お金で読む日本史
【書 名】お金で読む日本史
【著 者】本郷和人 監修
【発行所】祥伝社新書
【発行日】2022/7/10
【ISBN 】978-4-396-11658-3
【価 格】900円
BSフジ「この歴史、おいくら?」という番組でよみとくお金の話をまとめた一冊です。
■鎌倉
頼朝が鎌倉入りした時に北から入るには亀ケ谷坂切通ししかありませんでした。武具をつけていると二人並ぶのがやっとという道幅。5万で入った記録がありますが人との間を1mとすると全長25kmとなりました。
馬の値段ー熊谷直実が手に入れた権太栗毛は上品絹200疋で約4000万円。武蔵国の上馬の相場は200万円ほどでした。
■武田信玄
山本勘助
築城術にたけた勘助の噂を聞いた武田信玄は知行100貫目で雇おうとします。対面すると外見がひどいのに、名がしられるとはよほどの人物と200貫目で雇います。1貫目を10万円とすると年俸2000万円になります。
碁石金
戦の褒美として渡しましたが身分の高い家臣には刀や家紋入りの着物を褒美として渡しました。もらうと戦で着飾ったり自慢するので見たものは羨ましく活躍します。お金をもらった方は隠しますので効果がありません。
甲州金
日本で最初の金貨で金4匁を1両、1/4を1分、1分の1/4を1朱、1朱の1/4を1糸目とし江戸時代に引き継がれました。「金に糸目をつけない」はここから生まれました。一分金の刻印が和太鼓に似ていたことから「太鼓判を押す」もここからです。
銃の価格
第二次川中島の戦いで300挺の鉄砲を用意しました。約3億円になります。
西上作戦
信玄は本気だったようで未亡人や妻帯した僧侶にまで課税をし7000両(10億5千万)を集めていました。信長攻めに本気だったようです。
■忠臣蔵
浅野内匠頭は一関藩の田村建顕の屋敷に預けられますが切腹の沙汰が届き、屋敷内に切腹場所をもうけたところ大目付の庄田安利に庭先にしろと言われ庭先でせっぷくさせましたが親戚から縁を切るとか場内でも散々に言われたそうです。
ちくま味噌
討ち入りに成功した赤穂浪士が一服したお店で永代橋のたもとにあります。初代の竹口作兵衛松方が大高源吾の俳諧仲間でした。記録では甘酒をふるまったとありますが実際は酒だったようで幕府に聞こえるとまずいので甘酒と伝えたようです。
■徳川
吉宗-武士の給与である米相場の維持に苦労しました。死後、米相場の動向をびっしり記した用紙が見つかったそうです。
ペリー艦隊の接待 アメリカ人300人、日本人200人の料理を請け負ったのが日本橋の百川で一人あたりの予算は30万円でした
■河井継之助
兵制改革ー藩士の禄高の平準化 20石→50石 2000石→500石にしましたが高録の藩士にとっては軍役が大幅に削除されるため実収入にそれほど差は出ませんでした
ガトリング砲ー日本の3挺しかないうちの2挺を購入
戦争の機運で暴落していた江戸で米を買い占め、長岡へ戻る途中で函館で売ります。江戸と長岡で銭の相場が違っていたので差額を使って軍資金を1万両(10億円)ほど増やします。
外山寅太ー長岡から逃走する河井継之助に従っていた青年で、これからは商人になれと言われて福沢諭吉への推薦状をもらいます。アサヒビール、阪神電車の設立にかかわります
■勝海舟
軍艦奉行として大坂にいた勝海舟をたずねてきたのが西郷隆盛です。お互いに知っていたんですね。江戸の無血開城前に勝海舟は町火消しの新門辰五郎と子分300人を使って江戸焦土作戦も計画していました。ブラフだったようですがイギリス公使パークスが勝海舟との会談日に西郷隆盛に教順した徳川家を滅ぼすのは国際法上認められないと書簡を送っています。
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