超新説で読みとく信長・秀吉・家康の真実
【書 名】超新説で読みとく信長・秀吉・家康の真実
【著 者】跡部蛮
【発行所】ビジネス社
【発行日】2023/06/01
【ISBN 】978-4-8284-2524-5
【価 格】1650円
■桶狭間の合戦
桶狭間から大高城へ向かうには大高道を進まないといけませんが当時は悪路だったようで、こんなところで待ち伏せされたら危険と考え桶狭間で野営します。本陣の前に部隊を配置し、大高道に敵はいないか探らせましたが、この慎重さが仇になりました。織田側は情報操作もしていたようで、佐々、千秋の前衛部隊に信長が依頼して突撃させますが、我こそは信長なりと口上していたようで、信長を討ち取ったと祝宴することになります。
■豊臣秀次事件
天脈拝診怠業事件-文禄4年に秀次が後陽成天皇の侍医である曲直瀬道三に天皇より自身の診察を優先させたことで秀吉が激怒します。このことが経緯なのか秀次は高野山に出奔。しかも切腹までしてしまいます。豊臣政権にとっては想定外の重大事件で、天下の大罪人へと改ざんしていくことになります。
■朝鮮出兵
文禄の役の後、明からの使節が到着して、明に朝貢貿易をして銀を輸出するところまでは秀吉も考えていましたが、朝鮮半島南部の実効支配は手放すつもりはなく、ここで決裂し、慶長の役になります。
明は日本にスパイを送り敵情視察をしていますが日本の人口の30%は浙江、福建、広東の中国人でした。倭寇によって連れられてきていたようです。
■長篠の戦
酒井忠次による鳶ケ巣山砦への奇襲が功をそうしたと伝えられていますが、奇襲攻撃より3時間も前から武田軍の攻撃がはじまっていました。武田軍は奇襲攻撃に気づいていた公算が高く、馬防柵などは大したことないだろうと突撃します。家康軍は馬防柵の前で戦っています。
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