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2023/06/24

知らないとヤバい民主主義の歴史

 【書 名】知らないとヤバい民主主義の歴史
 【著 者】宇山卓栄
 【発行所】PHP文庫
 【発行日】2023/06/15
 【ISBN 】978-4-569-90321-7
 【価 格】860円


■民主主義
憲法によって権力の分散でルール化
憲法(constitution)-con(一緒に)+stitutus(作る)国民が国家を一緒に作ることを約束した証文


ブルジョアードイツ語のブルク(burg 都市・城)に由来し、城壁内にマーケットが開かれマーケットに関わった商工業者をブルガーと呼びました。フランス語でブルジョアとなりました。


私有財産権が保障され貯蓄が促進され投資などの金融メカニズムが機能
所有権がないと新たな隷属を生み出す。独立した個人の主権の上に成立するのが民主主義


■ヒトラー
大衆は弱者に従っていくよりも、強者に引っ張ってもらうことを望む。大衆とはそのように怠惰で無責任な存在である


■マルティン・ニーメラー(ドイツ人の牧師)
ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった 私は共産主義者ではなかったから
社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった 私は社会民主主義者ではなかったから
彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった 私は労働組合員ではなかったから
そして、彼らが私を攻撃したとき、私のために声をあげる者は 誰一人残っていなかった


■官僚制
中国で科挙の制度を導入し、官僚制がスタート。背景には紙の発明があり、地域の詳細な情報が紙で伝達できるようになったため中央集権の政治を実現できる


パーキンソンの法則
第一の法則 仕事の量は、完成のために与えられた時間を全て満たすまで膨張する
第二の法則 支出の額は、収入の額に達するまで膨張する


議会制民主主義ー為政者は議会 君主の存在を認め、条件付きで認める場合は立憲君主制
共和制民主主義-為政者は元首

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2023/06/21

謙信×信長

 【書 名】謙信×信長
 【著 者】乃至政彦
 【発行所】ビジネス社
 【発行日】2023/05/29
 【ISBN 】978-4-569-85471-7
 【価 格】1350円


■武田信玄
德川と武田は、自分だけで今川や北条と講和しないと取り決めしたいましたが、家康は掛川城に逃げこんだ今川氏直と和睦し、あわせて北条氏と和睦をしてしまいました。これが三方ヶ原の戦いの遠因になります。
足利義昭は信長と二人三脚で進んでおり、三河に布陣していた信玄に信長・家康と講和するように呼び掛けた時に反対に説得されて、信長と対立することになります。
自身が亡くなる時に後継者を勝頼にしますが陣代にし、風林火山の旗の使用を禁じますが、信長・家康の敵意を信玄だけにして勝頼には講和するように考えていたようです。


■上杉謙信
小田原城を攻撃している時に今川氏直が援軍を送ってきました。ここで謙信は小田原城の包囲をとき鶴岡八幡宮で関東管領職に就任するイベントを行います。余力がない今川氏直が東に派兵したため、家康は信長と同盟を結ぶことになります。
車懸りの陣-旗隊が左右に分かれると鉄砲隊の砲撃が始まり、次に弓隊が弓を放ち、槍隊がすすみ、混乱したところへ騎馬武者が奥深くへ乗り入れる戦法。村上義清が編み出し信玄を苦しめました。信長時代は各部隊がいろいろな戦法で戦っていて、まだ試作の状況でした。村上義清の先鋒がひろまり、豊臣軍の朝鮮出兵で威力を発揮します。大名行列の形で残りました。


■織田信長
那古野-尾張今川の支配する土地だが衰微していたので駿河守護・今川義元の末弟である今川氏豊が派遣されていました。ここを陥れたのが織田信秀。氏豊は京都へ逃げます。
桶狭間の合戦の前年(1559)に信長と斯波義銀は三河の吉良義昭と停戦協定を結びます。今川と吉良による三河平定に危機感をいだいた信長は砦を築いて対抗します。そこで尾張侵攻を計画しますが吉良氏から斯波義銀へ事前に知らされたようで義元に味方することを決め、今川軍を領内にいれようとしますが発覚し、信長は義銀を追放します。信長記を書いた太田牛一は斯波義銀に仕えていましたが、ついていけなくなり信長に密告したようです。
足利義昭-挙兵した時に信長側は交渉しようとしましたが蹴ったのが義昭側で将軍追放となりました。ただ京都へ戻るように画策していたようで毛利のもとに秀吉を派遣しますが、義昭が信長に人質を出すように要請していることから秀吉は独断で交渉を打ち切ってしまいました。
長篠合戦-勝頼は精鋭部隊を編成して正面で戦ったいる高松山の後方にまわらせて挟撃を考えていましたが信長本陣や松平信康本陣はさらに奥の山にあり、ここで鉄砲による攻撃で武田軍は壊滅状態になります。精鋭部隊が崩れたことが大敗の原因だったようです。


