« 徳川家康という人 | トップページ | 戦国の大敗 古戦場を歩く »

2022/11/19

徳川家康の決断

 【書 名】徳川家康の決断
 【著 者】本多隆成
 【発行所】中公新書 
 【発行日】2022/10/25
 【ISBN 】978-4-12-102723-8
 【価 格】900円


■人質交換
桶狭間の合戦の後、上之郷城を攻めて鵜殿長照を討ち取り、2人の息子を生け捕って、築山殿と元康、亀姫との人質交換が永禄5年に行われます。長照の母親が今川義元の妹で今川氏直と従兄弟になるという説がありましたが否定されているようです。また家康の舅にあたる関口氏純が氏直によって切腹させられた言われていますが翌年の永禄6年の文章が見つかり、この年まで存命しています。


■三方ヶ原の戦い
武田信玄の遠江への侵攻を信長は察知しておらず、信玄の要請で上杉との和睦の調停を行っていており、後手にまわりました。


■本能寺の変
本能寺に向かったのは斎藤利三などの2000騎ほど。光秀は鳥羽で待機していたようです。


■小牧・長久手の戦い
家康との和睦交渉で家康が人質を出すことを渋ったため家康を成敗する軍を起こす準備をしていた時に天正大地震が発生し、家康は危機を脱します。


■東海道53次
最後に宿場の整備がされたのが寛永元年(1624)の庄野宿(鈴鹿)で元和5年(1619)に大坂に城代がおかれたことから大坂の高麗橋までのびて57次になります。


■囲碁と家康
慶長17(1612)年に碁打ち衆、将棋指し衆に扶持米が与えられプロが登場することになります。

|

« 徳川家康という人 | トップページ | 戦国の大敗 古戦場を歩く »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 徳川家康という人 | トップページ | 戦国の大敗 古戦場を歩く »