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2022/12/07

古代の三都を歩く 難波京の風景

 【書 名】古代の三都を歩く 難波京の風景
 【著 者】小笠原好彦
 【発行所】文英堂 
 【発行日】1995/3/10
 【ISBN 】978-4-578-00458-9
 【価 格】2000円


■摂津
難波津の管理から 677年、天武天皇の時代に摂津識が設置される


■大津道
竹内街道の北1.9kmの位置を平行し、現在の長尾街道と推定されている。
羽曳野市高鷲にある津、船、葛井氏の三氏族の氏神である大津神社に関連している模様


■東大寺の荘園
750年以前に所有 新羅江荘4町-南が堀江(大川)、東が安曇江(淀川旧本流)
752(天平勝宝4)年に難波荘3町6段を購入 新羅江荘のほぼ斜め対岸
もともと安宿王(長屋王の息子)がもっていた土地を購入したもので8年後に一部を残して新薬師寺に売却。金額は購入額とあまり変わらず。


■長岡京
朝堂ー平城京、藤原京が12堂に対して長岡京は8堂。後期難波京(8堂)をそのまま移したため
勤務ー寅の刻(朝4時)に南門の前に左右に並び日が出ると広場に進んで政務に、帰宅は正午の鐘が鳴ってから
   朝集殿が朱雀門のすぐ北に建てられていて、ここで私服から朝服に替えていました


財政再建をはかるため桓武天皇は副都制にしていた難波京を廃止
762年遣唐使船が難波も江口で座礁-難波津の浅瀬が増えて機能性が減少-和気清麻呂が難波京遷都後に三国川(神崎川)に淀川を通じるようにする


■686年の火災
朱雀門跡が発掘され焼けていました。この時に前期難波京のほとんどの建物が消失したようです。

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