地形と地理でわかる京都の謎
【書 名】地形と地理でわかる京都の謎
【著 者】青木康、古川順弘
【発行所】宝島社新書
【発行日】2022/8/24
【ISBN 】978-4-299-03301-7
【価 格】1320円
■船岡山
平安京の玄武となった山で幅85mの朱雀大路が作られました。船岡山から一条通までの距離と一条通と二条通までの距離が等しくなっている
■六角堂
京都のへそ-応仁の乱以降、京都は上京と下京に分かれ町衆の自治が行われ六角堂で集会していました。幕末まで祇園祭の山鉾巡行の順番を決めるくじ引きは六角堂で行われていました。
■京都御所
里内裏ー臨時の内裏 現在の京都御所も里内裏のひとつで土御門東洞院殿という藤原邦綱の邸宅が元。
■本能寺
法華宗の総本山で天文法華の乱で京都を追放された時に頼ったのが堺商人。堺商人にとって魅力だったのが種子島などの法華宗ネットワークで鉄砲で結ぶついており信長も重視していました。
■山崎の合戦
山崎の隘路ではなく山崎を抜けた広い所で戦いとなりましたが、戦の前に山崎は光秀側から金制を受けていました。山崎は油座などで経済が発展していました。戦となれば守らなくてもよいのですが光秀は山崎の経済力を温存したかったようです。
■妙顕寺城
妙顕寺を移転させて秀吉が造った城で京都での宿泊所になりました。京都奉行の前田玄以の居城でもあります。
■二条城
家康が造った二条城は東に3度傾いています。当時、西洋から入ってきたコンパスを使っており、家康の頃の京都では真北から東に3度傾いていたようです。当時の技術者も堀川までの距離が北と南で違っていると認識していたので、先進技術を応用して造ったようです。
■三条大橋
粗末な橋を秀吉が63本もの石柱を使った橋にします。天正18年の擬宝珠が今も残っています。三条大橋は東国へつながる入口で北条氏の討伐を終えれば戦乱の世が終わるため、凱旋門のイメージで造ったようです。
■東洞院通
平安京が造られた東から2本目の大路。江戸時代に巨椋池に港が整備され、竹田街道から東洞院通に接続される物流道路となります。日本で初めての一方通行になり、牛車が通るように石畳通りになります。
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