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2022/09/26

京都の山と川

 【書 名】京都の山と川-「山紫水明」が伝える千年の都
 【著 者】鈴木康久、肉戸裕行
 【発行所】中公新書
 【発行日】2022/8/25
 【ISBN 】978-4-12-102711-5
 【価 格】920円


■標高
東寺五重塔の上が80mほどで北山通りの標高と同様で京都で「上がる下がる」といいますが、理にかなっています。


■大文字送り火
500年以上も続けられていますが明治になった時に送り火は宗教的活動として休止していた時期もあります。明治以前には「い」や「竿に鈴」などあわせて十山で行われていました。


■竹取物語
石作の皇子が出てきますが嵯峨野や大原野が舞台となった可能性があり小塩山の麓は古くは石作郷と呼ばれています。


■鴨氏
久我国は京都盆地北部の古代地名。紫竹に久我神社がある。鴨氏は鴨川の洪水を受けないように山の麓の上賀茂に居住していました。


■高瀬川
約7mしかないのですれ違いが難しく、そこで上りと下りで分けていました。船を15ほど船団にして朝6~7時頃に伏見を出て2時間ほどかけて七条へ荷物を降ろし、午後には荷を積み込んで伏見に向かいます。


■保津川下り
奈良時代から丹後の材木を運ぶために筏流しがありました。江戸時代に角倉了以が開削して船も通すようにします。最初に船に乗って保津川下りを楽しんだのが角倉素庵(角倉了以の息子)。夏目漱石の虞美人草にも登場します。

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2022/09/21

論争 関ケ原合戦

 【書 名】論争 関ケ原合戦
 【著 者】笠谷和比古
 【発行所】新潮選書
 【発行日】2022/7/25
 【ISBN 】978-4-10-603887-7
 【価 格】1500円


■太閤蔵入地
太閤検地を行い、大名領地に豊臣政権の直轄地になる太閤蔵入地が1万石規模で設定される。大名領の監視と得られる米や産物で豊臣政権がそちらの方面へ遠征する時の物資補給基地となる。太閤蔵入地を順々につなぐことで食料、武器・弾薬のいずれも補給できるようにしていた。朝鮮出兵では同じシステムを海外展開できないかとも考えていた。


■大砲
朝鮮出兵時、明軍との戦いで撤退した明軍が残した大砲を戦目付の石田三成が管理し、関ケ原の合戦で使われることになる。


■徳川秀忠
上杉軍が攻めてこないように長大な防御土塁を造り、混雑する東海道ではなく、また上田を攻めるために中山道をすすむことに


■徳川家康
小山評定で豊臣系武将は家康に味方することになったが、そのあとに届いたのが「内府ちがいの条々」で家康は反乱軍扱いになります。豊臣系武将が味方についた前提条件が変わってしまったため家康としては裏切られる可能性が高いため江戸を動けなくなってしまいます。豊臣家武将が岐阜城などを落としたために、ようやく関ケ原に向かいますが隠密行動ですすみました。


石田三成は家康が江戸を離れたら毛利輝元に連絡して秀頼を担ぎ出してもらうことを考えていたため、赤坂の陣に登頂してから家康は、はじめて馬印や旗を出して大垣城にアピールします。動揺する西軍を落ち着かせるため島左近が杭瀬川の戦いを起こします。


次に家康が考えたのが秀頼が来ることができないように佐和山城をおとして中山道を封鎖し、大垣城を水攻めする作戦です。これに対して石田三成らは二重引きを計画、関ケ原までまずひいて、次に佐和山城へひく作戦でしたが、山中に展開する大谷吉継を救援するために夜半に関ケ原へ出発。結局、関ケ原が決戦の地になってしまいました。

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2022/09/17

江戸のヒット仕掛け人

 【書 名】江戸のヒット仕掛け人
 【著 者】檜山良昭
 【発行所】東京新聞
 【発行日】2022/8/31
 【ISBN 】978-4-8083-1074-5
 【価 格】1200円


■愛煙家
淀君で大坂城落城では高級煙管の遺品が発見されています。新井白石もヘビースモーカーだったようです。


■奴
漢学者は小者(武士に使える雑用係)たちを主人に仕える奴隷的身分として漢風に「奴僕(ぬぼく)」と表現。奴の和訓よみで「やっこ」と呼ぶようになった。


■伊勢参り
御幣が降った-蘆を切って先端に団子を突き通す。紙で作った御幣を取り付けて山の上などにおいておくとトンビやカラスが見つけて団子だけを食べて御幣がついた蘆を落とすというトリックだったようです。


■お風呂
伊勢与一が銭瓶橋のそばに蒸し風呂を開業。入浴料は1銭で一銭風呂と呼ばれました。


■深酒取締法
元禄9年(1696)に幕府が布告。酔っ払いがいろいとと事件を起こしていたようです。「酒と女は男のかたき どうかみかたにめぐりあいたい」(四方赤良)


