古代史の定説を疑う
【書 名】古代史の定説を疑う
【著 者】瀧音能之、水谷千秋
【発行所】宝島社新書
【発行日】2022/10/21
【ISBN 】978-4-299-03459-5
【価 格】1210円
■アスファルト
縄文人はアスファルトを採取し壺にいれて加熱、精製しました。土偶の接合にも使われていたようで、こうなると故意に土偶を破壊した説が否定されることになります。
■倭国大乱の原因
181年、ニュージーランド北島にあるタウポ火山が大噴火を起こし地球規模の気候変動になりました。中国では空が黄色になります。気候変動は181~184年まで続き、184年には黄巾の乱が発生します。「蒼天すでに死す、黄天まさに立つ」で長らく蒼天を漢王朝、黄天を黄天党と考えらていましたが、実際に空が黄色になっていたようです。
■邪馬台国 畿内説
箸墓古墳が卑弥呼の墓とすると西殿塚古墳が同じ形態なので台与の墓。副系列となる桜井茶臼山古墳やメスリ古墳は王権の軍事面を担う執政官で、神聖王と執政王の祭政分離体制で、この後の執政王がヤマト王権に発展したのではという説がある。崇神天皇は纏向を本拠としており、邪馬台国を引き継いだヤマト政権の初代と見られています。
■蘇我稲目
古代、目の名前を持つ人物は神のお告げがきけるシャーマンの役割があった。
■狂心溝(たぶれごころのみぞ)
斉明天皇が行った運河事業。人民には散々の評価でしたが石材がとれた天理市の豊田山から飛鳥を結ぶ運河で、実際は藤原京造営にも活用された模様です。
■乙巳の変
皇極天皇は飛鳥を石造りの壮麗な都へかえていましたが山背大兄皇子が即位すると斑鳩が都となるため蘇我入鹿に命じて山背大兄皇子を攻めさせました。蘇我入鹿は交換条件として古人大兄皇子を次期天皇にしてもうことを内定します。ところが皇極天皇の弟である軽王子が不満をいだき、中大兄皇子や中臣鎌足を巻き込んでクーデターを起こします。
小山田古墳が蘇我蝦夷、小ぶりの菖蒲池古墳が蘇我入鹿のものですが、乙巳の変の後、小山田古墳は破壊され蝦夷と入鹿をともに菖蒲池古墳に葬ったようで石棺が2つあります。
■墾田永年私財法
律令制を崩す法律ですが、735(天平7)年~737(天平9)年にまで発生したパンデミックが原因です。遣唐使や新羅からの交易で海外から入ってきたようで天然痘と風疹の大流行で藤原4兄弟だけでなく当時の人口の25~35%が亡くなりました。緊急時代に橘諸兄は墾田永年私財法で働き手が減った農村復興を狙いました。
■激務の平安貴族
中下級貴族は一月15日勤務、宿直5日が最低ライン。枕草子に登場する藤原行成は1000(長保2)年3月に1~6日まで勤務し1日休みをとって8日から3日続けて宿直し、この月は26日勤務で、そのうち12日間は宿直でした。
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