お金の流れで見る明治維新
【書 名】お金の流れで見る明治維新
【著 者】大村大次郎
【発行所】PHP文庫
【発行日】2022/4/18
【ISBN 】978-4-569-90203-6
【価 格】760円
■参勤交代の中止
黒船来航で沿岸警備をしなければならないが各藩とも財政悪化しており、1862年に参勤交代を3年に1度にし藩主の妻子も国元に帰すことにしました。諸藩も藩士たちの消費が消えたため江戸の景気が急激に悪化します。
■撫育局
長州藩が設けた班内の産業振興をする機関で藩会計とは別にします。もともとは宝暦検地での増分が元になっています。別会計なので藩の会計が赤字になっても補填などには使われませんでした。幕末に船や武器を買い込むことができました。
■坂本龍馬の下関商社構想
長州征伐の前に幕府が長州藩の大坂にあった蔵や商船などから18万俵を没収してので長州藩が関門海峡を通る幕府の船から同等の米を没収する噂が流れていました。藤岡屋日記にも長州藩が没収し、没収された領民に一升200文の破格値で売られたと記録されています。坂本龍馬は下関を通る船から通行料をとろうと考えていましたが瀬戸内海の廻船業者からの反対で立ち消えになったようです。
■金がなかった新政府
大政奉還されて驚いたのが朝廷のようで持ち金もないのに政権運営はできません。そこで幕府に献金を申し出ますが、朝廷に不満がある幕府が献金するわけがありません。ところが孝明天皇の一周年祭りもできないと聞いた徳川慶喜は5万両の献金をします。朝廷派と幕府擁護派が対立していた時期なので献金は公表されませんでした。
金がないのは幕府も同じで大坂での在留経費が1日7000~8000両かかっており、老中の板倉勝静に側近だった神戸謙次郎が報告しています。徳川慶喜の耳に入っていたはずで大坂城を脱出して江戸に戻ったのは財政的な理由も多かったです。
■官軍
金がないので進軍する沿道の諸藩が兵糧を一時的に負担し、朝廷が後日返済することになります。この兵糧を負担するかどうかで官軍か朝敵か判断しました。また1万石あたりに300両を上納させ、金を出さなかった藩は朝敵とみなされました。
江戸は無血開城しましたが金がない官軍は江戸にすぐ入れませんでした。三井、小野、島田から軍資金を調達でき、ようやく江戸城に入城できました。
■贋金作り
各藩で偽二分金作りが行われましたが含有量によって番付が作られました。よい順で筑前、加賀、佐土原、宇和島、薩摩、安芸、郡山、土佐、三原となります。
■農地解放
明治維新によって侍は地位を失います。一番、得をしたのが農民で明治6年に改正地券と呼ばれる農地の権利書が発行され、藩のものだった農地が自分のものになり移動の自由、職業の自由も与えられます。
| 固定リンク
コメント