グローバル幕末士
【書 名】グローバル幕末士
【著 者】町田明広
【発行所】草思社文庫
【発行日】2023/02/08
【ISBN 】978-4-7942-2632-7
【価 格】1200円
幕府が考えていたのが大攘夷(国を開き富国強兵してから攘夷を実行、つまり未来攘夷)、これに対して長州や朝廷は小攘夷(即時攘夷)でした。下関戦争や留学生を送ることで上層部は未来攘夷へ転換しますが、下級武士レベルでは攘夷のままでした。
■和親と通商
日米和親条約は鎖国の枠内という認識でした。ところがアロー戦争が勃発します。そこでオランダとの和親条約に条項を追加しますが長崎での会所貿易のままでした。アメリカのハリスはイギリスが天津・北京条約で清が植民地化していくことを危惧して、先にアメリカと日米修好通商条約を締結すればイギリスは条約以上の要求をしてこないことを伝え、条約を締結します。
■岩瀬忠震
ハリスと交渉した岩瀬は基本的に自由貿易派。井伊大老は勅許をえるまで待てと言いますが井伊は窮した場合は締結してもよいと言ってしまったため、現場判断で条約締結してしまいました。安政の大獄では岩瀬らは弾圧されます。結んだ条約が不平等条約と言われますが関税は20%で妥当なものでした。ところが慶応2年(1866)に英仏米蘭との間で改税約書で5%になってしまって安価な商品が大量に流入して激しいインフレになってしまいます。下関砲撃事件の賠償金を2/3にする条件で長州の攘夷運動によるツケでした。結局、自分たちのせいで不平等になった条約を明治になって交渉することになりました。
岩瀬忠震は海外を見たくっていろいろと画策しますが、結局は弾圧などで断念します。
幕府は英仏米蘭以外にポルトガル、プロイセン、スイス、ベルギー、イタリア、デンマークの11ケ国と通商条約を結んでいます。
安政元年から翌年にかけてロシア使節プチャーチンの要請で戸田(へだ)でヘダ号の建造が行われ岩瀬忠震は諸藩から船大工や藩士を参加させました。200人を超えていて、これで造船技術が日本全国に広がりました。
■生麦事件
島津久光はファイアリー・クロス号を横浜で購入しますが、幕府のいやがらせが色々とありました。永平丸と名づけ、買った軍艦に乗って薩摩へ戻ろうとしたら、島津久光は藩主ではないのでダメということで陸路をとることになります。途中で発生したのが生麦事件です。
■池田長光
攘夷派の急先鋒で幕府から開いた横浜の鎖港を交渉するようにパリに派遣されます。幕府は時間稼ぎのつもりでしたが海外を見た池田長光は考え方をまったく変更。帰国すると海外渡航の自由化や海外への特命全権大使の派遣を幕府に建白します。国内一和、海陸軍備、各国交際の3つをするために留学生派遣や現地新聞を定期購買して情報収集なども建白します。長州ファイブや薩摩スチューデントなど幕府が知らない間に各藩は留学生を派遣しており、分かっているだけで加賀藩、佐賀藩、広島藩、紀州藩、福岡藩などでした。ただ長州ファイブは自費での渡航で金がないため井上馨は藩の武器購入資金の1万両を担保に渡航費用を捻出しましたが、了承していたのが大村益次郎でした。
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