近江戦国の道
【書 名】近江戦国の道
【著 者】淡海文化を育てる会
【発行所】サンライズ出版
【発行日】2006/4/1
【ISBN 】978-4-88325-286-2
【価 格】1500円
■坂本城
江戸時代以来、坂本城の伝承はあったが昭和54年から宅地造成に伴う発掘調査で焼土層を含む建物遺構が出て確認されました。
■堅田
環濠に囲まれた自治都市でしたが信長と浅井・朝倉が対立したため、二派に分裂。堅田には信長の出城がありましたが囲まれたため湖上から援軍を入れましたが、城は落ちました。援軍の大将である坂井政尚以下、全滅しました。
■一向一揆との戦い
1571年、松永久秀が謀反を起こします。松永久秀が三好義継と組んで、近江の中山道を封鎖したため、開通すべく「緒川城・志村城・金森城攻め」を行います。佐和山城を落城させた後、志村城、小川城、金森城に攻め込みます。
佐和山城を守っていたのが浅井長政方の磯野員昌で、東の百々屋敷に丹羽長秀、北の山(磯山か物生山)に市橋長利、南の山(平田山か里根山)に水野信元、彦根山に川尻秀隆を封じていますが、佐和山城は琵琶湖の内海に接触しており北の山との間にも琵琶湖の水で遮断されていました。
■佐々木氏
蒲生ー佐々貴氏(佐々城山君の子孫)がいて沙沙貴神社を氏神として栄えていました。同じ蒲生の佐々木荘を拠点にしたのが佐々木経方。この2つの氏族が同化して近江源氏・佐々木氏が誕生。頼朝を支えたため近江守護となります。惣領となった佐々木泰綱が邸宅を六角東洞院にかまえたので佐々木六角氏といわれます。
六角氏の居城は観音寺城ですが、その前に家中を巻き込む観音寺騒動があり、六角氏の主従に亀裂が入っていたところへ信長の上洛となり、観音寺城は落城することになります。
■国友
大坂冬の陣では50人の国友衆が百姓姿に返送して徳川の陣所に入り、備前島に大砲を備えて城に昼夜、打ち込みました。国友は江戸に会所(駐在員事務所)をもち江戸における情報収集をしていました。
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