新版 大化改新
【書 名】新版 大化改新
【著 者】遠山 美都男
【発行所】中公新書
【発行日】2022/5/25
【ISBN 】978-4-12-102699-6
【価 格】960円
■藤原不比等
蘇我連子(むらじこ)の娘である蘇我娼子(しょうし)と不比等が結婚し、武智麻呂が生まれます。これで蘇我氏につながる血脈となり天皇家の外戚をつとめる一族となります。葛城氏→蘇我氏→藤原氏とつながります。
760(天平宝子4)年に不比等は太公望にならって近江国12郡を追贈され淡海公と称されます。武智麻呂、仲麻呂が近江国司として活躍したことが評価されたようです。
■平岡連
河内国讃良郡枚岡郷で津速魂命の14世孫、鯛身臣の後裔
■難波吉士(きし)
本拠地は日下郷で大彦命を祖にします
■蘇我倉山田石川麻呂
蝦夷の異母兄弟で入鹿の叔父にあたる人物だったようです。本拠地は河内国石川地域にあった山田で、飛鳥の山田寺は石川の山田に由来しています。
■大化の改新の真相とは?
中大兄皇子の諱は葛城で、葛城の手で養育された模様
皇極天皇
・舒明天皇の皇子だった古人大兄を即位させるため山背大兄の殺害を入鹿に命じる
・背には用明天皇の血統を滅ぼすため
・蝦夷から大臣を受け継いだばかりの入鹿としては実行せざるをえない
・入鹿が斑鳩寺を焼かなかったため山背大兄が生駒に逃れていた時に、大兄につくか皇極につくか、どっちつかずの状態となり蝦夷がこの焼かなかった行動を怒る
・軽皇子、中大兄王子の嘆願を聞き入れ蘇我を裏切ることを決意
軽王子
・皇極天皇と同じ世代なので古人大兄が即位すると自分が即位する目がない
・古人大兄が即位すると、その子孫に皇統がつがれるかもと中大兄を説得して味方に
船恵尺
・厩戸皇子と蘇我馬子が編纂していた「天皇記」、「国記」の前に「帝皇日継」、「先代旧辞」が編纂されており、実は「天皇記」などの編纂は舒明天皇以降で蘇我蝦夷が行っていたため、乙巳の変では編纂に関わっていた船恵史が「国記」を持ち出して中大兄皇子に献じたのでは
中心になっていたのは軽王子と蘇我倉山田石川麻呂で古人大兄が報告した「韓人、鞍作臣を殺しつ」の韓人とは蘇我倉山田石川麻呂をさす
中大兄は入鹿暗殺の実行部隊で軍事拠点となる入鹿の斑鳩寺の失敗からいちはやく飛鳥寺をおさえ、蘇我と古人大兄との連絡を絶つ。
古人大兄は蘇我入鹿が殺された翌日に飛鳥寺で出家し、甘樫丘で見ていた蝦夷が抵抗をあきらめ自滅へ
■評へ
部、屯倉を廃止ー豪族の世襲職が廃止へ 位階を明らかにして官僚制へ
評ー50戸制で統合し律令国家の「国-郡ー里」の元ととなる
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