誤解だらけの関ケ原合戦
【書 名】誤解だらけの関ケ原合戦
【著 者】渡邊大門
【発行所】PHP文庫
【発行日】2023/4/17
【ISBN 】978-4-569-90310-1
【価 格】800円
■石田三成襲撃事件
襲撃ではなく訴訟で政治的な責任をおわせて切腹させるのが目的で家康が仲裁して佐和山城への引退で決着。三成が逃げこんだのも伏見城にあった治部少輔丸。つまり自分の屋敷です。もともと朝鮮出兵で名誉をつぶされたのが原因の一つで、2週間後に最調査によって名誉回復されたため七将も鉾をおさめることになる。
■慶長4年(1599年)
毛利輝元48歳、宇喜田秀家28歳、徳川家康58歳 小早川隆景、前田利家は死去
■大谷吉継
天正13(1585)年 住五位下・刑部少輔なので刑部とも呼ばれる
■石田三成
島左近をかかえたことで有名ですが渡辺勘兵衛をはじめ豊臣秀次の家臣だった若江八人衆、蒲生家から出た蒲生十八将を迎え入れています。
■井伊直政の先陣
先頭全体を仕切っていた井伊直政が福島正則に断りをいれて井伊直政・松平忠吉が先鋒となった模様で抜け駆けはなかった。徳川秀忠が遅れたので松平忠吉に変わったという見方もある。
■玉城
当時の書状に出てこないので関ケ原の合戦との関係性については疑問視されているが、謎の山城
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