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2022/07/02

面白すぎる日本史の授業

 【書 名】面白すぎる日本史の授業
 【著 者】河合敦、房野史典
 【発行所】あさ出版
 【発行日】2022/2/26
 【ISBN 】978-4-86667-366-0
 【価 格】1500円


庭訓往来のように往来物形式でできています。


■関ケ原の合戦
よくわかっていませんが、小早川秀秋は開戦と同時に裏切っているのは確かなようです。裏切った小早川に対抗するために大垣城にいた石田三成、宇喜多秀家、小西行長、島津義弘が山中に移動したようです。


勝利した家康は恩賞を与えますが、これが口約束だけ。豊臣秀頼が主君でしたので書類を出したくても出せなかったのが本質のようです。


■銀の道
清は銀銭と銅銭を使い、主要通貨は銅銭でしたが原料の6~8割が日本からの輸入でした。代わりに生糸を輸入していました。対馬の宗氏が釜山に倭館という貿易センターを作り対馬藩の役人が500人ほど常駐して朝鮮から生糸を輸入していました。日本の銀は朝鮮から清が買っており絹と銀の道が京都ー釜山ー漢城ー北京を通っていました。
元禄以降、金銀の産出量が減ってきたため田沼意次は俵物(干した海産物)や銅を輸出して金銀を輸入するようにしました。また貨幣制度の一本化も考えていました。東日本は計数貨幣(両、分、朱)でしたが西日本では秤量貨幣(銀を秤ではかる)でした。そこで南鐐二朱銀を流通させ金を中心とする貨幣経済への一本化をはかります。


■生類憐みの令
実際に処罰されたのは69件で、うち死刑は13件。蚊をつぶしただけで島流しになったなどは後世のフェークニュースでした。


■坂本龍馬
慶応2年(1866)薩摩藩の五代才助、長州藩の広沢兵助と一緒に馬関に合弁会社を作り関門海峡を通る船から通行税をとろうとしますが運送会社からの反対と龍馬が海援隊などで忙しくなって会社は立ち消えます。

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