■手取川の戦い
秀吉が柴田勝家と喧嘩して勝手に帰ったと認識されていますが、どうも戦場に最後まで残って上杉軍と戦っていたのは秀吉軍だったようです。上杉軍が迫っているのが分かり前田利家、惟任長秀の部隊が崩れ始め、増水していた手取川で溺死者が続出します。上杉軍が迫った時に残っていた秀吉軍が戦いました。敗因は前田利家、惟任長秀による総崩れでしたが信長記には抜けています。太田牛一が惟任長秀の右筆で信長と長秀が亡くなってからは前田領に住んでいたので忖度したようです。

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超新説で読みとく信長・秀吉・家康の真実

 【書 名】超新説で読みとく信長・秀吉・家康の真実
 【著 者】跡部蛮
 【発行所】ビジネス社
 【発行日】2023/06/01
 【ISBN 】978-4-8284-2524-5
 【価 格】1650円


■桶狭間の合戦
桶狭間から大高城へ向かうには大高道を進まないといけませんが当時は悪路だったようで、こんなところで待ち伏せされたら危険と考え桶狭間で野営します。本陣の前に部隊を配置し、大高道に敵はいないか探らせましたが、この慎重さが仇になりました。織田側は情報操作もしていたようで、佐々、千秋の前衛部隊に信長が依頼して突撃させますが、我こそは信長なりと口上していたようで、信長を討ち取ったと祝宴することになります。


■豊臣秀次事件
天脈拝診怠業事件-文禄4年に秀次が後陽成天皇の侍医である曲直瀬道三に天皇より自身の診察を優先させたことで秀吉が激怒します。このことが経緯なのか秀次は高野山に出奔。しかも切腹までしてしまいます。豊臣政権にとっては想定外の重大事件で、天下の大罪人へと改ざんしていくことになります。


■朝鮮出兵
文禄の役の後、明からの使節が到着して、明に朝貢貿易をして銀を輸出するところまでは秀吉も考えていましたが、朝鮮半島南部の実効支配は手放すつもりはなく、ここで決裂し、慶長の役になります。
明は日本にスパイを送り敵情視察をしていますが日本の人口の30%は浙江、福建、広東の中国人でした。倭寇によって連れられてきていたようです。


■長篠の戦
酒井忠次による鳶ケ巣山砦への奇襲が功をそうしたと伝えられていますが、奇襲攻撃より3時間も前から武田軍の攻撃がはじまっていました。武田軍は奇襲攻撃に気づいていた公算が高く、馬防柵などは大したことないだろうと突撃します。家康軍は馬防柵の前で戦っています。

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2023/06/11

アメリカの大学生が学んでいる本物の教養

 【書 名】アメリカの大学生が学んでいる本物の教養
 【著 者】斉藤淳
 【発行所】SB新書
 【発行日】2023/01/15
 【ISBN 】978-4-8156-1769-1
 【価 格】900円


■リベラル・アーツ
ギリシャで市民が政治に参加するのは幅広い知識が必要。基本科目が文法学、論理学、修辞学、算術、幾何学、音楽、天文学の7科目。
Good Thinker(上手な思考者たれ)ーイエール大学のリチャード・レヴィン総長の言葉 みずから思考して判断できる人たれ


■民主主義
大規模な飢饉は民主的な政治体制では発生していない 問題はあっても多様な価値観で均衡状態が保たれるシステム


■古典
古典になれなかった本には理由がある


■出羽守
アメリカでは、ヨーロッパではと海外を引き合いに出す


■逆から問う
なぜ投票に行かないのか→なぜ人々は投票に行くのか 仮説の要件を満たせば投票率をあげることができる

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2023/06/04

線の思考

 【書 名】線の思考
 【著 者】原武史
 【発行所】新潮文庫
 【発行日】2023/05/01
 【ISBN 】978-4-10-134582-6
 【価 格】670円


小説新潮に連載されたものをまとめた一冊。


■赤羽ー大宮(東北本線)
東京から京都まで鉄道をひくときに、まず候補になったのが中山道。浦和も大宮も中山道の宿場町だったので1883(明治16)年に上野ー熊谷間が開通した時は中山道鉄道の一環でした。ところが東海道沿いに変更となったため東北本線になります。


■天王寺駅
阪和線ホームは頭端式になっていますが、もともとは阪和電気鉄道(天王寺ー和歌山)という私鉄を引き継いだためで、その面影が残っています。


和泉府中-泉井上神社は湧き出る泉の上に建てた神社で和泉の由来になっています。また境内には和泉国総社があります。


熊取-中家住宅 後白河法皇が熊野行幸のおりに行宮にした家で現在は江戸時代初めの家


■息長氏
米原市に息長という名前が残っていて山津照神社があり、ここの墳墓が継体天皇に娘をおくった息長真手王の墓ではないかという説があります。

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