ゼロから学ぶ日本史講義 中世篇
【書 名】ゼロから学ぶ日本史講義 中世篇
【著 者】出口治明
【発行所】文春文庫
【発行日】2023/2/10
【ISBN 】978-4-16-792005-0
【価 格】840円
■唐との関係
日本、天皇は、律令、日本書紀は唐を意識したもの。唐が衰退していくと意識が薄れ村上天皇を最後に天皇は使われなくなり、江戸時代後期に光格天皇が復活されるまで使われていませんでし。
■開発領主
在地の有力者ではなく都に住んでいた中下級の貴族が中心で、都では偉くなれそうもないので、地方で金儲けしようという動きがありました。京都とのコネクションもフルにいかしました。
■源氏
中国の北魏の政治家が源賀(げんが)から、もともとは別の名前でしたが太武帝から同じ一族だったから、源という姓を与えられます。天皇家から枝割れするので源氏の名前となります。平城京も北魏の都「平城」から名づけられています。平氏はおそらく平安京の「平」からとっているのではと言われています。
■平氏政権
治安警察権、守護・地頭などは清盛が作り、鎌倉幕府がそれを継承しました。武家政権の最初は平氏政権でした。「鎌倉殿の十三人」で北条氏や三浦氏などがメンバーですが13人に源氏が一人もいませんでした。実態は第二平氏政権でした。
中国から宋銭を持ちこんで貨幣経済を起こします。最貧国でしたが貨幣経済によって発展をはじめます。
■新田氏
源義家の4男が源義国で長男が義重で新田氏の祖、次男が義康で足利氏の祖となります。頼朝が挙兵した時に義重は頼朝を格下にみていました。義康が早く死んだたねに子供の義兼の面倒を義重がみていました。義兼の方がすぐに頼朝に参じましたので足利氏の方が重く用いられます。
■足利直義
神護寺の伝頼朝像は足利直義、伝平重盛像は足利尊氏という説が濃厚です。直義は質実剛健でバサラを禁止し保守本流派でした。しかし幕府を支えていたのが貨幣経済を仕切っていた新興成金で、尊氏は両者の争いに悩まされていきます。
■東山御物
歴代将軍が勘合貿易で手に入れた名物の管理を足利義政の時代は世阿弥が行っていました。山口の大内氏の館では雪舟が管理します。
■鉄砲伝来
倭寇の頭領だった王直が持ち込みますが、自分の船にポルトガル人を乗せて、見たこともない新兵器を持ってきたでとデモンストレーションします。
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