■蕎麦
寛延年間(1748~1751)に浅草の道光庵という寺が蕎麦を売るようになって評判になります。そこで「〇〇庵」という蕎麦屋が増えた。


■大八車
幕府は軍事に使われないよう乗馬は武士以外は禁止にし、馬に車を引かせることも禁止したため運送のために馬車が発達しなかった。大八車の乱暴運転が続いたので享保8年(1723)には人をひき殺せば死罪、雇い主も重罪という布告を出し、これが最初の交通法規になる。


■べらぼうの語源
浅草の見世物に便乱坊(べらぼう)と自称する頭がとがり顔が真っ暗な男が評判となった。江戸っ子が馬鹿馬鹿しいことを「べらぼうめ」と言うようになる。


■キンピラ
市川團十郎が演じた坂田金平(坂田金時の息子)で金平(キンペイ)と呼ばずに江戸っ子は「キンピラ」と呼び、煮売り屋があやかってキンピラ牛蒡と命名します。

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2022/09/14

日本の古代豪族100

 【書 名】日本の古代豪族100
 【著 者】水谷千秋
 【発行所】講談社現代新書
 【発行日】2022/7/20
 【ISBN 】978-4-06-528622-7
 【価 格】1500円


■古墳の被葬者
男女比が6:4で古代社会では男女両系を重んずる社会。古墳時代中期になると次第に父系化が進む。


■葛城氏
襲津彦(そつひこ)が初代とみられ御所市の室宮山古墳に比定する説がある。


■継体天皇
豪族の多くは天皇の後裔としているところが多いが神武~応神までで仁徳天皇を祖とする豪族はなく継体天皇以降まで途切れることになる。仁徳~武烈までなくなるのは、王権から規制されたからで継体天皇の正統性を補完するため。継体天皇は息長君出身とみられ息長の本貫は近江坂田郡息長(米原)。


■三輪君
疫病が流行った時に大物主が天皇の夢にあらわれたので、河内の美努(みの)村にいた意富多々泥古を探し出し三輪で祀ったのが三輪神社のはじまり。美努村は須恵器の発祥の地で三輪君は須恵器生産に関わっていた模様


■大日下王
仁徳天皇と髪長媛(日向諸見君)の子供で地盤が河内の日下。母方に日向出身者をもつので日下王族、日下宮王家とも呼ばれている。


■額田部連
平群郡額田、河内郡額田が本貫の模様。推古天皇の幼名は額田部皇女で額田部氏が養育していたと思われる。


■弓削連
道鏡に対して「先祖の大臣として仕え奉りし位名を継がんとおもいてある人」と言われており物部氏の復活を考えていました。


■秦氏
平安京の内裏のあったところは秦河勝の邸宅があったところで紫宸殿の左近の桜、右近の橘も邸宅にあったという伝承がある。


■田辺史
百済系渡来系豪族で、藤原不比等は壬申の乱の時に少年期で避けるために山科の田辺史大隅のもとで養育された模様。不比等の名前は史(ふびと)からとった。黒作懸佩刀という刀があり草壁王子→不比等→文武天皇→不比等→聖武天皇と伝来し皇位を象徴する刀になっていた。本来は父から子だが早世したために不比等が中継ぎをした。

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べらぼうくん

 【書 名】べらぼうくん
 【著 者】万城目学
 【発行所】文春文庫
 【発行日】2022/9/10
 【ISBN 】978-4-16-791936-8
 【価 格】610円


万城目学の自叙伝です。


■メソポタミアのことわざ
都市は(敵対する)都市にこんにちはと言わない。しかし人は(その都市の)人にこんにちはと言う。
この都市と都市との関係が国際関係になる。


■京大法学部の学費
卒業150人に対して留年300人で弁護士や官僚志望の学生が留年をする。留年すると学費が月割りとなる制度があり5回生になると、まず休学届を出す。卒論がなく単位充足すれば卒業なので年度末の2月、3月だけ復学して試験を受ければよい。留年しても学費は2ケ月分ですむ。司法試験が劇的に難しかったからできた制度。


■デビュー作「鴨川ホルモー」
ワープロ文豪で作成して別の新人賞に応募したが没。改訂して別の新人賞に応募しようとしたらウェブでの受付だけ、たまたま知り合いが古いパソコンをくれて、たまたま文豪にMS-DOS変換の機能がついていたため応募し、これがボイルドエッグズ新人賞(2006)を受賞。文豪の開発にあたっては阿部公房にいろいろと意見を聞いて開発したそうです。

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2022/09/12

世界の〝巨匠〟の失敗に学べ!組織で生き延びる45の秘策

 【書 名】世界の〝巨匠〟の失敗に学べ!組織で生き延びる45の秘策
 【著 者】池上彰、佐藤優
 【発行所】中公新書クラレ
 【発行日】2022/7/10
 【ISBN 】978-4-12-150768-6
 【価 格】900円


