、これが幕末に山口政事堂となり山口城が築城されます。

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2023/08/09

虫眼とアニ眼

 【書 名】虫眼とアニ眼
 【著 者】養老孟子、宮崎駿
 【発行所】新潮文庫
 【発行日】2022/12/25
 【ISBN 】978-4-10-134051-7
 【価 格】630円


■制作
準備段階を入れると3年ほどかかる。そして毎月の固定が800万円ほど出ていく。
この子を楽しまさせるために作る-若いスタッフは晩婚化の影響で自分の子供のために作りたいと思わず、いつまでも自分のために作りたいと考え、変なアニメになってします。


■鎌倉
鎌倉時代の絵図には周囲の山の尾根が馬が通れる幅の道になって自然の砦になっていた。今は全部、木が生えてしまった。


■電通のコマーシャル
1秒30コマ 15秒CM-450コマ
屋内から屋外に画面転換する時は2コマほどブランクをいれるーいきなり画面が変わるので視聴者がまばたきをする
視聴者は自分がまばたきしたので向こうが変わったんだと思ってしまう


■千と千尋
湯屋の女たちが寝る部屋ー絹糸産業の女工たちが住んでいた寮がモデル
昭和20年代、近江絹糸で葬儀があり手ぬぐいを拡げて干したいう要求-人が多すぎて洗濯物を手すりに干せなかった

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2023/08/05

戦国大変

 【書 名】戦国大変
 【著 者】乃至政彦
 【発行所】日本ビジネスプレス
 【発行日】2023/06/30
 【ISBN 】978-4-8470-7319-9
 【価 格】1700円


■大内義隆
誇張がちなフロイスの影響もあって低評価な大内義隆ですが、大友家などの紛争が終わった後、筑前一国の関所廃止を織田信長の30年も前に実施していました。宣教師の布教もいち早く認めていました。


■徳川家康
桶狭間の合戦では大高城へ兵糧入れをしましたが赤武者の派手な格好をしていました。


■兵糧調達
基本的に現地調達していたようで、強奪したのではなく金銭を支払っての調達だったようです。現地調達できないところは配給制にしていたようで一人一日に米7.5合が相場でした。


■信長の勝機
武田信玄が三方ヶ原で家康を破り、西に向かった時、上杉謙信は信長が比叡山を再興すれば信玄は大義名分を失い手詰まりになるとよんでいました。京都の離宮八幡宮が信長に禁制を求めた時に武田軍の動きを探るように依頼した可能性があります。離宮八幡宮は朝倉家とも縁が深く、信玄上洛を待ち望むと伝えたので武田軍もむげにはせず迎え入れましたが、信玄の病状悪化によって、上洛中断を伝えて使者を返したようです。信長はさっそく謙信に武田が撤退していると伝えます。ただ使者も病状まで信長に伝えなかったようで離宮八幡宮のある大山崎は信長から特権を与えられることはありませんでした。


■小旗(こはた)
明に小旗(しょうき)という軍官がいて10人の集団で引率の仕事をしていました。これが転じて大きな旗を背負う徒士に小旗の名前が普及したようです。映画などで雑兵が家紋の旗を背負って戦っていますが、あれはフィクションだそうです。


■上杉謙信と近衛前久
戦国を終焉させるよ世づくりを考えていましたが喧嘩別れ。上杉景勝の時代になった時に20年ぶりに近衛前久から連絡があり、先の筋目(戦国終焉)のやり直しで説得し、豊臣秀吉へ上杉義景勝が参画することになります。


■関ケ原の戦い
三成は家康との関係は問題なく、佐和山城に隠居した時に息子を家康に人質として出しましたが、家康も息子を佐和山城へ送っています。関ヶ原の戦いで三成がいたのは自害峰のようです。野心家の毛利輝元と大谷吉継がむずびつき佐和山城へ説得して三成を引き込んだという説もあります。輝元が天下をとると自分の居場所がなく、公私の区別をする人物がいなくなるのを配慮した可能性があります。

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モンテレッジオ小さな村の旅する本屋の物語

 【書 名】モンテレッジオ小さな村の旅する本屋の物語
 【著 者】内田洋子
 【発行所】草思社文庫
 【発行日】2018/04/17
 【ISBN 】978-4-908925-29-0
 【価 格】1800円


イタリア、トスカーナにモンテレッジオという名前の村があり、本を担いで行商に出ていました。ですのでモンテレッジオの収穫祭りは本になっています。


■露天商賞
イタリアの最も由緒ある文学賞の一つ 発祥地がモンテレッジオ第一回はヘミングウェイの「老人と海」


各地の青空市場で台に本を積んで売りますが客からの質問や感想を出版社に伝えました。既存の書店からは知ることができず、また販売網の外の小さな街まで本を運んでくれ出版社は重宝しました。独立運動支援など地下出版社にとっても禁書を運ぶのに重宝しました。


出版社は行商人たちにゲラを読んでもらってから出版するかどうか判断していました。売れる本を見抜く力はすごかったそうです。


行商人5人が集まって出版社が集まるミラノなどに会社を設立。本を1ケ所にまとめて、各地に商いを流す結線点を作りました。仲間内からイタリア中の露天商へと拡げイタリア最初の取次会社になりました。


■アルド・マヌツィオ ローマ近郊出身のイタリア人
グーテンベルクが聖書を活版印刷したが大きく、分厚く、重いものでした。これの真逆で小さく、薄く、軽く、簡単な装丁にし価格を下げた文芸書を出します。ここから著作権が生まれていきます。オリジナル書体としてイタリックを考案します。1501年には文庫本を出すことで、どこでも持ち運びできる本が登場。

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