ゼロから学ぶ日本史講義 戦国・江戸篇
【書 名】ゼロから学ぶ日本史講義 戦国・江戸篇
【著 者】出口治明
【発行所】文春文庫
【発行日】2023/3/10
【ISBN 】978-4-16-792019-7
【価 格】850円
■天正遣欧使節
出発してすぐに起きたのが本能寺の変でした。無事にローマ教皇に拝謁しますが一人が体調を崩していたので3人で謁見します。イエスが生まれた時の東方の三博士にあわせ、クアトロ・ラガッティが「東方から3人の少年がやってきた」という形で演出します。日本で布教で30万人の信者ができても、ほんまいかなと本国では思っていました。そこでヴァリニャーノが生きた証拠として使節団を組織します。
■刀狩り
自力救済の禁止を秀吉は考えていました。村に兵と農が混在する状態をあらためて兵農分離します。
■信長のマネーサプライ
1568年 永禄貨幣法 ビタ銭の種類で本銭との交換比率を決定
無文銭でも少しは価値があるとしてキャッシュを増やし貨幣経済を発展させました。また京都で茶道具を買って支払によるマネーサプライの供給をしました。日銀が国債を買って円を供給するようなものです。
また米を通貨の交換手段にすることを禁じて貯米する動きを封じます。信長が兵を宿に泊める時に一人ビタ銭で5文払うと決めています。
日本からベトナムに銅が輸出され銅銭になりました。ベトナムのドンは銅からきています。
1608年 マカオで有馬晴信の朱印船乗組員とポルトガル人とで喧嘩となり、マカオ総督が日本人船員を銃殺する事件が発生。関係回復のために翌年に日本にマカオ総督が来日しますが有馬晴信は長崎に停泊していた船を攻撃。結局、船もろとも自爆してしまいます。有馬晴信は家康から許可を得ていました。ここからポルトガルとの関係が微妙になります。
■江戸の大火
誰が火をつけるか分からないので江戸城内にあった御三家、大名、旗本の屋敷を場外へ移転。北条正房という大目付が測量して地図を作り、武家地、寺社地、町人地に再整理します。広小路などが生まれます。吉原遊郭も移転させ5割増しの2万坪になります。定火消を作り江戸城の北と西に配置。江戸は北西の季節風が吹くため北と西から燃え広がるためです。また町人が火消組合を作り、いろは47組になります。
■元禄文化
都市で生活する人が増え、余裕ができると出版事業が拡がり古典文学が読まれるようになる。書籍目録 1670年3866部→1692年7181部に
■拝借金制度
金欠の大名が幕府にお願いしてお金を貸してもらう制度。地方交付税のようなものでしたが余裕がなくなった幕府は縮小をします。自立するしかなくなり上杉鷹山の藩政改革などがはじまります。田沼意次は幕府ができないことはできないと、行政仕分けを行いました。
■松平定信
父親を太政大臣にしたいと光格天皇がいいだし、筋が通らないと幕府は反対し天皇の秘書官などを処罰します。当時、朝廷で官位をもった人を裁くには朝廷に通告して、朝廷が官位をといてから幕府が処分していました。しかし官位をもった大名は幕府が直接、処分していました。松平定信は筋を重視して持ち出したのが大政委任論。大政を委任されているので公家の処分も含め幕府の好きにできるという理論です。これが出てきたために幕末に慶喜が大政奉還することになります。
■海国図志
アヘンを厳しく取り締まったのが林則徐でアヘンを燃やします。イギリスはアヘン戦争を起こし、林則徐が守っていた広州を避けて、天津から北京を威圧し南京条約を結ばせます。林則徐は洋書を買い集め、これを友人の魏源にお金とともにたくし翻訳して出たのが「海国図志」。ヨーロッパ全体を理解しないと勝てないという思想から生命保険まで紹介されています。これが日本に入り佐久間象山、横井小楠、吉田松陰、西郷隆盛らに影響を与えます。
イギリスは産業革命が起き長時間労働が問題になっていました。清から輸入した紅茶にカリブ海の植民地からもってきた砂糖を山のようにいれて気付け薬として飲ましていました。清への銀の支払いがどんどん増えて貿易赤字になったのでインドのアヘンを密輸出します。これがアヘン戦争の発端ですが、さすがに議会で問題となり、わずか9票差で開戦が決まります。
■江戸時代の裁判
吟味筋ー殺人や強盗事件などの刑事事件
出入筋-民事裁判
金公事(借金争い)-内済(和解)
本公事(土地争い)-和解が難しいので役所で裁くことに 訴状を目安と呼びます
幕府や江戸在住の領主に訴える場合は幕府公認の公事宿に
公事師の筆耕料は米1.5kgほど 百姓が気安く依頼できる金額
■ペリー来航
ヨーロッパでクリミア戦争が起き列強の目がアジアからはなれていた時にペリーが浦賀に来航。阿部正弘が日米和親条約への道筋をつけ、日本にとっては幸運な幕開けになりました。
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