乃木希典、田中角栄、ドナルド・トランプ、山本七平、李登輝、オードリー・ターン、アウンサンスーチー、ドストエフスキーを題材に組織でいかに振舞ったらよいかを対談しています。


■限定合理性
いったん始めると止めるのが難しい。今までの投資がすべてサンクコスト(埋没費用)になってしまい、身近な例ではUFOキャッチャーで景品をゲットするまで帰れなくなります。


■デイヴィッド・ロックフェラー
大金持ちになっても維持するのは大変。何もしないと国家と民衆から攻撃される。生き残るためには
・補完外交ーアメリカの国家ができないような国と外交関係をもって国に後継
・チャリティー富の再分配を行う


■田中角栄
アメリカは時間をかけて「2つの中国」の可能性を模索しようとしていたら田中角栄が中国を訪れて日中国交正常化をはたしますが、日本が「1つの中国」という方向性で突っ走ったため、それに追随せざろをえなくなります。外交の幅を日本に狭められました。


■台北
台湾の首都は台北というより正確には中華民国の中央政府機構が置かれている臨時首都という位置づけで、本に記載されている通り、日本の外務省のホームページを見ると1949年12月7日「台北に臨時首都を遷都」と書かれていました。

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2022/09/09

誤解だらけの徳川家康

 【書 名】誤解だらけの徳川家康
 【著 者】渡邊大門
 【発行所】幻冬舎新書
 【発行日】2022/7/25
 【ISBN 】978-4-344-98663-2
 【価 格】1060円


■しかみ像
三方ヶ原の負け戦を忘れないために書かせたと言われていますが書かせたのは尾張藩祖の徳川義直のようで長篠の戦の時のようです。徳川美術館が出した図録の解説で三方ヶ原の戦いと記載したため広まったようです。


■清州会議
三法師が織田家を継ぐことは決まっており話し合われたのは後見人を信雄と信孝のどちらかにするかと信長の遺領配分でした。信雄と信孝が揉めていたのは美濃の国境画定の問題でした。


■七将による石田三成襲撃事件
実際は石田三成に訴訟を起こして政治的責任を負わせ切腹にもちこむことでした。北政所の仲介などもあり佐和山城への隠居で決着しました。

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2022/09/05

歴史学者という病

 【書 名】歴史学者という病
 【著 者】本郷和人
 【発行所】講談社現代新書
 【発行日】2022/8/20
 【ISBN 】978-4-06-526097-5
 【価 格】900円


「私の履歴書」のような一冊です。


■東大史料編纂所
塙保己一の和学講談所からスタートし、最大のミッションは大日本史料の編纂事業で著者の職場。ちなみに編纂所のトップが奥さんの小泉恵子。


■紀伊国・名手荘
在地領主ー長男
高野山ー次男
実家の武力を背景に高野山は戦国大名にようになっていきます。


横のつながり(仏の前で平等)VS 主人と家来の上下関係による縦社会


■博士号
課程博士ー課程を修了した段階で取得できる
論文博士ー博論の執筆


ヨーロッパー年季と経験を積んだ学者が博士論文を書いて博士号をえる
アメリカ-一定の単位を取得して博士号をえる


文系はヨーロッパ型だったが文部科学省が博士課程があるなら博士を出せと、出せないなら予算削減と言い出したためにアメリカ型に


■陣の義 陣の定
鎌倉時代の貴族の会議 冒頭で条事定という紙が配られ国を治める方策が細かく書かれており全員が閲覧してから会議に入る
実は形骸化しており、毎回同じ内容で単なる形式

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2022/09/03

戦国城郭に秘められた呪いと祈り

 【書 名】戦国城郭に秘められた呪いと祈り
 【著 者】小和田哲男
 【発行所】山川出版社
 【発行日】2022/7/20
 【ISBN 】978-4-634-15199-4
 【価 格】1800円


■小牧山城
信長が清州から小牧山城へ移る前に二の宮山に城を築くと言い出し家来はあわてましたが、別の日に信長が小牧山に変更すると言って家来が喜んだ話がありますが、西美濃攻略ルートが失敗が続いていたため東美濃攻略ルートに切り替えただけという説があります。


■転用石
大和郡山城の石垣にさかさ地蔵がありますが、けがれの逆転で多くの石垣で見られます。墓石を屋敷の下に置くと縁起がよいといった考え方があります。


■猪目石
ハート型の石で魔除け、招福の意味があるそうです。


■急々如律令
急ぎ、律令の如くすべしという意味で、漢代に使われた中国の公用文。呪符として使われるようになり、くしゃみ止めでは「休息万命急々如律令」となります。

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