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2022/11/12

家康家臣の戦と日常

 【書 名】家康家臣の戦と日常
 【著 者】盛本昌弘
 【発行所】角川文庫
 【発行日】2022/10/25
 【ISBN 】978-4-04-400714-0
 【価 格】1160円


徳川家康の一族だった松平家忠が17年間にわたって残した日記です。東海道本線・三ケ根駅近くの深溝(ふこうず)城を本拠とした深溝松平家の当主。徳川家康の国替えで忍、上代、小見川に本拠が代わり、関ケ原の合戦の前哨戦となった伏見城の戦いで討ち死にします。連歌作りをよくしており京都へ行った時に里村招巴と対面しています。


■鵜殿氏
家忠の母は鵜殿氏で、もともとは熊野の鵜殿庄で南朝側でした。後に深溝の東である上之郷を本拠とします。


■弥介
武田勝頼を倒した信長は三河を通って帰陣することになります。家忠はそのための普請などを行っていますが信長の行列を見たようで信長が黒人の弥介を連れているのを目撃しています。


■佐々成正
立山連峰の「さらさらごえ」が有名ですが、実際は富山から笹津、猪谷、高原郷、安房峠、松本を経由して天竜川沿いを南下して浜松にいたったようです。


■小牧・長久手の戦い
11月13日に石川数正が秀吉のもとに走る大事件が発生。28日に織田有益、滝川勝利、土方勝久が岡崎にきて講和をすすめましたが、うまいきませんでした。ところが29日に大地震が発生。12月下旬まで余震が続きます。天正17年2月5日にも地震があり駿河東部の被害がありました。


■小田原城攻め
城内にいた和田、三浦の家中150人が持ち場に火をかけて退場。家康が調略していたようです。


■成田氏長
「のぼうの城」で有名な成田氏は忍城を明け渡した後は京都に住み連歌などに記録が残っています。忍を一時期、本拠としたため家忠とも交流がありました。


■板倉勝重
深溝松平家の所領の一つ小美村で生まれたのが板倉勝重。板倉家は深溝松平家の家臣でした。板倉勝重は出家していましたが家督を継いだ弟が戦死したため、家康の直臣となり京都所司代などを歴任します。

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